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第六話(最終)

最終話(エピローグ付き)です。

どうぞよろしくお願いします。

果歩(8)


 久しぶりの道でも案外憶えているものだ、と自分に感心しながら、私は今、吉見台の駅から霊園へと続く長い道をひた走っている。ここへ唯一来たのがお姉ちゃんの四十九日の納骨のときだから、三年ほど前になる。

 改めて考えると、そんな遥かな道を、方向音痴の私が迷いなく辿れるわけがない。やはり、というべきか、お姉ちゃんの導き的な力が作用しているのかもしれない。

 彼女も首を長くして私を待っているのか。


 お姉ちゃんの訃報は、その日、彼女の旅行先の警察署からの電話連絡という形で私の家に届いた。湖での水難事故だった。

 無論、私と両親は彼女の死に目には会えなかった。その日のうちに飛行機で現地に到着したけど、湖のほとりはすでに薄暗く、パトカーの蛍光灯だけが鈍く点滅していたのを憶えている。木々は未だ強風に煽られ、雨のせいか視界に映るものすべてが濁って見えた。

 警察署に入り、簡単な状況説明を受けるとすぐに、遺体確認と言われて慰安室に案内された。

 人が一人死んだのだ。水死とはっきりしていても、なにかと進めるべき行政手続きもあるのだろう。

 それでも私は、見えない手錠をかけられて後ろからせっつかれている気がして、前には進みたくなかった。それに慰安室の中には、彼もいるに違いない。ここに到着するまでのたった六時間ほどで、お姉ちゃんと彼と自分のことを整理できるはずもなかった。

 私は気がつくと、引き留める警官や両親の声を振り払い、無我夢中で通路を引き返していた。階段を駆け上がり、無事に建物から脱出する。

 しかし、そこまでだった。見知らぬ地で、行く当てなどありはしない。自失して、ふらふら彷徨って、いつしか湖の船着き場まで来ていた。

 そこには貸しボートの看板もあった。白いペンキには泥の雨が生々しくかかっている。お姉ちゃんもここからボートを出したのか、と推測ともつかない実感が湧いてきて、私も乗ってみようと思った。

 《KEEP OUT》と書かれた黄色のテープをかいくぐって、踏みつける木の葉の露に濡れながら桟橋へと進む。

 繋ぎ合わされた木板の一枚に足をかけると、その先に、立ち尽くす人影が見えた。黒い空に半ば溶け込んでいた。


 そして今、同じ後ろ姿が、目の前に見える。

 あの時と同じように、頭のてっぺんまで後悔に浸かって、誰の声も届かないのだろうか。


 足をとめると、靴先が地面に擦れて音がでた。砂原さんは絶対に気付いたはずだけど、何事もなかったように墓前に腰を落としたままで、そっと手を合わせる。

 律儀なこの人のことだ。私が来たことをお姉ちゃんに報告しているのかもしれない。そう思いながら、彼からは少し距離をあけて私も屈む。同じように手を合わせると、しばらくして、砂原さんは目を開きながら言葉を発した。

「ようやく来たか」

「……来るのがわかってたみたいに言わないでよ。つい一時間前まではそんな気なかったんだから」

 そうか、と私の心の中を見透かしたように彼は目を細める。

「命日ってのはありがたいよな。死んだ人だけじゃなく、生きてる人にも会わせてくれる」

「へぇ。そんなに私に会いたかったんだ」

「そんなんじゃない。けど、会わないわけにはいかなかった」

 昔からの持って回った言い方。嫌味で返してやろうと言葉を探していると、すっと彼の腕が伸びてきた。二本の指には青い封筒が挟まっている。私は意味がわからず、ただ受け取った。

「あの日の前の晩、書いてた」

 私はハッとした。

「もしかして……お姉ちゃん?」

 砂原さんは答える代わりに、不愛想に正面に向き直った。読め、と促しているのだろう。

 私は中の便箋をすっと抜こうとして、失敗した。微かに指が震えていたからだ。もういい。指を突っ込んで力ずくで引き出すと、そこには見慣れたお姉ちゃんの筆跡があった。

「直接言いにくいから、手紙を書くって」

 どうして、今まで――そう言いかけて、口を噤んだ。この人と会うのを拒んできたのは私の方だ。

 彼は一仕事終えたとでもいうように、バッグの中を探ってアルミホイルの包みを出すと、墓に添えて静かに広げた。

 私はまだ、終わっていない。この手紙を読まなければ。始まりは私への呼びかけだった。


『果歩、ごめんね。申し訳ないけど、果歩の期待には応えられそうにないよ。あなたは大切な妹だけど、それとは違う意味で、いや、違う種類かな、違う種類の気持ちで、智哉を好きだから。だから彼のことは渡せない。渡したくない。たとえそれが、気持ち悪いくらい私と笑い方が似ている、妹であっても。願わくは、あなたにも私に譲れないくらいの好き人が現れますように。 姉より』


 すうっと、頬が線を引くように熱くなって、涙が落ちたと気付いた。

 きっと私は、ずっと泣きたかったのだ。でも泣けずにここまで来た。砂原さんを諦めきれずにいたことが、私に泣くことを躊躇わせていたのかもしれない。

 心の奥底に沈んだままの残り火。消すのは、今か。

「ついてないよな。普通だったらそんなの、ただの笑い話で済んだのに」

「笑い話なんかじゃない。私、本気だった。だからお姉ちゃんにもちゃんと話した」

「後悔してるんだろ?」

「わからない。だって私、今でも砂原さんのこと――」

 言うな、と冷淡な視線で遮られた。

「言ったらまた自分が苦しむだけだ」

 彼はやりきれなさを瞳に抱えて、墓に添えてあるキンセンカに目を落とす。

「俺も君も、忘れなきゃいけないんだ」

 立場は違っても、私たち二人は似たような痛みを共有しているはずだった。この三年間、一度も会わなかったのは、会わなくても通じていると、どこかで甘えていたからだ。

 それが今、彼は離陸する飛行機のように、徐々に速度と高度を上げて滑走路を離れていく。

 ――飛び立っていくのだ。この黄昏の中を。私のいない場所へ。

「誰か好きな人でもできた?」

 彼はそのままの表情で、短く、ああ、と頷いた。

「愛情じゃなく同情だろって、同僚に言われたよ。けどな、それでもいいんだよ。前に進むためには大切に思える人が必要なんだよ」

 その声はやけに水っぽかった。

「だって、自分のために生きていくなんて虚しいだろ?」

「もう、お姉ちゃんはいらないんだね」

「……ああ」

「お姉ちゃん、振られちゃったね」

 笑って言おうとして、失敗した。次の瞬間、私は砂原さんの腕の中にいた。

 お姉ちゃんとくっついているような感覚。皮肉だけど、私が唯一、心を溶かせる場所。彼のシャツにしがみつきながら、とめどなく涙を流した。お姉ちゃんの分も。

「もっと早くこうすればよかった。そしたら私、もっといろいろなもの、大事にできたのに」

「今、そう思えるなら、それでいいんだ」

 彼は私の両肩に手をのせ、少し距離を取った。視界が霞んでいるせいか、彼の顔が近くなってくる気がする。

「それにしても……」

 目を閉じるべきか、と迷っていると、彼はしみじみと言った。

「ひどい顔だな」

「……え?」

「すみれとは似ても似つかない」

 とっさのことで混乱した。そのためか、言い返す声がうわずった。

「これでも笑顔は似てるって言われるんですけど!」

「だったら笑ってろ。……ずっと」

 砂原さんは私の目に語りかけている。その瞳からは温かさが漏れていて、私を素直にする作用があった。

「ずっとは無理だよ」

「無理じゃない。この先二度と泣くな」

「二度とって、たとえば親が死んでも?」

「自分が孫より長生きしてもだ」

「……バカ」

 自分が泣いているのか笑っているのかわからなくなった。

「バカで結構」

「じゃあアホ」

「姉妹で同じこと言うな」

 そう言って、砂原さんは破顔した。初めて見る彼の素顔に、私は過去が清算されていくのを感じた。

 制御不能で、好きになってから苦しみだけが増していった恋。それが今、橙色に輝く太陽のお供をするように、水平線に沈んでいく。

 それと入れ替わるように、たとえようのない別の感情が浮かんできた。

 激しさも、対立も、焦燥もない。温かくなりたいと願うだけの気持ち。

 これを何と呼ぶのか私は知らない。ただ、ひとひらの風が私の髪を靡かせて、とまっていた時間がふうっと動き出したのを感じた。



エピローグ


 ヘラに軽く力を込めて、ジュッとお好み焼きの生地を鉄板に押しつける。表面がある程度固まったことを確認すると、緑はくるっと空中で回転させた。生地は見事に裏面で着地し、より大きな音を立てて焦げていく。私と緑は歓声を上げて子供のようにはしゃいだ。

「さすが緑。昔からうまかったもんね、ひっくり返すの」

「なんかさ、あの頃思い出すよね」

「まだ一年ちょっとなのに。遠い昔みたい」

「お、そろそろいい感じ」

 独り言みたく言って、ヘラをソースに持ち替える緑。

 愉し気な彼女もまた、今を迎えるまでに、いくつかの挫折を繰り返してきたのだろう。

 誰だってそうに違いない。無理にでも踏ん切りをつけながら時の流れに抗っていくのだ。

 私は仕上げとして、緑が塗ったソースの上から鰹節と青のりを振り撒く。焼ける音を残しながらも、お好み焼きは一応の完成を見た。

 私と緑は検分するように端から端へと首を回し、口を結んで頷き合う。それが合図だ。中央で切り分けてそれぞれの皿に載せる。

「いただきます!」

 勢いよく箸でつまんで、焼けるような熱さの中でそれを味わう。

「おいしい!」

「やっぱ懐かしいわ」

「変わらない味ってあるんだね」

「うん。値段は変わったみたいだけど」

 感傷に浸りつつも現実を見落とさない緑を、私はすこぶる逞しく思った。敬愛の念を込めて、そこはご愛敬、とたしなめた。

「そういえば大丈夫だったの?」

「ん、なにが?」

 猫舌の私は食べるのに忙しい。

「急用だったんでしょ、公園出てって。無理して戻ってこなくてもよかったのに」

「無理なんかしてないよ。緑とお好み焼き食べて、おいしい、おいしいって言い合えたら、それはそれで今日は上等」

「よくわからないけど……ここ、割り勘だからね?」

 多少は持ち上げたつもりなのに。

「だって緑、古着売りまくってたよね。お年玉超えたんでしょ?」

「だから場所代は払ってあげたの。儲け出なかったあんたの分もね」

「でもさ、最後にここで食べた時、たしか私が払ったよね?」

「昔のことは忘れる主義なの」

「さっき『あの頃思い出すよね』ってしみじみと」

 目と目が重なり合って、私たちは食べかけのお好み焼きを含んだまま、手で隠そうともせずに大口を開いて笑い合った。誰にも遠慮なく。それが自然の摂理とでもいうように。

「余計な事はわざわざ思い出さなくていいのよ」

「余計なことか……。ま、そうかもね」

「都合よく生きていく。所詮、人なんてそんなもんなんだから」

 二枚目のお好み焼きが出来かけている。ウーロン茶で喉を湿らしつつ、タイミングを見計らう私と緑。

 茶色に焦げかける表面を見て、ふと、砂原さんがお墓に供えていた卵焼きを思い出した。

 もしかすると彼は、あの卵焼きを二度と作らないのかもしれない。それとも、新しい恋人と鼻歌でも歌いながらフライパンをひっくり返すのだろうか。

 私はなんとなく、前者のような気がした。

作品が完結しました。

これまでお読みくださり、本当にありがとうございました。

心よりお礼申し上げます。

初めての投稿でジャンル配置もこれでよかったか不安です。

次回作も恋愛系で執筆中です。

今後ともよろしくお願い致します。

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