今に続く昔の話
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その日グローリアは父である王の下に足を運んでいた。
マルクを産んでから6年ぶりに懐妊した事を自ら報告に来たのだ。
初めての時はただただ初めての事に流されるまま出産となり、そして休む間もなく二男の出産となった。
あまりに続いたために身体を休めるように、そして側室の妹が亡くなった事もあり正妃でもある母からの言葉にグローリアは身を慎むようにしたのだが、やはり愛しい人へと総てを捨てて身を投じたのだ。
6年何もなかった方が不思議なくらいで、一途なグローリアはただただ夫との愛を求めていた。
そうなれば当然の結果が生まれ、兄アウアロスの所にも二番目の息子と同じ年の男児がいる事もあって、ただただ楽しい日々を過ごしていた。
そんな時に城で懐かしい顔を見た。
すぐには名前は出てこなかったものの、上等な服を纏う男の胸に着いた徽章がブルトランの王族である事を思い出した。
既に公爵夫人となったグローリアはかつての家だった城の中だが相手は隣国の王子。
壁際により、通り過ぎる間頭を下げるのだが、目の前をただ通り過ぎるはずだった男はグローリアの前で足を止めた。
その瞬間空気が騒いだのが分かった。
ちらりと視線だけを横へと向ければ、案内役の騎士が戸惑ったように狼狽えてる。
一緒に行動していただろう城の者も、そして彼の付き人だろう人物も狼狽えていた。
とてもまずい状況に居る事を悟った彼女は一度身を起こし、再度目の前の人物を見て淑女の礼をとる。
「どうぞ私からお声をおかけする事をお許しください」
「許す」
「お久しぶりであります。殿下と我が妹との婚姻の儀の折には王家を下った私には遠いこの地よりお祝いを申す事しか出来ぬ身、どうぞお許しを。
そして、再びの再会心よりお喜び申し上げます」
常套句としてはよくある言葉だった。
周囲の呼吸さえも消えてしまったこの回廊で時さえも止まった気がする周囲とは別にアデル王子は小首をかしげる。
「よければ久しぶりの再会。どこか少しお話が出来ればよろしいのですが」
話も何もないが、そう申しだされてはかつての住人としてこの近場ので休める場所をすぐに思い浮かべる。
「ではあちらに。水路を駆使した庭がありますの」
「水路とは、面白い」
グローリアは迷いなく水路の庭園へと案内をした。
浅い水路が幾何学模様を描き、いくつものオベリスクが橋のように渡り、その中はどこも休憩の場としてベンチが用意してある。
季節がら花が咲き乱れ、少し暖かくなり出した季節から心地よさが満たしている。
「これは面白い」
「夏場になれば噴水を動かして涼を求めるに丁度良い場所にもなります」
「我が城にはない優雅さだな」
「国ごとに趣は違う良さがあります。ですが、お気に召されたのなら真似する事は悪い事ではありません」
「では、これよりもすばらしい水の庭園が出来た時にはブルトランに来て下さりますか?
我が妃として。正妃として迎え入れましょう」
膝を折り、右の手を掬ってブルトランの王子アデルはグローリアを見上げる。
それが意味する事はただ一つ。
だけどグローリアは既に夫を持つ身。
それが正当な申し出とは受けいる事が出来ずに
「そのようなお戯れを軽々しく口に出してはいけません」
そう言ってただ微笑むだけでアデルの言葉を正面から受け止めようともしない。
それどころか
「すでに子供も二人産んだ身。さらにこの身には新たな命が宿っています。
まだ一人身の時ならいざ知らず、他国のしかも貴族の子を持つ夫人となれば国の民が許すはずがございません。
お考え直しを」
その言葉をぴしりと言ったグローリアだったが、その表情は小さな子供を窘める母の顔。
言葉がどこまでも届かない事を知ったアデルの瞳が凍り付いた事にも気づかないでいた。
「それでは私は陛下との約束がございますのでこれで」
優雅に淑女の礼をとり何事もなく去っていく後姿をアデルは護衛が迎えに来るまでひたすら立ちすくんでいた。
それからアデルは王子としての責務をたんたんと果たして国へと帰って行った。
だけどそこからは人が変わったようになったと側近達は言う。
今まで見向きをしなかった側室や自分の娘達に近づいては教養を叩きこんでいった。
そして精力的に側室とも関係を持ち、子供を生していく事になった。
産まれるのが女児ばかりでも悲観せず、分け隔てなく淑女としてだけではなく知識高く、そして美しくある事を要求した。
時には厳しい食事節制を誓約したり、女児に必要なのかというくらい各国の習慣から、文化なども学ばせた。
あまり魔力値の高い国民ではないものの、他国から教師を招き、一般的に使われる魔術さえ教養の一環として学ばせ、さらに武芸にも叩き込む、それはもう少女の身では悲鳴を上げるほどの容赦なさだった。
そんな彼女達に待ち受けるのは他国よりも早いブルトランの成人する12の年に各国へと嫁ぐ事だった。
母親達はまだ早いのではないかと涙ながらに訴えるが
「娘達にはもうこの国で学ぶものはないだろう。
他国に渡り、その才覚を伸ばしつつ、異文化に肌で触れる事こそ一番の勉強にもなる。
それにすでに成人したのだ。自ら見聞を広め、民の役に立ってこそ王族の務め。
すでにその能力は備わっている。何の問題があろう?」
優しく、とうとうと諭されては反論が出来ない。
反論してもし万が一、かつての恐ろしい暴君へと戻ってしまったらと考え着いてしまえば、娘達を他国へとさし出す事しか出来なかった。
まだ幼いと言ってもいい娘達を周辺各国の大国なら一領地ほどの小さな国から、そして大国でも側室へ、もしくは有力貴族へと次々に嫁がせていった。
ハウオルティア国を除いて。
国の重鎮はもちろん側室も、そして父である王さえアデルのやろうとする事に気が付いた時はすでに遅すぎた。
だけど誰もがもうそれを止める事は出来ず、後にも引く事も出来なかった。
今はただただ悪意の種が実るまでを待つのみ。
ブルトラン国は自然がとても厳しい国なのだ。
12歳で成人と言う早すぎる年齢も、その年までどれだけの子供が生き延びれるかという環境の中、いち早く子を生し、そして労働力として一人前に迎え入れてもらう為の物。
そして老いた体にも自然は厳しく、この大陸でも有数な短命国であるのは各国も承知だった。
そんな環境下で山脈一つ隣の国は自然豊かな常春の国なのだから、この国に生まれた事を呪う者も数少なくない。
誰もが少しでも住みやすい国を求めるのは仕方がなく、みなアデルの企みに目を瞑る。苦言は飲み込み、策は気づかない振りして協力をする。
そして、ハウオルティア国がこの異様な状況に気づいた時はアデルとグローリアの再会から3年も過ぎていた。
気が付けばハウオルティア国の周辺国家は総てブルトラン国と婚姻関係が結ばれていた。
それは2重に3重に。
国を挙げての大事業だと言っても構わないほどの金をかけて娘達に華やかな持参金を持たせて送り出せば各国も目の色を変えて娘達を受け入れたと言う。
自然環境の厳しいブルトラン国が大国で居られる理由の一番に莫大な金の鉱脈を保有しているのが一番の理由だからだ。
『ブルトランの王、これはどう言う事か』
『ハウオルティアの王、私は王位を息子に継ぐ事にした』
書簡のやり取りをするにも時すでに遅く、それどころか対話は一方的に打ち切られ、王位継承式の式典の合間にハウオルティア王は事の顛末を聞く事になる。
「この度は無事の王位継承おめでとうございます」
「これはハウオルティア王、祝辞ありがとうございます」
若く逞しい王と人払いした一室でハウオルティア王は年上の余裕で笑みを作り
「ですが、この度の一件、私から見れば随分と穏やかではない事をしてくださった」
「そうですか?私から言えばこの15年慟哭の日々でした」
視線を外し、バルコニーから見える中庭を一望する場へと案内する。
目の前に広がるのは石畳と水路に噴水、東屋とこの寒い国でも咲く木々や花がこの良き日に会わせて咲き乱れいた。
「見事だ…」
「かつてグローリア様にハウオルティア城の自慢の庭を案内していただき、その優雅さに真似をさせていただきました」
小さな苦笑はその時を懐かしむように目を細めて柔らかく笑うも
「グローリア様に婚約を申し出てのあの仕打ち、我が国はグローリア様に嫁いでいただく為にすぐ準備をいたしておりました」
バルコニーから続く離れは王宮の一部でありながらもう一つの城が建っているかのような贅を尽くした屋敷があった。
水路の通路を渡り足を運べば大理石の床、そして壁、天井には美しいまでの幾何学模様のブルトラン織がタイル画のように張り巡らされていた。
柱には眩いばかりの金箔だろうか。そん大陸随一の加工技術を持って貼り合わさっており、色とりどりのステンドグラスは繊細なカーブを描く、女性好みの花々が常春のごとく咲き乱れていた。
さすがにこれを見させられてはハウオルティア王も絶句する。
この準備は娘と出会ってから用意された物ではないだろう。
出会う前より既にグローリアの為に準備されていた事を叩き付けられたと同然だ。
このように準備されていた、しかもハウオルティア国としてもブルトラン国へ嫁ぐ予定だった娘の過ちの大きさに膝どころか手までつき、早くなる心臓の鼓動にただ耐えて見せるだけ。
鏡のように磨き上げられた大理石がブルトランの王の顔を映す。
酷く冷酷な、そして無感情な顔。
人は怒りを極めるとこんな表情になるのかと言う顔にゆっくりと首を上げる。
「私は恥を忍び、6年前にハウオルティア城にて偶然再会した折にも再度はしたなくもこの思いを告げさせていただきましたが、なのに彼女は考えるそぶりも見せずに戯れと言う!
9年の再会の合間に幾人も側室をとらなければならない私の身、そして生まれるは王位の継承できない娘ばかり!
揚句この心を笑い飛し、私の言葉に耳もかけず、王家に生まれた責務を果たさない王女に打ち砕かれた王位後継者のプライドとブルトランのすべての国民の悲しみ…
ハウオルティア国には清算していただく。
継承式典終わり次第ブルトラン国はハウオルティア国に進軍いたす。
もしこの戦争を回避したいのならば、ただ一つ。
グローリアを我が妃に。正妃として迎えさせていただく所存に在ります」
狂気に支配された顔にハウオルティア王はついに項垂れた。
「国に戻り次第準備を…」
「戦争の準備、もしくは輿入れの準備、こちらは既にどちらの準備もできてます。
もう長く待つ事はないでしょうが、王ならば民のための政策を私はお勧めいたしましょう」
その言葉を最後にブルトラン新王は贅を尽くしたグローリアの為の檻から去っていき、ハウオルティア王も、幽鬼のような足取りで臣下と合流し、まだまだ続く宴と祭典に挑む事なくどの国よりも早くブルトラン国を後にしてハウオルティア国に戻る事になった。
それを聞いた宰相、最上級官僚達は言葉を失い、すぐにグローリアの召喚をした。
しかしグローリアの答えはただ一つ。
「私は私ただ一人の物。どれだけの命と引き換えられようと私の心は生涯変る事はありません。
もし強引にでもそのような事があれば私はこの命捨てる覚悟に所存致します」
この言葉に宰相の地位を継いでいたグローリアの夫でもあるガウディは絶句した。
「あの時私と出会わなければ…」
「いや、グローリアをお前に託した非は私にある」
最上級官僚の中で国の運営を学んでいたハウオルティア王子のアウアロスも涙を流す。
誰もが分かっている。
悪意の欠片はどこにもない事を。
偶然のいたずらがただ国を滅ぼす方へと賽を投げただけに過ぎない事を。
人の思いがただただ強すぎた事。
そして用意されていた唯一回避の道は当人のグローリアが拒絶している。
その重苦しい空気の中、王は決断する。
「戦争の準備を。そしてアウアロス、この戦争の責任は私がとる。
お前が王位を継げ。
そしてこの命。戦争の道具として使うと良い」
静かに立ち上がり、王は1人、王妃と側室の待つ部屋へと戻って行った。
「じゃ、じゃあ、サファイアも戦争に行ったの?」
とんでもない物語に思わず身をのり出してサファイアの顔を覗きこめば
「当然の事です。紅蓮の魔女と名を頂いた以上、戦場に魔法使いを連れて奇襲作戦はもちろん後方支援を行います」
何処か疲れたような笑みを零すも周囲は窓の外に取り付けられたカンテラのわずかな明かりのみ。
分厚い雲が覆った空の中では月や星の加護はどこにもない。
うすら明るい馬車の中で隣に座るサファイアの体温を感じる距離のかな疑問は尽きる事はない。
「でも、どうしてそんなにも詳しいの?」
当然の疑問に
「それは簡単です。エレミヤ公がグローリア様にお聞きした事、前陛下にお聞きした事を父に語ってくれたからです」
「じゃあ、なんで今俺達は領地に…」
「貴方は自分の価値を全く理解してないのですね」
疲れたようにため息を一つ吐き出す。
「貴方はこの国の王の血に繋ぐ唯一の未成年者です。
この国の法はもちろんブルトラン国の法の下でもたった一人のハウオルティア王位の継承権を持つ方」
「ちょっと待ってよ。その言い方って…」
「きっと明日か明後日にもブルトラン王はハウオルティア城にやってまいりましょう。
そこで王族はもちろん、それにつながる公爵家一族を総て根絶やしにすると言ってます」
「な…」
「残念な事に王族には未婚の女性はいません。
そして公爵家にも未婚の女性は居ません」
家督継承権のある血筋は総て皆殺しにして戦争の終焉となります。
「ち、父上、母上…兄様…」
馬車の窓越しに来た道を振り向く。
既に暗闇に閉ざされた景色はいつの間にか森に入っていて、どこにも名残はない。
「この大陸のどの国にも唯一通じる法があります。
いかなる事があっても未成年の子供の命を奪う事をゆるさず、と。
ブルトランの王がどこまで非合法的な手を使うかは判りませんが…
私は小父様に誓いました。
この力の限りリーディック様をお守りし、必ず復興の足掛かりに、この尊き血を繋げましょうと」
「意味わかんないよ!
俺一人生き残って何が…」
思わず胸ぐらをつかんでそんな血の上に何があるんだと聞くも
「あなた一人生き残っても何もできないでしょう。
ですが、せめてあのブルトランの王に私の愛する者達が暮らしていたハウオルティアをを蹂躙した罪、叩き付けたいだけかもしれません」
無力で王の目の前に立つ事もできないかも知れないけど。と、一筋の涙を流して目を瞑る。
「少し休ませてください。
朝には馬車を変えてエレミヤ領へと休みなく移動します」
言って数回の呼吸の後にそれは寝息に代わる。
俺はと言うと今聞いた話に頭の中はパニックになり、眠る事が出来そうもない。
ただ一つ理解できたのは…屋敷の中に閉じ込められたこの9年間。
存在は知られど顔は知られず、公爵家の子供からほど遠い態度の悪さ。
市井に紛れればすぐにその存在は隠れてしまう朧気な存在。
「これが唯一の生き延びる方法だなんて、酷過ぎるよ」
誰に訴えればいいのかわからないけど口に出さずにはいられない言葉と共に誰にも知られないように涙を流した。