Episode3 襲撃者
「……じーあい?」
「そう。G.I.」
(……まさか、それが名前? いや、ないない)
さすがの可奈にとっても、この返答は予想外だったらしい。
「えーと……本名は? スパイか何か?」
「想像力豊かだな」
再び彼はディスプレイに視線を戻し、淡々と冷めた目で数字の羅列を眺めている。その記号の羅列に果たして何の意味があるのだろうか――?
(スパイ……とか聞いても、まぁ、答えないよね。よく考えたら、結構危険なこと聞いちゃった?)
もし、万が一にもスパイだったとして、ばれたと判断したら情報抹消が組織内での掟だろう。
この機材たちを見る限り、何かの調査であると目星をつけていた可奈だったが、どうにも第一候補の建築関係には見えない。図面もなければ、ペンすら見当たらないのだ。
紙はある、と言っても、どれもファイルにまとめてあるようで、やはり手で何かを書き込んだ形跡はない。開かれているページにも、やはり数字やアルファベット等が記載されており、もはや一般人には解読不可能である。
「なんでここにいるの? どういった立場の人で?」
特別することがなかったのか、単純に気になっただけなのか。はたまた、両方という線もあり得るだろう。
可奈はだんだんと遠慮というものがなくなってきたのか、彼――G.I.と名乗った少年だ――にそう尋ねた。
チラリと可奈に目を向けた彼は、やがて小さく頭を振ってから口を開いた。
「僕がここにいる理由は調査。立場は研――調査員」
「何の調査を?」
「――なんだと思う?」
質問に質問を返すなど、卑怯である――そう心の中でぼやきながら、可奈は口を閉じた。
――聞かれたくない事なのかもしれない。
よく考えてみれば、初対面の人間に対して、そうそう話せる事は少ないだろう。そもそも、仕事であれば守秘義務が発生するのは当然の事なのだ。
「本名って、言えないの? 何で? 何か事情があるの?」
「ご想像にお任せします」
その敬語が慇懃無礼にしか感じないあたり、少年が少年たる由縁だろう。
(GI……ジー君? ジー? いや、変でしょ。じゃあ、アイ? アイ君?)
「……『アイ』かな」
「――は?」
名前を知らなければ不便ではないか、と、可奈は満足顔で、少年のことを『アイ』と呼んだ。
「これからアイって呼ぼうかな、って」
いいよね? と最後に付け加えれば、少しの沈黙と軽いため息。反論はなかった。
「ねぇ、アイ。この機械達って何なの?」
「調査のためのツール」
「いや、それは分かる」
あわよくば調査内容を聞き出そうとした可奈だったが、その試みはあっさりと失敗に終わった。
「――着いたな」
「ん?」
誰に言ったわけでもないのであろう、ボソッと呟かれたそれに、可奈が俊敏に反応した。
じっと可奈がアイを見つめれば、再び諦めのため息をついた彼が、短く、そして的確な説明を始めた。
「……さっき連絡が入った――知り合いがこっちに到着したらしい。何故分かったのか、聞かれる前に言っておくが、そこのパソコンに門の周囲に気温変化があったというデータが表示されている。もっとも、何か別の事象である可能性も否定できないから、今から行く」
「はぁ」
「だから、君も来い」
「はぁ?」
ここに残っていてはいけないのだろうか――そんな可奈の内心を知ってか知らずしてか、アイが続けた。
「ここは少々危険なんだ。現に、君が何かに追われたかのように駆け出し始めた直後、機械系等がいくつかダウンしている。だというのに、音声はきちんと記録されている。これは、明らかに異常だ」
「……異常?」
「そう」
コートを羽織りながらアイは続ける。
「相手によって危険度は変わるが、何が起こるか、僕には全く予想ができない。つまり、フォローの事を考えると、僕と一緒にいた方が、君の身の安全は確保されるということだ」
「その分、僕の身には危険が降りかかることになるんだが」という最後のセリフは聞かなかった事にした可奈であった。
「えっと、じゃあ……ついていきます」
「どうぞご勝手に」
(誘ったのは誰よ!)
ヒクリと片眉を上げながらも、可奈はひとつの深呼吸で自身を落ち着かせた。
彼といるのは、ストレスでしかない――
「……寒くないのか?」
アイの問いに、可奈は首を振ることで答えた。若干の肌寒さは残るものの、コートを羽織るほどの寒さは感じない。
もとより可奈は、寒さや暑さを感じにくい体質なのだ。故に、風邪をひくことも多いのだが。
二人はアイを先頭に管制室を出て、そのままこの遊園地の入り口ゲートまで歩き始めた。
可奈は興味深そうに、アイは前だけを見据えて歩いている。まるで、何かを警戒しているようだった。
――その対象は、誰……いや、何なのか。
「おかしいと思わないか」
「え?」
静かなテノールの美声が、軽く風に乗ってやってくる。
可奈は思わず聞き返した。何せ、彼から話しかけられたのは、これが初めてだったから。
「この遊園地は、何かがおかしい。そう言っているんだ」
「おかしい……?」
言われて、可奈は周囲深く辺りを見回した。
もうすっかり辺りには暗闇が満ち、ところどころに立つ街頭を模した明かりの光でさえ、かなり弱弱しくなっている。可奈の視力が良い方だったから良かったものの、一般人では、まず何かに躓くなりして派手に転んでいただろう。
しかもその地面には、ガラスの破片やら何やらが散乱している。
今しがた通り過ぎたアトラクションもすでに倒壊しており、ビニールで覆ってあるわけでもなく、ただ、放置されている。
「確かに……」
――廃園だ。だが、度が過ぎている――
「何らかの理由があってこの廃園はビルが崩壊しようが、犯罪者の根城になろうが、誰も足を踏み入れなくなってしまった――果たして、これは廃園になった後なのか、前からなのか」
「え、そりゃあ、廃園になる前……」
だからこそ、噂の蔓延により客足が途絶えたのではないだろうか。
「僕は、この遊園地には二つの種類の噂があると考えている」
「二つ……?」
「ご名答ね」
可奈が再び首を傾げたところで、どこからともなく声が聞こえた。まだ門までは若干距離がある。
ビクリと肩を震わせた可奈を一瞥し、アイが溜息をついた。
「驚かさないでくれ、レミ」
「あっはっは、ごーめんごめーん」
軽い調子で謝りながら姿を現したのは、レミと呼ばれた美女だった。
緩くカーブしたかなり薄い茶髪に、これまた薄い茶色に似た目を持っている。
「ふーん、あなたが……」
スッと細められた目の奥に、レミが剣呑な光を宿す。が、それに気付いた者はいなかった。
「あ、はい。可能の『か』に、奈良の『な』です」
「へーえ。可奈ちゃんか。良い名前だね」
ごく普通の反応なのだが、思わず歓喜で飛び上がりそうになる可奈であった。
「で、レミ、話を逸らさないでもらいたいんだが」
「ごめんってば、そんなに睨まないの」
正に悪戯っ子と形容するに相応しい笑みを浮かべながら、話はレミが引き継いだ。
「この遊園地には、合計で七つの噂があるの」
「七つの噂?」
「そう。それぞれ、今回の拠点の隣にある夜中に回るメリーゴーラウンドから始まり、ドリームキャッスルの地下室、ジェットコースターの事故、アクアツアーの謎の生物、ミラーハウスの二重人格事件、観覧車から聞こえる女性の声――そして最後の一つ――そもそも、この遊園地では子供が消えると言われているの」
何故わざわざそんな所にやってきたんだ、という可奈の若干の呆れを他所に、レミは話を続ける。
とても静かな風が吹いた。
「で、さっきの二種類の噂の事だけど。簡単に言うなら、廃園になる前か、後か、どっちで生まれた噂なのかってところね」
夜闇が少しずつ深くなっていく。
「――っ、レミ!」
唐突にアイが声を上げた。
先ほどからの柔らかい雰囲気からは想像し難いスピードで、レミはアイの視線の先を追った。
そして瞬時に身を翻すと、その方向に向かって走り出す。
「え、あの、レミさ――!?」
「こっちだ」
思わずレミを呼び止めようとした可奈だが、次の瞬間には、アイが可奈の手を引いていた。
重心が傾き、アイに引きずられるかのごとく可奈は駆け出した。
「ちょ、どういう事!?」
「いいから、来い! このアミューズメント・パークの危険性は、ここに来る前に話したはずだ」
「――え、えぇっ!?」
可奈からすれば、現実味のなかった話である。当初は、冗談かと疑った程だ。
「ちょっと待った、どこに行くのっ!?」
「それをここで話したら意味がない」
敵に先回りをされる可能性がある――アイはそう言って走り続けた。
「……気のせいでなければ」
可奈が若干引きつった笑みで、唐突に切り出した。それをアイは目の端に収めながら、少しずつスピードを落としていく。
「……あれ、噂の中にあった観覧車……じゃない?」
アイがようやく可奈を一瞥し、無表情のまま「よく分かったな」と呟く。
それに可奈が内心で頭を抱えた頃、二人は観覧車の前で、足を止めたのだった。




