ある最悪の事件
この物語はフィクションです。
実際の事件とはいっさい関係ありません。
またかなり残酷で胸が悪くなるシーンがありますので、そういうものに耐性のない方や女性にはおすすめできません。
ジャンル違いかもしれません。その場合は変更させていただきます。
ガルライン伯爵の夫人であるエルシア・ガルラインの殺され方はそれは凄惨なものだったという。
すでに臨月でもあった伯爵夫人が殺人鬼に抵抗する術はなかったはずだ。
腹を切り裂かれた伯爵夫人の血が部屋中に広がり、そのあまりの光景に部屋に入ったものはひとり残らず嘔吐したという。
しかし、そんな凄惨な現場で、ひとつだけ救いがあったとすれば、それは切り裂かれた腹の中から取り出された赤ん坊が、骸になった母親の横で息をしていたことだろう。
なぜ殺人鬼が臨月の腹の中から赤ん坊を取り出したのかはまったく分からない。
ひとつだけ言えることは、この殺人鬼が、まだこの世界のどこかにいるということだけだ。
「以上が事件のあらましだ」
女はそう言って深いため息をついた。
女の名前はアマリア・シュテルベーカー。王宮の騎士でもある。
ここは王都の外れにある貧民街。そこに居を構えるウォーレン・バロウの元にアマリアはやって来ている。アマリアはバロウの友人であり(少なくとも本人はそう思っている。それ以上の感情があることは本人も認めてはいないが)、難解な事件や揉め事をバロウに持ってくる厄介な女でもある。
バロウは主に呪いや結界を解くことが専門の【リムーバー】と呼ばれる解呪士であり、殺人事件(それも猟奇殺人)は専門外だ。
しかし、アマリアはバロウに大して過大な評価をしており、どんな事件でもバロウとそのメイドならば何とかしてくれると考えている節があった。
「彼女は人に恨まれるような人物ではない。自分を律することにかけては彼女の右に出る者はいない。そんな彼女がなぜあんな惨たらしい殺され方をされなければならなかったのか」
アマリアはそう言って拳を握りしめた。手の平に食い込んだ爪に赤いものが滲んでいる。
そんなアマリアにバロウの傍に控えていたメイドが声をかけた。
「猟奇殺人における加害者の男女比は、ただの殺人に比べると女の比率が上がるのをご存じですか?」
女はバロウに仕えるメイドで、名をパンプスと言う。
ハーフエルフの彼女の身体には、この世界で忌み嫌われているヴァンパイアの血も流れている。そのことをアマリアは知っているが、もちろん誰にも話すつもりはない。
「どういうことだ?」とアマリアは聞いた。
「そのままの意味ですよ。ただの殺人の男女比では、加害者は圧倒的に男が多いのです。おそらく9割以上は男でしょう。しかし、これが猟奇殺人になれば話は変わります。そもそも猟奇殺人と呼ばれる事件自体の数が少ないのですが、猟奇殺人の加害者の男女比はほぼ5:5になります」
「どうしてそんなに上がるんだ」
「答えが分かってしまえば簡単なことなのですが。猟奇殺人でもっとも多いのは死体損壊。つまりバラバラ事件や頭部を切り離す事件です。ではなぜ死体損壊になると女の比率が上がるのか。それは、死体を運ぶことができないからだと言われています。つまり、女の力では死体が運べないので、仕方なく死体をバラバラにするのです」
聞いてしまえば成程と思う。非力な女では自分よりも大きい男の死体運ぶことができない。だから死体を切り刻む。分かってしまえば至極当然だ。
「だとすると、こんな凄惨な事件だが犯人は女の可能性があるということか。しかし、今回の事件はバラバラ事件ではないぞ?」
「はい。今回の事件は死体損壊には間違いありませんが、犯人の目的は死体隠ぺいではないでしょう」
死体をバラバラにして運ぶのは、死体を隠したいからだ。
当たり前の話だが、殺人事件というのは死体があって初めて発生する事件だ。
もし死体がなければ、殺人事件ではなく行方不明事件として処理される。
だからほとんどの殺人犯は死体を必死に隠そうとするのだ。
「死体の隠ぺいを目的としていなかったのなら、なぜあんな残忍なことができるのだ?」
「それはやはり……女だった、からでしょうね」
「なぜ女がやったと分かるんだ。女がやったという証拠でもあるのか?」
「もちろん証拠などありませんよ。全て私の想像です。今のところは。でも、あながち間違いとは思っていません。夫人の遺体の傍にいた赤ん坊にはへその緒が付いていたのですか?」
「ああ、そう聞いている」
「この事件でもっとも不可解な部分は、被害者の腹が切り裂かれていたにも関わらず、胎児が無事だったことです。犯人が被害者に相当の恨みを持っていたことは確実ですが、恨みを晴らす殺し方とは思えません。恨みからくる殺人の大半は全身に何度も刃を突き立てていることが多いのです。しかし今回はそうではありません。もちろん犯人が猟奇的な性格の変質者であった可能性もあります。しかし、妊婦の腹を切り裂きたいという衝動に囚われての犯行であるなら、なにも伯爵夫人を狙う必要はありません。もっと狙いやすい妊婦は山ほどいるでしょうから」
「犯人の狙いは間違いなくエルシアにあったということだな?」
「はい。犯人はエルシア夫人に相当の恨みを持っていたことは間違いないでしょう。しかし、犯人の目的の第一は、エルシア夫人の殺害ではなかったように思います」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
解呪の仕事のほとんどはリムーバーのバロウがおこなうが、難解な事件の謎解きをおこなうのはメイドのパンプスである。
パンプスが色々なところをまわって集めた情報を頭の中で熟成させ、そして、ひとつの答えをひねり出すのだ。
今回の猟奇事件についても、パンプスがあちこち飛び回って情報を集めてきた。
ガルライン伯爵の身辺。過去の女関係。そして、その女たちの最近の動向。
それらの情報を元に、パンプスは自分が立てた仮説が正しかったことを確信した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
アマリアが話をしてから数週間が過ぎたころ、パンプスがアマリアを呼んだ。
あの猟奇事件について話したいことがあるという。
「あまり話せるような内容ではありませんが」
最初にそう断ってから、パンプスは自分の考えを話し始めた。
ガルライン伯爵には結婚前から関係のあった女がいた。
もちろん女も伯爵との結婚を夢見ていただろう。
しかし、自分が結婚できると思っていた男は、自分以外の女を選んだ。それがエルシア夫人だった。
しかもその時、すでに女は妊娠していた。女はまだ自分にも可能性があると思っただろう。お腹の中にいる赤ん坊は紛れもなく伯爵の子供なのだから。
しかし、男はそのことを知っても女を選ぶことはしなかった。伯爵の妻であったエルシアもまた妊娠していたからだ。
男は冷たい態度でひと言、「堕ろせ」と女に告げた。
女は絶望し、そして壊れた。
ある日、女は悪魔的な復讐の方法を考えた。
すでに壊れてしまっていた女にとって、それは必然の方法であり、しかも女でも可能な方法だった。
女は誰にも知られずにひっそりと赤ん坊を産んだ。
そして、まだへその緒がついている赤ん坊を抱き、その足でエルシア夫人の元に向かった。
女がどうやって夫人の元にたどり着いたのかは分からない。
しかし、女はたしかにエルシア夫人に近づき、抵抗する夫人の首を絞め、ぐったりとした彼女の腹に手をやった。
何の感情もなく、何のためらいもなく、壊れた女は黙ってエルシアの腹にナイフを突き立てた。
エルシア夫人の腹を切り裂き、赤ん坊を取り出し、そして、その傍らに自分の赤ん坊を置いた。
そして、女は自分が産み落としたのではない赤ん坊を抱いて、姿を消した。
「以上です。話すだけでも吐き気をおぼえるような事件ですが、概ねこのとおりかと」
パンプスは自分の仮説を話し終えると、深い息を吐きながら「もっとも罪深いのは男だと思いますが」と言った。
「女はどうなった?」
「その女でしたら隣国の娼館にいることを確認しております。ただし、その時の赤ん坊についてはまだ確認が取れておりません。おそらくどこかに預けたのではと」
「わかった。ご苦労だったな。女のおまえには辛い仕事だったろう」
「いえ。旦那様のお役に立てたのであれば」
ふたりの横で唇を噛みしめながら話を聞いていたアマリアが悔しそうに言った。
「あの男との婚約にわたしは反対だった。女に対してだらしない噂は聞いていたからな。あの男のことを許すわけにはいかない」
「だが、今度の事件ではあの男は被害者でもある」
「どこが被害者だ! あの男こそが加害者であり、ふたりの女は被害者じゃないか!」
自分でも気づかず声を荒げたアマリアだが、怒りの矛先は目の前のバロウではない。
「す、すまない、声を荒げるつもりはなかったんだ。ただ、自分を抑えられなくて……」
「いや、アマリアが怒るのは当然だ。パンプスなんか既に男を殺す気満々だからな」
「旦那様?」
「違うのか?」
「私は旦那様の指示をお待ちしているだけです」
「合ってるじゃないか。パンプスも男が原因だと思ってるのだろう?」
「はい。原因どころか主犯に近いと思います。おそらくあの男は今、自分の元にいる赤ん坊が誰の子なのか知っていると思いますので」
「まさか……」
「確かに今回の犯行は女でも可能であることは間違いないです。それに、実際に事に及んだのは犯人の女ひとりでしょう。しかし、女がたったひとりで、伯爵家の屋敷に忍び込むことなど不可能です。内部に手引きした者がいないかぎりは」
「それが伯爵だと言うのか?」
「はい。伯爵にとっては妻が妊娠中の浮気に過ぎなかったのかもしれません。他に女を屋敷に引き込む理由はありませんからね。責任もとらず子供を堕ろせと言ったにも関わらず、女と元の関係に戻れると思った神経は私には理解できません。久しぶりに会った女が赤ん坊を抱いていた時点で気付くべきですが、伯爵もまさかこんな事になるとは思ってもみなかったのでしょう。今頃、どんな気持ちで赤ん坊をあやしているのやら」
ガルライン伯爵の死体が見つかったのは、夫人が殺されてちょうど100日目のことだった。
その死体は凄惨極まりないもので、腹を裂かれ、内臓はすべてぶちまけられていた。
部屋の壁には伯爵の血で書かれたと思われる「この男に鉄槌を」の文字が残されていた。現場の状況からは屈強な殺人鬼に襲われたとの見方が強い。
ただし、ガルライン伯爵夫人を殺した犯人と同一人物なのかどうかは意見が分かれているところである。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
それからしばらくして、辺境で隠居生活をしていたガルライン家の祖父と祖母の元に孫がやってきた。殺された両親に代わって孫を育てるためである。
祖父も祖母も自分たちの孫のことをこれ以上はないほどの愛情で包み、村の住人もガルライン家に新しくやってきた双子の子供たちを温かい目で見守っているという。
最後までお読みいただきありがとうございました。