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幸せを形作るもの

 辺境の地で暮らし始めて三ヶ月。

 環境の違いに戸惑うことはあるものの、エドアルドも、アンドレアも、義理の父である辺境伯もその妻であるカテリーナも、マティルデを大切にした。


 離宮にいたときに受けていた大切さとは違った。

 壊れ物に触れるようにされていた宮での生活は、マティルデの心をじわりと侵食した。

 生きているだけで罪であるような、心苦しさが絶えずあった。どれだけ愛されていてもそれはなくなりはしなかった。

 末の姫に不幸を押しつけてしまったと家族は思っていた。目が見えぬことに不自由はある。出来ぬことも確かに多いが、マティルデは己を不幸だと思ったことはなかった。


 同じように目の見えぬ者は世の中に多くいて、自分は周囲に助けられて生きてきた。家族からも愛されている。一つの不幸ですべてを否定されるのは嫌だった。

 こうして今も、妻となった自分を慈しんでくれる夫がいる。王女として生まれ、政略の駒として何処かに嫁いだとして、今と同じように大切にしてもらえた保証などない。

 禍福は一つのことのみでは推し量れないのだと、身を持って感じていた。


 夫となったエドアルドは、領主の息子として日々領内のことで駆けずり回っているものの、夜には必ずマティルデの元に戻ってきた。

 時には土産を持って。


 エドアルドが自身の名を呼ぶその声を好ましく思っていた。優しいその声に、きっと笑顔なのだろうと思っている。


「ルディ」


「おかえりなさい、エド」


 エドアルドはマティルデをルディと呼び、マティルデはエドアルドをエドと呼んだ。


「今日は果物を持って来た」


 見えないと分かっているが、エドアルドはマティルデに向けて果物の入った小さな籠を持ち上げた。


「エドから美味しいものをいただいてばかりで、太ってしまいそう」


 マティルデがそう言うと、エドアルドは彼女を庭に連れ出した。


「散歩をすれば良い」


 彼は時間のあるときは必ず妻と過ごした。

 晴れていれば庭を散策し、天気が悪ければお茶を楽しみ、妻に聞かせる為に朗読をした。


 エドアルドに支えられながら、庭に出る。

 見えずとも、マティルデはこの地の美しさを肌で感じていた。

 風からする匂いは王都のそれとは違い、風に揺れて運ばれる草木の香りも違う。

 日差しの強さも異なるし、なにより賑やかだった。城と人々の住む領域がそう離れていないこともあり、城下町から聞こえてくる人々の営みの音が聞こえてくる。静謐な森の中のようだった離宮とは別世界のようだった。


 庭に置かれた椅子に腰掛けて、エドアルドの土産の果物を楽しむことにする。ソニアたち侍女により食べやすいようにと切り分けられた果物が、ベンチの横に誂えたテーブルに置かれている。二人が庭を散策している間に用意したのだろう。

 決まった場所に置けば、マティルデはフォークを使って食事を楽しむことができる。

 小さな口に、土産にと買い求めた果物が入っていく。美味しそうに目を細める妻の様子に、エドアルドもまた目を細めた。


「もう、林檎の季節なのですね。つい先日まで葡萄をいただいておりましたのに」


「ルディがここに来て、三ヶ月経った」


「月日の流れは速いですね。あと二月ふたつきもすれば冬になるのですね」


「ルディ用の膝掛けを作らせているから、じきに届く。侍女たちにも用意させている。寒くないように」


 侍女の分まで用意していると聞いてマティルデは喜んだ。遠い地まで自分に着いて来てくれた侍女たちの体調はやはり気になる。


「それほどまでに寒いのですか?」


 膝掛けならば何枚か持って来ているはずだが、冬に向けて用意させると言うことは、寒さが厳しいのかと少し心配になる。


 不安そうな顔をするマティルデの髪をそっと撫で、頰に触れる。

 秋になり、風も少し冷たくなってきた。日がまだ高い位置にある間に、マティルデを部屋に連れて行こうと考えながら、エドアルドは頷いた。


「王都よりは寒い。必要なもの、欲しいものがあったら遠慮せず言って欲しい。俺たちはここの気候に慣れているが、ルディたちはそうではない」


 はい、と答えてマティルデは微笑んだ。

 心から浮かべているように見えるその笑顔に、エドアルドは気になっていたことを口にした。


「ルディは自身を不幸だと思ったことはあるか?」


 エドアルドの唐突な問いに、マティルデはフォークをテーブルに置いた。


「目が見えぬことをおっしゃってるの?」


「そうだ」


「私には見えないけれど、世界は美しいのだと教えられました」


「……美しくないものもある」


 苦いものを噛むように、エドアルドが言う。


「私、幼い頃は酷い癇癪持ちでしたの」


 エドアルドの知るマティルデは、とても穏やかだ。

 予想も付かないのだろう、驚いた顔でマティルデを見る。


「エドもご存知かと思いますが、私の目が見えぬのは、先の王、お祖父様が平和の世を乱したことに神がお怒りになり、その天罰であるとか、辺境伯に輿入れした王女の呪いだと言われております」


 エドアルドの顔に怒りが浮かぶ。

 どの理由も許せるものではなかった。祖父の行いが末の姫のマティルデに及んだのなら、神が許せないし、輿入れした王女のことは事実無根だと聞かされている。


「人は勝手なもの。あることもないことも、口さがなく言うものです」


 そう言って遠くを見つめるマティルデの横顔を目にし、エドアルドの中の怒りは少し落ち着いた。凪いだ海のように、穏やかな表情をしていたからだ。


「私の癇癪は私の気質の問題ですのに、それすら呪いだ天罰だと言われて、とても悔しい思いをしました。お父様もお母様も悪くないのに、そのように言われるたびに私に謝罪なさるのです」


 怪我を負った後、兄のアンドレアは泣いてエドアルドに謝った。何度も何度も。兄は悪くないのに。

 マティルデの話を聞いていると、その時の様子が思い出されて、胸が痛む。


「まるで私がこの世に生まれてきたことが悪いようではありませんか? そう思ったら悔しくて」


 腹が立ったのです、と言って怒り顔を浮かべるマティルデを、エドアルドは不思議な気持ちで見つめる。


「ですから私、非の打ち所のない王女になろうと思ったのです。決して、負けないと決めました。

王族として、後ろ指を指されることのないように。たとえ社交に出ずとも、生涯を離宮で暮らすことになっても」


 ぐっと胸を鷲掴みされたような気持ちになる。

 エドアルドは己の不幸を嘆き、怒り、それを周囲に隠すこともせず荒れたままに過ごした。


「そうなる前は我が儘で癇癪持ちで、目が見えないのは不幸だ、この世で自分は一番不幸だと口にしておりましたの」


 恥ずかしいわ、と言って苦笑いするマティルデの手に、エドアルドは無意識に手を伸ばしていた。


「目が見えぬもの、口のきけぬもの、耳の聞こえぬもの、歩けぬもの、なにかしらの不自由さを抱えて生まれたのは私だけではないのだとソニアに教えられました。私は王家に生まれたからこそ、こうして誰かに助けてもらえるのです。けれど平民であったならどうか分かりません。

貴族として生まれたとしても、大切にしてもらえたかは分からないのだと、侍女たちからも教えてもらいました」


 マティルデの手がエドアルドの手の上に重ねられる。


「目は見えませんが、不幸ではありません」


 力強い言葉に、エドアルドの胸は詰まる。

 己の行いが恥ずかしくなってくる。


「人の幸せを、他の者が語るのは難しいと思うのです。私が述べられるのは、私のことだけ。エドの禍福を口に出来るのもエドだけでしょう。

私は、エドの幸せを形作る一つになりたいと思っております」


 胸にこみあげる強い気持ち。あふれてきた言葉を、エドアルドは素直に口にした。


「ずっと、不幸だと思っていた。今も苦い気持ちを消しきれてはいない」


 マティルデが頷く。


「もっと強くなりたい。ルディを守りたい。俺もルディの幸せの一つになりたい」


「一緒の気持ちがあるのなら、私たち、きっと良き夫婦になれます」


「そうだな」


 重ねた手を強く握り合い、笑顔を浮かべた。


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