悪夢の始まる夜
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鞄に荷物を詰め込む。
着替えや身の回りのものは既にエレミヤ領の屋敷に準備してあると言う。
身一つで来いという事なのだが、この王都の屋敷から持っていきたい物はそれなりにある。
この世界に来て半年ほどの時間が過ぎた。
その間に使用人達も何人も変わり、その間に身近に接した者達とはそれなりの交流が出来た。
その時の別れの品ではないが、刺繍が得意だと言った彼女に餞別でレースの付いたシルクの高級ハンカチを渡せば、庶民が良く使っている普通の真っ白のハンカチに刺繍を施したハンカチが帰ってきた時もあった。
よく本を読んでいた俺とよく本談義をした彼女はあると便利だと言ってくれた手作りの栞をくれたり。
持参金が溜り嫁ぐ事になったと言う娘に俺からの祝いの品だと俺の宝石箱に在った宝石のついたブローチを彼女の目の前で留め具をわざと壊して渡せば涙を流しながらお礼にと言ってくれたのは透明な原石のままの無骨な石を付けた手作りの首飾りを別れの日に用意してくれた。
食いしん坊だった彼女には俺でも作れる簡単な甘い菓子のレシピを綴った手作りの料理本を渡せば、それを作って見せてくれた時のリボンだったり。
外国にだが教師の仕事を見つけたと言った彼女に作ってあげた俺特製の羽ペンに涙を流した彼女は何を思いついたのか手作りらしい魔導書の本を一冊くれた。
『楽しい基礎魔法・中級編』
思いっきり脱力したくなるタイトルだった。
手渡してくれたとき少々テレの混じった彼女の顔を思い浮かべればこの本が彼女の手作り・・・たぶん俺があげた羽ペンで作ってくれた事をなんとなく察する。
「坊ちゃまはお隠しのようですが、私のように魔法に興味のある物には坊ちゃまがこの所温室で魔法の訓練して居る事ぐらい気付いています」
顔を隠して苦笑交じりの告白に思わず無言になってしまうが
旦那様方やこちらでご奉仕されてる使用人の方々はあまり魔法に興味をお持ちで無い為にお気づきではないようですが…と言葉を濁しながら彼女は柔らかく微笑む。
「坊ちゃまにお仕えする時、周囲から伝え聞く噂とはずいぶん違って大変驚き、短いながらも大変楽しく務めさせていただきました。
今は何かとつらい時期ですが、学問は荷物にはなりません。
これからの坊ちゃまにはひょっとしたらお役立ちするかも知れませんが…
よろしければ生涯の友としてこの荷物をお連れ下さい」
優雅に会釈する彼女はサファイアと同じ男爵家の娘。
察しの良い人だと事の顛末をサファイアに伝えれば彼女はその手作りの魔導書を読む。
閉じて一言。
「素人作りにしてはなかなかの読みごたえがあるではありませんか。
この本を中心にリックの魔法を鍛えて行きましょう」
珍しく非難する事なく本棚へと並べられることになった本を取出し手荷物の一つにしまう。
半年ほどの合間に5回も俺付の使用人が変わると言う異常事態だったが、サファイアは俺が持っていく荷物の中身を眺めながら緩やかに口元に弧を描く。
「いい思い出が詰まってますね」
マルク兄さんが祭りの屋台で買ったと言う土産の短剣にハウゼル兄さにねだったこの間の誕生日プレゼントの魔法の杖。父上からは肌身離さないようにとエレミヤ家の紋章の付いた指輪に母上からは宝石がジャラジャラとついたブレスレット。
うん。
これ一番いらないんじゃない?
そう思うもサファイアはお小遣い代わりになるからちゃんとお持ちなさいと言う。
他にも色々あるがサファイアが吟味しているものいらない物を選別してしまう。
主にエレミヤ家の紋章の付いたものとか。
紋章の付いた物はいい物があって使い易いのにとサファイアに訴えるように睨めば
「いずれ邪魔になります。
叔父様に頂いた指輪一つで十分です」
言って彼女は見事鞄一つのみに俺の荷物を纏め上げてしまった。
「さて、次は温室を閉めなければ」
鞄を持って移動しながらサファイアは言う。
「そうだね。誰も管理できない温室なら閉めないとね」
陽射しの降り注ぐ温室は冬場でも熱いくらいで、持ち込んだ簡単なキャンプ用のキッチンセットで飲むお茶の葉の種類はいつの間にか豊富になり、時折使用人が置いて行ってくれるようになった菓子が詰まった瓶詰が彩のない食器棚を飾ると言う、楽しい秘密基地の様な温室の思い出は自室の部屋よりも深い。
「魔法の道具の処分もしなくてはなりませんので火力の高い火の魔法を使います」
「徹底的だね」
「リックは知らないようですが、この国は割と魔法の発達した国の一つです」
「後でじっくり教えてほしいけど今は他の国の事をざっくり聞きたいな」
「ハウオルティア国の東にウィスタリア国と言う精霊王を祭る国があります。
この国が魔法文明最強国であり、この大陸では一番古い歴史を持つ国となります。
その北にプリスティア国と言うかわいらしい名前の国があります。ブルトラン国と隣り合う国ですね。この国は名前はかわいいのですが聖獣という魔獣の上位種が守護する国としてこの大陸ウィスタリア国と張り合う二強国に数えられます。
そして我が国はそれに次いで魔法が発展した国になっているのです。
ちなみにブルトラン国は厳しい土地柄か剣や武術、それよりも法律と言った事に特化した規律ある国です」
「今まで聞いた事なかったんだけど?」
「故意に隠していました。
が、道中先も長いのだし、地理の勉強として周辺国の事もお話ししてあげましょう」
悪びれた顔一つ見せずにそんな話をしている合間にも温室に辿り着いてしまった。
毎日のように足を運んではサファイアと実験と訓練、勉強を学んだ学び舎の象徴の建物。
「必要な物は持ち出しなさい」
何処か表情の少ない彼女が気になるも、温室の中から本当に大切なものを持ち出す。
サファイアと実験を兼ねて作った魔法剣。そして魔石に魔力を込めて作ったお守り。
制作途中の物は別にいいだろうと置いて温室を出ればサファイアは俺の荷物を見て満足そうに頷く。
「では、紅蓮の魔女と呼ばれた名前に相応しい魔術をお見せいたしましょう」
その言葉を合図に彼女中心に魔方陣が浮かび上がった。
俺は邪魔にならないようにサファイアから少し離れて彼女が使う魔法を見学する事にする。
『我求めるは総てを焼き尽くす紅蓮の炎
我求る物を焼き尽くし総てを無に
おいでなさい我が下僕、炎の化身・炎獄のベーチェ』
温室の真ん中に炎が浮かび上がり、それが人型を形どった。
温室のガラスをすり抜けるように現れてサファイアが差し出した手の指先に恭しくキスを一つ落とす。
それから温室に手を伸ばし、手に滑らすように息を吹き付けた。
業火
一瞬の変化だった。
温室の中が炎で埋め尽くされていたのだ。
わりとすぐそばに居るのに熱気は伝わってはこない。
だけど圧倒的な魔力が肌をピリピリと刺激する。
温室の中は炎で埋め尽くされ、燃焼する空気はどうなってると言う考えるよりも、赤い炎はやがて青味を増して白く輝き始めれば、途端にどす黒い黒に変化する。
「よくごらんなさい。これが地獄の炎。
これから私達が歩みべき道に相応しい色になりましょう」
言いながら彼女は呼ぶ出した炎の化身を手に乗せて、炎を纏うそれに口づけを落とす。
途端に何かとハウリングを起こすような音が耳を貫いたかと思えば、温室の中の炎は跡形もなくなっていた。
「ごくろう。次の呼び出しをお待ちなさい」
そう言うと炎の化身は優雅に腰を折って消えた。
ガラスと支柱のみ残してすべて灰に戻った温室に唖然とする。
「ここまでやる必要って…」
「思い出を踏みにじられるくらいなら自分で始末する方が幸せですわ」
無表情のまま彼女は屋敷の方へと進む。
「思ったより手間取ってしまいました。もうすぐ夕方になってしまいますので、出発の準備を急ぎましょう」
長くなった影に影を埋めながら屋敷へと言葉少なく戻る。
裏口に回れば馬車が一台止まっていた。
どこの業者だろうと思っていた地味な馬車だが、そこには父上や母上、兄上から家令や執事とそろっていた。
あまりに似つか会わない異様な雰囲気だった。
「お待たせしました。準備はできまして?」
サファイアの声に一斉にその視線を受け止める事になった。
「こちらこそいろいろすまない…」
「恩ある小父様の願いをこの私が断ると思ってるのですか?」
「いや、できたら断ってほしかったのだが…」
言って苦笑。
どこまでも苦しそうな表情だったのだが、実際は俺が苦しかった。
「リーディック一緒に居られなくてごめんなさい」
「母上苦しいよ」
30過ぎても若々しい体に顔をうずめれば涙をこらえるように一度だけスンと鼻をすする。
「道中危険もあるが、無事エレミヤ領までたどり着く事を祈ってる」
「もし機会があれば港から船に乗って東のフリュゼール聖王国に遊学してくると良い。
あそこは穏やかな気候と妖精の住まう国だからな」
行ってみると良い。勉強になるぞと言って船のチケットを二枚くれた。
妖精の国か。ドラゴンもいるらしいし魔法もある。ファンタジーな世界だなと考えながらもチケットを受け取り無造作にポケットにしまう。
「兄上が良いと言うなら一度遊びに行ってくるよ」
意外な事にリーディックは家族には絶対的な信頼を置いていた。
いや、溺愛されてたから悪い事をされていると言う考えがないといっていいだろう。
だけどそんなやり取りに母上は涙こそ流さなかったが父上の肩に目元を押し付ける。
そんな様子を俺は笑いながら
「母上も大げさだなぁ。エレミヤ領まで行って帰って来るだけなのに。
そうだ。次に母上に会う時までにフリュゼールに行ってお土産を買ってくるよ。
妖精の羽の髪飾りなんてどう?」
無邪気に笑って言えば兄達が苦しそうにだがそれでも無理やり笑顔を作る。
「それも素敵ですが、これではいつまでも出発できません。
名残惜しいですがここまでといたしましょう」
言いながら荷物を家令へと渡して馬車に詰め込んでもらう。
見た目は地味だが中身はふかふかのクッションが敷き詰められて長時間の移動にあまり苦にならない作りになっていた。
「さ、リーディック乗りなさい」
その言葉を合図に馬車に乗り込めば屋敷の中から一人の男性が飛び出してきた。
「お父様…」
「まにあった。リーディック様をしっかり守るんだぞ」
言いながら細長い箱を押し付けていた。
「母さんの形見のネックレスだ。そろそろ似合う年頃だ」
箱を空ければ大粒のルビーのネックレスがが燦然と輝いていた。
「お父様…失くしたって言ってたのに…」
「お前の実験材料にはさせれないから隠してただけだ」
言いながらサファイアの頬を一撫でして彼女を抱きしめる。
そのあとハウゼル兄さんが一歩前に出てきて
「次に会う事があればどうか僕と結婚してほしい」
思わぬ告白にサファイアはハウゼル兄さんを抱きしめて
「その時に考えてあげましょう」
頬にキスをおとした。
何だ。できてるんじゃんと、どこかのけ者にされてふてくされてしまうも、兄さんから離れた時は既にサファイアはいつものサファイアだった。
「それでは皆様方ごきげんよう」
いつもの通りの別れの言葉のあと、背筋を伸ばして馬車に乗り込む。
ぱたんと扉が閉まった音を合図に馭者が馬に出発の合図を手綱で伝えれば、滑らかに走り出した。
それから窓から身をのり出して元気よく手をふれば母上が走り出して追いかけてくるもすぐに倒れ込んでしまう。
あー、あれは痛い。
思わず眉間に皺を寄せて窓の内側に引っ込んでしまえば屋敷を出たあたりでサファイアに訪ねる。
「この国の危機的状況ってどれぐらい悪いの?」
コロコロ変わる使用人。
公爵家が屋敷を維持できないぐらいの人手不足。
塩味、甘味、肉など減っていく食事の量。
かつては賑やかでパーティーばかり開いていたはずだが、この半年ほど一度も催されてはいない。
さらにボヤだと言っていた煙の柱は日毎多くなり、何より父上やマルク兄さんが城に行く回数が増えたり、母上まで城に呼ばれる始末。
最初はさすが現国王の妹なんて思ってたけど、様子は疲れ果てて帰って来た時の様子を見れば一目同前。おかしすぎる。
揚句に何があっても守り抜かなければいけない後継者のハウゼル兄さんを王都に呼び戻し、城に登城する始末。
宰相の家がこんな慌ただしいのだから、つまりはそう言う事だろう。
聞かずに、楽観視していたわけではないがそれなりに俺の中では腹をくくっていたが、サファイアの口からはそれ以上の言葉が継げられる。
「そうですね。今日明日にでもこの国は滅んでもおかしくない状況です」
何気なくポンと差し出された答えに瞬きを繰り返すだけの反応しかできなかった。
「いったいどういう事だよ」
「どうもこうも、そうですね。寝物語には最悪ですが事は既に20年前より始まってます。
あなたに関係はない事ではないのでしっかり聞いてなさい」
そう言って彼女はゆったりとした姿勢を作り上げて話し始めた。