まだ明けぬ冬
新たに手に入れた城塞と言う拠点をカヤのリクエスト通りハウオルティアに戻って来た時の場所、リーナが改めて「エルヴィ」と名付けた村に決めた。
どこにしようか悩んでいた時にちょうど俺がカヤが最初の村がいいと言うのを言った為にならそこにしましょうと、多分疲れていたのだろうルゥ姉はリクエストがあるのならそこにするか的な気軽さで決めてしまっていた。
「適当に決めたわけではないですよ?
ロンサールにも近いし、ロンサールでも見た様に国の中心、王都から被害は広がって行ってます。
国境沿いが安全ってわけではないでしょう。
ただ、ここからならロンサールとウィスタリアにも近いです。
船を持たない我々なので海に逃げても行き場を失ってしまいます。
ロンサールからウィスタリアに逃げる事が出来れば後はどうとでもできます。
さすがのブルトランとは言えども武力を持ってウィスタリアで戦闘するわけにもいかないのですぐに逃げ出せる場所が適所でしょう」
行先さえ決めてしまえば後はここには用はないと言う様に全員を城塞と俺達の家から追い出して、ルゥ姉は収納してしまった……
「まさか2軒とも収納できるとはびっくりですね!」
開き直ったように腰に手を当てた仁王立ちのルゥ姉の後姿にガーネットは涙をちょちょぎらせて笑う横でエンバーはもう何が起きてもおかしくないだろうと言う様に馬に跨り「エルヴィ」に向かうと先頭に立った。
一度城塞を収納しているのを見たハウオルティア組も前回同様反射のように馬に跨ってエンバーの後ろを無言で付いて行くのを俺達は何とも言えない目で見送るも
「ルーティア様、お出迎えも出来ず更にご迷惑おかけしまして申し訳ありません」
「カヤですか。
体調の方は?」
「まだ眩暈がしますが、先ほどガーネット様よりお薬を頂いたので少しずつよくなっております」
何時の間に薬なんて飲んでたんだろうと言うか
「ガーネット、薬でよくなるもんなのか?」
「ちょっと特殊だがその場しのぎにはなるはずだよ」
「ふーん。って言うか、どんな病気か知ってるなら早く言えよ」
戻って来た時よりも顔色が少しだけ良くなっていたカヤの様子にホッとしてしまうも
「病気とはちょっと違うんだけど……
ほら、女の子って体調崩しやすい時期があるんだよ。
栄養不足とか睡眠不足とかいろいろ重なったんだろうねぇ。
リーナも気をつけな。
随分と大所帯になったみたいだからね。
ルーティア達だけの使用人の時のような仕事じゃなくなったんだ。
ちゃんと体を休めないとな?」
よしよしと頭を撫でるガーネットに苦笑いしてしまうカヤと言うどこか微笑ましい光景にリーナも羨ましそうにしているも
「それじゃああたしは一度ロンサールに戻るよ」
「はい。お騒がせいたしました。
近くに引っ越す事になったのでまた何かあればシアーでも使いに走らせるのでよろしくお願いします」
「ああ、たまにはエンバーもよこしておくれ。
せっかくの故郷の側に居るのだからたまには顔を出しなって伝えておいておくれ」
「承りました。
ですが素直に里帰りするでしょうかね?」
「まぁ、素直に帰らない所がエンバーもまだまだガキって言う所だねぇ」
クククと楽しそうに笑うガーネットはカヤの頭をもう一度撫でて
「また薬が手に入ったら持ってくるから、それまではあまり無茶したりしないように」
「ご迷惑おかけします」
不安何て縁のないガーネットだと思っていたが少しだけカヤを見つめてたのちに「じゃあ帰るか」と呟いてロンサールへと走り去るのだった。
「あの、やっぱりガーネット様は走ってお戻りになるのでしょうか?」
「走る事が至上の命だからほっといていいんじゃね?」
あっという間に見えなくなった後姿をリーナを馬に乗せて見送りながら俺達も「エルヴィ」へと向かう事にした。
久し振りのエルヴィ村はへは明け方にも近い時間に到着となった。
ガーネットが通り道だからついでにと警護していた紅緋の方達に朝頃には俺達が来る事を伝えてくれていたのでそれほど大騒ぎにならなくて済んだ。
とりあえず城塞何て巨大な建築物を置くのにシアーがひいひい言いながら地面を平らにするのを見ていたルゥ姉は
「昔とった杵柄と言う物は馬鹿に出来ませんね!」
なんて、馬鹿にしているような誉め方に誰もがシアーを不憫に思う中
「それにしても一年ほどでこんなにも立派な村が出来上がるとは思っても居ませんでした」
収穫の後が残る畑を見回しながら、冬の収穫に向けて小さな苗がすくすくと育っている様子が、虫達によって総てを食い散らかされた村を見ただけに心が安らいでいるのが判ってしまう。
もう少しすれば陽も昇る。
冬の始まりの冷えかけた朝の光景としては穏やかな朝だなと綺麗に整地された畑を見渡しながら流れる小川の水音に癒しを覚える。
しかし背後では城塞に引っ越しして来たばかりの為におっさん共の罵声や怒声のバックミュージックに安らぎ何て消し飛んでしまう。
「一体貴方達は何を騒いでいるのです」
まだ寝ている人も居るのにとルゥ姉が参加すれば瞬時に静かになる城塞の中がどうなっているかなんて詮索してはいけない。
ルゥ姉が居れば何とかなるかとロンサールから持って来た家に俺達は入ってカヤの作る朝ごはんを先に頂く事にした。
既に下準備が整えられていて、後は焼くだけのパン。
既に小さく切られた野菜は温められたスープで火が通るのを待つだけ。
腸詰にされたソーセージも既にボイルしてあって、後はパリッと表面を焼くだけの状態で準備は出来上がっていた。
「これじゃあ、体調悪くなるのも頷けるな」
王都から連れ帰って来た奴らの分も用意してある。
それをカヤとリーナだけで賄っているのだ。
他にも洗濯に掃除、保存してある食糧に管理もある。
どう考えても人数が少なすぎるなと反省するしかない光景に悪いと謝っていしまうのは仕方がないだろう。
「ですが、おかげでリーナの料理が上達しました。
このソーセージもリーナ一人で腸詰したのですよ?」
「うそ?まじ?みんな同じ長さだし破れてもないじゃん」
「ミンチから味付けの行程はカヤがやってくれたので、私はただ腸詰にしただけです」
誉められたのがよほど嬉しいと見えて顔を赤らめて微笑むリーナを可愛いなぁと思いながら「頑張ったね」と俺も笑みで返す。
更に照れて小さくなっていく様に可愛いなぁと心の中で再度確認して行けばコホンとカヤの咳払い。
すみません。
リーナが可愛くってからかっていたわけではないんですと心の中の俺が高速で言い訳をするもカヤには届かず。
カヤは俺を椅子に座らせてお茶を一杯贈呈してくれた。
「朝食は仕上げの段階なのでもう少し待っててください。
今日はずいぶん移動されたのでお疲れでしょう。
ですが、お行儀が悪いかもしれませんが、食事をしてからお休みください。
お腹がすきすぎて寝れないのでは身体も休めれませんからね」
カヤがティーポットにあの梨の凄い甘い奴を詰め、そこに茶葉を入れて熱湯を注いでいた。
ふわっと広がる甘い香りにリーナもつられて笑みを浮かべる。
「折角旬の果物をお持ちいただいたので贅沢にいただきましょう」
紅茶を蒸し、ポットから取り出した実を一切れティーカップに入れてから紅茶を注ぐ。
砂糖もいらないくらいの甘く華やかな香りの紅茶がテーブルに三人分並び
「ちょっと贅沢しちゃいましょう」
そういってカヤが幸せそうに紅茶からあつあつの梨の実を取り出して齧るのを見て俺とリーナも思わず真似してしまう。
まだ朝を迎えてない薄暗い世界。
少し離れた所では絶望に満ちているこの国で、俺達は一見ささやかにも見えるが確かに幸せがまだ残されている事を噛みしめていた。
冬が来た。
ハウオルティアの、この地域の冬がどれぐらいの物かとリーナに聞けば雪はめったに降らず、降ったとしてもうっすらとすぐに溶けてしまう程度にしか積もらないと言っていた。
だけど今目の前でどかどかと降る雪は既に膝辺りまで積もっている。
雪が珍しいのかクレイはエンバーと一緒に馬達と遠乗りに行ってしまうのを微笑ましく見送りながらこの村に住み着いた子供達に雪だるまを作ってあげたり雪をかき集めてかまくらを作って楽しい雪遊びを教えていた、
もちろん大人はここまで冷え込む気温に男共に魚を取りに行かせて大量に塩漬けにしたあと寒風干しにして保存食作りを命じていた。
折角だからと雪室でも作ろうかと地下室を掘って壁一面を氷で囲む。
魔法で穴をあけて草で編んだござモドキを敷き詰めて氷で囲めば後は魔法石要らずの天然冷凍庫の出来上がりだ。
「じゃあ、ここに春先までの保存食を備蓄しておこうか」
「はい。干し肉、塩漬けの魚は木箱の中に詰めて運んでもらってます。
果物や野菜もディック様の指示通りこちらに運んでもらっていますが……」
「ああ、それでいいんだ」
ルゥ姉も懸念するように何故だかこの冬は酷く寒さが厳しいようでハウオルティア自体あまり雪が降らないと言うのにと難しい顔をしていた。
「それにしても雪室と言ったか?
これは便利な施設だな」
クロームも感心して地下のあまり外気温に左右されない中での氷で作った部屋が一定の温度に維持が出来ると言う室内を見回すも四方を2メートルぐらいの厚さで囲ったのだ。
氷を作って切り出して詰めてなんてやってたら何日もかかる所を魔法って便利という一言で終わらしてしまった。
もっとも水魔法から発展させる氷魔法はロンサール人には使えない魔法だろうが、知識として知っていればどこからか氷魔法を使える人物を探し出して作らせればいいだけの話しだ。何も難しい事ではないと知恵を付けさせておく。
「ブルトランでは外に置いておけば氷漬けになったので日の当たらない場所で箱に置いておけば十分でしたよ」
昔を思い出して言葉にする余裕が最近になってできるようになったリーナがブルトランでの暮らしを教えてくれる。
一年の半分以上が雪で閉ざされ、駆け足のように過ぎて行く夏の間に冬の間の食料を言葉の通りかき集めるのだと言う。
主に海の魚と動物の肉が主食だと言う。
魚を綺麗に捌き内臓をすりつぶして海水をまぜた樽に浸けてから干して食べると言う……くさやがこの世界に在るとはちょっと涎が垂れた。
動物の肉も海水に付け込んでから燻製にし、野菜もほとんど海水に付けて保存食にすると言う。
「ブルトランを出るまでずっと食事はしょっぱい物だと思ってました。
フリュゲールに行ってマフィンやスコーンといった物にたっぷりと果物のジャムを乗せたものをごちそうになった事があるのですが、この世界にはなんて美味しい物があるのでしょうって、一心不乱になって食べた事があって今思うとほんと無知で恥ずかしい限りですね」
「まぁ、あの国の食糧事情は豊かだからな。
王様を喜ばす為にみんな色々考えてるから」
「フリュゲール王は皆様に慕われていましたね」
「12歳まで飴すら食べた事が無いって言われたらみんなこぞって甘やかしたくなるのは仕方ないからな……」
耳を疑った話にリーナも面白い冗談だと言う様にくすくす笑うしぐさにやっぱり誰も信じられないよなと微笑ましくこの話を終わらせるも
「所でカヤの状態は?」
「今日はお部屋の方でポタージュを頂きましたが、だんだんガーネット様から頂くお薬も効果が薄くなっているようで……」
「そうか」
食べ終わったポタージュの器を洗って綺麗に拭い、沢山の食器の並ぶ食器棚に片づけていたリーナは悲しそうに目を伏せる。
カヤの顔色はだんだんと悪くなるばかりで目もどこか虚ろとなり、今は一日の大半を寝て過ごしている。
ガーネットが薬を持ってきてくれた後は数日は体調が良いようで伏せていた間に溜まった仕事を一気に片づけていた。
最もそれをよしと思わない者もいる。
アメリア達の仲間をあちらこちらの村に分けても拠点となるこの村には百名に近いほどの大人数なのだ。
カヤの事を知らないロンサール人はもちろんアメリアの仲間もカヤの事をさぼり癖が付いてるとか甘やかされていると陰口を堂々と叩いている。
中には面と向かって陰気な女だと言う者もいる。
悔しそうに唇を噛んで見えない言葉の刃の攻撃に耐えている姿にさすがのルゥ姉もその男をとっつかまえてアメリアやフリーデルもいる場での尋問に二度とそのような言葉を口にはしなくなった物の、陰ではそれ以上に悪意が蔓延るようになった。
「昨日ですが直接寝ているカヤ様のお部屋に文句を言いに来た方が見えて……」
「ルゥ姉に聞いたよ。
カヤも驚いてって奴だろ。
ルゥ姉がアメリアのとこにいる奴ら全員を引き連れて他の村の奴らと一度集合しに行っている。
他の所でもこんな事態を招いてないか確認をしてくるそうだよ」
「まさか雪の中を走って……」
「体力が有り余ってるくらいならちょうどいいだろうってルゥ姉が言ってた」
俺は聞いた話だが昨日みんなが狩りなどをしている時のほぼ無人になるこのロンサールの家のカヤとリーナの部屋にハウオルティアの元騎士の男が数人侵入してきたのだ。
リーナがちょうど洗濯をしていた為にこの家の中はカヤ一人だったと言う狙ったかのような最悪のタイミングだった。
寝ていたカヤの部屋に男が三人。
何をしようとしたのか聞かなくても判る答えだ。
違ったとしても言い訳の出来ない状況にいきなり男達に抑え込まれて驚いて目を覚ましたカヤはルゥ姉の戦闘要員として認定される力を弱った体で発揮した結果、家を半壊すると言う騒動にまでなってしまったのだ。
さすがにそこまでの騒動になれば城塞に詰めていたクロームを始めフリーデル達も慌てて駆けつけて来れば朦朧としたままでも攻撃態勢に入っているカヤと瓦礫に埋もれて意識を失っていた三人の姿にはまだ未遂である事は見れば承知なのだが、あってはならない状況にフリーデルを始めとしたアメリア一行は言い訳も許されずルゥ姉の怒りをただただ受ける事になった。
ちなみにカヤはそれから倒れて長い間目を覚まさなかったがリーナの説明の通り今は何とか食事ができるようになった。
但し、食べて疲れたのかもう寝てしまったと言っていたが。
因みに今はシルバーがベッドの片隅で見張り番をしている。
小さくても妖精だ。
魔力は人間よりも高く、そしてカヤを守る為の知能ぐらいは十分にある。
更に今はミュリエルとベーチェが交代交代で看病に当たっている。
異形の二体とこんな事態、そしてカヤの持つ戦闘能力に誰もが口を閉ざしているも、のど元過ぎればまた誰かを生贄にして鬱憤を晴らさなくてはいけない状況となのだろう。
分厚い雲が太陽を遮って雪を降らす事何日目になるか覚えてない。
雪が溶けては積もってと言う繰り返し。
温暖なハウオルティアでは十分に寒いと言える気候に体調を悪くする者は数少なくなく、気分的にみんなが口を閉ざすようになっていた。
晴れた空すら随分と長い事を見ていなくて陰鬱となってしまう。
俺達の心の中を表すようなじめじめとした空気は積もり積もる鬱憤のはけ口は何処か何かへと向けられてしまうのは間違ってるけどどうしようもない物だ。
弱い物から狙われてしまうのも弱肉強食の世界では仕方のない順位で、弱っていて、それでこの集団のトップに立つルゥ姉に大事大事とされていたカヤが狙われると言う……嫉妬もどれだけ目を光らせていても守る事の出来ない見えない攻撃で見えない傷を彼女の奥深い場所を抉って行く。
「リーナ、早く春が来ないかな」
思わずぽつりとつぶやいてしまう言葉。
きっとこの分厚い雲も晴れて、からりとした風が花と新緑の匂いを運んでくるのだろう。
だけどリーナは俺の片腕にしがみついて涙を一つ零していた。
「私はずっと冬が続けばいいと思ってます。
春が来なければ、春が来たらディック様は……」
勝てる見込みのないブルトラン王との戦いに投じなくてはいけない。
負ければ確実に殺されるのは決まっていて、敵の王の娘はそんな時が来なければいいのにと俺にしがみついて泣いていくれた。
出会った時はお互いこの出自に警戒するような距離感で、人の恐ろしさに怯えていた少女は人の顔色を窺い息を潜める様に生きていたけど、いつの間にかこんなにも感情をさらけ出せるようになり、人の温もりに触れる事も覚えたいた。
震える肩を両手で抱きしめて、このような優しい少女に成長できたのはカヤが日々沢山の事を教え、そして学び、一年を通してカヤの代理さえ任せられるほどに成長した努力は間違いなくリーナの努力なのだろう。
腕の中でカヤを、そして俺を思って涙を流す少女を愛おしいと思う。
それはまだ特別とかそう言うのではなくて、ただただその純粋な心が愛おしくて。
その内ただ一人のになるのかなとぼんやりと思うも俺にはアメリアが居て、その前に生き残る事が前提で。
リーナを抱きしめて改めて思う。
「もう少し、せめてこの夏を迎える事が出来ればいいな」
春から夏の間まで生き延びる事が出来ればやり残した事が無くなる程度の時間にはなるだろう。
「夏ぐらいまで、もう少し生きていたい……」
リーナの肩が驚きに震える。
「もう死にたくない」
ユキトが死んだ記憶は何時までも鮮明なままで、あの死の苦しさをまた体験するのかと思うとリーナに強くしがみついて、情けないまでの恐怖に歪む泣き顔何て見せる事なんてできなくて。
「死ぬのが怖いんだ……」
ポロリと出た言葉はきっと……
俺の心の底に沈めて向かい合わず他人事のように誤魔化してきた本音なのだろう。
俺をなぐさめるように背中に回されたリーナの暖かい腕の中で俺はただ彼女にしがみつくようにして泣き続けていた。