よいではないか、よいではないか
1
長兄は獣狩りに出かけて谷底へ落ちた。次兄は領内の娘を次々と襲ったあげく、何者かに毒矢で討たれた。末の兄弟は僧院へ入り、建物ごと炎にのまれた。愚かな兄弟がいなくなり、正統な後継者は私だけとなった。
病に伏した父から領主の座を受け継ぎ、十年の時が流れている。
私の治世に争いはない。平和がつづけば豊かにもなるだろう。新しく館にやってきた娘も肉付きがよかった。そろそろ税率を上げるべきかもしれない。
「それではダイカーン様、今後ともよろしくお願いいたします」
「うむ」
館の謁見室には、顔なじみの商人がきていた。
領内で商いをするためには領主の許可状が必須となる。食料品から毒物まで売りつけにくる商人は、私の許可を得るため、ほかの商会に許可を与えないため、定期的に献上品を運んでくる。在位十周年を記念しての献上品は、謁見室に入りきらないほどあるという。
「奴は?」
「去りました」
「ならば、検分といこうか」
商人のいう感謝の気持ちがどの程度のものかを調べておかねばならない。場合によっては許可状の枚数を増やす必要もあるだろう。
執事とともに館の広間に足を運んだ。
酒樽や木箱が積まれている。欲望に忠実な商人が暗殺を企み、爆発物を仕掛けているとは思えないが、念のため、奴隷たちに中身を確認させた。
「ワインや毛皮、絹織物……金貨に銀貨、宝石の類もみられます」
「そのようだな」
「……ご主人さま」
奴隷のひとりが声をふるわせながら私を呼んだ。
「安心しろ。貴様がその態度を忘れぬ限り鞭打ちは勘弁してやる」
いまは機嫌がよいからな。
「ありがとうございます」
「それで?」
「はい、あちらの箱のなかに、妙な女が入っております」
奴隷のいったとおり、大きな木箱のなかから女が顔を出していた。
「ほう、異国人か」
興味を惹かれて近づいた。
この辺りでは見られない黒髪と黒い瞳。服装も見たことがない。
めずらしい異国の女を献上してくるとは、あの男、やはり悪くない。
「私の言葉はわかるかな」
「……ええ」
「それは素晴らしい」
箱のなかの女は、後ろ手に縛られていた。それでも隠しようのない気品がある。異国の言語を学んでいることからも、身分の高さがうかがえる。
「やれやれ、異国人とはいえ、このような美しい女性を縛って閉じ込めるとは、なんと野蛮な。あの男も底が知れるな」
女を縛っている縄を解くよう、奴隷に命じた。
「私はアーク領の領主ダイカーン。貴女の名前をうかがっても?}
「わたくしのことは、オイランとお呼びください」
「オイラーン……なるほど、貴女はジパーングの方でしたか」
極東の島国ジパーング。
黄金の国ともいわれる土地には、独特の文化があるという。
「キモーノとよばれる衣装をまとう黒目黒髪の民族。サムラーイとよばれる剣士は無類の強さを誇り、ハラキーリとよばれる作法によって己が魂をしらしめるという。またテラコーヤという学び舎では女性でも教育を受けられ、最高峰の美しさと教養を身につけた女性のみが、オイラーンとよばれる」
「ダイカーン様は、博識でいらっしゃいますのね」
「偉大なる帝国の臣民として、この程度の知識は当然のことです」
やや小柄ではあるが、艶っぽい女だった。
若い娘にはない大人の色気も、異国の雰囲気も悪くない。
「いろいろと尋ねなければならないことはありますが、後にしましょう」
近くのメイドに湯浴みと食事の用意をするよう命じた。執事には献上品の目録づくりと保管を命じて、私はオイラーンを談話室へと案内した。
2
「そろそろ夜も更けました。清く正しく美しくというヅーカの心得は傾聴に値しますが、このつづきは明日ということに」
湯浴みのあとも慣れたキモーノがよいらしい。
悪くない選択をしたオイラーンに、ワインと食事をとりながら話をきいた。
「寝室までエスコートいたしましょう」
あの商人が誘拐事件の黒幕であることは疑いようもない。オイラーンには誘拐犯の捕縛と身の安全、そして帰国を約束してある。もちろん口約束だが、オイラーンは信じているようだ。あの商人とつながりのある私を疑っていない。明かりをもった私の後ろを、なんの迷いもなくついてきている。
「こちらになります」
「……ここは」
「今宵の、私たちの寝室です」
私は油断などしない。
オイラーンが部屋に入ったあと、すぐにドアを閉めてカギをかけた。
「これからどうなるか、おわかりでしょう」
「お戯れを」
「ああ、悪くない反応だ」
私が本気であることを悟ると、オイラーンは体当たりを試みた。しょせんは無駄なあがき。鍵を奪わせることもしない。
「お許しください、わたくしのような年増女などを」
「まあ、よいではないですか」
キモーノを脱がせるため、腰にまいた織物をつかみ、力づくで引いた。
「ああっ!」
オイラーンは体を回転させながらベッドに向かって倒れた。
キモーノが少しはだけて、白い太ももがあらわとなった。
しかし、キモーノの下にはキモーノがある。オイラーンはふたたび起き上がり、私に体当たりを試みてきた。もちろん無駄なあがきだ。むしろ興奮の度合いが高まり、愉悦に笑みが深まる。
「お許しください、ダイカーン様」
「まあまあ、よいではないか」
私はふたたび腰の織物をつかみ、力強く引っ張った。
オイラーンは声をもらし、先ほどよりも勢いよく回転しながらベッドに倒れた。
しかし、キモーノの下にはまだキモーノがあった。それにどういうわけだろう。オイラーンが少し縮んだような気がする。
ふたたび体当たりしてきたオイラーンを捕まえた。明かりに照らされた容姿だが、艶っぽい大人の色気が薄れて、若返っているような気がする。
「お許しください、ダイカーン様、わたくしのような娘など」
「まあ、それはそれでよいではないか」
腰の織物を引っ張ると、オイラーンは声をあげて勢いよく回った。ベッドに倒れるが、しかし、キモーノの下にはまだキモーノがある。なぜだ? これが身分高きものに許されるというジュウニヒトーエというものなのか? なによりまた縮んだ気がする。色気が失われつつある気がする。
「お戯れを、ダイカーン様、お許しください、わたくしのような小娘など」
「まあ、それでもよいではないか、よいではないか」
「あ~れ~、お助け~」
それでもまだ終わらない。
床がキモーノだらけになっても終わりがみえない。
オイラーンの若返りも進み、もはや少女になっている。
「よい、では、ないか!」
これで終わらなければキモーノを着たままでもよい。
そんな覚悟で引っ張ったのだが、
「…………消えた?」
オイラーンの姿がなかった。
密室から人が消えるなどあるはずがない。
いや、その前にいろいろとおかしい。
「まさか、これはジパーングの魔術? あの女、シノービの一族か!?」
部屋から出ようとしたが、いつの間にか鍵がなくなっていた。
どこからか甘い香りが漂ってくる。
強い眠気に襲われ、私はベッドに倒れ伏した。
3
横たわっていた。硬く冷たい感触があった。目を開ける。明かりはあるが、全体的に薄暗い。それでも石の床と壁がみえた。鉄格子がみえた。
「……牢屋、なのか?」
館の地下にある牢獄。
領主に害をなす者を閉じ込め、罰を与える場所。
「お目覚めですか、兄上」
鉄格子の向こう側に男が立っていた。
私を兄上と呼んでいた人物は一人だけしか知らない。しかし、そいつは十年以上前に死んでいる。
私は体を起こして、男を正面から見据えた。
「だれだ、貴様は?」
「弟をお忘れですか?」
「……ショーグンは死んだ。僧院で建物とともに焼死した」
「ああ、それは影武者です」
弟の暗殺は失敗していたと?
「僧院に入ったくらいで兄上が安心するとは思いませんよ。上の兄さんたちがどうなったかを知ってますからね。顔の判別ができないよう、焼死にもっていくのが一苦労でした」
弟は思い出を語りはじめる。
死んだ兄たちの部下は前々から私が支配下においていたため、あの時点で弟に勝てる手段はなかった。弟は領内から逃げた。東へ東へと旅をして、ジパーングまでたどり着いたという。
「オイラーンを名乗った女は」
「わたしの協力者です」
「……貴様の目的はなんだ? 復讐か?」
「それもありますが、夢のため、ですかね」
「夢だと?」
弟が幼いころに語っていた覚えがある。
もしも領主になったら、民衆に優しい存在でありたいと。
「愚かな民衆のためにか」
「ええ、そのために、兄上に代わって政治をおこないます」
「誰が認める?」
「兄上以外の全員じゃないですか? 館の者たちも、自分のために働いているだけですから、兄上を助けることはないでしょう。ああ、既得権益を奪われる商人は動くかもしれませんので、近いうちに隣りの牢に入ってもらうつもりです」
奴隷やメイドはもちろん、役人や兵士、執事にも忠誠を期待したことはない。
商人も論外だ。
「だが、私は父上から領主の座を受け継いだ。王都に出向き、皇帝陛下によって任じられたアーク領の領主だ。私を退け、貴様が勝手に領主になることなど、皇帝陛下がお許しにならない」
「ええ、ですから、わたしは兄上になります」
「……何を言っている?」
「ショーグンではなく、ダイカーンとして生きるといっているのですよ」
それなら問題ないと、弟はいった。
「無理だ。いずれは王都に行かねばならない」
「拒否しますよ」
「通じるとおもうのか?」
「何年かはそれでいけるでしょう。その猶予をもって準備をすすめます」
「なんの準備だ?」
「わたしが皇帝になるための、反逆の準備を!」
弟が、私の息を詰まらせるほどの、圧力をみせる。
「幼いころ、わたしは民衆にやさしい領主になりたかった。たしかに愚かだ。皇帝の支配下にある以上、どれほど平和な治世を行おうとも、皇帝の命によって戦乱がおこれば露と消えてしまう。ならばどうすべきか? わたしは、皇帝になるという夢のために、いまここにいるのです」
「なんと愚かな……貴様は、愚かになって帰ってきた。皇帝陛下に逆らって生きられるはずがない」
「よいではないですか」
「なにをいう!? 反逆罪だぞ! 貴様は最悪の犯罪者として歴史に名をのこすことになる!」
「ええ、兄上の名が、歴史に刻まれるというだけです」
「……貴様は」
「反逆者ダイカーン。いい響きですね、兄上」
「貴様は!!」
「だから、よいのです。もしも帝位の簒奪に成功して、名君として歴史に刻まれるようならば、わたしは自らの正体を明かすでしょう。失敗すれば、兄上の名が歴史に刻まれるだけのこと。もちろん成功させるつもりではありますが、復讐者としては、どちらでもよいのです」
「……貴様は、狂っている」
「兄上のおかげをもちまして。ああそれと、簒奪に失敗したときは兄上を影武者にしたいので、死なないでくださいね」
「貴様は失敗するぞ! 必ずだ! 必ず、貴様の終わりを見届けてやる!」
弟の顔は愉悦に歪んでいた。
話は終わりだといわんばかりに背中をむけた。
冷たい石畳に足音を響かせて、いったんは立ち去る気配を見せた弟だったが、
「オビマワシ」
振り返った。
「兄上もやりました?」
「何の話だ」
「オビマワシですよ。腰に巻いてあるやつを引っ張ると、女性が声をあげながら回るやつです」
「やったが、それがどうした?」
「楽しかったでしょう。ジパーングの様式美なんですが、あれをやると、よいではないかよいではないかって口にしちゃうんですよね」
だからどうした?
なぜこの流れでそんな話がでてくる?
なにか関係があるとでも?
「…………兄上も、ということは、貴様もやったのか?」
「ええ、やりましたよ」
「……逃亡の果てに、遊んでいたのか?」
「ええ、そりゃあ、遊びもしますよ」
「…………まさか貴様、よいではないかよいではないかと遊んでいるときに、どちらに転んでもよい計画を思いついたとか、ないよな? あんなしょーもないことをやっているときに思いついたとか、ないよな?」
弟はやれやれとばかりに頭を振った。
なにも答えないまま、ふたたび背中を向けて歩き出す。
「おい! 待て!! どっちなんだ!? 貴様、最悪か!? 最悪なんだな!?」
冷たい牢獄に、遠ざかる足音と、私の叫び声が響いていた。