前夜
宴の後が色濃く残る城塞前の広場で俺達は出立の支度を完了して馬に跨っていた。
昨夜に何があったかは個々にあえて問う事はないが何やら出来上がった雰囲気の男女が寄り添いあうように俺達を見守る中、ルゥ姉は立つ鳥跡を濁さずではないが総てを片付けていた。
万が一の時はこの城塞を城の中に放置してこようと思いまして。
誰もがそれはいい案だと笑いながらその状況がどのような事かツッコミ入れずに笑いあっていた。
「では、悪いが我々は戦況が不利になった時はお暇させてもらいますよ」
「所詮他国の事だ。
今までロンサールに助力を貰えただけで俺達は助かってる。
不利になったら俺達を置いて、今度こそ国を復興できるように生き延びろよ」
昨晩さんざん話し合ったと言う様にロンサールの元王子様は酒臭い臭いを隠す事無くレオン・ザックスと拳をぶつけ合っていた。
何があったのと言う様にクレイに視線を向ければ、どうも昨夜この二人は飲み比べして勝者はクロームだと言う事だったらしい。
庶民に溶け込みすぎてるな元王子様と関心をしていれば、何故か雌黄の人達も一緒に盛り上がり、紅緋の人達はありえないと項垂れていた。
単なる二日酔いだと思いたい。
俺が寝ている間に何がどうなっているのかと悩んでしまう中、ルゥ姉がエンバーを横に置いて俺達を眺め
「これより歩兵の者に歩調を合わせて5日かけて王都へと向かいます。
前夜までに、もしそれより早くついた場合でも既にブルトランには知らせを送ってあるのでそれまで城塞があった砦で待機とします」
それから一同の顔をゆっくりと見回すように眺め
「もし逃げたい方がいるのならまだ間に合います。
一緒に死ねとは言いません。
離脱を許可しますので、お会いしたい方がいる方はどうぞそちらに向かってください」
ルゥ姉の相変わらずな挨拶には誰もが苦笑を零しているなか
「出立!」
ぱふぉー!!!
間抜けなトランペットらしき楽器の音が響き渡る。
フリュゲールでも何度か目にしていたが、大隊を動かす時はこう言った楽器での合図を出すのはハウオルティアでも常識だったらしい。
と言うかトランペットだよなとクラウスが持つ楽器をさっきからがん見してしまっていた。
エンバーを先頭にゆっくりとした馬の歩みは半馬身ほど遅れてルゥ姉が付いて行く形となり、その後ろを俺、クローム、オスヴァルトと言うルゥ姉も保証済みのフリーデルの後継者になる予定の軍師役の人が並んだ。
そういやこの人よくフリーデルさんの後ろに居たなとあまりお話しする機会がない人だったと今更ながらに思い出す。
ほら、主なお話し相手はフリーデルさんだったからね。
因みにフリーデルさんは二日酔いで後ろの馬車の荷台で今にも死にそうな顔をしている。
シアーに二日酔い止めの魔法を貰ってたからそろそろ落ち着くとは思ってるけど、すぐにでも死にそうな顔をしている。
ひょっとして馬車酔いじゃないだろうかと不安になる。
と言うか、歩兵の方の大半はほとんど顔色悪くしているあたり馬に揺られるのも勘弁してほしいと馬から下りて歩くと言う顔ぶれだ。
不安ばかりの出立だったが予想も裏切らなく、村が見えなくなった丘を一つ越えたあたりで早速昼休憩となった。
うん。
この先不安しかなくて物凄く不安だと、どれだけ不安が積み重なるのか不安になり、とにかく不安と言う言葉しか頭の中にはなかった。
リーナとまだ体調の良さ気なカヤが手早く料理を用意をしてくれる。
シアーは紅緋の人を連れて料理番の人もカヤの指示によって先に作られたメニューと食材を次々皮をむいてと言うか、既に馬車の中で皮をむき細かく切っていた物を大きな魔法で調理を仕上げていた。
ぶつ切りの肉も鍋に放り込んで、何故小さな窯を馬車に積むのだろうかと思っていたら既に馬車の中でナンを焼き続けていたと言う驚きに休憩時間をさほど必要とせず、ナンを袋状に開いてその中に煮込んだ野菜と肉を摘めて手渡していた。
カヤの本気の料理の能力ってすごいと、昨夜焚きつかせてしまった俺としては体調の方を優先してくれと願いながらも美味しいカヤの料理に舌包みを打つ。
塩加減も最高だと今だ大半の人が昼食を辞退して残った肉をありがたく頂く事にする。
そんな俺の前にクラウスがやって来た。
何だと食後の紅茶を楽しんでいれば
「興味あるんだろ?」
そう言って式用のトランペットを渡してくれた。
「あー……」
手には金色に輝く金管楽器がズシリとその存在を主張していた。
「まずはここに口をつけてだな……」
言わずとも知っているトランペットはユキトの記憶だ。
万年帰宅部だったが中学の時全員参加のクラブ活動と言う物があって、そこで俺は吹奏楽クラブに3年間籍を置く事になった。
ユキトが通っていた中学の吹奏楽部は村祭りのステージに毎年参加していて、人数不足の解消にクラブ部員も強制参加させられていたのだ。
それを知らずに俺は音楽の楽譜が読める様になんて気軽に参加したクラブで数の足りないトランペットを強制的にさせられる事になった。
リコーダーが吹ける様になれればいいんだけど……
なんて俺の願いは叶わなず、クラリネットかトランペットの二択を迫られて金ぴかのトランペットを選択したと言うわけだ。
ただ多数に埋もれるので正直吹けなくてもミスってもカバーできる楽器で助かったと思うのはミスって邪魔されるぐらいならと選ばせた人も同意見だろう。
とりあえず俺は俺の知ってる音とは少しだけニブイ音が響くトランペットに息を吹き付ける。
パフォー……
思ったよりいい音でるじゃん。
「上手いじゃないか」
感心するクラウスと思わぬやり取りを見守っていたルゥ姉達の視線に他からも視線を集める。
二日酔いだからやめてくれと言う視線も混ざってるが俺の知った事じゃない。
騎士出身の人はトランペットの音に敏感だから何かの指示だと思ったようだが、俺とクラウスのやり取りを見て杞憂だったかとまた食事へと戻るのだった。
二日酔いの人は昼寝の体制に入っていたが……
「ちょっと遊んでみていい?」
「まぁ、気晴らしにならせてやってくれ」
そんなやり取りを微笑ましく見守る横で俺は立ち上がりトランペットを構える。
トランペットと言えば俺の中ではまずは目覚めの一曲だろう。
昔見たアニメを思い出して真似して覚えた曲を吹いてみる。
さほど難しくない曲に記憶を頼りに無事指が動いてほっとするも、昼に聞く曲じゃないなと昔わけも判らず目が覚めたら窓を開けて山に向かって吹いていた謎の習慣を思い出して1人ほっこりとする。
記憶の音とも多少の誤差はあれど妥協できる程度なのでたぶん俺以外のこの世界に迷い込んでいた人がもたらしたんだろうなと解釈する。
ほら、ユキトの世界の名前の物も幾つかあるぐらいだしねとどんだけ世界に影響与えてんだと心の中で呆れながらもトランペットを構え直す。
だが残念な事に俺が知ってる曲は恐ろしく少ない。
村祭りの為の曲しか知らない為に他は吹奏楽では定番のシング・シング・シングを始めいくつか思い出したけど何を思いついてかエル・クンバンチェを吹いてみた。
選曲は当時の先生だから俺のせいじゃないと、タクトを持つと人の変わる先生に俺達は黙って従うしかなかった。
ヒラヒラの付いたブラウスをへそ上までブラウスのボタンをはずしてタクトを振るう人とあまり仲良くなりたくなかったからね。
ダンス部も設立したいと言ってたけどさすが田舎の学校。
生徒数の少なさに却下されて本当に良かったと今思い出してもそう思っている。
ああ、思考がずれた。
とにかく俺に出来る事はトランペットの独奏向きではないものの俺が吹ける曲の中で最速の曲だからどれだけ記憶が指を動かせるか試してみる。
勿論勝手に短縮して勝手にアレンジして。
疾走するようなラテンのノリと踊り狂うようなノリに……
こちらの世界の皆さんはドン引きでした。
うん。
俺も知ってる限りこんな賑やかな楽曲ないしね。
否あるかもしれないけどねっていうか、この世界にラテンのノリの音楽ってないしね!
選曲ミスったなーと思いながらも何とか吹き終らせてつっこまれる前に次の曲にさっさと移る。
エスパニア・カーニ
名前のごとくスペインの曲で闘牛とか社交ダンスでもおなじみの情熱的な曲だが、さすがにトランペット一本では情熱的も何もない。
最低でも三本は欲しかった……
ない物ねだりどころか楽譜もない状況に心の中で涙を流しつつもゆったりと、ずっしりと、そして軽やかに。
何よりもトランペットを主役にしてくれる楽曲の為に吹奏楽部の三年生達の見せ場にもなる場ではステージの指揮者横まで足を運びその空に突き抜けて行くような高らかな音を響かせていた。
俺は折りたたみ椅子に座ってひたすら楽譜をにらめっこしていたが、家の裏でかっこいいなと思いながら吹いていたのは悲しい事に周囲も知るご近所さんの秘密だった。
ほら、山に向かって吹いて練習してたから音が反射して……ね?
雨が窓を叩き付けるような日に練習を休んだ時に近所のおばちゃんに今日は練習お休みなのかいと尋ねられた事実に俺は赤面するしかなかった記憶だ。
演奏を終えた時に驚きに目を丸めるクラウスをほかっておなじみの練習曲とかをいくつか吹いて一言。
「思ったよりも全然楽譜を覚えてなかったな……」
忘れてた以上に誰も知らない事を良い事に適当に誤魔化してメロディーっぽく音楽らしくした所ばかりだが、それよりもだ。
音がすくねぇ……
べつに音楽が好きとか嫌いとかじゃなくってだ。
沢山の大きな音に慣れた耳ではトランペット1つの音では当然のように物足りない。
「何が思ったよりですか。
一体貴方は何時の間にそんな事できるようになったのです」
こんな時だと言うのに頭が痛いとこめかみを抑えるルゥ姉を久し振りに見たなと暫しお互い睨み合っていればお約束の言葉が出る。
「もちろんフリュゲールで」
「大概にしなさい」
どうやら何かしでかした時はルゥ姉とフリュゲールのせいにしているのを目の前でばらせば教育的指導も飛び出すと言う物だろう。
うん。
思いっきり頭に拳骨が降ってきて痛い……
仕方がないとさすっていればキラキラとした瞳のクレイがやって来た。
「すごい!
ディックって楽器も使えるんだ!」
「クレイだって王族なんだから楽器の一つぐらい出来るだろ?」
「楽団じゃないから出来るって程じゃないよ。
出来るって言っても横笛ぐらいだし、あまり真面目に習った覚えはないから」
「俺は強制的にだからやってた時は大して面白くなかったけど忘れかけた頃にやると面白いな」
「そりゃそれだけできたら楽しいだろうさ」
エンバーもやってきてリーナからとお茶を貰った。
俺はトランペットをクラウスに返してゆっくりとお茶を飲んでいれば異様に注目を浴びているのに嫌でも気付かされずにはいられない。
「ま、また今度な?」
とりあえず謎の視線にそう答えればもう終わりかと言わんばかりに去って行く後姿と私は知りませんと言わんばかりのルゥ姉の背中に俺はそろそろ自分の後始末位は覚えなくてはいけないと言う所まで来てしまったようだった。
まあ、後5日だしこんな細かい事は放って置こうと他人のように俺はこの場を逃げ出してお茶でお腹がいっぱいだけどリーナにもう一杯お茶を貰いに行くのだった。
そしてトランペットを吹かされ目覚まし時計に使われる事4日目。
俺達は予定通りと言うか気持ち早く目的の城塞跡に来ていた。
ハウオルティア騎士団の中にブルトランとの国境近辺に住んでいた人が多分俺ならあの結界は通れると思う。大丈夫だと言って宣戦布告をしてきた人と合流ができた。
ウードを見かけないと思ったら城壁の外でこの人の脱出の為に待機していたと言う。
背中にいくつもの剣を受けて足や腹に刺し傷があったけど何とか逃げ出せたと言ってシアーの治療を受けて痛いながらにも笑みを浮かべてくれた。
本当ならその場で処刑されても仕方がなかったと言うが、宰相の人が承知した件を伝令するようにと無傷で城から帰す指示を出してくれたのには驚いたと言う。
とは言ってもそれは玉座の間を出るだけの間で、扉が閉まった瞬間俺の背後にそろって立つ案内人達に切りつけられて窓から飛び出して逃げたと言う。
城の城門をどうしようと思ったけど、きっと俺と同じようにブルトランの血が少し流れてるって人っぽい門兵が通用門を開けて見ないふりをして逃がしてくれたと言って、門の外で門兵に金ではなく食料を握らせて待機していたウード達に無事保護され、手持ちの薬で乗り切りながらここまで脱出して来たと言う。
「ですが、無事戻って来れて幸いでした」
ルゥ姉の言葉には誰もが別の言葉を口の中に留めている状態だった。
城塞の一室のベッドで傷は塞がれたものの血を流し過ぎたせいか顔色は悪い物の、表情は至って任務をやり遂げたと言う誇らしげな顔。
「両親が死んで、国境沿いの、地図にない貧乏な国から来て、やっと何か成し遂げた……かな?」
「それ以上の事を、我々すべての名誉を守ると言う大仕事を貴方はやってくれました。
代表して感謝を。
さあ、お疲れになったでしょう。
ゆっくりと休んでください」
「なら……
贅沢にも……こんないいベットで……
休ませてもらうよ……」
言葉を言うのも辛いと言う様に目を閉じてしまった目の前の現実を悟られないようにと最後まで語り続け、それからしばらくもしないうちに息を引き取ってしまった。
目を閉じて涙をこらえる。
ルゥ姉、フリーデル、クラウス達はすぐに仲間に連絡をし、ルゥ姉はこんな時だからと葬儀を上げると言った。
反対は誰も言わなかった。
春になり、咲きだした小さな僅かな花を添えられての勇者の葬儀に誰もが涙をこぼしていた。
ハウオルティアの葬儀は遺体を燃やして土に埋めてその上に木を植えるいわゆる樹木葬。
所変わればとは言うが、やはりその木にはリンゴの木が選ばれ、無くなった時に寝かされたベットのシーツに包まれた小さくなってしまった身体をみんなで手で掘った穴へと丁寧に運び、ゆっくりと土を掛けて埋めて行く。
最後にはクラウスがどこからか引っこ抜いてきた若いリンゴの木を用意してくれていた。
散々泣き腫らした顔は未だに目元まで真っ赤になっていた。
こう言った事になると判っててもそれでもと一縷の希望を託して彼を選んだのはクラウスだった。
最悪しかない予想が当たった事でかなり落ち込んでいる様子に誰もが彼を慰めていた。
俺は預かっていたトランペットを取出すのをいくつかの不謹慎だと言う視線を浴びながらも一曲を吹く。
夜空のトランペット……
の元になるとある軍の葬送の曲。
映画かニュースかなんかで感涙して覚えた遠い彼方のかの人にまで届けと響かせる別れの曲を俺はゆっくりと吹いて最後に敬礼をした。
何時の間にだろうか後ろに並んでいた人達まで敬礼をしていたのには驚かずにはいられなかったけど、誰もが涙を流して黙祷をささげていた光景が曲と同じ間の時間を過ごし
「では皆さん、出立の時間です。
正門前に移動しましょう」
ルゥ姉の声が静かに響き渡る。
誰もの足が悲しみに重そうに動いている。
心配気にジーグルトさんを見るとこういう事は避けては通れないんだ。
慣れてはいけないが気にしすぎてもいけないと俺の肩をポンとたたいて移動の準備に出た。
葬儀を終えた頃はどっぷりと夜中となっていてその中を灯をともしながらの移動になる。
ルゥ姉がここぞとばかりにランプを総て取り出しても全員の手には足りなかったが、ある限りを持たせて夜の山道を歩いた。
居場所は既に割れてるだろうし、俺達の動向も知られている。
奇襲ではない為に今更隠れる必要はないと言って煌々と魔石を輝かせて歩いていた。
ウィスタリア製のランプをどこでこんなにも仕入れてきたんだと呆れていたクラウスだったけどルゥ姉がある方に頂いただけですのでと言うだけでどれだけかかったんだかとあきれ果てた顔をしていた横でジーグルトさんがまた涙をこぼしていた。
これだけの魔道具をポンと与えれる人だけど、この件に関してはただ面白がっての事案だから自分の懐具合と相談して涙を流すのは間違っているよと心の中で突っ込んでおく。
深夜と言う時間はとうに過ぎ去りあと数時間で陽が昇ると言う時間になって俺達は王都の正門。
南側の城門前に辿り着いた。
早速と言う様に馬車の中で朝食の準備をしていたカヤとリーナとその他数名の方達は馬車から下りて火を使った料理を始めるのだった。
昨夜の種火はランプの中に、消し炭は鉄の箱の中に酸素を燃やした状態で持ち運んできた為に魔法を使って火力を上げるだけの簡単な点火作業になっていた。
全員がルゥ姉と俺を先頭に隊列を組んで並ぶ。
東側からロンサールの雌黄、紅緋、そして西側にハウオルティアが暗闇の中ランプの灯の下で先ほど終えたばかりの別れに哀しみが色濃く残る顔で王都を背後して立つルゥ姉を見る。
静寂の中ルゥ姉は全員の口を開いて
「一時間後の日の出と共に戦闘を開始します。
私が魔法を解除するので全員前進してください。
王都の中の住民に気を取られてはいけません。
まっすぐ王城を目指し、内門は対魔法が施されているので人海戦術でぶち壊して乗り越えてください。
その為の丸太は持ってきました。
クラウス、貴方が指揮をしなさい。
城内に入ればハウオルティアの人達の案内でまっすぐ玉座の間を目指しなさい。
城内での魔法は仲間に被害が出ないようにエンバー、貴方の指揮より紅緋の方々にお願いします。
容赦はいりません。
シアーはディックと共に何としても玉座の間に。
クローム、貴方は戦況を見極めてください。
ロンサール国の王族が我々と共倒れだけは決して許されない事です」
判りましたねと言うルゥ姉の言葉に彼はただ唇を食いしばっているだけ。
彼もルゥ姉に思いを寄せているのははた目から見てても判っている。
きっと誰が見てもそう言うだろう。
お似合いかどうか何て誰に問う事でもない。
彼の思いは理性だけでここまで来たのだ。
そして終わりを告げる。
ルゥ姉がどうこう以前にそれだけの思いを彼は重ねてきたのだ。
きっと彼の元奥さん以上に彼女の生き様は彼には眩しく輝いて見えたのだろう。
最後の日の朝にそんな野暮な事なんて俺も誰も口を挟まず歯を食いしばるクロームをそっと見守るのだった。
朝何て来なければいいのに。
朝が来たら沢山の思いが消滅する。
沢山の命が、願いがここで途絶える。
朝なんて来なければいいのに……
誰もが心の中で願うも無情にも空は白地んでくる。
「では残り一時間後の開戦まで各自準備をお願いします!」
ルーティアが解散を宣言したその頃……
城の外が賑やかだった。
宰相から朝にはハウオルティア王家の生き残りが攻めてくると言っていた。
侍女達が戦装束に着替えさせて下がった所で室内には宰相だけが部屋の隅に控えていた。
窓から城の外を伺えば平野に広がる灯に軍勢はあれっぽっちかと興味を失せて部屋に飾られた肖像画を見上げる。
淡い金の髪にどこまでも澄んだ泉を移す瞳に淡く頬を染めた美しい女性が描かれていた。
うっとりとその肖像画を見上げて膝をつく。
「貴女の息子が成人を迎えて私の前に来るそうです」
目の前にいるかのように語る男は年甲斐もなくうっとりと肖像画を見上げてその顔の輪郭に沿って指を滑らせる。
「ああ、グローリア……
もうすぐだ。
貴女をこの地で復活させよう。
貴女の血を引く息子と我が血を引く娘しか産めない女はきっとこの日の為に……
貴女が生まれ変わる時の為に精霊様が用意して下さったのだ。
そして今度こそ我々は精霊様に祝福されて共に過ごそう」
愛を紡ぐ言葉に背後では宰相がぶるりと身震いしていた。
先代の宰相からハウオルティアに軍を向ける前から狂ってると聞かされていたが、こんな妄想に浸るまでとは何度目にしても寒気を覚えてしまう。
「宰相、あの子が来たら必ず生きて我々の手で保護を。
さぞ怖い思いをしてきたのだろう。
フリュゲールに掴まり無事脱出してきて私は安心したよ」
あの子供がフリュゲールに脱出したと聞いた時は誰もが安堵の溜息を零した。
また10にもならない子供を殺さなくてはいけない事にならずに済んで誰もがほっとしたのだ。
しかもこの狂った我らの王からも守りきる力を持つフリュゲールならかの地で健やかに過ごせるだろうと誰もが口には出さずに良かったと思っていたのにだ。
王族の務めとして戻って来た事に我々がとやかく言える立場ではないが、我らが王がここまで歪んでいるとはついぞ気付かなかった。
「グローディア。
今度こそ幸せになろう」
うっとりとした声で肖像画に指を滑らせて愛撫をする男から目を反らし
「では、迎撃の準備をあの者達に伝えてきます」
「ああ、彼女の復活の為に高い金を払ってるんだ。
ウィスタリアの魔導師達に期待していると伝えておけ」
部屋を辞した先の廊下の窓から白み始めた空を見上げればやがて来る朝に宰相は溜息を零す。
何年もかけてこの地に居た紅蓮の魔女対策の為にウィスタリアから沢山の魔導師達を招く事に費やした費用は数年分の国家予算にもなった。
こんな事に使わずに民の為に使う為の予算をと嘆くも国が残る為の金策すらもうなく、こんな戦い何て早く終わってしまえばいいのにと宰相としてはあるまじきことを願っていた。
民を守れないなら守れるだけの民に減らせばいい。
病にかかる弱き者は魔力の糧となってこの地を守る礎になるといい。
吐き気すら覚える言葉をさらりと口に出す男にこの城にはもはや誰も窘める事の出来る者はいなかった。
そしてウィスタリアから招いた魔導師達はこのような作戦に参加するに当たり当然まっとうな者達ではなく、大金を湯水のように使いながら禁忌の魔法の実験をひたすら繰り返していた。
王都に住む住民の魔力、そして生命力を吸い取りながらブルトランの地の者以外が城壁と言うラインを潜れば死に至る呪文を稼働させて……おびただしいほどの死人がこの地に生まれる事になった。
そう。
ウィスタリアの魔導師達はかつてブルトランから迫害を受けた地図に記載されない周辺国の末裔で、ひどくブルトランに恨みを持つブルトランの血を引く者達だったのだ。
知らなかったとはいえ招いてはいけない者達を招き入れていたとは、もうこの国は滅びるしかないと宰相は枯れ果てた涙の代わりに溜息が零れ落ちるのだった。
ふと影が現れた。
こんな時間にと思えば物陰から現れた幼い兵士達の顔色の悪さと何か言いたげな視線にもっと早く出て行けばよかったもののと思いながらも数枚の金貨を渡す。
「逃げるならウィスタリアだ。
ギルドと言う組織で当面食いつないで生きるのだぞ。
けっしてブルトラン出身という事を口にしてはならん」
そう伝えて背中を押してやれば少年とも言える兵は両目には涙を浮かべ両手でありがたいと言う様に金貨を受けとり、頭を一つ下げて走り去るのを見送るのだった。
あのような子供にも逃げられるとは仕方がない……
この戦いに勝っても負けてもブルトランは滅びるしかないのだから当然と言う物だろう。




