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プロローグ

 それは淡く、不確かな約束だった。

 いずれ家のための結婚をする――幼いながらそれを理解し始めていた十二歳のレオとリンゼイは、ふたり大きな木の木陰で手を繋いでいた。

 ルルーシャッセ王国の北東にある、この避暑地は王都に住まう貴族たちの別荘地だ。レオの家とリンゼイの家は、別荘が隣同士の幼馴染だった。お隣の別荘に近い年齢の子がいると分かった両親が遊び相手に、と交流が始まったのが十年ほど前だ。

 同じ伯爵家であり、経済面もさほど差がなかった両家はいわゆる貴族同士の社交とは違い、とても気楽に、親密に家族ぐるみで仲良くしている。

 夏の間はこの別荘地で、領地に戻れば月に一回ほどのお茶会やパーティーで、とさまざなイベントを共にしながら子供たちは大きくなった。

 リンゼイに弟が生まれ、寂しさを感じたときはレオがなぐさめ、レオに妹ができればリンゼイが遊び方を教えた。

 そんな風にしてリンゼイと弟のサイラス、レオと妹のセシル、弟のウィリスはいつしか親戚のような、兄弟のような仲になっていた。


 しかし、あと少しすれば15歳になる。

 この国では、15歳から結婚は可能であり、14歳ともなればリンゼイは伯爵家令嬢として縁組の話が具体的になっていく。

 今まではそれは遠い話だった。けれど、そうも言っていられない。

 あと二年、三年のうちにリンゼイには婚約者が決まる。そうなると、今までのような心地よい穏やかな関係は終わってしまう。婚約者が決まったとなれば、いくら幼馴染であってもこんな風に庭で遊んだついでに二人になってしまった、など非常に不埒な言い訳にしかならない。

 ふたりはそれに気づいたのだ。

 また、結婚可能年齢の15歳までにどの家も子女に教育を施すことは当たり前だ。リンゼイはこれから文学や歴史、美術などの教養の他刺繍や身嗜みなどを学ぶため、リンゼイ父の伝手で公爵家の令嬢と共に教えを乞うことになっている。なんでも、公爵家は週に二度令嬢イライザのために家庭教師を雇っているそうで、リンゼイもそこに参加することになったのだ。


「……イライザ様は、何度かお茶会に呼ばれたことはあるのですが、とてもお綺麗だし賢くて、私ついていけるか不安なの」

「リンゼイはこれまであまり学んでいなかったのですか?そんな風には見えませんでしたが」

「私が好んでいたのはこの大陸の神話とか言い伝えの本ばかりで、文学や歴史は……全然だから」

「でも、キーラント公爵は穏やかでとても良い方だと先ほどスカラット伯爵もおっしゃっていたじゃないですか。きっと、大丈夫ですよ」

「……そうかしら……」


 ふたりは自分たちが将来のことを見据えたイベントが近づいていることをはっきりと自覚している。

 もちろんそれはレオも同じで、今まさに父とこれからどうするかと話し合っているところだった。


「僕も、父が言うように王都中央のスクールを薦められています。が、僕は士官学校にしようかと」

「え?レオは軍人さんになるの?」

「そういうわけではないのですが、正直、剣術や軍事には全くもってだめなのです。だからこそ、鍛えるいい機会かと」

「すごいわ」

「……それに、強くなれば、リンゼイを護ることができます」


 リンゼイは驚き、目を瞠った。


「強い、というだけでそれは大きな力です。今の僕にそこまでの強さがあるかはわかりません。でも、強い人間の戦い方を知っていたら、きっと僕だって負けませんよ」


 とうとうと語るレオの姿は、夏の木漏れ日にきらきらと輝いているようにリンゼイには見える。


「だからリンゼイ、いつか、僕と結婚して下さい」




-◆-




――夢……

 随分懐かしい夢をみたものだ、とリンゼイは気だるく寝返りを打つ。まだ空は白んでいて、ようやく夜が終わったが、起きるには早すぎる。

 未だあの出来事を夢に見てうっすら涙まで流れているあたり、我ながら未練がましい、とリンゼイは思った。

 ひとり寂しく夜が明けていく様子を窓から眺める。

 温かい紅茶があればいいのだけれど、この時間に侍女を呼びつけるわけにはいかない。ただじっとベッド中で夜から朝にかわっていく空を見つめていた。


 リンゼイがシュラインテ伯爵の嫡男、レオと結婚して一年になる。しかし、ベッドにはリンゼイひとりだ。

 昨夜は仕事でそのまま王宮に宿泊する、と連絡があった。その前の日は帰ってはきたが、就寝前になって急な呼び出しがあり王宮へと舞い戻った。

 そんな感じで夫でありこの邸の主であるレオは週の半分ほどこの邸にはいないのだ。

 不本意だが、ゆっくりと慣れていくこともリンゼイはわかり始めていた。

 寂しさに泣いたのはもう前のことだ。今は領地の本邸にいる義父母にかわり、この王都にあるシュラインテ伯爵家の別邸を取り仕切るのはリンゼイの役目である。なかなか帰って来ないレオは現在、第二王女アレシアの騎士を務めているが、他にもいろいろ引き受けているらしく、忙しくしているようで邸にいない。

 必然的にリンゼイが邸を取り仕切るようになった。


「おはようございます、奥様」

「おはよう、サラ」


 サラはリンゼイの実家であるスカラット家からリンゼイの輿入れと共にこの邸に入った。リンゼイの幼いころからの世話役であり、リンゼイにとっては姉のような存在でもある。いまでこそ慣れ親しんでいるが、サラの外見はどこか作り物のような、人ではない美しさがある。身分さえあえれば美貌の持ち主として一国で噂になっていただろう。しかし当の本人はその見た目などさして興味もないようで、時折求婚されては常に断っていた。

 そんなサラにこの邸の使用人たちはまだまだよそよそしく、孤立してないか、とリンゼイは気がかりだった。



「今日はどのように?」


サラがリンゼイの身支度を整えながら予定の確認をとる。


「確か午後からイライザ様に呼ばれいるから準備を。それと、最近あたたかくなってきたから、ハーブティーの準備を」

「かしこまりました」


 朝食を終えると、届いている手紙を開封する。

 お茶会のお誘い、パーティーのお誘い、紹介の伝手の依頼など様々ある。それらの返事をその場で決め、執事であるにそれを託す。その頃にはもう昼近くになっており、約束している茶会へと向かう準備を始めなければならなかった。


 リンゼイが共に学んだ公爵令嬢イライザは、現在モントワール公爵夫人だ。今から三年前に嫁入りしている。

 モントワール公爵は現王の末弟で、二十一歳のイライザより年上の三十歳。とても芸術を愛する方ではあるが、奥方であるイライザにはよく分からないらしく、ふたりはつかず離れず、貴族の夫婦らしい距離感だ。


 そんなイライザは月に一度か二度、こうしてリンゼイを誘う。他の貴婦人が一緒のこともあるが、今日は二人だけだ。同じ家庭教師に教わった同門、その付き合いはすでに六年目になる。

 最初の頃はリンゼイも身分の高い令嬢を目の前にしてかちこちになってしまっていたが、つんとした物言いは公爵家令嬢という立場がそうさせるのだと知ってからふたりは打ち解けた。


 リンゼイが外出の支度を終え、馬車の準備が終わるのを待っていると、突然夫であるレオが帰ってきた。


「おかえりなさいませ、レオ様」

「これから外出でしたか。どうか気をつけて。僕は着替えに来ただけだで、今夜も遅くなりそうだ。またはやく帰れなくて、すまない」

「どうかレオ様もお気をつけて」


 リンゼイは馬車に乗り、邸を出た。

 幼馴染で同い年のふたりは、元々名で呼び合っていた。しかし、使用人たちの前では伯爵家嫡男の夫人として、どうにも馴れ馴れしいような気がしてしまい、今ふたりきりのとき以外リンゼイはレオ様、と呼んでいる。

 いつしかそれもふたりの距離を強調しているような気がリンゼイはしていた。



-◆-



「リンゼイの旦那様って、そんなにお忙しいの?それでいいの?」

「姫様の覚えめでたく、出世間違いなしなのだとこの前茶会で聞きました」

「あ、タロワナ伯爵夫人の。あの方はほんとよくご存知よね。いったい、どこからって思うけれど、恋人が王宮の若い衛視だったかしら」

「最近その恋人にひとつ役がついたそうで、自慢しておりました」

「別に人のことだけれど、不倫は分からないわ」

「私もです」

「まあ、だからこうして二人でいられるのだけど。リンゼイがいてよかったわ」

「私もです、イライザ様」


 二人は、婚外恋愛に興味がない

 貴族社会でこうした本音で話せば浮いてしまう。本音と建て前をうまく使い分けなくてはやっていけない世界だ。身分違いの恋がフィクションであることも、夫婦が深く愛し合うのは稀であることもふたりはもう腑に落ちてしまっている。しかし、それらの鬱屈した思いを外へ出すことはなく、ふたりひっそりとこうして語らい、慰め合うのだった。

 

「泊まっていくといいわよ。…帰り遅いのでしょう?」

「……でも今日は、やらなくちゃならないことがあるので、失礼しますね。残念だけれど」


 イライザの元であれば、泊まっていくことはもう珍しくはない。しかし今は建国祭のことや、レオの妹であるセシルの誕生日祝いを考えなくてはならい。


 そうしてリンゼイが邸に戻ると、レオは当然いなかった。主のいない部屋は冷たい空気に包まれている。

 さっきまでイライザと話していて気が晴れたのは一時だけだったらしい。

 リンゼイは音もなくドアを閉め、自分の部屋へと戻った。

 そして痛感してしまったのだ。


――ああ、私は望まれてはなかったのだと。



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