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旅路

 目の不自由な姫は一人では生きていけぬ。

 姫の世話をする侍女にかかる費用は王家こちらが持つ。不自由させないだけの人を用意させて欲しい、王は辺境伯にそう頼み込んだ。

 図々しいとエドアルドは苛立ちを覚えたが、本来であれば離宮で生涯を終える筈だった姫を、求めたのはこちら側だったと思い出し、己の考えを恥じた。

 辺境伯は当然だと答え、費用もこちらが持つから気にしないで欲しいと言った。


 姫についてくることになった者は、年嵩のいった者ばかりだった。年若い侍女はいない。

 辺境のような危険な地に好んで行きたがる若い女性は多くない。分かっているが、複雑な気持ちになるものだ。


 社交などをしないマティルデは、姫でありながら装飾品などを多く持たなかった。衣装についても身動きの取り易いものをと、飾りは控えめにし、生地の質にこだわったものを身につけていた。

 それでも、父、母、姉、兄から餞別が贈られ、姫の荷物を載せた馬車コーチは何台にもなった。

 眉を顰めるエドアルドに、父である辺境伯は、本来王家の姫が嫁ぐ際は、侍女は二十はいるものであるし、荷物を載せた馬車コーチは十台にはなる、と。少ない方だと言っているのだ。


「……何故ですか」


 エドアルドは何故、自分に妻を、と続けた。

 戦いの多い土地である。いくら領主の息子とは言え、この疵だ。この疵を負った数年の間は荒れて、噂の元となるような残虐な行いもした。後悔はしているが、もはやなかった事にも出来ない。

 今はただ、父が治め、兄が継ぐ辺境の地を守る為だけに生きようと思っていた。そのような自分に妻など。

 目の見えぬ妻ならば、エドアルドの顔を見て怯える事はないだろう。それはエドアルドを安心させたが、古傷を抉った。


「死に急ぐ必要もあるまい。焦らずとも、死ぬときは死ぬ」


 生きていたい訳ではない。死にたい訳でもない。

 エドアルドはただ、領地を守ることだけを考えている。妻など娶ったところで足枷にしかなるまい。

 そっと己の顔に残る疵に触れる。


 たとえ何があっても、あなたを愛します。


 常々そう口にしていた恋人は、エドアルドの顔半分を覆う疵を前にして、顔を青褪めさせ、見舞いにも二度、三度ほど訪れたのち、何かと用事があると言って来なくなった。

 エドアルドが捨てられたのは、誰が見ても明らかだった。次期領主である兄を庇い、大怪我をしたエドアルドを褒める者こそいても、誹る者はいなかった。けれどあまりの変わり様に恋人を擁護する者もいた。それほどに酷い疵が残った。


 婚姻を結んだのだからと、エドアルドとマティルデは同じ馬車キャリッジに乗る。

 エドアルドに支えられながらマティルデは馬車に乗る。馬車に乗る為の踏み台の場所すら見えぬ姫に、一歩前へ、と伝えるも踏み台に足をぶつけてしまう始末。踏み台の高さがどれほどあるのかも分からないのだ。

 苛立ちを抑えながら、エドアルドはもう少し足を上げるように言った。


「ありがとうございます。お手数をおかけいたします」


「……いや」


 準備が整い、先行する馬車が動き出し、エドアルド達を乗せた馬車も緩やかに動き始めた。

 許されない婚姻という訳ではないが、祝福されたものでもないのだろう。

 王族の婚姻でありながら、誰に注目されるでもなく、馬車は王都の出口を目指す。


 エドアルドたちを乗せた馬車が王都を出たのは、城を出発してから六時間が経過した頃だった。

 建物の海を抜け、城壁の外に出ると緑地が広がっていた。

 ほっと息を吐いたエドアルドは、人一人分空けて座る妻、マティルデを見た。

 彼女は真っ直ぐに前を見ており、窓の外の風光明媚な景色を見てはいない。

 景色を見ないのかと尋ねようとして、見えないのだと思い出す。

 自分にとって当たり前に目にすることが出来るものを、マティルデは見えない。見られない。


「……色は」


 エドアルドが声をかけると、マティルデはエドアルドの方を向いた。


「その、不躾な問いだと思うが……いつから目が見えぬのか?」


 その問いに、マティルデの表情に僅かに悲しみが混じるのを、エドアルドは見逃さなかった。


「生まれた時には」


 では、父の顔も、母の顔も、己の顔も、何一つ知らぬのかと、そう思うとエドアルドの胸はしくりと痛んだ。

 恐ろしく醜い疵を負ってしまった己の顔を、見たくないとは思っても、生涯己の顔すら知ることが出来ぬと言うのは、どんな気持ちなのだろうと思う。


「色も、分かりません」


「……そうか」


「その代わりなのでしょうか、香りは分かります」


 香り? と、俯きがちな顔を上げてマティルデを見ると、穏やかに微笑んでいた。


「私の為に、家族がそれぞれ別の香りを身につけて下さっていたのだと思います」


 言葉を区切ると、「エドアルド様やお義父様が香を纏われないのはそのお立場ゆえなのでしょうね」と言った。


 王家の面々からする香料に、エドアルドは不快感を覚えていたが、マティルデの為でもあったのかも知れないと思うと、己の視野の狭さが身につまされる。


「戦が始まれば領地は埃や火薬、金属などの臭いだらけだ」


 魔の森からは頻繁に魔物がやって来る。

 魔物の放つ臭い、血の臭い、木の燃える臭い。

 宮の奥で大事に守られてきた姫が、知らない臭いばかりだろう。


 危険な場所に愛娘を送りたくなかったであろうと、王の気持ちを慮る。マティルデを見つめる国王の眼差しには、深い愛情と悲しみが混じり合っていた。

 母である王妃も、兄姉も。


「魔物とは、どのようなものなのですか?」


「人を襲う」


「襲う……」


 エドアルドの言葉を繰り返すマティルデ。表情が強張る。


「生きる為に」


 魔の森にも糧はあるが、豊かとは言い難い。

 繁殖期からしばらくすると、子を孕んだ魔物たちが栄養を求めて人の里を襲う。


 糧は少なくとも、森でしか得られぬものがあり、高値で売れる。戦いの多い辺境の、貴重な資金源である。


「私になにが出来るかは分かりませんが……出来ることがあればなんなりとおっしゃって下さいませ」


 たぶん、ない。けれどエドアルドはそうは口にしなかった。


「……気にしなくて良い。環境が変わる。慣れることに専念してくれれば良い」


 マティルデの侍女は、マティルデの側に仕えていた者たちの半分がついて来ることになった。


「あちらに着いたら、若い侍女をつけよう。近い年齢の者がいたほうが良いだろう?」


 エドアルドの言葉にマティルデは首を横に振る。


「私の周りに、近い年頃の者はおりませんでしたし、別段困ることもございません」


 姫の侍女を務めたとあればそれだけで箔が付く。

 嫁ぎ先として良い先が見つかることも多いと聞く。


「私は社交をいたしませんでしたから、そのような者の側にいてもつまらぬと思われたのでしょう」


 率直な言葉に、エドアルドは言葉に窮した。


 貴族の令嬢からすれば、いくら王族であろうと目の見えぬ、社交をしないマティルデの側にいても利点がないと判断されたのだろうとエドアルドは思った。貴族は利に目敏く、益のないことはしないものだ。それから、姫にまつわる噂を思い出した。


「……すまぬ」


 いいえ、と答えると、マティルデは優しく微笑んだ。


「お心遣い、痛み入ります。私を思っておっしゃってくださった言葉に、どうして傷つきましょう」


 エドアルドは、目の前にいる姫は、これまでどれほどの葛藤を抱えてきたのだろうかと思った。

 生きる最中で、持っていたものを失った自分と、生まれ付き持たなかった姫。

 そのどちらが苦しく、悲しく、やるせない思いをしたのかは分からない。

 王族として生まれ、それゆえに恵まれたこともあったろうが、立場ゆえのしがらみもあるはずだ。 

 エドアルドがそうであるように、マティルデにも。


 己だけが苦しいのだと思っていた訳ではない。けれど、何処かで救いが欲しかったのだろう。

 捨て鉢な気持ちでいた。どうにでもなれと思っていた。その反面、助けが欲しかった。失われたものを取り戻したかったのだと、不意に理解する。


 これまで兄や母に何度も諭されてきた。

 彼らの言葉はいつも心を上滑りしていき、エドアルドの心にまでは入って来なかった。

 妻となった姫とは、ほんの僅か言葉を交わしただけだと言うのに、境遇の所為なのか、なんなのか、彼女の言葉は入ってくる。


 この気持ちを、簡潔な言葉にすることは難しい。

 ただ、目の前の、人よりも助けを必要とする妻を、守りたいと思った。


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