約束の、破滅の日
バッドエンド物です。病んでる系主人公です。
普段の阿呆話とはかなり毛色が違うので
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R15(非エロ)です。ご注意ください。
約束の、破滅の日。
5年前。
私の前でお茶を零すような真似をした侍女の足を、細いヒールで踏み抜き骨折させようとしている最中に、前世らしい此処とは全く違う世界での記憶を取り戻した。
前世の私は普通の高校生だった、と思う。そこまでの記憶しかない。どちらかというと教室に居場所が作れずに少しの時間でも図書室にいるような、友達は物語の中にいるような子だった。
そうして、前世を取り戻すきっかけとなった侍女を骨折させようとした、あの時。
私はお茶を掛けられた怒りとぐりぐりと足の裏に感じる侍女の細い骨を探してへし折ろうとする執念に、自らドン引きすると共に、『あ、これあの小説の中に出てくる悪役令嬢とのエピソードと同じだ』と思った。その瞬間、パァッと頭の中で前世での記憶がまるで走馬燈のように頭の中で走り抜けたのだった。
慌てて足を退け、侍女へ謝っても後の祭り。
それまでの暴力的な仕打ちも相まって、私は使用人達から完全に距離を置かれた。
それでも。前世の知識と良識を手に入れた私は、自分が思い出した小説の中に出てくる悪役令嬢リタ・ゾール侯爵令嬢とならないよう、私なりに努めてきた。
でもたった5年でなにができたかといえば、ある意味なにもできなかった。
最初の一年は、できるだけ傍にいる使用人達に優しくするよう心掛けた。
でもそれまでの行いが酷すぎたせいなのか、裏があると思われて絡まれないよう遠巻きにされるようになっただけだった。
無理に交流を持とうとしてもいきなりは無理だったなと反省し、まずは理想の令嬢になる為の勉学に努めることにした。
そんな私に、家庭教師たちはまるで降参させようとムキになっているかのようにより高度な教育を詰め込んでいく。しかし、小説の中のリタが基本ハイスペックだったからだろうか。私はそれを易々とはいかないまでも理解し身に付けることができた。それがまた家庭教師には腹立たしいのか、ぎろりと睨まれながらより高度なものへと勉強の内容はどんどんと高度になっていった。
『隣国の公用語で挨拶ができるようになりましょう』というだけだった筈の講義は、いつの間にか『貿易に関する専門用語を交えた会議に参加できるようになるまで』と変わっていた。隣国の公用語を修めればさらに隣の国、そのまた隣の国と課題はどんどん増えて要求レベルは上がっていく。
気がつけば、私は5か国語を通訳なしで直接意思の疎通が卒なくでき、読み書きだけなら更に3か国語の公文書を作れるまでになっていた。
お陰で、たった一人の兄にまで睨まれるようになった。
小説の中では、最後の最後までリタを改心させようと心を砕いてくれたたった一人の人だったのに。
そうはいっても完全なる味方ではなくて、愛しい男爵令嬢を自分の妹が虐めているという葛藤がスパイスとなって彼の片思いが読者にとって甘くなる、というものでしかなかったのだけれど。
しかも。教師陣から私の成績優秀さが伝わって、王太子殿下の婚約者として指名されることになった時には、大失敗したと心から思った。
それでも、今更頭が悪い振りなどできもせず、求められるまま知識を増やす日々が続く。
王太子妃となるには芸術の素養が必要だと、有名な芸術家についての基礎知識に加えて素養のバックボーンやその作品への造詣まであらゆる知識を詰め込まれた。
知識だけでは駄目だと自分でもできるようになるようにと言われ、楽器はヴァイオリン、作詩と朗読、ダンス、と多種多様の素養について研鑽を求められた。
覚えなさいできるようになりなさいと言われる事はあまりにも多く、その要求レベルは果てしなく高かった。
おとうさまには、「王太子妃になるとはいえ、今からそれほどの学を女が身につけてどうする」とあまりいい顔をされず、おかあさまには「磨くなら、女性としての美しさにすればいいのに」と呆れられた。
綺麗になる努力も何も、如何にも悪役令嬢然とした私の顔つきは、お父様譲りの昏い水底のような黒にも見える深碧色をしたキツイ吊り目に、おかあさま似の酷薄に見える薄い唇、なにより意地が悪いと有名だったという祖母と同じ色をした、光の加減で碧掛かって見えるまっすぐな黒髪と、手入れをして化粧などを施せば施すほど、きつい気性に見えるのだ。
そのまま何も整えない方がよほどましだと思うのに、今日もおかあさまの指示の下、侍女たちの手によって私は完璧な悪役令嬢にたる外見へと磨かれていくのだった。
鏡の中の私は、挿絵より少し若く見えたけれどそれ以外は記憶の中の挿絵にあった悪役令嬢そのもので、それが頭にあるせいと、思い出した前世の引っ込み思案の性格も相俟って呼ばれたお茶会に出席しても誰かと気安い会話をすることすらできない。
それでも、教え込まれた所作のとおりに理想の軌道からズレることなく動く手足は軽やかで。
顔の表情筋は、未来の王太子妃として嫋やかに見える教えられた通りの笑みを形作る。
それら全てが揃うことで、私は自身の悪役令嬢としてのポジションを確固たるものとしていった。
何人かのご令嬢達が媚びへつらうように私の周りでなにかを囀り始めたけれど、小説の中でリタの手足となって暗躍する令嬢たちであることに気が付いて、取り巻きなど作らないと決めていた私が扇で口元を隠して無視し続けている内に何故か敵対されるようになってしまったのが可笑しかった。
味方は作れないのに、敵はいくらでも簡単に作れる。
取り巻き達の敵対も、おにいさまとの敵対も。
小説にはない展開だというのに、悪役令嬢らしいそれは改変可能なのだということにうすら寒くなり哂いが洩れる。
ならば学園に通うようになる前、王太子殿下がヒロインである少女と心を通わす前に、私を嫌い抜いて婚約を破棄して下さればいいのにと願わずにはいられない。
嘘。
本当は、ふたりでの時間など取ってくれない冷たい婚約者でしかない王太子殿下が、公式の場でだけは優しい視線を向けて下さることに心が揺れて仕方がない。
小説を読んでヒロインに感情移入してた頃、素直に憧れた理想の王子様がすぐ傍で笑っている。
それが贋物の笑顔でしかないとはいえ、悪役令嬢に微笑みかけてくえれる唯ひとりの人。
公式の場だけでも、優しい完璧な婚約者の振りをされるから。
他の誰からも受けられない優しい言葉を掛けられて、絶対に心を寄せては駄目だとどれほど気を引き締めようと思っても、惹かれていく気持ちを止められず心が傾いていく。
破れると判っていて恋する自分の愚かしさに反吐がでる。
虚しい。恋心などを募らせても、どうせあと2、3年後にぽっと現れた平民まがいの男爵令嬢にすべてを奪われて死ぬ運命にあるというのに。
今日もまた、実現することのない王妃教育が詰め込まれていく。
その努力の価値を認めてくれる者など、どこにも誰もいないというのに。
小説の舞台となる学園での生活が始まってすぐに気が付いた。
自分がどんな努力をしようとも、悪役令嬢という役を降りることはできないのだと。
腹立たしいことに例えどんなに気を付けても私についての情報は捻じ曲がって伝わるらしい。
同じ部屋で誰がどう転んでも私のせいになる。
同じ教室にいたとしても遠くの席に座っているだけの私が、視界に入ってもいないドアから入ってきた生徒をどう転ばせることができるのか。謎だ。
果ては隣のクラスで花瓶が割れても、違う学年の生徒が何かを失くしても、その全てが私のせいだということになるらしい。意味が判らない。
ここまでくると誰かの失敗を押し付けられているだけではないかと思うのだが、誰もそれを口にせず、私の名前を出すと周囲の人間は誰もが諦め交じりの溜息を吐き、それ以上追及することをやめるのだ。
そんな風に、ありとあらゆる悪い事が私のせいになるから気が付かなかった。
すでにヒロインが、王太子と出会っていることに。
小説にあるような最上級生となる3年生になってからの転入ではなく、同学年の新入生として下位貴族家のクラスにいることに。
気付かなかったのは、なにも転入時期がずれているからだけではない。
名前が違っていたからだ。家名も違う。爵位も、男爵家ではなく子爵家だった。
髪の色も違う、瞳の色も違う。見た目はまったくの別人だった。
けれど、髪形や言動はそのままだったのに。
クラスメイトとの交流を最低限にしていた私には王太子とヒロインがすっかり恋仲になるまで気が付けなかったのだ。
憎かった。本来なら、直接口を利くことすら憚られる低位の貴族位にありながら、殿下と気安く肩を並べる姿が。
小説とは違い、勉強もさほどできないにもかかわらず「彼女は努力家なんだ」と目を眇めて愛しそうに見つめられ、褒められる姿が。
私は、あれほど頑張っても誰にも褒めて貰えないというのに。
私の婚約者ですら、褒めてくれないというのに。
だから。
もういいか、と思ったの。
今生を生きている価値が、悪役令嬢である私という存在の価値が見出せない。
だから。
「リタ・ゾール侯爵令嬢。お前との婚約は破棄する。この学園で最も嫌われる存在が、この国の未来の国母となることを許す訳にはいかない!」
2年も早く、突然はじまった断罪劇にもそれほど驚かなかった。
「なにかの間違いです。私は、自らに恥じるような事は何もしておりません」
「あれだけ忌み嫌われておりながら、それを自覚することすらできないのか」
「私は、未来の王妃となるべく勉学に努めてきただけでございます」
「未来の王妃たるべく、周囲に毒を吐き散らし、独裁者のようにふるまっていたというのか。馬鹿な。そんな王妃を戴く国は亡びる。冗談も休み休み言え!」
やはり、無駄のようだ。
この学園に碌にいない私が一体何をしたというのだろうか。何ができたというのだろうか。
『未来の王妃として研鑽を積むがいい』
そんな国王陛下のお言葉により、遠い国との国交を開く、貿易に関する取り決めを結ぶ、等といった場に、未来の王族として場を華やがせる為といわれては呼び出され、時には国境付近まで出向いていたというのに。
肝心の婚約者である王太子殿下は、その場にいないだけでなく私が通訳として参加していたことすら知らないようだ。
虚しさが心に募る。
もう、いい。やっぱり、もういい。
「殿下は、私の言葉を何ひとつ信じては下さらないのですね」
私のその言葉を、「とぼけたことを。そんな台詞に騙される私だと思うのか」と吐き捨てられた殿下に向けて最後の言葉を告げる。
「アルフェルト・ゲイル王太子殿下。ずっとお慕いしておりました。あなたさまにだけは、私を信じて戴きたかった」
そうして私は、窓から飛び降りた。
小説の通りなら、婚約破棄を告げられた私は、ヒロインに対して刃を振りかざす。
それを王太子殿下に阻止され逆にその刃の餌食となり、自ら仕込んだ毒のせいで苦しみ抜いて死ぬのだ。
小説のラストを華々しく飾る悪女に相応しい、惨めで無様な死に方だった。
そんな死に方をする位なら、自分からこの舞台を降りる。
私はそう決めていた。
私が死んだ後、きっと王太子殿下とヒロインは結ばれるのだろう。
どんなに仲が良くても下位貴族の子爵家の令嬢に王妃教育は大変だろう。
そのうち喧嘩をすることも出てくるに違いない。
もしくは、捗らない王妃教育にイラついた講師陣から悪役令嬢と比較されることも。
王太子殿下もようやく私がどんな勉強漬けな生活をしていたのか知ることになるのだろう。
その時、私の最期の言葉が、正義を重んじる王太子殿下の記憶の隅に引っかかるといい。
ちろりちろりと私があちこちに残してきた、私が無実であるという証拠が手配した通りに届くことを願う。
悪事を働いていたと言われる期間、私は碌に学園にはいなかった事。
私と比べられることに鬱憤を溜めた兄が、私の名前で賭博に手を出し家の金を使い込んでいた証拠。
私の名前を勝手に笠に着て、小説の中で取り巻きだった令嬢達が下級貴族の令嬢達に虐めを行っていたこと。
なにより、私の魔の手から守ったつもりの子爵家令嬢が、実は他国の間諜で自分を傀儡にしようとしていること。
多分、あれね。子爵家令嬢(もしくはその上にいる人)は、ヒロインではなくて私と同じ転生者ね。
前世の知識を使って、自国の為に、敵国ゲイルの王太子を陥れに来たのだと思う。
これらの証拠は自力でも真面目に探せば見つけることもできると思うけれど、探さなくとも2、3か月に一つ程度が王太子の手元に偶然を装って届くようにしてある。
それ位の手蔓や資金は、学生の身分とはいえ国の外交に携わっていたのですもの。簡単に手に入った。
本当は悪事を行う為に手に入れる手段だったのだろうけれど、これだって、諍いの種となる悪意という厄災を振りまくテロに等しい行為だろう。
事実を知る度に、自分の心の中のちいさな疑念が大きくなって、彼は夜も眠れなくなるだろうか。
その綺麗な顔を歪めてくれるだろうか。
それとも、見なかったことにして、全部無かった事に出来るだろうか。
まぁ、最後の子爵令嬢が敵国の間諜だった件については、無視する事などできはしないだろうけれど。さすがにそれほど愚かではない、はずだ。
あぁ、でも。できるだけ苦しんでくれるといい。
疑心暗鬼になって。
自分を取り囲む人間を、誰一人信じられなくなる感覚を、王太子には思う存分堪能していただきたい。
一つ一つ集まってくる事実を理解した時、自分が事実無根の虚偽の申告に惑わされ、無実の令嬢を自殺に陥れたのだと知った時、王太子殿下の顔がどんな風に歪むのかをこの目で見れないのだけは残念な気もする。
でも、謝罪されたら受け入れなくてはいけなくなる。
そんなのは嫌だ。
だからこそ絶対に探し出されない場所に逃げることにしたのだから。
なんて。
今となってはどれもこれも、私にはもうどうでもいい。
──どうか、私が破滅した後の世界も破滅していますように。
それが最後の、私の希望。
束原ミヤコ様よりリタ嬢のFAを描いていただきました♡
とっても嬉しかったので皆さまにもお披露目自慢しちゃうv
濃い赤の薔薇に囲まれたリタ嬢が麗しくて幸せすぎる(〃m〃
(お話は不幸でしかないんですが)
どうもありがとうございました!
(2021.08.20.)
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後日譚3つあります。
・リタ嬢生存ルート「その希望は、神に届かなかった」
・リタ嬢死亡ルート「神の裁きは待たない」
・生存・死亡ルート共通 取り巻きになる筈であった令嬢のお話「懺悔ですらなかった」
以上、よろしくお願いします。
続き無し、モヤモヤも含めて完結のつもりだったんですが、
感想の返信でいろいろ書いて遊んでいたら色々続きができちゃいました。