今日は何の日:天草四郎の島原の乱(1637年12月11日)
本日12月11日は、約400年前に天草四郎が島原の乱を起こした日であるらしい。
そういえば、クラス転移して天草四郎になった女子高生が主人公の少女漫画があったような。
AMAKUSA 1637 赤石路代
この年に逆行転移(昔風に言うとタイムスリップ)した女子高生 (たしか)が、天草四郎として生きていく話。
一緒にクラス転移したボーイフレンドとか、いた気がします。確か携帯電話の普及期で(それ以前だとポケベル)、転移してない現代の友人と連絡がとってたはず。〇ろう系?
(追記:後で確認したら、1クラスでなく生徒会仲間でした)
成功した反乱は「変」、失敗した反乱は「乱」と呼びます。
世界的には、成功した反乱は「革命」「独立」「建国」、失敗した反乱は「クーデター」「テロ」と呼びます(偏見)。
島原には(大阪夏・冬の陣もそうですが)、関係ない浪人や食いつめ者が、手柄を求めてわらわら寄ってきます。現在でも、何かデモ行列があると、関係ない主張の人が違うプラカード立ててわらわら寄ってきます。
徳川家康が「農民は生かさず殺さず」と言ったと言われますが、真偽はともかく、反乱する程、過酷な税を搾り取ったら、為政者的にもアウトです。取れる税より、反乱鎮圧の方がお金がかかって損です。殺したら税が取れません。
島原の乱後、藩主は無能としてクビ(物理)になりました。天草の領主はクビ(地位)の後自害。普通は武士の名誉を重んじてハラキリですから、クビ(物理)とは、よほどお怒りだったのでしょう。
現代でも、昭和なら労働争議でデモやストになったら、あるいは精神病になったり自殺するほど社員を搾り過ぎたのがバレたら、大局的には損なので、無能扱いでクビ(地位)や左遷になっちゃうんじゃないでしょうか。
フランシスコ・ザビエルらの手で、日本にキリスト教が入ってきたとき、キリスト教の神を「でうす」と呼んでいたようです。
ギリシャ神話の主神「ゼウス」と関係あるんでしょうか。
イエスはガリラヤ人(ユダヤ人居住地の近くの住民)で、アラム語(知識層はヘブライ語、貧乏人はアラム語みたいな? 文語漢文と口語かなみたいな?)を使っていたと思われます。
ところが、現在に残る新約聖書はギリシャ語で書かれています。
ギリシャ語の神学用語、単語が使われているのかも。
生き残ったキリスト教徒は隠れキリシタンとなり、地下に潜りました。
一見すると仏の像ですが、子供を抱いてたり、聖母マリアを暗喩する「マリア観音」を崇めます。
300年にわたり、ひそかにキリスト教を信じてきたつもりだった隠れキリシタンでしたが、聖書もなく、牧師もいない口伝で伝わる間、徐々に変わっていきました。
幕末・維新後にそれを見た外国(オランダ人など)の本家キリスト教徒は、それを見て「何コレ」と思いました。
1873(明治6年)に禁教令が解かれましたが、かくれキリシタンは、本家キリスト教からは「異端」だと非難されることになりました。
イエスだけでなく母マリアを聖人として崇める宗派は世界各地にありますが、これらは本家キリスト教に「異端」と呼ばれ、時には物理的に滅ぼされてきました。
第二次大戦後、植民地の国々が次々に独立しました。租借地も返します。
結果として、キリスト教価値観の地域と、土着の伝統的価値観の地域が一つの国に同居します。
一方が良かれと思ってしたことは、もう一方にはとんでもない悪徳。逆もまたしかり。
世界には、例えば「頭をなでると超失礼」「指さすと失礼」「(麺類を)音を立ててすすると失礼」「食後にゲップをすると失礼」「ゲップは満足したことをホストに伝える印だから、しないと失礼」とか、様々な文化・風習があります。これが一つの国にあることを考えると・・・
大戦後、様々な平和条約や捕虜保護条約とか出来ましたが、決まりが増えても世界は紛争だらけで静かになりません。
同じ国で内戦だのテロだのおこっている国、おこってなくてもひそかな弾圧とかがある国、それらの国々には、何らかの歴史的理由があります。
どちらが政権を握っても、他方からは不満が起こります。
例えば、今だと中国政府と香港人民の間でデモが起こっています。
本人達は純粋な信仰心や、苦しむ農民への同情からの善意であっても、そこを起点に侵略を虎視眈々と狙う国々があったら?
九州の一部に、そういう「他の地方と異なる文化・風習・道徳・倫理観」の地域があって、400年後にいきなり同じ国になったら?
天草四郎と隠れキリシタンにとっては残念な結果でしょうが、負けて「乱」で終わってよかったと個人的には思います。
”わが吉利支丹の徒の事蹟を記きせるを以て、所謂「南蛮もの」を蔵すること多からんと思ふ人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の外ほかに一体のマリア観音を蔵するに過ぎず。”
- わが家の古玩 芥川龍之介