寸劇、喜劇、活劇、悲劇
主、主人公がいないなんて……
ディータ達と別れてから間もなくエンダースの街へとやって来た。
西側に頭に雪を頂くキリアツム山脈を眺めながら穏やかな勾配の坂道を下る。
南のリズルラント、そして南西のマーダーは海沿いという事もあり温暖な気候だったというのに、西のエンダースはまだ春の始まりのような寒さを覚えた。
アルトが着ていた上着をルーティアに貸してあげてくれたからまだ彼女も寒さに耐えれたと言う物だが、アルトの久しぶりの恋心に浮ついていてこの寒さを気にしない辺り重症だと苦笑いするしかない。
そんな中、腰まで揺れる長い髪を揺らしながら頭一つ分小さいルーティアはアルトと会話を重ねる。
「地形的には王都もこれくらいの気候ですか?」
隣を歩くアルトに聞けば一つ頷き
「大体これくらい、それよりももう少し温かく感じるかな。
エンダースは山脈で冷えた風が当たる地域だけど、王都はそれが少し和らいでいると言うぐらいだ」
「それは困りました。ヴェルナーに用意させた服では少々薄手ですね。
よろしければお奨めの服屋をご紹介ください。
ああ、女の買い物に男は不要ですので地図を書いてくださるとありがたいですわ」
「なんだったら仕立て屋を呼ぼうか?」
「こう見えても私も女です。
私の為に用意された服も素敵でしょうが、こちらの文化を知る機会でもあります。
まずは自分の足で赴き、目を養いたいと思います」
見事なまでに体の良い断りの言葉に吹き出しそうにもなるが
「でしたら、まずはエンダースで学びましょう。
こう見えてもエンダースは織物に特化した文化を持ちます。
木綿、絹の産地、そして絹の織物にも長け、何代か前のエンダースの女当主が産地として何も持たないこの地に産業を築き上げました。
良い意匠のドレスや、織物はすべてこの地から王都に送られて広まっていきます。
すぐにあなたのあのすばらしいドレスの数々もこのフリュゲール中に広まるでしょう」
「そう。それは面白い」
あ、絶対なんか嫌な笑い方をしたと背後に居るのに判ってしまうのは短いながらも濃い付き合いのせいもあるのだろう。
油断するとフリュゲールの女性の服の露出の高さにそのうち目のやり場に困るのではないかと思うも一応立派な成人男性。
ルーティアクラスになれば目の保養だよな…… と考える半面、貴族のふくよかなご婦人達まであんなむき出しの肌を見せられたとしたら罰ゲームでしかない。
どっちを取るかだよなーなんて男性の本能に忠実になっていれば
「まずはこの辺りで一番の大店にまいりましょう。
そこで裁縫技術を見てから色々な店に回りながらエンダースの情報をさぐりましょ」
一応本来の目的も覚えていたらしい。
やがてにぎやかな街の中心地へと向かう中、ルーティアがふと一軒の店の前で足を止めた。
宝石商で、窓からのぞく首飾りはそれは見事な大粒の紅玉を中心とした派手やかな物だった。
幾らするのでしょうねーなんて庶民には想像もつかない値段だが、生憎この男はフリュゲール国10指に入る資産家の当主。
こうなれば当然……
「気になるのなら見てみようか?」
ですよねー。
正直ここで時間を取るわけにもいかないので
「では私は別の場所で聞き込みをしてきます。
アルトはルゥを迷子にさせないように注意してくださいよ」
言って別れようとしたら、いきなりこの手を掴まれた。
「おおっと……」
アルトは彼女の行為に眉間を狭めるが、私だって冷や汗を流しそうになる。
何気なくつかまれた手首が私の歩みを止めるどころか進ませないと言う女性に言うには失礼すぎるくらいの馬鹿力に驚くしかない。
そして手首を掴んだその感触。
魔法使い、そして女性と言うより我々が良く知っているもので、ダンスの折りには手袋に隠されていたその感触に驚きに目を見開く。
「二手に分かれる前に少し付き合いなさい」
言いながら放された場所が若干赤くなっているのアルトも気づき、先ほどとは違う視線で眉間を狭める。
そんな合間に彼女はあの魔法の杖を出した時のように、一つのそれは見事な青玉の首飾りを何もない空間から取り出した。
ルーティアと呼ばれる前の名前の彼女に相応しい、その石の付いた首飾りを付けて私達を見る。
「少しは宝石商の前に立つ姿になりましたか?」
ふふふと笑う魔女のどこか意地の悪い笑みには肩を竦めるしかない。
「申し訳ないのですが、私に宝石の良し悪しは判らないので」
「でしたら勉強なさい。面白い物が見れるかもしれませんよ」
宝石屋と女性。
相性は抜群だが巻き込まれる身にとっては最悪だ。
先ほどの女性の買い物ではないが、いくつか見繕わなくてはいけない状況に乾いた笑い声を零すしかない。
足取り軽く店へと入る彼女に続くようにアルトと追いかけて行けば、彼女は店主の挨拶を受けてぐるりと見回し、そして値札の付いてないショーケースに納められた件の紅玉の首飾りを見る。
「これは素晴らしいルビーですね」
「マダムはお目が高い。
こちらは最高級の産出地ブルトラン国より取り寄せた物になります」
「まぁ、それは何と希少な。
ブルトランのルビーは今はもう産出量が少ないと聞いておりますが……」
「それは我々宝石商の腕の見せ所ですよ。
マダムも見事なサファイアをお持ちのように」
「ええ、頂き物ですの。
魔法で加工されてますが、それでももとが良い石だったのでしょう」
「それは素晴らしい。 マダムも愛されているようで羨ましい限りですな。
よろしければそのサファイアを一度私に見せていただけることをお願いできないでしょうか。
このような見事なブルー、宝石商としてはじっくりと目にしたくて」
「でしたら私にもあちらの首飾りを一度首に掛けさせてくださいませ。
あまりに見事でこういった機会がないとお願いできそうにないので」
「交換条件ですね!そう言う事なら仕方がありません。
少々お待ちを」
言って宝石商が手を叩けば、部屋の奥から店員らしき若い男が指示のままケースを開いて首飾りを取り出した。
ルーティアも首飾りを外し、宝石商が取り出した布張りの柔らかなトレーの上に置く。
それにしてもマダムと言う言葉を否定せず、そしてアルトを主人と見て、私を護衛か何かと見たのでしょうが……
物の見事な外れまくった審美眼に宝石商の腕前に疑いを向けるのは仕方がないでしょう。
まぁ、夫婦に見られてアルトはまんざらでもない顔をしてる当たり気持ち悪いけど、もうしばらく部屋の隅で黙ってこの寸劇を眺める事にする。
宝石商はルーティアのサファイアを見た途端大絶賛を始め、ルビーのネックレスを纏ったルーティアはアルトに向かって似合う? 似合う? なんてくるくると回り出してはしゃぐ姿は少女そのもの。
胸の谷間に収まるように煌くルビーに、奥から来た若い男は顔を赤らめながらも凝視しているあたり、悲しい男の性だなと、初見のドレス姿の自分の事を棚に上げて笑ってしまう。
アルトと私と何故か宝石商の若い男、この宝石商の後継者らしいがその三人に大絶賛されて満足そうに首飾りを外して返却すれば、店の主もうっとりとした満足しきった気持ち悪い顔をしていた。
「よろしければもしそちらのサファイアを手放すような折にはどうか当方を思い出していただければ幸いです。
多少…… いえ、可能なかぎりでの希望金額でお応えさせていただきますので」
「もう冗談が上手なんだから。
私としてはそちらのルビーの首飾りの行方が気になると言いますのに」
この茶番に思わず呆れて眠たくなりかけた頭が急に醒める。
いまだうっとりと、バカ女丸出しのごとく、あきらめきれないと言う視線でその首飾りを眺めるルーティアに店主は言う。
「申し訳ございません。そちらのお品は既に領主の奥方に決まってございまして」
ルーティアの首飾りと交換したいとまで言いたそうな店主が出せなかった理由だった。
「エンダース夫人ですか! さすが夫人ですわ!
こんな見事な、それでいて美しく華やかな細工の首飾りをお求めになるとは」
領民の税収で贅を満たすとは許しがたいですわね! といつもなら続くであろう言葉を微塵の欠片も匂わさず、うっとりと、でも未練たらたらながらも諦めるかのような口調。
女って恐ろしい…… と言うか、ルーティア恐ろしすぎると他人のふりが出来る物ならしたいと逃げ出したい心を落ち着けながら会話の行方を見守る。
「そりゃエンダース領の母となる方です。
このエンダースを豊かにしてくれて、その憧れになる方、女性達の見本となられる方にはぜひとも着飾っていただなくては」
自慢げにそう言うが
「ですが、この首飾りとてものすごいお値段でしょ?
そうなると邪推してしまいますがご結婚の折りにはそれは見事なティアラなどあしらっていたのでしょうね」
うっとりとそう言う言葉を吐きながらさりげなくアルトに腕を絡ませる。
何気におねだりしているようにも見えるその姿に店主も商売人の正しい顔をして
「それはそれは見事な品をご用意させていただきました。
先代最後の傑作と言ってもいいくらいそれは見事な粒ぞろいの石を集め、ティアラと首飾り、そして指輪をそろえてご用意させていただきました」
「ほんとですのー?!」
「私も先代の隣で腕を振るわせていただきました」
アルトの腕をさらに強く引き寄せるルーティアにさすがのアルトも苦笑を落とすも、すでにきゃっきゃと騒ぐルーティアに宝石商はルーティアと商談を進めていく。
「それにしてもエンダース様にそんなにも愛されて羨ましいくらいですわ」
うっとりと、次々に出されるエンダースに納品した商品のレプリカを胸元に当てながら言えば店主も、その跡継ぎも、アルトも失笑。
何かおかしいこと言いました?と言うように小首を傾げれば
「マダム、ここだけの話ですが……」
それからたっぷりと小一時間ぐらい店の中で会話を重ねた我々は近くのカフェで先ほどの話を纏めていた。
ちなみにルーティアはアルトにお揃いの指輪をおねだりして、それを情報料だと言わない代わりに置いてきた。
そしてひょいひょいと買うアルトの姿に情けなさを覚えるも、一応店を出る時新婚なのでとありもしない設定を匂わせて指輪をしたまま出てきたのだ。
お互いの左の薬指にまだ真新しい上品な輝きを放つシンプルなまでのお揃いの指輪。
何時までその設定をしているのかと思えば、この方が相手の警戒心を解きやすいとの事。
見事利用されてますよアルトと言いたいけど、当の本人もノリノリで。
「情けない」
「何がだ?」
未だご機嫌なアルトをほかっておいて、コーヒーをゆっくりと飲むルーティアと話を進める事にした。
「エンダースの領主が、領主と言う地位さえなければだれも近寄りたがらないブ男なのは判りました。
どんな人物か知らないと言うのは情報として致命的でしたね」
「まぁ、有名と言えば有名ですが、領主なんて普通は1人でふらふらと歩きませんから出入りの商人でのなければ知名度何てない物ですよ」
言いながらふらふらと一人で買い物どころか買い食いをしている領主を見る。
「俺は可能な限り領民に顔を見せてコミュニケーションをとるようにしてるぞ」
「ええ、そうですとも。左翼のヴィンジャーの主ともなれば誰だってその顔を一度は見たいと言う物ですからね」
呆れて言えば「お前もそうだぞ」なんて返されてそんなわけありますかと言い切れない所が悲しい。
「ですが、店主から聞いた話では領主経営もまともで、館に使える人達の噂話も悪くないと言うのが腑に落ちません」
「となると、問題は夫人の方か?」
豪華な宝石を強請る妻。
結婚の折りにもそれは散財にも近い花嫁衣裳。
さらに、あの店だけで用意された宝石の数々。
宝石だけであれだけなのだからドレス、美食と考えたらきりのない数字に思わずうめき声を上げたくなるが
「それよりお兄さん達大胆だね!」
言いながら軽食にとスコーンを運んできてくれた若い定員の女の子が笑って言う。
聞かれてまずいと言われたらまずいのだろうが、女の子は大きな声で話し出してしまう。
「お兄さん達見ない顔だから知らないと思うけど、夫人の浪費癖ってすっごく有名なんだよ」
言えば手の空いていた店員の若い女の子達まで集まってきてしまった。
店主も苦笑しながら手を振る始末。 遊んでやってくれと。
まったりと時間を潰していた他の客までこの話題に乗ってきてしまった。
「この間なんて新調した馬車で走ってる所を見たぜ」
「あら?前回のからまだ一年しかたってないわよね?」
「そう言えば俺の知り合いの家具屋が屋敷の内装工事に合わせて家具を一新するとか言ってたぜ」
「そう言えばお気に入りの服屋がドレスを10着ほど用意しなくちゃいけないとか言ってドレスの布集めに奔走してたわ」
「あ、それ知ってる。続きがあって、気に入らないからって突き返されてたみたいよ。自分でデザインを注文したのに」
ちょっとだけでもこんな散財の噂話に正直頭が追いつかない。
「それよりもヴィクトリア様がお戻りになられているの聞いた?」
その言葉に知らないと聞いたよと言う返事に真っ二つに分かれた。
「なんでも、王都で庶民だけど素敵な人に出会って駆け落ちしたらしいんだけど、夫人が見つけ出して連れ帰って来たらしいわ」
「うわー…… どこ情報だよ」
「私の姉、あのお屋敷で働いてるの」
まじかー! こわーいー! つーか、姉最強だな!
言いたい放題で悲鳴を上げれば、だけど…… と続く言葉にみんな顔を青くする。
「駆け落ちした人も一緒に連れてきたみたいなの。
それなのにお屋敷のどこにいるか、その姿も見た事ないし、食事も用意した事ないんだって」
シーンと静まり返った店内で、一人タバコをくゆらせて耳を傾けていた店主の言葉が静かに広がった。
「あの夫人のやりそうなことだな。
本当ならあの夫人の親友がエンダース家に嫁入りする予定だったと言うのに、半年歩前に突然病気で亡くなられてな。
悲しむ夫人を領主様が慰めて決まったって話だから…… ここだけの話だぞ」
反射的に多すぎる勘定を置いて駆け足気味に店を出た。
まさかたかだか2件でエンダースの内情が把握できると思わなかった。
エンダースを牛耳ってるのは夫人の方だとしたら……
「子供にエンダースの血が通ってないのは理解できました。
ですが、確かまだ兄がいるそうですが……」
「そう言う女だ。きっと誰ひとりあのエンダースの子供じゃないのだろう」
「最悪ですね」
「何を言ってるのです。そんな所にディとラン、それとブレッドが居るのですよ」
「おや?ブレッドの事まで心配してくれてるのですか」
ちらりとアルトの顔を見ながら聞けば
「あの三人がそろっていたら我々が付く頃には事件が解決されているかもしれませんのよ!」
「ああ、そっちでしたか」
何処か残念な顔をしながら良かったですねとアルトを笑う。
ふんと鼻息荒く走る速度を速めればいつの間にか隣を並んで走る妖精シェムブレイバーのチェルニ。
お気に入りの彼女に我々の案内を任すと言うブレッドの指示とさっきの店の会話。
嫌な事が起きてる以外の選択しか出来なくて長い髪をなびかせての彼女に眉間を寄せながら
「最短で案内お願いします」
言えば頷いた彼女は道なき道へと案内する。
そして暫くもしないうちにティルルとヴィンが合流してチェルニの後に続く形で人が走りやすいように道なき道に獣道を作っていく。物の見事な一直線の。
途中川がある事もあり、後はその背に乗って空を駆けて行く。
ウェルキィは獣騎ではないので普段は決してやらないが、場合が場合だ。
二体に説明をして飛行しながら騎乗と言う暴挙にを願い出れば、仕方がないと言う顔でその背中に乗せてくれた。
これで一気に時間を稼げるが、二体の体力の消耗に彼らの戦闘の協力までは願う事が出来ない。
到着と共に
「貴方達は何処かで隠れていてください。
私達の事は大丈夫です」
少しだけティルルの好きな、耳の後ろを撫でるように書いてあげれば少しだけ心配そうに喉を鳴らしてるれた優しさに行ってきますと言葉を残して屋敷へと向かう。
「しまったな。こんな事になるなら帯剣しておけばよかった」
ブーツの隙間から取り出したナイフしか手持ちの武器がなく舌打ちすれば
「私のでよければお使いなさい」
言いながら人差し指をさしだした手で宙を一直線に切る。
そうすればキラキラとした光が集まって、やがて剣の形となり、それがもう一つ増える。
「ショートソードですが、其れよりはましでしょう。
一流の剣士は獲物を選ばないと前に聞いた事がありますが?」
「ルーティア、君は本当に最高だ」
ショートソードを握り、二、三振り回してベルトにはさみ、彼女の頭を抱き寄せて、口づけを一つ落とす。
何気ない一連の動作にルーティアは解放されてから何をされたのか理解したようで目を点にしていたけど、その頃には屋敷に乗り込むアルトの姿があるだけ。
「まったく、とんだお人だ」
呆れたように言えば、取り残されたルーティアの意識を戻すかのように手を引いて屋敷へと向かう。
「このショートソード、貴女の物ですね?よく使い込んであります」
「え、ええ。昔幼馴染が騎士になりたいと言うので、どれだけ危険な物か教える為にも私も一時期習った事があるのですよ」
「貴女はまったく変わった方だ。
普通の女性なら刺繍などをたしなむと言うのに」
苦笑紛れの笑い声はやがて確かな笑い声に代わっていく。
アルトのジャケットを脱げば誰もが振り向く大胆な姿をしていると言うのに、先ほどの不意打ちには生娘のごとく行動不能に陥ったかと思えばクラーケン相手に一人で戦うと言う事もしでかして
「なんとなくアルトが貴女を好きになった理由がわかった気がします」
「何か言いましたか?」
笑い声に混ぜた小さな呟きまではさすがに聞こえなかったようで、其れにはただ笑い返すだけで。
「さ、気を引き締めて行きましょう。
なにが待ち受けているかわかりませんからね」
「そうですね。
ですが、今の貴方にだけは言われたくはありません」
どこか冷ややかな視線に肩を竦めてしまえばどこからか聞こえる剣撃に耳を澄ませ足を運ぶ。
最悪な事になっていませんようにと願いながらもすでに始まっている戦闘に加わるように足を速めた。




