05
話が転がり始めました。
そんな旅を4日も続けた。4日目の夕方、彼は休もうとは言わなかった。
「村が近いのですか?」
「ああ。もうすぐだ。もう、見えている。あれだ。急ぐぞ」
彼の指差す方をみると、なんとなく建物の影のようなものが見えている。
そして、近づくにつれ、それはだんだんハッキリとしてきた。
小さな村だった。宿はないと聞かされたが、ロバを休ませたいというと、酪農を営んでいる家のものが、軒先を貸してくれた。
本当にありがたいことだった。その日は雨が降ったのだ。
一晩明けて、お世話になった家の困りごとを聞いてまわる。腰が痛くて歩けないという先代の治療をすると、噂は一気に小さな村に広まった。後から後から助けて欲しいという呼び声がかかる。泊めてもらった家以外はお代を頂戴しますと言ったのだが、それでも相当な患者がいた。
「ありがたい。このような小さな村には医者が居着かないのです」
村長は言った。結局その日は患者の対応に追われ、是非うちにという声を村長が黙らせて、村長自身の家に上げてもらった。
久しぶりに床のあるところで、襲われる心配もなく、ぐっすりと眠ることができた。メイシャはラパンを休ませることができてホッとしていた。
次の日の朝、二人は村を立った。
「あんたの力はすごいな」
ふいにロバを引きながら、ラパンが言った。
「俺みたいな奴がいても、嫌な顔一つせず、家に上げてくれるんだから」
「お役に立てて良かったです。私、ラパンさんにお世話になっていますから」
メイシャはニッコリと笑ってみせた。
そうして2つめの村を目指し、そして無事通過し、3つめの経由場所、1つ目の町、アルベロについた時、異変は起こった。それは樹人の反乱だった。
家の戸は固く閉ざされ、商店も閉まり、食料を手に入れることも難しかった。二人は、ロバを諦め、外套のフードを深く下ろし、ひっそりと町の隅を回るようにして進んだ。空気は物々しく、姿こそ見えないが、反乱軍の雄叫びがすぐそこに聞こえる。
ラパンはいつでも剣を抜けるように、気を張り詰め、剣の柄に手をかけている。
なんとかやり過ごした。そう思って町を出ようとした時だった。
「メイシャ!」
ラパンの叫び声が聞こえて、身体を低く抱き込まれる。メイシャが自分の頭があった場所を見やると、荊のような物騒な植物が生えている。
「外したか」
声が聞こえた方を見やると、緑の髪に樹液の瞳の左目に花の咲いた青年が立っている。樹人だ。
「おや。これはこれは。噂に名高い聖女さまではありませんか」
ラパンは抜剣している。
メイシャは、目深にフードを被っているはずだ。なぜ?その疑問に答えるように青年は言った。
「私の左目はよく見えるのです。嘘も隠し事も、フードの中も見たいものを全て見せてくれる。もちろん見たくないものも」
「半端者の混血風情が、我々を欺こうなどとするな!」
彼はクワッと瞳を開いて恫喝する。
彼の恫喝にこたえるようにして、またあの荊のような植物が現れ、ラパンとメイシャを引き離すようにうごめいた。
「いやっ」
「メイシャ!」
メイシャは棘こそなかったが、禍々しい植物に腕と足を絡め取られていた。
__嫌だ嫌だいやだ!気持ち悪い!
メイシャは恐慌状態に陥っていた。頭の中を未だかつてなかった凶暴な感情が吹き荒れていく。
__私を自由にして!こんなもの消えてしまえばいいのに!
強く強く思った時だった。
「何っ?」
青年が驚きの声を上げる。メイシャを絡め取っていた蔓が枯れ始めたのだ。
その隙をついて、ラパンが植物を薙ぎ払う。
「いやっ嫌なの」
メイシャはまだ錯乱していた。
ラパンはそんなメイシャを抱きかかえるようにして、無理やり走らせる。
そうして彼らは町を脱出した。しばらく走っただろうか。
メイシャは自らの手を見つめて泣いていた。
「ラパンさん、どうしましょう。私、魔女にっ、魔女になってしまったんでしょうか」
「落ち着け」
ラパンはメイシャをなだめようとした。だが、その手を嫌がるようにメイシャはすり抜ける。
「駄目です。ラパンさん、死んじゃいます。私は悪い魔女になってしまったんです」
「魔女ってなんの話だ?」
ラパンは辛抱強く聞いた。
「南の魔女の物語、知ってますよね?」
「そういや孤児院にそんな本があったか。あの童話か?それがどうした?」
「彼女に触れると、植物が枯れてしまうって本に書いてありました。さっきの私と一緒です。ラパンさんは半分樹人でしょう?あの本の通りなら、樹人は半死半生をさまよったって。私は危険なんですよ」
ラパンは幾度となく取り直そうとしたが、メイシャは思考の海に沈んでしまっていて駄目だった。
そして、また旅の方も順調とは行かなかった。追っ手である。追っ手は遠巻きにではあったが着実に包囲してきていた。
二人は、残りの一つの村も素通りすることを決めた。苦渋の決断だった。食料はもうほとんど尽きている。水だけは、川から調達出来たのがまだ救いだった。
偶然飛び出してきた野兎などをラパンが捌いて、食料にする日々が続いた。メイシャは、特別菜食主義なわけではなかったが、目の前で兎を捌かれるのは初めてだった。
こちらを見るな、とラパンに言われ、実際の光景は見なかったものの、あきらかに兎だったものが火に焼かれているのを見て、食欲など沸きようもない。当然一食も食べられない日もあるし、捌かれた命を無駄にしないためにも、無理やり口に運んだが。
もう心も、身体も限界に近かった。そんな中、ラパンの身体が傾ぐのを。メイシャは見た。
「ラパンさん!」
呼びかけるも、彼はグラグラと不安定な身体を持て余し、その場に崩折れる。
メイシャは動転していた。
「ラパンさん。大丈夫ですか?やはり、私のせいで?こんな旅に誘わなければこんなことには」
メイシャはラパンに触れたかったが、その手は躊躇し、宙をさまよい終わる。代わりに、涙ながらに謝罪した。ラパンは地に膝をつき、左腕を抑えている。
「いや、違う。メイシャのせいじゃない。俺はあんたに言ってないことがある」
「俺の身体はもともと20年持てば良い方と言われていた」
「え?」
「昔話だ。俺は樹人が生物兵器をつくるために実験的に人間の女を囲って産ませた子供だ」
「どういう、ことですか?」
「樹人は植物を操る力を持っている。俺にその力は受け継がれなかったが、奴、父親は、俺を反乱に使う、生物兵器にするつもりだった」
「強力な身体の力を強化する種を作り出し、それをまだ幼かった俺の身体に埋め込んだんだ。俺は__苗床だ」
あまりに衝撃的な言葉に、メイシャはなんと言っていいかわからなかった。
「あんたはおそらく、聖女で魔女だ。その力は、聖にも邪にもなりうる」
「わたしが、そのどちらでもある?」
「ああ、そうだ。あんたは、塔で教育されたって言ってただろう。それは、おそらく力を持つものを魔女にしないためだ」
「じゃあ、旅に出なきゃいけないのも?」
「そうだ。王としては危険な人物になりうるかもしれない者を、何人も抱え込むことを恐れたのだろう」
__そうだったのか。
頭を殴られたかのような衝撃とともに、ストンと落ち納得する自分がいた。
なぜ、自分が祖国をでなければ、いけなかったのか。
なぜ、祈りの塔は聖女を教育しているのか。
なぜ、自分はこの力を持っているのだろう。メイシャは悔しかった。メイシャがこんなものを持っていなければ、旅に出ることもなく、護衛騎士の少女も死ななかった。__ラパンを危険なめに合わせることもなかった。
「私は、危険人物だったのですね」
思わず、言うはずのなかった言葉が滑り出てしまった。
「違う。メイシャは危険人物じゃない。その力でたくさんの人を救ってきたじゃないか」
ラパンがそれを遮った。
「村で、自分がどんなに疲れていても、相手を癒すことをやめなかった。そんなあんたが、邪なものであるとは、俺は思わない」
「ありがとうございます」
「でも、慰めは必要ありません。現実を受け止めなければなりませんから」
言ったメイシャをラパンは、痛々しくも神々しいものを見るかのように見上げた。
「あんたに__頼みがある。いや、あんたにしか頼めないんだ」
彼は言った。