何も知らないままでいる事が平和と言うのだろうか
あけましておめでとうございます。
本年もまったりマイペースで更新がんばります!
まだ家庭教師のサファイアが来るよりも早く俺は自室のホームポジションに居た。
リーディックが残した思い出を引き出しから取り出しては吟味して処分を繰り返している。
紙屑から何かの種、小さな鈴からいつから残ってるかわからないクッキー。
どんぐりの実を入れた箱をうっかり開けた時はその中でうごめく白くもぞもぞとした物を見た瞬間すぐに蓋をした。
大丈夫。
俺こう見えても農家の孫。
釣りの道具があればいいのにと動じることなく考えるが、そこにノックの音。
珍しくいつもより早くサファイアがやって来た。
そしてちょうど手にしていたどんぐりの箱。
「おはようございますリック。今日も机の掃除ですか?」
何か面白い物でもありましたかというように机の中をひっくり返したかのような机の上をくつくつと笑いながら眺める彼女に少しの逡巡の後、その箱を黙って渡す。
「私にプレゼントですか?見ても?」
リボンのかかってない何の変哲もないただの白い箱。
少し頑丈だけが取り柄っぽそうな蓋の付いた箱。
サファイアは子供のように目を輝かせて箱の蓋を開けるが、がっくりとした顔で俺を見る。
「子供の頃誰もが一度は通る洗礼ですか。
私もかつてこの子達を育てた覚えがあります」
そのまま寂しそうに笑うも
「ですが、せっかくのプレゼントいただきましょう」
言って中身が逃げ出さないように蓋をする。
「もうちょっと驚いたっていいじゃないか」
「一度経験すれば耐性は出来ますよ」
「サファイアの絹を裂くような悲鳴聞いてみたかったな」
「もう少し腕を磨いてから出直してらっしゃい」
多少の事があっても動じないサファイアにすぐ悲鳴を上げるメイド達を見習えよと心の中で毒づくも
「それよりも今日はいつもより早いじゃん」
言えば
「マルクよりハウゼルが帰って来ると聞いたので、子分・・・じゃなくって、幼馴染の顔を見に来ましたのよ」
「今思いっきり子分って言ったよな?」
「爵位という生まれながらの家柄は逆立ちしても勝てませんが、幼い頃より築き上げた競争社会の中の地位では申し訳ないけど負けませんでしたの」
ニヤリと獰猛に笑うサファイアに兄達の不憫な姿しか思い浮かばなかった。
「それより、朝のうちに登城する予定だからその前に一度家によると言ってたのに、この私を待たせるとはいい度胸だわ」
「人んちの朝食の時間より早く来る方が失礼だよ」
そんな注意何て聞くそぶりも見せない彼女が家庭教師とは…絶対どの屋敷でも速攻クビになるタイプだと決めつけるが
「そういや、ハウゼル兄さんと同じ年だっけ?」
「女性に年を聞く物ではありませんよ。
確かにハウゼルとは同じ年ですが、私の方が7ヶ月早く生まれてます」
生まれながらに虐げられていた不憫な兄の姿にそっと心の中で涙を流しておく。
「それからはやっぱり男の子。いつの間にか人を見下すような身長になって憎たらしい。
何時も鼻水垂れ流しながらべそ掻いていた頃が懐かしいですわ」
「不憫すぎる」
幼少時代を思い出しては笑う彼女を避けるように机の中に出した物を片付けて行きながら、なんかの種だけを机の上に置いておく。
何時蒔くのかわからないが、とりあえず春になったら巻いてみようと温室に持っていく物の箱の中に入れておく事にした。
「それはそれで、ハウゼルもこっちに戻って来た事だし、前から気になっていた屋敷の外へと出かけてみませんか?」
突然の申し出に思いっきり振り返ってサファイアを見上げる。
何で今頃と言うか、どんな脈絡でそうなったのかわからないけど、本当に屋敷の外の世界が見られるのか?と彼女の瞳を見つめ返せば
「リックが屋敷の外に興味を持っていた事は前々から叔父様に相談していました。
ですが、ただの物見遊山で外に連れ出しても貴方の為にはならないからと先延ばしにされてきましたが、今回ハウゼルが王都に戻って来た事によってエレミヤ領の館の主が不在となっております。
もうすぐ10歳になられるリーディック様にエレミヤ領を知っていただくにはちょうど良いタイミングでしょう。
それに前家令のアルターがエレミヤ領で庭師をしていると言うではありませんか。
教師役としてはこれ以上の人物がないでしょう」
家令をモートンに譲ったからやめたと思っていた前の家令はエレミヤ領の領主の館でのんびりと過ごしていると言う。
「別にリックに期待しているわけではありません。
エレミヤ家の一員としてただ飯ぐらいはもう卒業してお家の為に何をすべきか考えるタイミングとして丁度いい頃合です。
私も同行いたしますので、今まで通り、魔法は教えて差し上げれますわ」
今の生活パターンのまま場所を変えるだけだと言う提案には問題ない。
この鳥籠の様な屋敷の外に世界がある事を知るチャンス。
胸が躍らないわけがない。
「エレミヤ領ってどんな感じかな?」
「私も幼い頃に何度か招待された事があります。
ハウオルティア国の最西の領地。ハウオルティアの北側のブルトラン公国と隣り合う地になりますが、ブルトラン側には草すら育たない不毛の大地とドラゴンが住まう一年を通して雪を抱く山脈が連なっているので、まずそこからの交流はない自然の城壁があります。
エレミヤ領側は西からの穏やかな風とブルトラン側から流れる豊富な雪水のおかげで農耕が盛んです。
西側は海に面していますので貿易も盛んで、交流の深い貴族や王族の別荘もあります」
懐かしいですねとほほ笑むサファイアのひと時の幸せを壊すかのような足音が近づいてきた。
それは足に金具でも付けているのかガチャガチャと。
途端に無粋だと言うしかめっ面に戻ったサファイアはノックと共に開かれたドアの向こうに立つ人物に向かってとびっきりのいい笑顔を作る。
あ、これ知ってる。
超危険な時のサファイアの顔だと。
「リーディックただいま帰った!酷い熱を出したんだって?
手紙貰って心配してたぞ。
体力をつけるように珍しい食べ物や土産もたくさんあるからな!」
妙にハイなノリのハウゼルと、苦笑しながらその様子を見てきたマルクはすでに兄の洗礼を受けたのか髪がぐしゃぐしゃとなっていた。
「サファイアも久しぶりだ!
宮廷魔導師を辞めたんだって?
ひょっとしてどこかに嫁ぐとか言うんじゃ…」
「この私がただ一人の物になるわけないでしょう。ばかばかしい」
伺うような視線にサファイアは誰よりも男らしく違うと言う。
言えばそれは嬉しそうな顔でそうかそうかと頷くハウゼルのノリにひょっとして兄さんそうなんですか?と、したり顔でマルク兄さんに視線で問えば苦笑で返事。
婚約者がいると言うのになんて贅沢なと思うが
「それよりもサファイアにも土産がある。
まるで君の瞳の様な素晴らしいサファイアを手に入れたんだ」
そっと箱から取り出して大粒で深い青色の、まさしくサファイアの瞳が石になったような指輪を左の薬指に付ける。
そして膝を折ってサファイアを見上げるが、サファイアはさっとその手をすり抜けてそこから先の事など知らないと言うように窓のからの陽射しにその宝石をきらめかせて堪能していた。
「これは上等なサファイアですね。珍しく気の利いたものをよこすではありませんか」
「あーあ」
思わず零れた溜息にハウゼル兄さんを見れば涙を流していて、マルク兄さんはいつもの事だと苦笑が零れっぱなしだが
「それよりもハウゼル。先ほどリックよりプレゼントを頂きましたのでおすそ分けは如何でしょう?」
白い箱を手に取り小首かしげてさりげなく差し出しながら、マリクもどうぞと進めれば不用心にも二人は箱に近づいて…
サファイアはこともあろうに箱の蓋を取って中身を二人に向かってぶちまけやがった。
そして一拍の空白の後
「「キャーーーーッッッ!!!」」
「まったく嘆かわしい。
次期公爵跡取りと騎士団所属の大の成人男性二人の絹を裂く悲鳴とは。
これ以上とないほど気味の悪い物は有りませんね」
「鬼だ。鬼がいる…」
腰に手を当て二人がヒーヒー言いながら虫を体から追い払っている光景をご満悦に眺めるサファイアの姿にこれじゃあ子分扱いされても仕方がないなと溜息を零す。
そして、兄二人の悲鳴を聞きつけてメイドや執事達が駆けつけて再度この部屋に悲鳴が溢れる連鎖を耳を塞いで防御した。
「なるほど。そんな事が…
サファイア、君も立派な淑女になったと思ったのに…変わらないな」
「お言葉ですが、童心に帰る事が出来るのは叔父様の庇護の下だからこそです」
あれから事の顛末を聞いた父上は食事の場で反省会を開く事になったのだが、兄二人は未だ顔を青ざめさせて食事が進まないようだ。
そしてこの中にちゃっかりと一緒に食事の席についているサファイアは指輪は既に胸元のネックレスに通して服の下に隠してしまった。
「胸元に隠すのが割と安全なのですよ」
ウインクして言う彼女に一番じゃないんだと思うも、程よい形と目を引く大きさの谷間にそのお宝は埋もれている。
「痛くはないの?」
少々的外れな質問をしてみるも
「守るという事は当然苦痛を伴う物なのです」
判りづらくも要は痛いという事だけは判るが、彼女は涼しげな顔で、そこに埋もれているという事を誰にも悟らせなかった。
ので、兄が先ほどからサファイアの手を見てはがっくりとうなだれる姿を見てため息を零す。
どうしてこんな女に惚れたのだろうかと。
そんな光景を眺めながら俺は超わがままっ子を熱演する。
「もー、何でサラダなんか用意するんだよ。
それと、朝はソーセージをボイルしてって言ったじゃん。
卵はスクランブルエッグじゃなくってポーチドエッグ!
ポタージュだってもう何日もジャガイモのポタージュじゃないか!」
パンの耳を外しながら中のふわふわの部分だけ食べる。
ジャムをたっぷりと塗り付けて、給仕のメイドがつばを飲み込むように眺める視線に見せつけるかのように口へと放り込む。
父の背後で待機するモートンは頭が痛いと言うようにこめかみを抑えて見せるも知らん顔でカットされたフルーツへと手を伸ばす。
どれもこれも食べかけの食事を残して紅茶で口の中を満たして食事は終了。
うん。
どこをどう見ても最低な食べ方だと、育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんに全力でごめんなさいと土下座で誤ってしまうのは仕方ないだろう。
「ねえ、サファイア。先温室に行って待ってていい?」
もう飽きちゃったと言わんばかりに椅子から飛び降りれば
「おまちなさい。叔父様からリックに言いたい事があるそうですわ」
ナプキンで口元を拭って父上へと視線を向ける。
何故か一同食事を止めて同じように父上へと視線を向ければ
「リーディック、突然だがハウゼルの代理でエレミヤ領へと今晩にでも発ってほしい」
思わず耳を疑う。
告げた側から一日の準備の期間を与えず、夜には旅立てと言うのだから。
「準備は私も手伝うので、今日の授業はエレミヤ領に持っていきたいものを鞄一つにまとめなさい」
「サファイアはどうするの?」
「私の荷物はこのお屋敷に置かせていただいているもので十分です。夜とは言わず昼にでも旅立てますよ」
何故か急かすような言い方をするサファイアの言葉に頬を膨らませながら
「俺だって準備するぐらい昼までにできるよ!」
そう言い残して部屋を駆け出した。
だからそのあと続く会話を俺は聞いていない。
父と兄達の苦しげな顔を。
母が泣いていた事を。
そしてサファイアが母を攻めたてていた事も何も知らないままに。
俺はなにも知らない子供のままで居させられた事も知らないままでいた。