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コサージュ

 花嫁であるマティルデを乗せた馬車の一行は、途中の村や町で休息をしながら辺境の領地へ向かっていた。

 休むことを念頭に置いておいた辺境伯は、町などで魔の森や魔物から採取した珍しいものを商人や領主などに販売をしながら、己が領地で役に立ちそうなものを見繕っていった。


 旅慣れぬマティルデの体調に合わせた旅程に、これまでの自分なら苛立ちを覚えただろうとエドアルドは思っていた。

 父と共に商談に臨席する。相手は煌びやかな宝飾品を多く持って来たが、どれもマティルデには不要なものだった。

 色味は地味ながら、細かな刺繍の施された布を手にし、指先でその表面を撫でる。

 これならばマティルデも、何が施されたものなのか分からずとも、感じることが出来るのではないかと思った。


 無言で生地を撫でる息子を、父である辺境伯はちらと見やると、僅かに口角を上げた。

 商談内容をまとめていく際に、エドアルドは布をいくつかと、布で作られたコサージュをいくつか、購入を決めた。

 布で作られた花ならば、マティルデの手を傷付けまい。

 購入したコサージュを一つだけ持ち、あとは荷台に運ばせると、マティルデの休む宿に戻る。

 侍女たちはエドアルドを見ると身体を強張らせるが、妻であるマティルデに無体をする様子はないことに安堵していた。

 珍しい果物や菓子があれば妻にと買ってくるものだから、噂通りではないのかも知れぬと、ひと月の旅路の中で思い始めていた。

 今日もコサージュを手にして戻って来たエドアルドに、マティルデの乳母として、生まれたときより側にいるソニアは笑顔を見せた。


「おかえりなさいませ、エドアルド様」


 エドアルドはローブを目深に被ったまま頷くと、扉を見る。その先にはマティルデがいる。


「お入りいただいて、大丈夫にございます」


 ソニアの言葉に頷き、扉を開ける。

 扉が開く音に反応して、マティルデがエドアルドを見た。


「エドアルド様」


 長椅子に座るマティルデの横に、少し間を空け、腰掛ける。


「戻った」


「おかえりなさいませ。商談はいかがでしたか?」


「まぁまぁだ」


 エドアルドはマティルデの手の上にコサージュをのせた。


「まぁ、これは? コサージュにございますか?」


「あぁ。ラナンキュラスだ」


「……色はついているのでしょうか?」


「ピンク色だ」


 さすがにエドアルドも、花言葉はそれなりに知っている。かつての恋人に花を贈りもした。


「まぁ……」


 嬉しそうにマティルデは笑みを浮かべた。その様子にエドアルドは目を細める。


「ソニアにでも、髪に飾ってもらうと良い」


 きっと、マティルデに似合う、エドアルドはそう思っている。


「エドアルド様が付けては下さらぬのですか?」


 思いもよらぬ言葉に、エドアルドは困った。

 夫婦ではあるが、エドアルドはマティルデに触れようとはしていなかった。


「……俺の噂は聞いているのだろう?」


 火傷の痕もあるが、噂を耳にしているからこそ、マティルデの侍女たちは自分を恐れているのだろう。

 主人マティルデの耳には入れていないかも知れないが、彼女たちが知っていることは確かだった。


「はい」


 小さく頷く妻に、エドアルドは胸の内に小さな滓のようなものが生まれたのを感じた。


 あのような噂のある自分に、触れられたくないだろう、とエドアルドは言いたいのだ。けれど言葉にはしたくなかった。


「エドアルド様は私に触れるのを厭われますか?」


 直接肌が触れたことはない。

 馬車の乗り降りの際もマティルデは手袋をしている。

 菓子を渡すときも、触れない。マティルデの手に触れるのは菓子であり、コサージュであり、エドアルドの手ではない。


「……そんなことはない」


「では、お願いいたします」


 差し出されたコサージュを受け取るのは躊躇われたが、いずれ妻にせねばならぬのだと思い直し、受け取った。

 手入れの行き届いた艶やかな髪は、ハーフアップにされている。ねじるように緩く編み込まれた部分にそっとコサージュの櫛の部分を差し込む。


「いかがですか?」


「……似合っている」


 プラチナブロンドの髪に、ラナンキュラスの淡いピンク色はよく似合う。


「ありがとうございます、エドアルド様」


 マティルデの笑顔に、かつての恋人を思い出す。

 彼女も同じように贈り物に喜んでくれた。たった一輪の花でも。

 恋人は艶やかな黒髪に紫がかった青い瞳の美しい女性だった。生涯を共にしたいと願っていた。


 愛し、愛されていると思っていた。

 信じていた。気持ちも、未来も揺るぎないものだと。

 裏切られたとも思った。鏡に映る己を見て、愛せる筈がないとも思った。


 胸の痛みを、エドアルドは奥歯を噛んで耐えた。

 今はまだ痛み、軋む。早くなくなってくれと切に願いながら、マティルデの顔を見る。


 敵兵に襲われそうになった兄を庇ったことに後悔はない。ただ、それにより負った怪我は、エドアルドの未来を壊した。

 誰かと生きることはないだろうと思っていた自分が、妻を娶った。目の見えぬ王女を。

 この話を父から伝えられた際、エドアルドは怒りを露わにした。

 何故、放っておいてくれないのか。

 目の見えぬ王女ならば傷付くことはあるまいと、皆に言われるのは火を見るより明らかで、姫を迎えに行くまでの一年の間、ずっとずっと、エドアルドは怒り続けていた。

 どうしてどうして、姫と側にいたのはほんの僅かであるのに、エドアルドはこれで良いのだと、自分でも驚くほどに受け入れていた。

 かつて失われたもののことを思えば胸は痛む。

 やるせない気持ちにもなる。

 けれど、これまでのような、消えたいという気持ちは薄らいだ。




 長旅を終え、辺境伯領に到着すると、母である辺境伯夫人と、兄 アンドレアが出迎えてくれた。

 馬車を降りるマティルデに手を差し出し、支えるエドアルドの姿を目にし、夫人とアンドレアは目を見合わせた。

 あれだけ嫌がっていたエドアルドに、どんな心境の変化があったのだろう。そう思わずにはいられなかった。

 マティルデの手を引き、夫人とアンドレアの前に立つ。


「戻りました」


 軽く挨拶をすると、エドアルドは妻に教えた。


「辺境伯夫人──俺の母と兄のアンドレアだ」


 夫の説明に頷くと、マティルデはカーテシーをした。


「初めてお目にかかります。私、王の三の姫 マティルデと申します。

エドアルド様の妻となりました。幾久しくよろしくお願いいたします」


 王女からこのように挨拶をされるとは思っていなかった二人は、戸惑いはしたものの、すぐに受け入れた。カーテシーをし、妻となったと言われたのだ。王女として扱うなと言う意味であると理解する。


「このような辺境の地によくお越し下さいました。オレはアンドレア。エドアルドの兄だ。困ったことがあればなんでも相談してくれ」


 ありがとうございます、とマティルデは返す。


「私は辺境伯の妻 カテリーナ。エドアルドの母です。あなたを歓迎します」


 カテリーナの言葉に笑顔で返すマティルデ。


「最後の行程は少し無理をしました。マティルデを休ませたい」


 辺境伯からあらかじめ連絡を受けていた為、受け入れる準備はしておいた。


「勿論よ、湯の用意もしてあります。身を清めて、お休みなさい」


 アンドレアは弟に目を向ける。エドアルドは無言で頷いた。


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