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その名はサファイア=リドレッド

風邪が治って三日間の自室謹慎だった俺はメイドの居ない間にペンの改良を行っていた。

と言っても木の枝にリボンを巻いたり、母上におねだりして綺麗な紙を貰って俺専用の魔法書をまとめ直したりと。

読みにくい、見にくい、イメージのごり押しをさっくりと省けばなかなかに読みやすい論文が出来たと思う。

別物じゃね?なんてツッコミはなしにして、一回入門編見ただけで応用が出来るあたり、相当この本を書いた奴はもったいぶってんな、などと商魂たくましさを感じてしまう。

どう見たって学校の文化祭で作るパンフレットレベル…いや、いまどきない手作り感満載のこの本の価値は表紙の金糸をふんだんに使ったそれぐらいだろう。

表紙なんぞ中身と同じ紙にして普及させてしまえばいいだろうと、あまりにこのふざけた魔法書の低レベルさに腹が立っていた。


そんな事をしながら時間をつぶしていれば四日目。


やっと自室から出る事が許された身だが、この萎えた足では一階の食堂に行くのも重労働。病気してた時みたいに自室に食事を運んでもらうのも手だが、それでは立派なひきこもりが出来上がってしまう。

リーディックの後ろ向きな怠け者精神にいい加減にしろよと心の中で怒りながらもなんとか食堂に辿り着けば久しぶりの家族の顔がそこにはそろっていた。

ただし、領土で領主代理の務めをしているハウゼル兄さんは当然いないが。


「もう大丈夫か?」


既に先に食事を始めていた父上は朝からボリュームのある食事を堪能していた。

その量に何も食べてない胃が見てるだけで胃もたれを起こしそうで、病み上がりという事でパンとスープ、そしてフルーツを貰うだけにした。


「それっぽっちでいいのか?」


年の離れたマルク兄さんは俺が自分で取り分けた量を見て目を点にしている。


「まだ食欲が戻らなくて。少しずつ食べる量を増やしていくよ」


ジャガイモのポタージュをゆっくり飲むも


「マルクは騎士団のお勤めで体を作らなくてはいけないでしょ?

 あなたは無理してでもたくさん食べなさい」


言いながら母上がスクランブルエッグとベーコンをプレートにたっぷりと盛り付けて兄上に渡す。

そんな母上に苦笑しながらも兄上はそれを受け取り口へと運ぶ。

あまりの食欲を呆然と見守ってしまえば


「そう言えばリーディック、今日から新しい家庭教師に来てもらう事になったわ」


母上が思い出したと言わんばかりに発言をすれば


「今度は何日持つかな?」


くつくつと笑うマルク兄さんに父上も渋い顔をする。

意味が分からないとリーディックの記憶を覗き込むと言うのは語弊があるが、集中して思い出すように過去を覗き見れば、そこにはいたずらの数々。

脳内でその記憶を見るなとリーディックが俺の妨害を試みるもあっさりと払いのけてその過去を覗く。

感想はよくもまあやったもんだといった所だろうか。

鞭を片手に勉強を教えたオールドミスを描いたようなキツネ目の女にカエルを投げて彼女はあっさりと退職。

おっとりとしたどこか良家らしい童顔の女の人にはスカート捲りで一発退職。

ちょび髭が似合う厳めしい老齢の男性には初回から連続3回授業放棄で二度とやってこず。

そして小太りの男が一番最近の家庭教師らしく何をして辞めて行ったのかと思えば…見なければよかった。

さっきまで脳内で妨害を試みていたリーディックの最大の原因はこれだと、むやみに人の記憶を覗いてすまなかったと詫びるも、膝を抱えて背中を向ける彼からは鼻水をすする音だけが響く。


「怖かったな」


声をかけてやれば俺にしがみついてわんわん泣き出す始末。

少しだけ俺達の距離が近づいた気がするも、どうやらこの一件は家族にすら知られたくないようで、


「安心しろ。俺が一緒なんだから、一人で怯える事はないぞ」


1つの体に2つの心があるような何とも言えない奇妙な感覚だが、今はそれも悪くない。

泣きじゃくるリーディックを弟のように抱きしめれば、彼の姿が淡く輝きながら俺の中に溶けて行く。


「おい…」


声をかける間もなく彼の姿は消えて、あとには静寂が広がる。


「おい、リーディック」


周囲を見回しても彼の気配はなく


「リーディック!」


叫んでも返事はない。


「リーディック!」


不意に肩を揺らされてふと周囲を見回す。

途端に視界がクリアになったかと思えばそのピントがあった先には自分によく似た鈍い金の髪と翡翠の瞳の兄の顔があった。


「なに?」


心配そうに俺の顔を伺う3人の顔に戸惑うも努めて冷静に返事をすれば


「まだ体調がよくなかったらベットに戻った方がいいわ。

 先生には私のほうからお休みをお願いするから」


不安そうに揺れる視線の母上に苦笑しながら


「いえ、ただ…そうだな。

 新しい先生の事すっかり忘れてた。どんないたずらで驚かしたらいいと思う?」


小首をちょこんと傾けてかわいい振りをしてマルク兄さんに聞けばとたんに呆れた顔。


「そういのはいい加減卒業しろよ」


溜息と共に言うが


「で、今度の新しい先生って誰だ?」


どれだけ続くか興味あると言うように父上の隣に立つ家令のモートンへと視線を投げる。

母上と父上は知っているのか朝食をそのまま進める為にマルク兄さんと共にモートンに視線を向ければ


「我がエレミヤ家専属医師リドレッドの娘のサファイア嬢にお頼み申しました」


その一言に今回散々お世話になったリドレッドに娘がいるとは初耳だと好奇心が沸き起こるが、マルク兄さんは違うようだった。


「冗談じゃない!紅蓮の魔女を雇うなんて俺は反対だ!!!」


バンと机をたたいて立ち上がったマルク兄さんと同じタイミングでバンと音を立てて扉が開く。


「反対で結構。ですが私の雇い主はガウディ小父様になります。

 貴男に反対される意味は在りませんわ」


仁王立ちで凛と立つ女性に目が点になる。

紅蓮の魔女とマルク兄さんが言ったように背中に流れる紅蓮の炎のような髪を高い位置から結わえ、そのくせ瞳はその名前の通りどこまでも深い極上のサファイアの瞳をしていた。

そしてそのままつかつかと父上の隣までやってきて


「小父様おはようございます。まさかこの時間にお食事だとは存ぜず失礼いたしました」


優雅に体を折って謝罪するサファイア嬢に父上は苦笑し


「相変わらずのようだな。アルタータが頭を痛めてるぞ」


「医者の不養生ですわ。医師の風上にも置けませんね」


言えば父上が珍しく声を立てて笑う。


「ははは!サファイア嬢に言われるとわ、専属医としても問題だな」


言うも


「完璧な人間などいないと言う物です。

 ですが、必要なのは完璧であろうと努力を怠らない心なので、私が小うるさく言うのも父に健康であってほしいとの願いの一つです」


言えばうんうんと頷く父上とのやり取りの合間にばたばたと騒がしい足音がやってくる。

そして現われたのは


「旦那様お気を付け下さい!不逞の輩が屋敷に侵入した模様!!!」


「奥様も坊ちゃま方も非難の準備を!」


執事とメイドが叫びながら「さ、早く裏口から」「馬車を用意させてます。郊外のお屋敷にご非難を」メイド達は手を引っ張るも


「ところで、その不逞の輩とはいったいどういった人物だ?」


途端に騒がしくなった室内に響く低音の声にメイドや執事達はその温度のない声に息を呑み


「赤い髪をした盗賊だと言います」


「なんでも門兵を渾沌させたと言います」


「我々の制止を無視した挙句」


「屋敷の地図でも手に入れたのかあっという間に姿をくらまして…」


そう言いながらメイドと執事は父上の背後に立つサファイアを見る。


「久しぶりにお邪魔致しますと既知のメイドも執事もいないとは。

 小父様、こんな事で動揺する程度のメイドや執事が公爵家の使用人とは…情けない」


やれやれとこめかみを人差し指で抑えながら頭痛そうに首を振る彼女に父上は失笑する間も無く


「サファイア!やっぱりお前か!!!」


「あらお父様おはようございます。相も変わらず白衣が似合いませんね」


その一言でメイドや執事達は息を呑む。

公爵家の専属医師と言うが、サファイアの父ことアルタータ=リドレッドはこう見えても男爵の爵位を持つリドレッド家当主なのだから。

平民でなく、爵位を持つ所以で公爵家でのお抱え医師になったと言うこの国では珍しい履歴だ。

ちなみに娘とは似ても似つかわない茶色の髪と濃茶の瞳と言う凡庸な姿だ。

そしてサファイアは父親の心からの叫びとも言わん一吠えにも涼しい顔をして


「勝手知ったる他人の家。私が新参者のメイドや執事に後れを取ると思いまして?」


顎をくいっとあげて微笑む彼女は関りたくはないが確かにかっこいいと思った。

そんな一幕の合間に家令のモートンが咳払いをして


「旦那様、奥様、マルク坊ちゃまはご存じでしょうが、本日よりリーディック坊ちゃまの家庭教師としてサファイア嬢をお招きしました」


「以後お見知りおきを」


滑らかに言葉を続けるサファイアはそれは優雅に貴族の令嬢らしく一礼をして微笑む。


「ですが、なぜ私をお呼びにならなかった。でなければこのような騒ぎにはならなかったはずなのに」


モートンが使用人の長として、本日より我が家の使用人の仲間入りするサファイアに苦言を言うが


「私の言葉がモートンにちゃんと届けばこのような事にならなかったのですわ。

この屋敷の門兵ときたら坊ちゃまの家庭教師として着た事を告げても信じもせず、父、アルタータの娘と言っても笑うばかり。

 では幼馴染のマルクに用があると言っても耳を傾けない始末。

 小父様との約束の時間があると言うのにその体たらくに呆れて思わず門を飛び越えてきましたわ。

 そしたら今度は今度でモップで戦いを挑んでくるアホの見本のメイドのオンパレード。思わずモップの正しい使い方を披露してしまいましたではありませんか」


彼女の不満トークは止まらない。

そしてあまりの内容に室内の空気はすでにどん底だ。


「さらに言わせていただければ、私が認知しているエレミヤ家の朝食の時間はとっくに終わっているはず」


誰ともなく体がピクリと震える。


「食事の準備が遅れてるのか、食事の時間が終わってないのか、どちらをとっても由々しき問題ですが…モートン」


いきなり話題をふられたモートンまで体を緊張で震わす。


「貴男の代に代わってからのこの失態の数々。

 それでいて公爵家と言わせるのですから…嘆かわしい」


信じられないと言うように嘆く彼女は一同の顔をゆっくりと見渡して口の両端をくいっと吊り上げる。


「リーディック坊ちゃまの…めんどくさいわ。これからはリックと呼びましょう。

 リックの勉強を見るついでにこの弛んだ生活もまとめて面倒見ましょう。

 そう、まずはエレミヤ公」


その何所までも深いのに澄んだ瞳が父上を射抜く。


「この無駄な肉を何とかしましょう。私が知る小父様なら今頃ナイスミドルの誰もが振り向く素敵な小父様になったはずです。

 同じ城中で働く者同士、小父様の噂も耳にしましたが…まずは生活の乱れから躾けましょうか」


ニヤリと笑えば父上は顔面を真っ青にして、でもよろしく頼むと頭を下げた。

公爵なのに男爵家の娘に向かって頭を下げるなんてありえない光景に呆然としていれば


「そう言えばリックは病み上がりですってね?父から聞きました。

とりあえず私がこの屋敷の乱れを見る合間に、用意した問題集を解いていてくださいませ。時間は有限ですので効率よく行きましょう。

 参考書などを使われても結構です。

 どの程度できるのか見たいだけなので出来る問題だけで十分ですわ」


言って彼女は「まずは屋敷の案内をお願いします」といってモートンを引き連れて部屋を後にしてしまった。

そんな暴風のような彼女を見送りながら


「だから俺は反対したのに…」


「すまない。だが、彼女しかもう頼まれる人が居なかったんだ」


「ああ、サファイアは幼少の頃よりほんと変わりませんわね。身が引き締まりますわ」


そんな家族の会話に俺は一体どうなるんだ?とただ事の成り行きを見守るしかない状況だった。


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