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胸の内の誓い

「困ったことがあれば言ってくれ。俺に言いにくければ、ソニアに」


 そう言って目を向ければ、心得たとばかりにマティルデの乳母は頷いた。


「ゆっくり休め。待たずとも良い」


 エドアルドが去ると、カテリーナの侍女が現れ、マティルデを案内した。

 湯浴みを済まし、マティルデは用意された部屋に案内され、ようやく人心地が付いた。


 予想していたよりは良い対応を受けているとソニアは思っているが、油断は出来ない。

 彼女は王姉の死に関する噂を耳にしている。遠く離れた土地。辺境は先代の王の所為で不要な戦の犠牲者となった。その怒りが王姉に向かったとしてなんら不思議ではなかった。

 産後の肥立ちが悪く命を失うのも、生まれた赤子が幼い頃に命を落とすこともありうることではある。だがそれが立て続けに起き、関係性も悪いとなれば疑いたくもなる。

 目の見えぬ姫を、なんとしても守りきらねばとソニアは心に決めていた。


「エドアルド様のお戻りは遅いのかしら?」


「そのように仰せでした」


 待たなくて良い、と言っていた。

 二人がまだ初夜を済ませておらず、夫婦になれていないことは知っている。

 エドアルドが王家への憎しみから白の婚姻をマティルデに強いて、恥をかかせるつもりなのかと勘繰りもしたが、辺境伯領へ向かう行程はマティルデの体調に合わせたものであり、長旅に慣れていないソニアたち侍女にとっても有難いものだった。


 旅の途中から、エドアルドの態度は変わった。

 なにが二人の間にあったのかは分からないが、マティルデの人となりがエドアルドに少しでも伝わったのだと信じたい。


 王家の姫として生まれながら、離宮で過ごした。

 生まれながらにして目が見えず、幼い頃は我が儘を言ってソニアたちを困らせた。

 癇癪も酷かった。

 何故自分だけ目が見えぬのか、やりたいことすらままならぬのかと泣き喚いた。

 四方に手を尽くして、姫の目が見える方法を探したが結果は捗々しくなく。

 そんなマティルデに、父である王と、母である王妃は泣いて詫びた。


 今いるマティルデの侍女は、ソニアを筆頭にした十名の、妙齢を過ぎた女性ばかり。

 姫を我が子のように、妹のように慈しむ者たちばかりである。生まれは子爵家、男爵家の、出自の保証された者たち。目の見えぬ娘の為に、王と王妃が必死に探し出した。

 姫に関する噂を一蹴してくれた心強い存在である。だが、見つけ出すのは容易いことではなかった。


 王の三の姫の目が見えぬのは、先王の行いに神がお怒りになられたのだとか、人質として差し出され、命を落とした王姉、その子の呪いだと言う者もいた。

 呪いを恐れ、我が子を姫の侍女に差し出したくないと言う家もあった。面と向かっては言わずとも、人の口に戸は立てられぬもの。いずこからか漏れ聞こえるたびに王も王妃も頭を悩ませた。


 口さがない者、親切な者、そのように表現される者たちの声がマティルデに届き、憑き物が落ちたようにマティルデは大人しくなった。


 私の行いが悪ければ、呪いと言われてお父様、お母様が苦しい思いをなさる。


 幼かった姫が、唇を噛み締めて言った言葉を、ソニアは忘れることが出来ない。

 此度の婚姻についても、姫は何ひとつ嫌がりはしなかった。

 自分のような盲いた者を妻にしてくれるのだからと、笑顔を見せた。

 辺境伯との冷え切った関係を、王族としてこのままにしておく訳にもいかぬでしょう、そう言って。

 それら全てが事実だとして、何故末の姫だけがこのような思いをせねばならぬのかと、ソニアは腹立たしく思っていた。




 侍女たちが全て部屋から下がり、物音がしなくなった部屋で一人、マティルデは寝台に横たわりながら、そっと涙をこぼしていた。

 覚悟は決めている。

 それでも、愛する家族から離れて暮らすことに寂しさを感じた。


 誰もいない筈の部屋で、人の気配を感じた。

 最近覚えた足音。

 涙をそっと拭うと、暗闇に向けて声をかけた。


「……エドアルド様?」


 しばらくの沈黙の後、もう一度マティルデが声をかけると、小さくため息を吐く音がして、「起こしてしまったか」と、思っていた人物の声がした。


 上体を起こしたマティルデの横に座ったエドアルドは、すまない、と謝罪した。


「エドアルド様」


「なんだ」


「お顔に、触れてもようございますか?」


「…………止めたほうが良い」


「何故?」


 マティルデの問いに、苦しげに「醜いからだ」とエドアルドは答えた。

 その声に、マティルデはエドアルドの心の傷の深さを知る。

 婚姻が決まり、マティルデはソニアにエドアルドのことを調べてくれるよう頼んだ。

 そうして知った残虐な噂。顔に負った酷い疵。

 それから、恋人の存在と、その別離。


「私たちは夫婦になるのでございましょう? 夫の顔に触れることすら、許されぬのですか?」


 たとえ距離が離れていたとしても、噂など調べれば何が真実かはすぐに分かる。

 後継者である兄を庇い、顔に大きな疵を負い、恋人に捨てられた、辺境伯の二人目の息子。

 穏やかであったと言う気性は、それから残虐になったと言うが、マティルデからすれば仕方のないことに思えた。

 恋人がどのように感じてエドアルドと距離を置いたのは分からない。マティルデには永遠に見ることのない疵を、多くの者が醜い、恐ろしいと口にする。


 マティルデの祖父によって始まった戦により、辺境は隣国との争いの最前線となった。その最中で起きた衝突でエドアルドは大切なものを失ってしまった。

 王家に生まれた者として、エドアルドに対して申し訳ない気持ちを抱いてもいるし、呪いだ、神の怒りだと言われて貴族たちから厭われたマティルデは、すべてとは言わずとも、エドアルドの気持ちが理解出来た。


 この婚姻は政略である。

 傷の舐め合いにしかならない関係かも知れぬ。

 それでも良い、マティルデはそう思っていた。

 旅路でエドアルドの優しさに触れ、これが本来の気質なのだろうと思うことが何度となくあった。

 細やかな気配りをしてくれる、繊細な心の持ち主なのだと知った。

 傷つくのを恐れてもいるのだろうが、自分のような者が触れてはならぬと、マティルデに触れようとしなかった。これほどに繊細な人が、恋人に捨てられたのだ。傷つかないはずがない。


 返事はないが、マティルデはエドアルドのいるであろう方向に向けて手を伸ばした。

 指先に温かいものが触れた瞬間に、それはびくりと震えた。

 そっとなぞるように、確かめるように指先で触れるが、エドアルドは拒まなかった。

 顔の半分を覆う火傷の疵があるとは聞いていた。

 もう片方の手を伸ばして、反対側の肌に触れれば、左右の違いが嫌でも分かった。

 聞いた通りの、大きな疵痕。


「今は、痛くございませんか?」


「……痛くない」


「それならばよぅございました」


 エドアルドの顔を撫でているうちに、なにかがマティルデの手を濡らした。

 涙だとすぐに分かったが、マティルデは何も言わず、撫でた。


 マティルデは、エドアルドを愛そう、と心に決めた。

 決めたからと言って、心は自由になるものではないが、愛したいと思った。

 愛されずとも。


 溢れてくる涙を、マティルデはそっと指で拭った。


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