望まぬ婚姻
欲深かった先代の王が起こした戦の為に、この国と隣国は常に臨戦態勢にある。
この戦の為に王家と辺境伯の仲は冷え切った。
王の姉姫は人質のように辺境伯の元に嫁がされ、そして死んだ。決して待遇が悪かった訳ではなく、子を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、そのまま儚くなった。
子は、女児であった。
姫の産んだ娘は身体が弱く、幼い時分に命を落としてしまったのだ。
辺境伯はまだ年若かったし、後継者を必要とする。新しい妻を娶り、子が出来た。男子であった。すくすくと育ち、武勇に優れた青年に育つ。
嫡男誕生の五年後に生まれた男子は、優れた魔法の力を持つ子であった。
今の王の三人目の娘は目が見えぬ。
他国に嫁がせる事は出来ぬと父王は思っていた。政略として使えぬ姫ではあるが、王は王女を愛しんでいた。一の姫も、二の姫も、王子も全ての子を愛しんでいた。
生涯を王宮にて健やかに過ごしてくれれば良い。そう思っていた。
その姫を、辺境伯が二人目の息子の妻として欲しいと口にした。
この度隣国との何度目かの小競り合いがあり、辺境伯が指揮した自国の軍が勝利を掴んだ。
褒美になんでも取らすとの王の言葉に、辺境伯が望んだ。此度の戦でもっとも戦果を上げたのは二人目の息子である。その息子に是非とも姫を、と。
姫の目の事は知っておるのかと王が尋ねれば、辺境伯は頷いた。知りながら妻にと求めるのであれば、否やは言えぬ。
王はなんでも、と言った。為政者としての責務を果たさねばならぬ。
こうして、三の姫と辺境伯の二人目の息子の婚約が決まった。
三の姫の部屋は葬儀のような悲しみに包まれた。辺境の地に姫が嫁ぐことに、姫を愛する侍女たちが嘆いているのには訳があった。
伯母である王女も本当は殺されたのではないかとの噂がずっと前から言われている。
その上、辺境伯の二人目の息子には噂がある。
残虐非道で、敵国の捕虜を嬲り殺すのを好む。
そう言われている。
それに何より、その容姿を皆は恐れた。
約束から一年後。
姫を迎えに辺境伯と共に訪れた次男はローブを目深に被り、素顔を見せなかった。
王の御前にてそれは無礼であると宰相が声を荒らげた。王は止めたが、辺境伯が取るように命じ、伯の次男──エドアルドは顔を露わにした。
酷い火傷の痕が顔の半分を覆っていた。
宰相は動揺し、言葉を発することが出来なかった。安全な場所で人に指示することの多い宰相は、辺境の地で行われる戦というものを、字面でしか理解していなかった。
辺境にて日々、争いに揉まれる最中でついた傷であろう、無体をさせた宰相には後程罰を与える。
王がそう言うと、恥入るだけの心はあったようで、宰相は項垂れた。
辺境伯は幼き頃に先代の王に謁見したことがある。傲慢で横暴、強欲な王だった。
その息子である今の王は、似ても似つかぬ気性に見えるが、表はどうとも繕えるものと思い、王と宰相の遣り取りを眺めていた。
簡易ではあるがと、王家は宴席を設けた。
笑顔こそ浮かべているが、心からの笑顔を浮かべる者はいなかった。
花嫁をもらうエドアルドは、ローブを脱ぎ正装を纏い、火傷を晒していた。誰もがその疵に目を背けた。
醜いからだろうとエドアルドは思っていたが、一の姫、二の姫、それから王子は別の思いを抱いていた。如何に自分達が守られているのかを、思い知らされたのだ。
辺境伯やその領民に今も大変な思いをさせているのが、自分達の祖父が原因であることも、彼らの心を暗澹とさせた。
エドアルドの隣に座る花嫁──マティルデはベールを被っており、表情が見えない。
宴席の間、マティルデは何も口にしようとはしなかった。無言の抵抗でもしているのか、エドアルドはそう思っていた。
自分とてこの婚姻は望んでなどいないと言うのに。
苦い思いを、ゴブレットに注がれた酒で強引に飲み下す。
宴席を終え、支度の済んだエドアルドが用意された寝室に足を踏み入れると、寝台に座るマティルデがエドアルドの方を向いた。
夜着を身に付けたマティルデはベールも付けておらず、緩く髪をまとめて胸の方へ垂らしていた。
戦に慣れたエドアルドも、女人とのことはそれほど慣れてはいない。
「エドアルド様」
マティルデがエドアルドの名を呼んだ。
何を言い出す気かと身構えつつ、マティルデに近付く。
「エドアルド様?」
少し離れた場所に立つエドアルドが、「……ここにいる」と、素っ気なく答えると、マティルデはふわりと微笑み、頭を下げた。
「どうぞ、よろしくお願い致します」
思っていたのと違う妻の反応に、エドアルドは戸惑った。どうしたものかと逡巡していると、マティルデの腹がぐぅ、と鳴った。
マティルデの顔が赤く染まる。
「申し訳ございません」
「……何故、宴で何も口にしなかった」
そう尋ねれば、マティルデは僅かに困った顔になった。
「ベールを付けておりましたから……粗相をして汚しては申し訳なくて……」
マティルデは目が見えぬとは聞いていた。目が見えぬとひと口に言っても、人によって見えなさは異なる。
「……全く見えないのか?」
「光は感じます」
顔の火傷を恥じた息子に、父が充てがった目の見えぬ妻。
エドアルドは胸の中に渦巻く感情を、深呼吸することで押さえ付けると、テーブルに置かれた菓子ののった皿を持ち、マティルデの隣に腰掛けた。
寝台が沈んだことで、エドアルドの居場所が分かったのだろう、マティルデはエドアルドを見た。
エドアルドは皿に盛り付けられた焼き菓子を一つ手に取り、マティルデの手に触れさせた。何かが触れたことに気付き、マティルデはそれを受け取る。
「焼き菓子だ」
「まぁ、ありがとうございます」
焼き菓子を口にすると、美味しそうにマティルデは食べた。その様子に、エドアルドは尋ねる。
「……もう一ついるか?」
「ですが……」
マティルデの頰が再び赤く染まる。
何を考えたのかが分かり、エドアルドは首を横に振る。
「今宵は何もしない」
「そうなのですか?」
マティルデの問いに、ため息を吐きながら、あぁ、と答える。
「明日の昼には王都を立つ」
いずれは妻にせねばならぬのだろうと分かっている。けれどエドアルドはそのような気持ちになれなかった。
何故父は、目の見えぬ姫を自分の妻にと求めたのであろう。有事の際、いや、有事でなくとも目の見えぬ姫は人の手を必要とする。
常に戦っている訳ではないが、辺境伯領を襲うのは隣国だけではないのだ。
西に争う国、北には魔の森。
エドアルドも、辺境伯である父も、兄も、かの地で必死に生きている。
強くなければ生きていけない。
深窓の姫君が楽しく暮らせるような場所ではない。