長い昔話
サファイアの昔話になります。
リックの出番はありません。
ハウオルティア国とブルトラン公国はどちらも小さいながら強大な隣国ウェスタリア国とプリスティア国に消されないように協力し合っていた同盟国と言っても間違いはない。
そのせいかお互いの国は長い間持ちつ持たれつの関係だったのだが、その年、この関係に歪みを作る原因が生まれた。
グローリア・マーベル・グランデ・ハウオルティア
ハウオルティア王の二番目の子供にして唯一の女児がこの日16歳の誕生日を迎え、各国にお披露目となる事になった。
淡い金の髪にどこまでも澄んだ泉を映す瞳。
すらりとした鼻梁の先にチョンと落ちた小さく薄い唇。
淡雪のような白い肌に淡く頬を染め、煌くティアラをその結い上げた髪の上に載せて次期国王となる兄の手に引かれて姿を現した。
その姿を見た各国の王子や貴族の息子達を虜にするには一瞬で十分だった。
今にも手折れそうな細い姿態に、アンバランスなまでのふくよかな胸元。
胸元から首まではレースで隠れているものの、薄いレースから透かして見える肌色はそれが実物である事を証明するには十分なほどの説得力を物語る。
首から下は一切の肌は見せてないのに齢16にしてその色気は綻び始めた蕾そのもので、男達の探究心をくすぐるには十分すぎる美貌だった。
始めに兄とダンスを踊れば貴族の娘達が悔しそうに城を後にする。
今まで一切公式の場にすら出てこなかった姫がどれほどの物かとからかい半分でやって来たのもあるが、比べるも失礼な結果に逃げるように退散していった。
各国の王子のダンスの申し込みを次々に受け入れてその教養の高さと交わした会話の心地よさにそのまま婚約の申し込みまでする始末に宮中の宝石はただ曖昧に頬笑むだけだった。
その中に同盟国と言っても差しさわりのないブルトラン公国の次期国王が居た。
グローリアより2つ年上の青年だった。
「こうしてお会いす日を楽しみに待っていました」
「初めましてお目にかかりますブルトラン殿下。お噂は父や兄から伺ってます」
鈴を転がすような声がその小鳥の様な唇から零れ落ちた瞬間恋に落ちたと言っても間違いはないだろう。
「どうかアデルとお呼びください」
「では私の事はリアと」
ワルツを踊りながらの会話はまだ若いブルトランの王子には難易度が高く、夢心地に浸って終わりとなったが、彼も例外なく膝まづいてグローリアの手の甲に口づけを落し、
「どうか我が妃に迎え行くことをお許しください」
「父に相談する時間をお与えください」
吟味して何れ答えを送ると言う常套句だったが、恋は盲目。
若いブルトランの王子はそれが了承の返事だと受け取ったのだ。
若さと言う過ちと、世間知らずと言う無知が犯した崩壊の亀裂がここに刻み込まれた事をまだ誰もが気付いていなかった。
それからお披露目は順当に各国の王子へと回り、そして一人の男がダンスの申し込みを申し出ていた。
正直疲れていたグローリアだが、
「お初目にかかります。ガウディ・エストラル・エレミヤと申します」
その名前には聞き覚えがあった。
差し出された手を取り
「エレミヤ公爵家の方ですね。兄から何度もお話を伺った事があります」
疲れたが初めて知った名前の人物に出会ったのだ。
好奇心も手伝い数ある貴族の中からの唯一の手を取ったのだった。
緩やかな調べと共にゆったりと足を運ぶ。
疲れているだろうグローリアに合わせてのダンスだった。
それにちらりと視線を上げれば茶色交じりの明るい金の髪と新緑を思い出すようなさわやかな瞳と視線がぶつかり、初めて視線を反らすと言う行動に出た。
どんな国の王子にすら微笑んで返せたのにと思うも、どうもこの人の前では調子が良くないと思う反面
「私もロスからグローリア王女の話をいつもお伺いしております」
王子や殿下と呼ばれる兄を愛称で呼ぶ目の前の男の言葉に弾かれたように視線は上がる。
「不器用ながらあいつは王女の事を可愛くって仕方がないようで、顔を合わすたびに自慢して下さる。
やっと自慢の妹君にお会いできて僥倖だ」
晴れ晴れとした顔で言う男に
「よろしければリアと呼んでくださいませ」
「では私の事はどうぞお好きに」
ガウディと言う愛称は一体どう略せば…と考えた所で彼の片眉が器用にもひょいと上がる。
「正直な話、どうもこの名前は略しようがないと友人の間では不評なので」
そんな言葉についに吹き出してしまう。
はしたないと思われようが構わない。
「酷い方。でしたらディ様とお呼びさせて下さいませ」
「おお、人生初の愛称。どうか貴女だけの名前で居させてください」
「ふふ、可笑しな方」
「なんせ、これでもロスの友人を務めるぐらいなので」
「ふふふふふふ」
そこからはもう笑いが止まらず会話にならなかった。
だけどグローリアにとってはこれが生涯の宝となる出会いとなった。
初めての社交でこれが恋心と気づかずに初恋に落ち、夢のような時間はこの後どれだけ時間が過ぎようと色あせる事のない思い出へと変わっていく。
だけど時間は無常で、短いダンスの時間が終わりを告げればガウディは紳士の礼をとってダンスの終了を告げる。
良ければもう一度と思った瞬間ガウディが手を差し伸べるから思わず手に取ってしまうが
「申し訳ありません。殿下よりご案内する役を承っていますので」
周囲の男達の嫉妬の視線を背中で受け止めるも、ガウディは私の手を取り兄や父、母のいる玉座の近くまでエスコートをしてくれた。
そして兄に私を運んで、今度こそ彼はその場を退場した。
「ディ様今宵は楽しゅうございました」
驚いたように足を止め、貴族の礼をとり「ありがたき幸せ」と誰もが口にする返事に少し口を尖らせてしまうが
「ガウディにディね。我が妹の目に留まるとは…兄として友としても許すまじ」
「兄上、少々妹離れをしてくださいませ」
「そんな、父上、母上、リアが急に冷たくなりました」
「仕方がありませんわ。今宵私も16になり大人の仲間入りしましたのよ」
そんな兄妹のやり取りに王と言えども父の顔に戻る。
「アウアロスも少し大人になれ」
そんな妹びいきの父に王子と言えども泣きまねを披露して周囲の笑いを買うのだった。
それからが変化の時だった。
この頃まだ城勤めをしていたガウディは若くしてそれなりの地位につき、城内に個室を頂くほどの身分になっていた。
父が宰相でいずれその地位を継ぐのだからと幼い頃よりの勉学は16歳の社交界にデビューするまでには一通り終わらせていて、既に領地運営にすら指揮する才覚を表していた。
それから数年をかけて父親と仕事内容を入れ替えるようにして受け継いでいくはずなのだが、勤勉だったガウディは20歳にしていつでも宰相の地位を引き受けられるように資料を頭に叩き込み、貴族の派閥を組み上げていた。
後は嫁取りぐらいしか隙のないガウディだったが、これだけの出来た人物だ。
候補は山のようにあり、下手に婚約者を作って問題が後に発生するくらいならば作らなければいいと言う方針の為、ガウディの周りには常に色とりどりの花が咲き乱れていた。
だが本人には全く興味が持てず、学生以来の友人でもあるアウアロス王子と未来を語る方がよっぽど性に合っていた。
そんな勤勉なガウディが徹夜明けで城内の個室へと戻った所に居た薄絹を纏う少女を幻かと思ってドアを閉めて自分の部屋か確かめるのは仕方がないと言う物だった。
だが記憶の通りそこは自分の私室で、もう一度開けた扉の先は記憶の通り、私物であふれかえっていたのだから不思議でしょうがない。
「ここで質問です。なぜリア王女がここに居るのでしょう?」
自分自答の為に言葉を口に出して問うたのだが答えは目の前の王女が差し出してくれた。
「私がディの妻となる為に既成事実を作りに参りましたから」
思わずと言うか慌てて部屋から出ようとするも、既にリアに引っ張られて部屋にあるベットへと引き込まれる羽目になった。
何故に?!
それだけの言葉がパニックの頭に中に木霊するが、状況と言うのは良くなる事の方が少ない。
「ガウディすまないがお前の知恵を貸してくれ。
内密な話であまりよろしくない話なのだが、リアが昨晩部屋に戻らなかった…」
「……」
「あら、お兄様おはようございます」
「……」
ベットに横たわる一組の男女と言う組み合わせに聞く方が野暮である。
「ガウディ、死んで詫びるつもりか?」
「お兄様何をおっしゃるの?自分の義弟に死ねとはあまりにも酷い言いぐさですわ」
「ガウディ、頼むから言い訳してくれ」
「ロス、彼女がお前の妹だと痛感した」
「リアは言い訳はあるか?」
「私が一晩部屋に戻らなかったのが総てを物語りましょう」
「……」
その後幽鬼のように部屋を後にしたアウアロスが両親へと総てを報告して、事実はどうあれ、一国の王女が男と内容はどうあれ寝所を共にしたなどと他国に言い訳をする前に婚約を決定してしまったのは仕方ないと言う物だろう。
それから瞬く間に国を挙げての結婚式が執り行われた。
盛り上がる国民とは別に各国の来賓はどの顔もしかめっ面だ。
王女と言えば国同士を繋ぐ架け渡しの存在なのに、あれだけ大々的に披露した挙句自国の宰相の下へと下ると言う馬鹿にするのもほどほどにしてくれと言う話なのだ。
揚句に婚約を申し出ては期待させる言葉で返した挙句、返事だと思って届いた手紙には結婚式への招待状だったと言う、これで怒らない国がないわけがない。
特にグローリアの結婚先は各国でも話題の種となった。
一番候補が同盟国と言ってもいいブルトラン国のアデル王子だ。
年齢も釣り合うし、長い歴史と言うハウオルティア国と強い繋がりもある。
もしくは隣国の大陸最強国ウィスタリア国。
王とは少し年齢差があるものの、側室として迎えられればウィスタリア国の庇護のもとに入る事が出来る。
あまり裕福な国ではないブルトラン国と仲良くする必要がなくなると言う、いわば国勢が大きく変わるかもしれないとどの国も読んでいたのだが、まさか貴族に下るとは誰もが想像しなかった話だった。
なので結婚式ではやはりハウオルティアは身を切り裂かれても娘を手放したくなかったのだなと言われたい放題だったが、それでも純白のドレスに身を包んだグローリアを見ては誰もが悔し涙を流したのはご愛嬌だ。
それから一年もたてば各国に彼女が男の子を産んだと言う話が飛び交う。
男の子を産む王女と聞いてまた悔し涙を流す国もあったがアデルは違った。
「私の花嫁が、私の息子が穢される…」
アデル王子の懸想は留まる事を知らなかった。
翌年グローリアとは腹違いの妹がアデル王子の下へと嫁いでいく事になったが、その美貌は美しくあれどグローリアとは比べようもなく、いまだに最愛の妻にするつもりでいる王子にとって彼女はただただ邪魔になる存在でしかない。
彼女を離宮に住まわせ長く雪に閉ざされる冬のブルトラン国で一人と彼女が連れてきた世話人だけで過ごす事になった彼女は春を待たずに近くの池に身を投じたと言う。
もっとも風邪を拗らせたと言うのが公式発表だが、この悲しい話にブルトラン国はみな口を閉ざした。
それからグローリアは二人目の子供を産み、それがまた男児で在った為にハウオルティア国は祝福に満ち、兄のアウアロスの結婚もその同じ年に隣国のアズライン国の第一王女を正妃として迎え入れた。
ブルトラン国と同じくらい裕福ではない国だが、海路を確保するための中継の港を確保できる国である。
妖精の住む国と言われるフリュゼール国への足掛かりとして結びつきは強くありたい国の一つだ。
そこでもアデル王子は杯を床に叩き付ける。
「なぜアズライン国の王女と同じ年の我が妹を正妃にしなかったのだ!」
と、こうなると事あるごとに比べるようになったアデルにブルトラン王は各国の姫を強引に嫁がせた。
その数5人の、それは美姫と言うにふさわしい美しい少女達が我先にと精悍な顔立ちのアデルの気を引こうと甘えすり寄り、やがて子供が生まれるも
「なぜわが国には男の子共が産まれぬのか!」
それは精力的に後継者を残すと言う一番の仕事に毎夜と励むも、生まれてくるのは女児ばかり。
王宮は悲しみであふれ、国民は誰もが見えぬところで馬鹿にする。
誰よりも賢く誇り高き王の子は男児を作る事を知らない、と。
やがて落胆に明け暮れた王女達は国へと戻され、新たに姫を迎え入れるも生まれるのは女児ばかり。
「これもハウオルティア国の嫌がらせだろうか」
この頃になるともう誰もアデル王子を窘める事が出来なくなっていた。
法律を律し、優しさと、強さを兼ね備えたかつての王子はいつの間にか暴君と呼ばれ、女官はその荒々しい態度に怯え、官僚達は話し合いにならない一方的な勅命にこの国が長くないと誰もが察していたのだった。
グローリアがエレミヤ公爵家に下って8年が過ぎ、運命は偶然と言ういたずらを持って二人を再会させることになった。
まだまだ昔話続きます。