雲が覆う
サファイアとの師弟関係は意外な事に順調な歩みで進んでいた。
人とのコミュニケーションが苦手な俺だったはずなのに、通常の会話はもちろん勉強も滞りなく進める事が出来る。
授業で先生に指名されただけでがちがちに固まっていたあの頃の俺はどうしたといいたいも、きっとこの柔軟さはリーディックの物だろうと難なくサファイアと言葉を重ねる事に感謝を重ねる。
あまり女性として分類するのも如何なものかと思う竹を真っ二つに割ったような彼女だが、それなりに女性としての嗜みも持っている。
高く結い上げる髪を結ぶリボンはシンプルだが同じものを見た事がなかったり、雨の日は前髪がまとまらないとふてくされたりと、雪兎の知る女の子達と何ら変わりがなかった。
今は季節的に暖かい温室で俺は上着を脱いでサファイアに魔薬の作り方を学んでいると言うのに、彼女はドレスを纏ったまま涼しい顔で魔石を潰して練っていた。
この家で働くメイド達よりも豊かな胸を突きだすように…と言うか、どこからあふれてるのかわからない自信がそのまま表れてると言うように胸を張ってるそれは9歳の視線からでも十分に引き付ける物があって、コルセットを付けてるわけでもない淑女としては褒められたものではないが、それすら気にならない細い腰からふくよかな臀部へと描くカーブは作られたラインでないだけになまめかしさが漂う。
だがしかし、俺はひたすら魔石を叩き潰す役を与えられていて、それを堪能する隙はどこにもないが。
「前から気になってたんだけどさあ」
そんな呼びかけに彼女は手を止める事無く俺に視線だけを送る。
「マルク兄さんが紅蓮の魔女って呼んでたよね?それって何?」
よくある二つ名かと思って、どんなエピソードで付けた名前かと思えば
「懐かしい名前ですね。王宮で務めていた時の一種の称号です」
「称号?」
痛々しい一時の病気かと思っていたけどどうやら違ったようだ。
「紅蓮、流水、旋風、大地と四大元素の火水風地の事を捩って、立場、階級を超えてその属性最強の保持者に与える名誉称号ですね」
「なんか火だけが仲間はずれな気がするんだけど」
この並びから言えば紅蓮ではないなずなのだろうが
「王宮では称号を持つ者が称号を返上する時に、引き継ぎたい者にへと告示をします。
運よく3年ほど前にその保持者が体力の衰えを理由に称号の返上を申し出ました。
剣に炎を纏わせて戦うスタイルの人気のある騎士です。
ああ、称号はほぼ騎士団の隊長クラスが保持していましたね」
言いながら彼女はこの石も砕いてくださいと新たな魔石と言う無限の作業を用意した。
「ですが、あまりにも筋肉馬鹿達が属性の力を有効に使う事なく体力だけでその称号を奪っていくので、私が一つ正しい火の扱い方を教えるためにも参加させていただく事にしました。
幸い火と風は得意なので」
言いながらガラス瓶に保管してあった銀色の液体を練った石に一滴落とせば小さな爆発にも近い現象を起こして白い煙を立ち上らせる。
そんな光景に動じた様子も見せずにまた練り出した工程が正しかったことを物語る。
「周囲は一応男だらけの争奪戦に参加するのに反対してくれましたが、体力馬鹿達に繊細な火の魔法が上手に取り扱えるわけなく、私は12対1と言う圧倒的不利な状況下で勝利を収め、烈火の称号を頂きました」
「さっき紅蓮って言ってなかったっけ?」
「人の話は最後まで聞きなさい。
紅蓮と言うのは、あまりに私が火の扱いが上手く、そして誰よりも強い火力で瞬殺と言うべき圧倒的差で勝利したので、まだ病に倒れる前の王がそんな私に敬意と畏怖を込めて歴代の中で私のみに烈火を紅蓮と名を改めて与えてくださった称号になります」
「なにそれ、そのチート」
「その『チート』とは?」
時折こうやって雪兎の記憶を日常的に口にしてしまうもサファイアはそれを止めずに知識として吸収する方を優先する。
親の前では咳払いなどして合図を送ってくれるが、好奇心の塊りの彼女は気になった事は容赦なく説明を求めてくる。今のように。
「本来はズルとか不正行為とか自分が有利になる行為を意味しているけど、今の場合は能力が突出している人に対する別称かな?
まぁ、簡単に天才と言えない嫉妬だよね」
「なるほど。私の努力を知りも死なずに言われるのは腹立たしい物ですが、足掻きもせず凡人で留まる者達の嫉妬と言うのなら悪い物ではありませんね。
ですが、その称号はもう返上しましたのに未だに紅蓮と呼ばれるのは理解しがたいですね」
「それだけ恐怖だったんじゃない?」
「たかだか全治20日程度の火傷ですよ?業務に差支えがないように私は手加減したと言うのに、軟弱にもほどがあります」
「それで十分だって」
なんせこの世界ではあまり医療も発達していない。
衛生面も、そして怪我を治すための治癒魔法もほぼないに等しい。
かすり傷程度なら宮廷魔導師の中の白魔法使いという人達が使えると言うが、精々擦り傷を治す程度の役立たずとサファイアは評価する。
最近分かって来たけどサファイアの評価自体あまりに厳しすぎて、周囲との認知の差がどうしてもずれてくるのが頭痛の種だ。
「そういや俺まだ治癒魔法はまだ試してみた事なかったな」
「ならさっさとお試しなさい。折角4大属性使えるのですから、光と闇も使えるようになりなさい」
「んな無茶苦茶を」
さも当然と言うように言う言葉に思わず失笑。
「本来人は総ての属性が使える生き物なのです。
ですが成長の過程で使用頻度の高い属性ばかりが無意識下で成長してしまい、他の属性の成長を妨げてしまいます。
もちろん伸ばさない属性に対しては全く伸びる事無く使えなくなりますが。
結果成長期の合間にその属性を伸ばす事が出来なければ扱えなかったりと言う弊害が出てしまうのです。
もちろん親の持つ得意属性と言う助けと苦手な属性と言う妨害もあり一概にすべての属性が万遍なく使えると言うわけではないのですが」
「それを俺達は『遺伝』と言うんだ」
「なるほど。
ですがリックはまだ体の成長と共にまだ魔力の成長段階の子供です。
四大属性が使えると言うのなら光闇も使えるはず。
私のように知識不足だったが為にその貴重な時期を無駄にしない為にも私が知る光と闇魔法を教えましょう。
リックは私なんかよりも想像力が豊富なようなので難しい事はありません。
ちなみに白魔法とは光魔法の一種になります」
言いながら魔草を切るナイフを手にして俺の手の甲を切りつけた。
「わっ!!!」
あまりにも突然起きた出来事と、さも当然と言わんばかりに表情を変える事無く起きた一連の動作に手をひっこめるも、既に薄く皮膚の裂けた場所にはわずかばかりの血が浮かび上がっていた。
「さて、知人が使っていた呪文ですが『痛みよ退け、傷つき場所に癒しの光を』と唱えてましたが、あなたはどう解釈します?」
「どう解釈しますって言うかさ、傷をつけるなら事前に言ってよ。すごーく驚いたんだけど」
「それは失礼。で?」
全く悪びれる事のない謝罪にため息を零すも、俺は陳腐なおまじないを思い出す。
誰もが一度は耳にした事のある親から子へと継がれる呪文。
「痛いの痛いの飛んで行け」
傷口に手をかざして唱えながら体内を巡る魔力にイメージを伝える。
ボールを投げるように痛みを飛ばし、そしてその痛々しい傷口さえも何処かへと消え去るような、そんなイメージ。
サファイアは興味津々と目を輝かせて結果を待つ姿に苦笑するも…
「…んなあほな」
傷口は消え去っていた。
痛みも消え去っていた。
そしてサファイアは狂喜乱舞と温室の中をクルクルと回り出して歓喜する。
「すばらしいわ!
役立たずの宮廷魔導師どもが何年もかけてその呪文を学ぶと言うのに、やはりリックは天才ですね!」
「俺としては冗談はやめてくれって言いたいんだけど」
せめてもうちょっとまともな呪文で反応してほしかった。
こんな誰もが知る物ではなく、せめて中二病っぽい何か意味深な言葉でそれっぽく反応してほしかった。
初めてにして成功と言う快挙に関らず込み上げる切なさは何だろうと力ない笑みを零すが
「白魔法はこのように生への助けを促しますが、対する闇の魔法に黒魔法と言う物があり、それは生の反対、死へと導く魔法となりますが、あなたなら何をイメージします?」
「死へのイメージなら体に不調を起こさせたり?薬では癒えない毒とか、部分的に体の機能を奪ったりとか」
「なるほど。死へと直結させずに緩やかに死へと導く方法ですか」
「死へ直結させるなら普通に剣を持って殺しに行けばいいだけだろ?」
「魔法を使わない辺り情緒がありませんね」
「この場合の情緒の意味が分かりません」
「真綿で首をじりじり締め上げて行く方法とぽっきりぽっくり逝かせる方法です」
「できれば知りたくありません」
「止めを刺すのに自らの手を汚すと言うのはある意味正しくもあり間違ってもありますが、どちらにしても覚悟のいる事です。
どうやら命に対して敬意を持って居る様なので私としては嬉しく思ってるのですよ?」
いつもの微笑みよりもわずかに口角が上がる口元に本当に嬉しく思っているのがわかり俺もうれしくなる。
サファイアに一つ一つが認められていく事が俺の自信へとつながっていって、そんな単純な事が嬉しくて仕方がない。
なかなか誉めてもらう事のなかった雪兎の短い生涯の中で、こういった出来事が生きてると言う実感を教えてもらっているような気がして、とにかく些細な事でも嬉しかった。
「さて、そろそろ屋敷の方へと戻りましょう。少しおやつでもいただくとしましょうか」
「えー?もっと魔法教えてよ」
「魔法は無限に生み出す事が出来ます。
生涯かけて学んでもまだ足りないとわが師は言います。
学ぶ時間は限られていますが、何も急ぐことはありません。
どうせ生涯かけても学び切る事なんてできないのですから」
言いながら笑うサファイアと共に家の敷地の林を抜けて、切り開かれた屋敷の庭へと出れば遠くに黒い煙が立ち上っていた。
先ほどと違う煙の色に思わず足を止めてしまえば
「ああ、火事ですか。冬の合間は良くある事ですね」
同じように足を止めて視線を同じ方へと向けるも、季節的仕方がないと言うサファイアは関心も持たず歩き出すも
「サファイア、俺屋敷の外に出てみたい」
ずっと思っていた事だ。
俺はもちろん、リーディックの記憶にもこの屋敷の外の情報はない。
記憶に残る以前ならあるかもしれないが、そんな覚えてない物などから知る術はない。
どんな生活をしているのか、どんな人たちが営んでいるのか、興味ないなんて絶対ない。
美しく贅沢なこの屋敷しか知らないが、あの家庭教師の言葉も気になるし…
公爵家だからの贅沢ならば、街の人達の生活はこれ以下となる。
正直公爵家だから大きく贅を尽くしているが、使用人達の区域は思わず目を疑う所もある。
メイド達は一室に大きなベットがあり、そこに4~6人が団子になって眠っている。
百合の世界が一瞬脳内に展開するも、粗末な布団にみんなの体温で暖まって寝ると言うのだ。
サファイアに連れられてその光景を見た時は正直言葉もなくしたが、彼女達はそれでも笑って言う。
「ベットに寝れるだけで十分ですよ」
「それにお部屋を用意してくれるお屋敷だって珍しいし」
「私達は家を継ぐ事が出来ないから自力で結婚の持参金を用意しなくてはいけないけど、公爵様は他の仕事場よりもたくさん下さるからもうそれで満足ですよ」
「なんたって一日に二度のお食事とおやつまで頂けるのだから」
「マナーも覚えれるし、花嫁修業だと思えば私自身の価値も上がりますしね」
メイド達は口々にこの職場の環境の良さを誉めたてる。
もっとも悪い事など言って何をされるかわからないと思っている所もあるんだろうけど、本当に不満があればそれを隠す余裕すらないのだろうから、まだ彼女達の環境は良い方なのだろうと信じておく事にした。
その証拠にサファイアは笑みを作っているも全く笑てないのだから。
そんな彼女達が暮らしていた町での生活を見てみたい。
サファイアの瞳を見上げて言えば彼女は再度足を止める。
「そうですね。外を全く知らないと言うのも問題でしょう。
もうすぐハウゼルが王都に来ます。
それと交代でエレミヤ領へとまいりましょう。
エレミヤ領の領地を学ぶ為と言えば叔父様もお許しいただけるかと思います」
「その辺の城下町でいいんだけど」
「リックにはまだ危ないですよ。もう数年して…そうですね。
私と同じくらいの身長になったら町のレストランにでも連れて行って差し上げます」
私のお気に入りなのできっとリックも気に入りますよと笑うが俺は何処か腑に落ちない。
何でそんなにしてまで街を見せたくないのか。
外に行けてもなぜ父の加護の下の場所ではならないのか。
普通に外の景色が見えない異常さに、俺の心の奥深くに沈み込む毒の言葉が浮かび上がる。
その目で外の景色を見る事に耐えられるのか、と。
これから正月休みに入らせていただきます。
私生活では仕事が繁忙期に入るので本当に休みたいです!
皆さんも良いお年を。