表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

8話

 リンゼイとレオが別荘から戻って三日、夕方になって王宮の薬師であるジュードがレオと共に邸にやってきた。込み入った話になる、というレオの言葉に、レオの書斎にて話すことになった。

 リンゼイが久しぶりに入るその部屋はきちんと片付いており、話し合いができるように執事によってすでに調えられていた。

 書斎にはレオとリンゼイが椅子に座り、ジュードは立ったまま持って来た本を二人に見せた。


「文献……?」

「はい、王宮図書館の古い書庫にありましてね。あの有名なおとぎ話の元になるようなものが出てきまして。もしかして、レオの記憶と関係しているのではないかと」


 そのおとぎ話とは、あの少し悲しいとリンゼイが言っていたものだ。育ててくれた精霊が最後に女の子の記憶を消してしまう『精霊の忘れ物』である。


「実は、それにとても良く似た記述を見つけまして。こちらです」


 その文献には精霊使いの長の晩年の語りを記録した、と書いてあるとジュードは言う。レオやリンゼイが千年も前の文字をそう簡単に読めるはずもない。ジュードはこの本はずいぶん前から読み始めていたが、ようやく最近読み終えたということだった。


「精霊使いの長って……、うちのご先祖様」


 精霊使いの長が老衰で臥せっていたところ、この国がまとまった頃の記憶がよみがえったという。それはすでに建国してから五十年を越えていた。


「はい。奥様のご先祖さまである精霊の長との盟約を結び、この国の争乱を治めたというのはよく知られておりますが、その盟約には続きがあったようなのです」


 この国ができる前、それは国境と言われるところで数多の争いがあった。すでに人の手は足りなくなっており、援軍が望めるほど強靭な国も近くにはなかった。この国だけでなく、各国が領地を広げようと争いは常にあったのだ。

 それを打開するため、各国は様々な方法をとった。

 魔術師を軍人とした国、武器を開発した国……その中でこの国は精霊に頼った。

 建国前の指導者たる者はまずは争乱で疲弊した民のため、緑豊かで肥沃な土地を精霊に願ったのだ。すでに争乱の影響で作物の収穫量が年々減り続けており、食糧確保はかなり大きな問題だった。畑ができれば人は食べ物を求めて集まってくる。穏やかな草原があれば家畜を飼える。生活が上向く、という希望があれば、まだ戦う意志も潰えることはない。そうして民が飢えぬよう頼ったのが精霊だったのだ。

 スカラット家の始祖である精霊使いの長は、そうしてまず大地の精霊たちとやりとりした後、水の精霊や火の精霊など、上位の精霊とも盟約を交わして敵軍へと反撃をしたのだった。

 それは個人差の大きい魔力より、製造に時間も物量も必要な武器よりも効果的であったため、戦況は一気に良くなった。

 そうしてようやく訪れた争乱の終結に、人々は歓喜した。そして精霊たちとの盟約もまた、ここに結実することになった。


 この国が穏やかになったのであれば、我ら精霊はひっそりと暮らすことを望んでいる。もはやこの地は人の子のもの。我らはそなたらの記憶から消えることが盟約の条件だ――


「精霊使いの長はそれを死ぬ間際に思い出したということです。最初から盟約に『目的を達した後、記憶は消去する』とあり、長は何かしら術をかけられたのだと推察します。五十年経ってから思い出した、というのは、術も完全ではありませんから、効果が薄れていたのでしょう。長は記憶から消し去ることが含まれていたことを思い出し、建国祭で精霊の加護に感謝するように書いてあります……まあ、精霊への感謝、という側面はだいぶすたれてしまってますが」


 ジュードは重い文献を閉じるとテーブルに置く。同時にノックが聞こえ、サラが三人分のお茶を持って来た。


「今は精霊というのも、見える人間がいるかどうか……もしかしたら、レオの記憶もこういったことに関係あるのではないかと。記憶を消す術があるのだから、記憶を戻す術があるのではないかと考えたのです」

「でも、いくら血筋だからって私はもう……」


 リンゼイは精霊の長という血筋にしては乏しい知識しか持っていない。まして術となると、それをできる人間がいるなど聞いたこともない話だった。


「国中を探せば、もしや伝承などで何かしら手がかりはあるかもしれません。これを機に、精霊に関するものを王都に集中させようかと考えています。王にも進言するつもりです」


 ジュードの思いがけない発想に今度はレオも驚く。古い治療法や薬草などを「趣味で」やっていると言っていたジュードの本心はそこだったのか、とレオは思い至った。


「もちろんレオの記憶が戻るという保証はないのですが、スカラット家にご協力いただければ、と思いまして」


 茶を出し終えたサラが立ちあがり、一礼して出ていくものだとレオもリンゼイも思っていたが、そのまま動かないサラに三人ともが不思議そうに見る。すると、サラから信じられない言葉が飛び出した。


「……それは……私が知っております」


 たった一言、いつものように生気があまりない表情でそう言われても三人は意味が分からなかった。


「……私は精霊です。スカラット家に先祖返りされた子供が生まれたと知り、精霊王から傍にいるよう言われております。その先祖返りした子供が、リンゼイ様です」

「せ、先祖返り……?私が?」

「……奥様はその文献に書かれている精霊使いの長であった女にそっくりでございます」

「……どういう、こと」

「私ども精霊はスカラット一族を『監視』しておりました。盟約が有効であるか、守られているかを確認するためです。そこに先祖返りされた貴女様がお生まれになったのです。先祖返りは何かしら力を持っている可能性もありますので、幼いころから私が人型となり護っておりました」


 スカラット家を『監視』としたのは、もし精霊が見える者が生まれてしまった場合、それは盟約の効力がなくなってしまうからだ、とサラは言う。


「奥様が『盟約』を知ってしまったら、こうして文献に残ってしまう可能性があるからです。我ら精霊は人の子の記憶からは消えたいのです」


 盟約を交わしてから千年を超え、もはや精霊はこの世界の「見えないもの」になっている。精霊使いの血を引くスカラット家も、いまや特殊能力はない。

 しかし、先祖返りした子が生まれたとなれば話は別だった。今や世界は人間が牛耳っており、精霊は森の片隅で暮らす時代になっている。そしてそれを精霊たちは特に悲観もしていない。

 長い命を持つ精霊たちは、むしろ柔軟な思考を持ち合わせており、世界の流れに逆らうつもりはなかった。


「私の役目は、先祖返りである奥様が何かしら能力を目覚めてしまうかどうかを見極めることでした。それが、なぜか旦那様の記憶が欠落してしまった」


 サラは最初、レオの記憶の欠落は関係ないと思っていた。しかし、リンゼイが弱ってくると使用人たちがリンゼイのことを認識できなくなってしまったのだ。


「そこでやっと分かりました。おそらく、奥様がこちら側の存在になりつつあるのだと」

「こちら側?」

「奥様は史上最強の女精霊使いの先祖返りなのです。精霊側の存在になりつつあるから、人々の記憶から欠落していったのでしょう」

「私、そんなつもりないのに?」

「奥様の祖先も、人々から時々忘れられてしまうことがありました。特に精霊と接している時間が長いほど『こちら側』に引っ張られてしまうようです。奥様のそばには私しか精霊はおりませんでしたが、通常であればそれだけでこちら側に引っ張られてしまうとは考えにくい。しかし、おそらく奥様は精霊に対して感受性が高いのだと思われます。私という精霊がいるだけでこちら側に来てしまっております」

「……精霊側って、どういうこと?」

「……時間の流れがゆっくりになります。人の時間よりもずっとゆっくりに。それは人で言えば長寿と不老を意味しますが、百年どころか二百年、三百年、もしくはそれ以上になります。……人の子は、そのようなゆっくりな時間は受け入れられないのです」


 サラからもたらされる情報に三人は翻弄されている。もうそれはおとぎ話の中にしかなった精霊が目の前にいる。そして盟約を確実にするため、千年もの間スカラット家を見ていたという気の長さ。精霊と人間の決定的な違いを見たような気がしていた。


「最初にレオ様の記憶がなくなったのは、おそらく奥様への気持ちの重さかと思われます」

「ちょっ……!?」

「精霊側へと引っ張られ、人が人でなくなっていくうえで一番大変なのは大事な人との繋がりです。こちら側になる際、最も繋がりが強い人間の記憶から落ちる、とわれわれ精霊の中で言い伝えられております。最も大きな繋がりを失ったあとは簡単にこちら側へと引っ張られますので」

「待ってくれサラ。今ここで僕の心を晒さないでくれ……。なんとなく最近そうなんじゃないかと思っていたところなんだ」

「長い事奥様を放っておかれたのです。侍女である私からだって少しくらい言いたいことあるのですよ」

「……イライザ様といい、サラといい、何なんだよ……」


 レオはいたたまれなさに頭を抱え込んでしまった。ジュードは目を輝かせて精霊であるというサラを見ている。一方リンゼイはただ何も考えられず、じっとサラを見つめていた。


「どうすれば……私精霊側にならずに済む……?」


 最大の疑問はそれだった。精霊側になってしまう、という話を聞いても実感はない。だが、人間をやめるつもりもないリンゼイは、精霊にはならない、という決断しかできないのだった。そしてそれが精霊というものの気配がすでに感じられない世界で叶うのか不安に思った。


「……おとぎ話のように、奥様の記憶から『精霊』のことを消す必要があります。そうすることで、我々精霊との盟約は継続可能となり、奥様がこちら側に引っ張られることはなくなり、レオ様の記憶も使用人たちの記憶も問題なく戻るかと」

「私の中の精霊の記憶って……」


 それは、サラしかいないことにリンゼイは言い知れぬ不安が湧き上がる。特殊能力などないリンゼイにとって精霊とは、今ここで「精霊である」と告白してきたサラしかいないのだ。


「あのおとぎ話は、半分本当です。続きがあります。記憶を消す術は、術をかける精霊側にも及ぶのです。術をかけた方は、その力をかなり消耗します……結果、人型を保てなくなるのです」

「え!ちょっと、それはどうなの!?サラはどうなるの?」

「いいのです。ここ二十年はリンゼイ様についてまいりました。ですが、人間で言うと、全部で二百年近い時間をスカラット家の使用人として過ごしています。そろそろ、人型での暮らしも飽きてきておりました。精霊に戻ってのんびりするのも悪くありません」

「精霊に戻るって」

「人型が保てない、と言っても存在が消えたり、死んだりするわけではありません。ですから、お気になさらず」

「そんなの、無理っ……!」


 姉とも思える程に慕っているサラが消えるということにリンゼイは涙がぼろぼろと零れだす。確かにサラはとっつきにくい。つくりもののような見た目は人間らしさがなく、まさに高嶺の花だ。それも精霊だと言われれば納得がいく。人外じみた美しさだと思っていたのは正解だったからだ。しかし余計なことを言わず、粛々と仕事をこなすということが難しいことをリンゼイは知っている。特に結婚してからは、結婚前から当たり前に繰り返されることに安心を覚えていたところもあった。


「さあ、奥様。私の詠唱する呪文をしっかり聞いてください」

「待って……待ってサラ……。時間が欲しいよ。いきなりそんなの無理……それにどこに行くの?行くあてはあるの?」

「そうですねえ。時間はありません。精霊の記憶を消すというのに、その記憶の量が増えてしまってはちょっと大変なんです。行先は、精霊が少ない場所、そして緑豊かな場所。ここからだと、あの別荘がある湖畔の森もありますし、王宮の裏の森もあります。意外とひとりならなんとかなるものですから」

「じゃあ、王宮の森にいて。舞踏会とかあれば会いに行くから」

「……もうその頃には奥様は私のこと覚えていませんよ。だいたい、精霊としての姿を知らないでしょう?」

「いいの。いると思えるだけでいいの」

「……リンゼイ、どうか、幸せに」

「え、待って、そんな」



 リンゼイはぼろぼろ涙をこぼし、サラをじっと見つめる。

 住む世界が違う存在だというサラは光に包まれ、その姿は認識できなくなってしまった。やがて小さなガラス玉のような大きさに収縮すると、その光は窓ガラスをすり抜けて外へと出て行ってしまった。


 膝から頽れたリンゼイをレオが抱きとめる。

 そして腕の中にいる存在が確かに自分の妻であると、幼いころから乞うていた存在であることを突然、はっきりと思い出した。なのに今、なぜ書斎でこうしているのかさっぱり分からないのだ。

 部屋には自身ともたれかかるリンゼイ、王宮薬師のジュードだけがいる。いったい、自分の邸になぜジュードがいるのかレオは理解ができない。

 分かることは、さっきまで確かに妻の記憶がなくて右往左往していたことだ。そのためにいろいろとやっていたのだが、おそらくそのことでジュードに来てもらっていたのだろう。


「ジュード、それで……僕たちは……」

「何でしたっけね?文献を持って来た理由は……。そんなことより、奥方を横にした方がいいだろう。気を失ってるだけだから大丈夫だ。使用人を呼ぼう」

「ああ、そうだな……っ」

「……?レオ」


 レオは今自分の口から妻の侍女の名が出てこなかった。はて、一体何と言う名だったろうか。しかし今はそんなことをしている場合ではない。とりあえず執事を呼び、リンゼイの介抱をするように伝えた。そして使用人たちも誰かひとり足りないような感じはあるようだったが、結局それは誰にも分からなかった。







 レオの記憶が戻ってから一週間が経った。

 いたはずの侍女は誰だったのか使用人たちも分からず、これまでよく侍女を手伝っていたメイドがそのままリンゼイの侍女となった。

 リンゼイは何かを失った気がするのにそれが分からずふさぎ込んでいた。しかし、伯爵家嫡男夫人となればいつまでも泣き暮らしていくわけにもいかず、少しずつやるべきことをやり始めた。

 そして夜、いつものように自分の部屋で床についていたら、深夜部屋をノックする音にリンゼイは目覚めた。



「……すまない、眠っていたか」

「レオ……」


 微睡の中目を擦って体を起こそうとすると、レオがベッドに腰かけた。

 

「さっき帰ってきた。……今日は、一緒に眠らないか」

「……」


 予想外のことにリンゼイは起き上がれないまま茫然とする。もうずいぶんとベッドは共にしていない。


「いや、嫌ならいいんだ。湯浴みもしてなくて、体拭いただけだからな……正直、自分でもやめといた方がいいと思っている」

「……ならどうして」

「さっき、執事からの報告で今日から手紙の返事とかやりだしたと聞いた。それなら、僕ら夫婦もはじまってもいいかと思って」

「でも、自分でやめておいたほうがって……どういうこと?どっちなの」

「……湯浴みもしないで同じベッドに入れるわけないだろう……。僕にだっていろいろ思うことはある。それに、幼馴染の君をどこかないがしろにしてしまっていたと今なら分かる。この前言っただろう。君にもう一度恋をすると。だから、一から口説くことにしたんだ」

「それが、今日?」

「……あんまり、追及しないでくれ。忘れてた時の態度やら、思い出してからのいたたまれなさとか、僕はわりと傷だらけだよ」


レオはリンゼイを抱きかかえると、夫婦のベッドへと下ろした。そしてレオ自身もそのベッドへと滑り込む。

その日二人は寄り添い、溶けあうように眠った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ