息子の土産 明晰夢シリーズ その2
明晰夢シリーズのその2です。
息子の宏樹が泣いている夢を見た。
夏休みの宿題にと私の父方の親戚を頼って田舎に出かけて行き、一週間ほど苦労して採集した昆虫の標本を拵えた。図書館から何冊か本を借りてきて捕虫の上手いやり方から展翅のやり方まで調べて、小学生にしては本格的な標本を作った。頑張ったね、と先生から褒められたそうだ。その標本をしばらく放っておいたのがいけなかったのか見事に虫に喰われてしまった。形をとどめないほど食い荒らされた標本箱を手に、宏樹は大泣きをした。幸い宿題として提出してそれなりの成績をつけてもらった後だったので、本人の気持ちの整理がつけばそれでお終いという、どこの家庭でも転がっていそうな夏の想い出の一齣だった。小学生ながら本で調べて丁寧に展翅をしてあったので、「きれいに出来たね。よくやったね」と言ってとても褒めた覚えがあった。褒められて宏樹も嬉しそうな笑顔を見せた。気持ちの悪い虫の残骸の入った標本箱を愛着か未練からかいつまでもそのままにしていたのを、潔癖なところがある妻が宏樹の了解を得ないで捨ててしまい、そこから起きたひと騒動も今となっては懐かしい。口下手だった宏樹は、感情を上手く表に出せないと泣いて抗議の気持ちを表すのだった。
夕方、泣くだけ泣いて情けない顔をしている息子を散歩に連れ出した。家から少し歩くと農道があって、それを道沿いに進むと大きな川の流れに出る。以前犬を飼っているときにはお決まりの散歩コースで、私が仕事から早く帰ったときなどに宏樹を連れてよく来たものだった。その飼い犬も老衰で死んでしまい、また宏樹も難しい年齢になって父親などとは自然に歩かなくなっていった。
そうなる少し前のことだった。川はいつものように豊かな水を湛えて滔々と流れていた。波が川底の様子を反映してそれぞれの形をいつまでも保っている、それを二人で飽きもせず眺めていることがあった。名も知らぬ野鳥が、川面近くを飛ぶ羽虫か何かをエサにしているのか飛び交い、姿の見えない鳥もせわしなく鳴きかわし日の残りの賑わいを呈していた。川は人家のある側が人手をかけて堤防として整備されていた。毎日のようにそこを散歩をしている初老の夫婦や、家族でペットの散歩にやって来るといった景色も普通に見られた。道は両側が夏草の繁茂でやや狭くなってきていた。雑草の刃先がむき出しの腕に触れるとチクチクして痛いと宏樹が誰に言うともなく言った。宏樹は何か言いたげな顔つきだった。それに気づいていても私は宏樹が自分から言うまでは問わないようにしようと思っていた。思いをことばにして伝える練習が成長する途中には必要だと思っていた。来る途中のコンビニで好きなアイスクリームでも買って、二人で川の流れを眺めていれば自ずと宏樹のこころも解れてくればいい。アイスで一時の機嫌取りをしようという浅い知恵でしかなかったかも知れない。少し長い散歩になっていた。夕暮れの土手に二人座ってアイスクリームを食べながら二人で黙って飛ぶ鳥の行き交いを眺めて飽きずにいた。結局息子は何も言わないままで、こちらも何も聞かないまま帰って来た。夕飯が待っていると言って立ち上がるとき、宏樹の手を取って立ち上がる手助けをした。握り返した宏樹の手のまだ小さかったことと冷たい指先をしているなと感じたのを覚えている。それでもすれ違いの多い親子でそういうひとときが持てたことが嬉しかった。わたしは多分機嫌のいい顔つきをしていたのだろう。目に端に宏樹が私を見上げて不思議そうな顔つきをしたのを覚えている。
宏樹はまったく育てるのに手のかからない子どもだった。いちいち言われなくても今の自分が何をしなければいけないか分かっていて、それをそつなくこなした。自分の気持ちを通すという自己主張はめったになく、こちらが気をまわして「何が欲しい?」「何をしたい?」と聞いてようやく口を開く程度だった。口数が少ないまま成長し、いわゆる反抗期はあったものの返事をしない機嫌の悪さがあった程度。口をきかないのが、いつもの調子からそうなのか機嫌が悪いからそうなのか、一緒に暮らしている親でさえ分らぬことが多かった。しかし悪い友人もなく、そのままのいつも控えめで礼儀正しさを身につけて大きくなっていった。妻がよくほかの人から「どうしたらこんないい子に育つんですか?」と聞かれたと宏樹のいないところで誇らしげに言うのを何度か聞いたことがあった。学校の成績こそ中の上か上の下あたりをうろうろしていて、高校進学のときは「もっと慾を出しなさい」とよく言っていたものだった。高校に入ると思春期特有の寡黙さを身につけ、何を考えているのか皆目分からないとよく妻がこぼしていた。しかし、問題らしい問題を起こすことなく時間は流れていった。年齢に相応しい段階を一歩ずつ息子が経験していくのを見守るのが親の務めだと思っていた。
東京の大学に進学した息子が、長期休暇を利用して久しぶりに帰ってくると連絡があったと、妻が嬉しそうに話しをした。好きなものをお腹いっぱい食べさせるといって、張り切って買い物に出かけて行った。
その日のおそい午後、宏樹は帰って来た。妻が駅まで車で迎えに行くというのを大丈夫だからと断ったという。新幹線からローカル線に乗り換えてのんびり電車に乗って行きたい、と言ったらしい。そういえば保育園に行く前から、朝の散歩の途中でそのローカル線の電車を見るのがほぼ日課になっていて、わざわざ何時何分の電車を見るために家を出る時刻を調整していたことを思い出した。幼いころの電車好きが今も続いているとは思えなかったけれど、妻があからさまに不満をぶつけてくるので、こちらも返答に困りそんな昔ばなしを引っ張り出して「ほら、宏樹は電車が大好きだから」と理由にならない理由を言って、お互い苦笑していた。
その宏樹が「ただ今」と言ってふらっと帰って来た。玄関まで出迎えた妻が「おかえり」の次に「知らせれば迎えに行ったのに」とまだ小言を言っている。ごめんねと小さく返事する宏樹の声が聞こえた。
居間に少したくましくなった印象の宏樹が入ってきた。おかえりのつもりで「おう」と片手を上げると、「うん」と短い返事が返ってきた。妻から自分の部屋に荷物を置いてこいやら何か冷たいものでも飲むかとかあれこれ言われているのを遠くで聞きながら、久しぶりの帰省で会いたい友人も何人かいるだろうし、どこかに一緒に行こうかと聞いたものか、親とあの歳で一緒に動いてくれるだろうかと新聞を読むふりをしてあれこれ考えていた。きっと傍から見れば難しい顔をしていたことだろう。
着替えをすませた宏樹が居間に入ってきた。かあさんは買い忘れたもの買いに行くから父さんと話でもしておいてと出て行ったという。
手に小さな木箱を持っていて、「はい、これぼくからの父さんへのお土産」といって座卓の上に置いた。土産の菓子にしては包装紙がかかっていない。何だろうと訝しむ間もなく手渡された。それは小さな標本箱だった。中に綺麗な羽をした甲虫が一匹展翅されていた。少し斜めに書く宏樹の癖のある文字が書かれた紙が貼りつけてあった。
「これ、どうしたの?」
「うん。小学生のときに夏休みの宿題で作った昆虫標本を覚えてる?」
「ああ、そういうのあったね」
「あのとき一番綺麗な虫の標本を別に作ってたんだ。友だちの青ちゃん、覚えてる? 宿題が出来たとき、自分でも上手くできたんで青ちゃんに自慢しようと家に持っていったらそのまま置いてきてしまって、今になって返してくれたんだ。父さん、」青ちゃんは葵くんという小学生時代の親友の名だった。葵という漢字が難しかったので青になって青ちゃんとなったと妻から聞いたことがあった。
経緯は分かったものの、帰省のお土産にしては少し変だなと思いながら、持ってきてくれたことを労った。
「うん、思い出したよ。綺麗に出来ていたね。これはあとでゆっくり見せてもらうよ」
私はそういって、私の後ろの壁ぎわにある箪笥の上、家族の写真フレームなどが置いてあるところに並べて置いた。ちょうど小学生の宏樹が捕中網を持って中の虫を得意げに見せている写真の前。
妻がなかなか戻ってこない。男二人いささか手持無沙汰になってきた。話すことは沢山あったはずだけど、いざ本人を目の前にするとそれだけで満足してしまう。細かなあれこれはどうせ妻が宏樹を困らせるくらい聞いて私に教えてくれるだろう。それより同じ場所にいて同じ空気を吸ったり同じ景色を見ていることに安堵したりそれを感じているほうがよほど貴重な時間だった。
「母さん、遅いね」先に宏樹が沈黙を破った。
「いつもだから驚きはしないね。きっと宏樹に食べさせようと普段ため込んでいるエネルギーを今爆発させているんじゃないか」
「普通でいいのに」
「まぁ、いいじゃないか。母さんの生きがいだよ」
「うん。でも母さんの料理食べたかったからうれしいよ」
「そのことばは母さんに言ってやれよ」
「いやいや、改まって言ったことないし」
また気まずくはない沈黙があった。
「ちょっと外に出るか? 散歩しよう」私の方から誘った。
夕陽が山の向こうに落ちても夏の強い日差しの名残りあった。西の空から東の空にかけて水色からオレンジ色に変わるグラデーションが美しかった。宏樹も私もこの夕暮れの空の景色が好きだった。
あの日と同じ道を辿った。晴れていたせいで土手の道のアスファルトの熱が汗を誘う。日が暮れて暗くなったせいか私たち二人以外の人影は見えなかった。
「小学生のとき、夏休みの宿題でこしらえた虫の標本がダメになったとき、父さんとこの道を歩いたのを思い出すな」
「そうだったね。あのときのことで宏樹に聞こうと思っていたことがあったんだ」
「何なの?」
「宏樹は何か私に言いたかった様子だったよね。結局、宏樹は何も言わないし、父さんも聞かなかったけど、今でも喉の奥に刺さった棘みたいにときどき思い出すことがある」
宏樹はそれを聞いてしばらく歩きながら考え込んでいるようだった。
「ぼくが泣いたときのことだよね。標本が虫に食べられて泣いて、それを母さんに捨てられて泣いた。あのときのことだよね」
「うん、覚えているかい」
「ぼくのことで父さんがそんな風に言うのを初めて聞いた」
「こちらも初めて言ったと思うよ」
他の人が聞けば親子の何気ない会話だろう。それでもお互いに本心を吐露するのが下手だから、私の緊張が宏樹にも移ったのか、どこかぎこちない。こんな調子の会話はそれまでしたことがなかった。
「ぼくは、あのとき父さんに褒められたことがとても嬉しくて誇らしい気持ちでいっぱいだった。それがぼくの不注意からせっかく父さんに褒められたものをダメにしてしまい悲しかった。もちろん母さんに捨てられたことも悲しかったけれど、父さんへの済まないという気持ちが大きかったんだ。だから父さんに謝ろうとしたんだけど、どう言えば自分の気持ちを上手く伝えられるか分からなかった。分からないということが悔しくて泣けてきたんだと思うよ」
「謝るほどのことはないよ。標本がダメになったときは惜しいことをしたと思ったけど、それは宏樹が謝るほどのことではないよ」
「うん。でもそのときは父さんに初めてといっていいくらい褒められたから、それがとても嬉しかったからそんな気持ちになったと思う。子どもだったんだね」
その時の宏樹の私を思う気持ちが伝わってきて、私は涙が出そうになった。それを気取られないようにと川の表の暗くなっていく様を眺めるふりをしていた。
「さぁ、随分暗くなってきたから戻ろうか。母さんを怒らせると大変だぞ」
「そうだね。その通りだね」
そう言うと、どちらからともなく自然と笑い声が腹の底から湧き出してきた。私は笑いすぎて出てきたそぶりをして涙を右手の人差し指でぬぐった。辺りがますます暗くなってきて私の仕草も分からなかっただろう。
妻が「夕飯ができましたよ」と私を呼びに来た。ダイニングから大きな声で何度呼んでも返事をしなかったという。心配になって見に来たらしい。食卓につくと宏樹の大好きだった煮込みハンバーグが出されていた。
「そういえば宏樹の夢を見たよ」
「そうですか。わたしの夢にはもう何年も出て来てくれませんけど。宏樹は何をしていました?」
「大学の夏休みでここに帰ってきた夢だった。お前が買い物に行ってなかなか帰ってこないので、川へ二人で散歩をしに行った。日が暮れて辺りに人がいなかった。少し話をしたよ」
「どんな話でしたか」
「うん。小学生のとき夏休みの宿題で昆虫標本を作ったろう。あのとき大泣きした。その話」
「ああ、そうでしたね。あの子、あの頃は泣き虫でしたからね。その他には?」
「いや、それだけの話。いっしょに帰ってきたのにいなくなっていた」
「夢ですからね」
「でも、いい夢だったよ」
食事のあと急に宏樹が手渡した木箱が気になって居間にとって返した。箪笥の上にその木箱があった。夢ではその標本箱は宏樹が作ったことになっていた。しかし、それを作って我が家に持ってきてくれたのは、宏樹ではない別の少年だった。宏樹が大学進学した最初の夏休みに帰省したとき、立ち寄った町の書店から出てきた宏樹の眼に見えたのは、青信号を渡る母子に向かって猛スピードの乗用車が突っ込んでくるところだった。とっさに体が動き母子を突き飛ばした宏樹の体が宙に飛んだ。母子は軽いけがで済んだ。宏樹は10メートルほど先の街路樹に激突し二十歳を前にして亡くなってしまった。今から十年ほど前の出来事だった。
小さな木箱は、命を救われた子どもが宏樹が夢中になった昆虫採集を自分で始めて、上手くできたからと持参してくれたものだ。今でも親子で宏樹の位牌に手を合わせに来てくれる。
その標本の向こうで宏樹の遺影がいつものように爽やかに笑っていた。
Stephen LaBergeの"Exploring the World of Lucid Dreaming"(1990)を取り寄せて読み始めました(遅い!)。読書が進めば我が明晰夢シリーズに影響が出てくると思います。
明晰夢シリーズ その3は題して「共感型アンドロイドの見た夢」とタイトルだけは決まっている近未来のお話です。これまたどうなることやらです。