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第五話

第五話です。次回、最終話です。金曜にはアップします。よろしくお願い致します。

※誤字報告いただき、適用させていただきました。ありがとうございました。お礼申し上げます。

果歩(7)


 私と彩菜ちゃんは二人して息を切らしながら、フラフラと元の場所に戻ってきた。ペットボトルに残っていたお茶を一気に飲み干すと、知らずに夕日が目に染みた。公園を二周半ほどしたけど、彩菜ちゃんのお母さんは未だ見つかっていない。

「いったいどこ行ったんだろ」

 うっかり投げやりな言い方になって、急いで口を塞いだ。隣を見ると、彩菜ちゃんは不安が重くのしかかったように座り込んでしまっている。

「大丈夫。お母さん、すぐ迎えに来るよ」

「健太も一緒に来る?」

「健太?」

「弟。一緒に公園来たの」

 弟? 初めて聞く情報に一瞬ひるんだ。それらしい姿にはまだ一度も遭遇していない。

「お母さんと一緒なんでしょ?」

「わかんない……」

 彩菜ちゃんは俯くと、その小さな肩を小刻みに震わせ始めた。

 え、また泣くの? 正直、私はこういう場面に慣れてない。姉がいたせいか、自分が年下の子をあやすなんて見当もつかない。案の定、彩菜ちゃんは次第に声を高くして泣きだしてしまった。

「もう……泣かないでよ」

 泣きたいのはこっちだよ、と夕空を仰いだとき、ふと、過去の体験が脳裏に蘇ってきた。

 してもらったことをしてあげればいい。

 それを天啓のように感じて、私はリュックから絵本を引っこ抜き、ウサギの表紙をわざとらしくパサッと捲った。彩菜ちゃんは思惑通りその音に反応してくれて、不思議そうに顔を上げた。

 私はこれみよがしに咳払いを一つすると、聞き取りやすい口調を心がけて絵本を語り始める。

「ある晴れた日の午後、草原の片隅に、まっ白なウサギがいました。長い耳に自分のつばを塗り付けて、毛繕いをしています」

 彩菜ちゃんが聴いているのを横目で確認して

「遠くから『ミーちゃん、ミーちゃん』と仲間の呼ぶ声。だけどミーちゃんと呼ばれたその白いウサギは、仲間の声には気付きません」

 どうして? と彩菜ちゃんが訊いてくる。私はそのまま続ける。

「実はミーちゃんの耳は、生まれつき何も聞こえなかったのです」

 彩菜ちゃんの瞳が驚きで開かれるのがわかった。

「それでもミーちゃんは、自分の耳の毛繕いを続けます。来る日も来る日も、草原の片隅で、片方ずつ、丁寧に……」

 お姉ちゃんがしてくれたのと同じように、私が好きだったこの物語を、諭すように読んで聞かせる。

 最初は彩菜ちゃんの気を紛らわせるためだったけど、彼女がだんだんと真剣に耳を傾けてくるのを感じて、まるで姉になりかわった気がしてきた。

 絵本を媒体として繋がっていた、私と姉の想い。

 お姉ちゃん、続きは? と先を催促する彩菜ちゃんの声が、遠い昔の私の声と重なって、お姉ちゃんの語りかけが輪郭を増してくる。


「それでもミーちゃんは、自分の耳の毛繕いを続けます。来る日も来る日も、草原の片隅で、片方ずつ、丁寧に……」

「でも、なにも聞こえないんでしょ?」

「ミーちゃんにとって、聞こえないことは毛繕いをしない理由にはなりませんでした」

「どうして?」

「それは……やがて生まれてくる子供たちに、毛繕いの仕方を教える必要があったからです」

「そのために練習してたの?」

 幼い私の問いかけに、お姉ちゃんは朗読を中断して答えてくれた。

「だね。子ウサギたちを一人前のウサギさんに育てることがミーちゃんの役目だから」

「ふーん。なんかミーちゃんって、お姉ちゃんみたい」

「え、私?」

「だって、絵本読んでくれるのって、私が大人になるためでしょ?」

 お姉ちゃんは小さく笑った。高校に上がるか上がらないかの年齢にしては、大人びた笑い方だったろう。私はいつも、そのえくぼが羨ましかった。

「どうだろ。自分のためでもあるかな」

「お姉ちゃんのため?」

「いろんな人に読んで聞かせて、絵本の中の出来事を伝えていけたらいいなって」

「それがお姉ちゃんの役目?」

 夢かな、と笑って首を傾げるお姉ちゃんを見て、遅れずについて行かなきゃと思った。私一人、おいていかれるのが怖かった。

「だったら……私も絵本描く。絵本描いて、お姉ちゃんに読んでもらう!」

 お姉ちゃんは穏やかに微笑んで

「わかった。だったらお姉ちゃんは図書館に勤めて、果歩の描いた絵本をみんなに広めるよ」

「うん。約束!」

 小指を差し出すと、お姉ちゃんも同じ指を出してくれた。細くて長くて、本を捲るのが様になりそうな指だった。

 そして、二つの指が交わろうとした瞬間、現実的で悲痛な叫びが鳴り響いて、遠い記憶を退けた。

 彩菜ちゃんを探し求める母親の声に違いなかった。


「ママ!」

 健太君と思しき男の子を連れた女性を見るや否や、彩菜ちゃんは飛びついていった。ジャンプというよりはダイブに近い。彩菜ちゃんのお母さんは彼女をしっかりと受け止め、自分の胸の中にうずめた。

 その光景を見て、私は、安堵と懐かしさが入り混じった複雑な気持ちになった。

 こんな感傷を覚えるなんて、やっぱり今日は特別な日だ。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ゼエゼエと濁った音を立てて緑がやってきた。

「ちょっと。見つけたんなら連絡してよ」

「お母さん、今、来たばかりなの」

「そお。でもよかったじゃない、再会できたみたいで」

 緑は息を整えながら感想を述べた。

「そうだね」

 答えつつも、私の思いは別の場所へと向かっている。日の入りの正確な時刻なんて知らないけど、夕陽の傾き具合からいって、今日という日に残されている時間はそう長くはないだろう。

 正面に視線を戻すと、彩菜ちゃんが私を見て、お礼のつもりか頭を下げた。私も釣られるように頷くと、彩菜ちゃんのお母さんが娘の腕を引っ張ってこちらに連れてくる。

「彩菜、ちゃんとお礼しなさい。このお姉さんに助けてもらったんでしょ?」

「ママ、一万円ちょうだい」

「一万円?」

 思わず私と緑は顔を見合わせた。彩菜ちゃんのお母さんは眉を寄せて、何に使うの? と至極真当な疑問を呈した。

「絵本を買うの」

「絵本? 一万円の?」

 私はいたたまれなくなって首を垂れたが、その拍子に、彩菜ちゃんがぎゅっと弟の手を握っているのが目に入って、彼女の真意を理解した。

「ねえ、いいでしょ?」

「絵本はいいけど……千円の間違いよね?」

「一万円なの!」

 私はしずしずと彩菜ちゃんの前へと進み出た。腰を落として目線を合わせると、リュックの口に手を突っ込んでウサギの絵本を引っ張り出す。

「これ、読んであげたかったんだよね、健太君に」

 彩菜ちゃんは、意を得た、という表情で満足気に頷く。

「健太、ウサギさん好きだから」

 彩菜ちゃんの顔を見て、私は思った。

 そう、今度は私の番だ――お姉ちゃんから受け取ったバトンを次の人へと引き継ぐ、大切なイベント。

 私は覚悟を決めて、彩菜ちゃんに絵本を差し出す。

「あげる。健太君に読んであげて」

「いいの?」

 キョトンとする彩菜ちゃんに、私は首肯した。遠慮する素振りを見せる彩菜ちゃんのお母さんには、どうせ売れ残りなので、と明るく言い切った。

「なら……せっかくだし、もらっちゃおうか」

 彩菜ちゃんのお母さんが娘に笑うと、彩菜ちゃんは一目散に絵本片手に健太君へと駆けていった。

 私の元から離れていく絵本。

 これでいい。きっとお姉ちゃんも喜んでくれる。人の想いは回っていくべきだ。

 無意識に拳を握っていた私に、緑が声をかけてきた。

「ホントによかったの?」

「緑」

「なに? 真剣な顔して」

「私、行くから」

「え?」

 絵本一冊分が軽くなったリュックを肩に回し、私は公園の入口へと走った。

「ちょっと、どこ行くの!?」

「解凍してくる!」

「なにを!?」

「来るとき緑が言ったこと!」

 走りながら腕時計を見ると午後五時を回っていた。

 間に合うだろうか、今日が終わる前に。

 きっとあの人は待っている。



砂原(7)


 電車の窓からは間断なく夕陽が差し込んでくる。それは強烈すぎて、手元の封筒が本来は青色だとわからなくなるほどだ。手紙の表面は照り返しがきついが、裏を返すと《姉より》と書かれているのがなんとか読める。

 俺は眩しさに目を閉じた。すると、まぶたの裏に、すみれがこの手紙をしたためていたときの情景がぼんやりと浮かんできた。そこでの会話は、俺と彼女が二人きりでした、最後の貴ぶべきおしゃべりとなった。

 婚前旅行といえば大げさだが、それまで遠出をしてこなかった俺たちは、紅葉が湖に映えると評判の観光地へ一泊二日の旅行に出かけた。質素な分、工夫して計画を立てるのが楽しかった。

 夜、宿泊先のペンションで、先に風呂を済ませた俺が部屋に戻ると、すみれは光沢のある木製テーブルに向かっていた。旅先から投函する絵葉書かなんかだと思って、後ろから覗いた。

「なに書いてんの?」

「手紙」

 意外にも重々しい声だった。

「手紙?」

「妹にね」

 一瞬、時間が停止する。俺とすみれにとって、この単語はある種の緊張を含んでいたからだ。この場所にはふさわしくない緊張。だから俺はそれを解くように、気軽に答えた。

「果歩ちゃんなら大丈夫。今だけだよ」

「どうだろ。あの子、思い込み激しいし。智哉も知ってるでしょ?」

「ほっとけよ」 

 俺はあえてぶっきらぼうに返して、冷蔵庫に向かった。

「好きだ嫌いだよりも、大事なお姉ちゃんを奪っていくよそ者への嫉妬なんだから。すぐに醒めるよ」

「もし醒めなかったら? お義兄さんくれなきゃ私死ぬ! なんて言われたらどうしよう」

「それは、まぁ……お義兄さん冥利に尽きるな」

「バカ」

「バカで結構」

「じゃあアホ。話して損した」

 ことの深刻さを承知しつつも、これは俺とすみれではなく、あの子自身が乗り越えなければならない試練だと思っていた。

 誰かを諦めること、それはこの世界で最も受け入れ難いことの一つだ。もしすみれを失うとしたら、俺だって死に物狂いで抵抗するだろう。それでも尚、諦めざるを得ない事態に人は直面する。たとえ生よりも愛が尊く思えても。

 

 気が付けば電車は終点の吉見台の駅に到着しようとしていた。封筒をバッグに戻して、ふと、思った。渡すべき封筒はある。卵焼きも持った。あとは花だ。墓に供える、綺麗な花が欲しい。

 駅の改札を抜けると、霊園方面へ歩きながら花屋を探した。場所柄的に当然、花屋の一つや二つはあるだろう。横断歩道を渡って少し進むと、案の定、曲がり角の奥に花屋が見えてきた。

「お墓参りですか? でしたら、この辺のお花なんか」

 店内を見て歩いていると、人懐こそうな主婦といった感じの店員さんが声をかけてきた。ショーケースの中の薄めで明るい花々を勧めている。

「キンセンカはどうかしら。リンドウをアクセントに添えて」

 花のことはよくわからない。勧められた花も見栄え良く不満はない。ただ、せっかくだから縁起を担ぎたいと思った。その方が彼女の気を引ける気がした。

「すみれ、なんですけど」

「すみれ?」

「その、墓で眠っている人の名が」

「あぁ。でもごめんなさい、すみれは今、切らしてて……」

 申し訳なさそうに笑う店員さんに、こっちも同じことをして返す。彼女ではなく、たんに俺の間が悪かっただけだ。

 俺は話を逸らすように、隣のショーケースの花を指した。ピンクのカーネーションだった。

「そちらも人気ですよ。お母様でしたら、白も混ぜましょうか」

「いえ、婚約者です。元ですけど。ダメですか?」

 店員さんは困り顔で、ダメってわけじゃないけど、と言葉を濁した。

「ピンクのカーネーションは花言葉がちょっと……」

「花言葉。なんですか?」

「あなたを決して忘れません」

 動きがとまってしまった俺を庇うように、彼女は話を進めた。

「キンセンカでお作りしますね。お若そうだし、この先まだまだ――」

 その手がキンセンカを掴もうとしたとき、俺は、あ、と口に出して、その行為を遮った。訝し気な目を向けられて

「……いえ、なんでも」

 彼女は何事もなかったかのように作業を再開し、どんどんキンセンカを抜いては束に纏めていく。こちらの気が変わる前にと思っているのかもしれない。

 俺の心はそれでもピンクのカーネーションから離れなかった。

『あなたを決して忘れません』

 その外観に負けないほどに美しい花言葉。彼女に捧げたいと願っても、決して叶えられないだろう。俺もまた、現実を歩いていかなければならないのだから。

 この世にあって持ち歩くには、美しすぎる。

 見事に仕上がったキンセンカの花束を手にかざし、俺は霊園への道をただ進む。遮る人通りは少なかった。

 不思議と、あの子が先に来ているとは思わなかった。

 俺があの子を待つ。

 それが今日のルールだ。

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