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第二話

第二話です。よろしくお願い致します。

果歩(3)


 桜木公園の駅についた私は、真っ先に売店へ駆け込み、サンドイッチとパック入りの紅茶を買った。ここに来るまでの電車の中で、起床してから昼時に至るまで、コーヒー一杯しか口にしていないと気付いたからだ。食欲を忘れさせるとは、今日という日が特別であることを認めざるを得ない。

 ベンチに腰を掛けてあと一口でサンドイッチを完食しようというとき、遠くから私の名を呼ぶ甲高い声が聞こえてきた。慌てて紅茶で全てを喉の奥へと流し込み、私は親友を迎えた。

「緑! 元気だった?」

「うん。悪かったね、急に呼び出して」

「平気。そういえば、もう夏休みって言ってたけど」

「試験終わったからね。もういいやって帰ってきた」

 緑はいたずらっ子の笑みで肩をすくめ、可愛く舌を出す。

「羨ましいよ、七月入ったばかりなのに。もしかして国立って楽?」

「地味で勉強ばかりだと思ってた?」

 ……図星だった。《地方の国立》という語感にはマジメそうな空気が漂っている。私はフォローするつもりで、高校の時より垢抜けたね、と言うと、それは全然誉め言葉じゃない、と笑って返された。そこには高校時代の友情が継続されているという安堵感を見つけられて、心が柔らかくなった。

「で、どうなの? そっちは」

 当時と同じように、私が左、彼女が右に並んで公園への坂道を上り始めると、緑が訊いてきた。

「どうって?」

「短大の二年でしょ。就活とか忙しいんじゃないの?」

「まわりは、まぁ……そうかな」

 濁して答えるしかないけど、当然つっこまれる。

「まわりはって、果歩は?」

「ん、ちょっと単位足りてなくて。卒業すら危うい……」

「ダサ。そんなことなら諦めなきゃよかったのに、絵本作家」

「それはもういい」

 彼女は親友の証とでもいうようにズケズケと意見を述べる。

「当てつけみたいに短大なんか行ってさ。美大の願書隠し持ってたの知ってんだから」

「あのさぁ、一旦見過ごしたんだったら最後まで見過ごそうよ。友情の発揮どころだよ」

 緑が私の顔を覗き込み、あえて声を潜めることで注意を喚起するように

「でもさ、果歩が諦め切れないのって、絵本の方じゃなかったりして」

「へっ?」

 急に胃の中に乱気流が生じて、すっとんきょんな声が出た。

「実らなかった想い。冷凍保存しちゃったとか?」

「な、なんのことだかさっぱり」

「どうでもいいけどね」

 言うだけ言うと、緑はスタスタと先を急ぐ。だったら最初から言うな、と思ったが、平凡に「待ってよ」とだけ口にして彼女を追いかけた。



砂原(3)


 電車に乗って自宅の最寄駅につく。改札を抜けると、外の気温がさらに上昇しているのが肌で感じられた。

 先を歩きながら、日差しに顔を背けたくなるのを我慢して、後ろを振り返る。美羽ちゃんは、小鳥が親鳥の後を追うような足取りで、きちんと俺の後をついてきている。

「砂原のうちって、ここから近いの?」

 なんとか聞き取れるくらいの音量で、彼女が訊いてくる。

「少し歩くかな。スーパーにも寄っていきたいし」

 そこでふと、美羽ちゃんの足音がとまった。

「どうした?」

 再び振り返ると、彼女は自嘲するように

「ホントにいいの? 私なんか迷惑なだけだよ」

 薄い長袖のシャツを着ている彼女は、無意識の仕草で片方の手首を隠すように抑えた。

「気にしなくていいよ。自分じゃどうしようもないことってあるから。落ち着くまでうちにいればいい」

「……優しいんだね、砂原」

「優しさなんて、お金と一緒。ただの世の中の回り物だよ。遠慮なんかすることない」

「……私も、もらっていいってこと?」

 それは、自分だけが世界から拒絶されている、そう感じているような、細くて折れそうな声だった。

「返せる時が来たら返せばいい」

 俺はそう言って、歩みを再開させる。ついてくる美羽ちゃんの足音に安堵しながら。



果歩(4)


 予想以上の盛況ぶりに私は思わず目を見張った。フリマといっても、今は隙間時間にアプリで済ませるのがむしろ普通だ。

 実際の商品をその場で見て、試して、確認してから買える。返品できるかな、と恐る恐るタップするフリマアプリには求めようもない安心感がある。その一方で、これはアプリでは無理だな、と思しき使用感漂う日用品が混在しているのも確かだけど。

 昔から緑は強運の持ち主だった。事務局への申請が期限間際だったにも拘わらず、ちょうどキャンセルが出たおかげで、私たちには最高の売り場が割り当てられた。大きな立ち木の下で、強い日差しを防げるうえに園内の歩道にも面している。

 ここぞとばかりに愛想を振り撒いて、通り客に古着を売り捌く緑。私はぽかんと口を開けたまま、商魂を爆発させる緑を眺めやるだけだった。

「売上やばい。すでに今年のお年玉超えた」

 緑がもらったお年玉の額なんて知る由もないけど、どう見積もっても私のお年玉の三倍は売り上げている。

「あっちでショップ店員のバイトでもしてるの?」

 私は半ば本気で訊いてみた。

「今度やってみようかな。カリスマ店員とかなっちゃったりして」

「雑誌に取り上げられたり?」

「そう。SNSでも拡散されて」

「そしたらあんたの高校時代の写真も拡散してあげるよ。三つ編みにそばかす。唇にはリップじゃなくて牛乳の白い跡」

「あ~それはマジで勘弁! で、果歩はなに売ってるの?」

 そう言って私の前に置かれた地味な木製の台座を覗き込むと、彼女は失望を露わにした。

「その絵本、ずいぶん年季入ってるね」

「まあね」

「でも大事にしてたんじゃないの?」

「別に。いらないから売るの」

「で、気になるお値段は?」

 緑が手を伸ばして値札をひらっと捲ると、『10000』の数字が現れる。彼女は一層、眉間にシワを寄せて

「ちょっと高いんじゃない?」

「純粋に価値がある絵本なの。素人にはわからないだろうけど」

「言っとくけど、思い出の値段だったら玄人にもわからないよ?」

「うるさい。緑のだって、それ高すぎ」

 抗議の意思を示すため、ブラウスにくっついている『20000』の値札を二度、指した。

「残念でした。こちらは正真正銘のブランド物。親戚から海外旅行の土産でもらったんだよね」

「土産も売るんだ……」

 呆れるのを通り越して感心すらした。私とは違う人種だ。彼女ならどこへ行っても一人きりで生きていけるだろう。

「張り切りすぎて喉かわいちゃった。飲み物買ってくるね」

「私、冷たい紅茶」

「了解。留守番よろしくね。あ、トイレも寄ってくるかも」

 そう言い残して、緑は公園入口の自販機コーナーに走っていった。その背中から目を離す瞬間、視界の片隅になにかが写った、ような気がした。

 視線を少しずらすと、遠くの木陰から、じっとこちらを窺うように顔を出している少女が見えた。



砂原(4)


 日曜日の午後だからか、スーパーの店内は家族連れで賑わっている。子供たちがお菓子などを持ってきては父親がひくショッピングカートに投げ入れ、母親がそれをたしなめる。ありふれていて、微笑ましい光景。

 俺は食品コーナーの一角で足をとめ、卵のパックを一つ手に取り、そのままカゴに入れた。いい卵の選び方、というのをどこかで聞いた気もするが、どの卵を選んでも、特段の差がつくようにも思えない。

「卵料理でも作るの?」

 隣にいた美羽ちゃんが不思議そうに訊いてきた。

「ああ。うまくできればいいんだけど」

「砂原、料理とかするんだ」

「君はしないの?」

「私は……苦手」

「そうか。でもやってるうちにうまくなるよ」

 彼女は卵から目を逸らして

「ならない。ならなかったの。何度も試したんだけど。こういう風にしたいっていう、完成形というか、目標の味っていうか、そういうのがわからなくて。作っていくうちにどんどん滅茶苦茶になっちゃって……」

 後方にちょうどよく調味料の棚があった。彼女になんと返せばいいのかとっさに思いつかなかったので、俺は棚の方へ移動した。

「それを見て、なんか自分みたいだなって……」

 欲しかった瓶詰の塩を取り、美羽ちゃんに聞こえる程度の音量で呟く。

「目標の味か」

 瓶に貼ってあるラベルに目を通してみたが、どの成分がどのように調理に影響するのが、まったく不明だった。

「そんなもの、俺にもなかったよ。美羽ちゃんくらいのときには」

「じゃあ今はあるの?」

 彼女は驚きの表情で尋ねてきた。

「ああ。できたのは結構、最近だけど」

「そうなんだ。そういうのって、小さい頃の思い出とか、昔からあるものだと思ってた」

「限定しすぎだよ。思い出なんていくつになってもできるし……あ、あとほうれん草も買わなきゃ」

 野菜売り場を求めて辺りを見渡すと、美羽ちゃんも釣られたように首を回して、俺より先に目的物に辿り着いた。

「あそこ」

 まっすぐに指を差し、デパートで欲しいおもちゃを見つけた子供みたいに、笑みを残して駆けていく。俺は一人、手にしたままの塩の入った瓶を握りしめる。

「限定しすぎなんだよ。思い出が、いいもんなんて……」

 塩をカゴに放り込み、今度は俺が美羽ちゃんの後を追った。

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