別れ、そして出会い
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バターの溶けるような、そしてどこか香ばしいような匂いで目が覚めた。
近くでかちゃかちゃと食器の鳴る音に近くで誰かが食事をしているのだとぼんやりとした頭で理解する。
それから聞こえるのは数人の最近聞き慣れた声は何処か呆れた様な色を含んでいた。
ずっしりと何処か重い体を持ち上げて、まだどこか眠い瞼をこすりながらその音の方へと顔を向ける。
どこか苦笑続きの様な顔と目があった後数回瞬きをして彼は立ち上がり
「ディおはよう!
ぐっすり寝てたから起こさなかったんだけどよく眠れた?」
朝に相応しく元気な声と共に寝ていたベットにダイブしてきた。
ボフンと柔らかなベッドがランを受け止める中あくびを零しながら
「寝たような、寝てないような、なんとなくまだ怠いかも」
ふらーんふらーんと舟をこぐと言うように、今にもまた眠りに就こうとする頭に
「相変わらずお寝坊さんですね。昨日の今日なので寝るのは構いません。
今日は船を降りてランに連れられて王都へと馬車に揺られるだけなのですから。
ですが、ぶっ倒れるまで使った魔力の回復の為にも食事だけはしなさい。
今のままではいくら眠っても回復にはつながりませんよ」
ようはエネルギーをとれって言う事だろうけど、如何せん頭が正常に働いてない。
だけどランに引っ張られるまま食事中のルゥ姉の隣の席に座れば目の前に並べた山のような料理の数々。
「あれ? 俺、まだ夢でも見てるのかな?」
きっとこれを満漢全席と言うのだろうか?
いや違う。
満漢全席は宴会様式の料理であって、間違っても彼女一人の為の料理ではないはずだ。
「なんで百年の恋も冷めるような光景が広がってるのだろう」
「この程度で冷める恋ならとっととさ冷めてしまえばいいのです」
「で、ルゥ姉はなんでみんなと一緒に食事をしてるんだか」
「魔法使いの実態を知っていただくにはいいチャンスではありませんか」
言いながら次々に料理を一口大に切り取り、そのまま口へと運ぶ作業を繰り返している。
フードファイターのようなノンストップの様は見ている分には気持ちがいい。
ただ噛んでいるのか飲み込んでいるのか不明だが、消化には悪い食べ方なのは確実だ。
既に脇に置いてあるカートの上には高く積まれた皿の数々に取り残された男どもは苦笑を零すばかり。
「とりあえず、ディの分は私が食べてしまったので新たに注文をしなさい」
皆の食事の分もあるんだろうが、既にどう見ても十人前は用意されていたのだろう。
体を起こして、ルゥ姉の食事をちょっと摘まんで食べればやはり空腹が食事を要求する。
ヴェルナーに
「とりあえず二人前ぐらい貰える?」
なんでもいいから食べたいと言う状態になった胃袋で注文すれば、ヴェルナーもうんざりした顔で料理の注文に行く。
きっと食堂でまた来たのかぐらいの嫌味の一つぐらい貰うのだろう。
どこか疲れ切った背中を見送りながらルゥ姉のパンを勝手に食べ、手の付いてないコップに白湯を用意する。
無言で当然のように差し出されたランのカップにも。
音もなくお湯を注げば、サラダからレモンを物色して、パンケーキ用の蜂蜜を一匙程度垂らす。
前に簡単レモネードもどきを作ってあげれば思いのほか好評で、以来レモンと蜂蜜があれば一人で作って飲むようになった。
一口すすり、ほっ…… と、どこか幸せそうな溜息を零した後パンを食べる俺に向かって
「今日はフリュゲール南西のマーダー領へともうすぐ到着の予定なんだ。
それから馬車で3日程の行程になる。
途中マーダー家へと寄り道する事になるだろうからそこは仕事と思ってつきあってくれるとうれしいんだけど?」
いいかい? と上目づかいで尋ねるランに俺は目を瞑り頷く。
勿論そんな事はオーケーにきまってる。
相手がどんな奴かは知らないがたかだか一夜の宿を借りる程度。
耐えてやるさと思う反面、俺はそれを了承すると頷いて安心するランの顔から視線を反らせる。
あまり人に興味を持てなかった事とか、自分に自信が持てなくて自分に興味を持てなかった事もあるかもしれないが……
もう友達と言ってもいいランと言う少年はなんでこんなにも可愛らしいと言う言葉と行動が似合うんだろうと頭をかきむしりたくなる衝動に犯される。
うん。
しないよ。
だっていま食事中じゃん。
あの後から風呂にも入ってないしと言うか普通に不潔じゃん。
きっと難ありのマーダーさんだろう相手への回り道をよしと思ってないだろうけどこうやって予定無く港を借りる以上挨拶をしなくてはいけない状況の道連れを前もって申し訳なさそうにしているランの姿を曝させる方が申し訳ない。
うん。
何か言いがかり付けてきたら魔法を暴発させよう。
そんな計画を立てながら5個目のルゥ姉のパンを横取りしたらついに教育的指導が飛んできた。
少しぐらい分けてくれたっていいじゃん!
恨めしそうに睨みつけながら
「とりあえず、見てるとお腹すくから風呂にでも入るわ」
海水で体がべとべとしてるし、何やらまだ体からあの焼かれたイカの匂いがする。
少しパンを食べただけなのにそんな事に気が回るようになった俺を
「そうするとよいでしょう。馬車の移動になったらお風呂に入れなくなるのですからね」
そんな忠告に「はーい」と気合のない声で返して魔法で風呂の準備をすれば
「あれやっぱり便利だな」
「一瞬でお風呂に入れるなんて、人間駄目になりそうですね」
「いや、これなら人間駄目になってもいいと俺は思うぞ?」
「そうしたら薪割りの人とか、風呂焚きの人とかの仕事が無くなっちゃうよ」
「それも時代の移り変わりだ」
「と言うか、私的には魔法から卒業した貴方達を尊敬してたのに。退化したいのですか?」
「お願いだから風呂ぐらい静かに入らせてもらえる?」
新しい着替えを持ってドアを閉めるもその扉の向こうから聞こえるのはお互いの風呂事情。
勝手にしてくださいと、程よい温度の湯船に静かにつかって目を閉じた。
風呂の後用意されていた食事を済ませて、お茶を飲んでる合間にマーダー領のマーダー港へとつく。
もともとヴェルナーは義理の兄のお友達の権力によって船に潜り込んだだけなので、正体がばれた以上一緒に下船する事となった。
もちろん…
「ほらヴェルナー。折角殿方から頂いた贈り物なのですよ。
丁寧に扱いなさい」
「申し訳ございませんお嬢様」
芝居がかった会話を続けながらしっかりと主従関係は確定されたままで、哀れだなと思うも先に船を降りた貴族だろうか、夜な夜なのパーティーでいくつか覚えた顔が待ち構えていた挙句
「ティア姫…」
何処か名残惜しいと言うように口々に別れの言葉を贈り物と共に渡していた。
そして最後の1人、この中で一番身なりも裕福さもずば抜け、揚句他の貴族の女の子達からも一番の人気を誇っていた男が懐から取り出した小さな小箱を恭しく開ければ大粒のダイヤモンドの指輪が鎮座していた。
それを手に取り
「どうぞ私と共にわが屋敷へと足を運んでいただけないでしょうか。
そして父にあなたを紹介させていただけないでしょうか」
「おおー?!」
突然のプロポーズに周囲は驚きに、そしてどこからか不可侵条約はどうした! と、非難がましい声も聞こえるが、ルゥ姉は少し小首を傾けて豆でも拾うような手つきでひょいと指輪をつまみ上げる。
男がどこか嬉しそうな顔をする中、ルゥ姉は小首かしげたまま指輪を見つめて…… 元の位置に戻した。
「なるほど。
このようなまがい物が似合うと言われるとは、それともあなたの審美眼の程度の低さの問題でしょうか?
こう見えても幼い頃より一流の品々に囲まれて過ごしてきました。
紛い物とて一流を超える品も存在しますが、このような三流品を私に贈ろうとは、舐められた物ですね」
薄い唇が描く弧はまさに魔女が獲物を舌なめずりしているさま。
虚仮にしてくれてどう料理してやろうかと楽しむようなそんな様に男は顔を真っ青にして「違うんだ」と弁解しながらも一歩、また一歩と後ろに下がって逃げようとするも、それを許さないのがティア姫の下僕達。
あっという間に男を何処かへと連れ去って見えなくなってしまうも、どこからか聞こえる悲鳴に顛末を知る事が出来た。
「まったく、世の男達と言うのはどうして女を知性の欠片のない存在だと思うのでしょう」
「少なくとも男を金づるとしか見てない誰さんといい勝負じゃない?」
思わず呆れて言って見たものの全く悪びれる事無くルゥ姉は笑う。
「金は天下の回り物と言います。
こうやって経済を動かす事でより国は潤い、そしてそれを作った作り手達も潤うのです。
誰に渡すかわからない物を溜めこむぐらいなら私が頂戴するぐらい何の問題もありませんでしょう!」
思わず納得してしまう彼女の独自理論に拍手をしてしまうが、その間を読み取って先ほど集団死刑を執行した男達が戻ってきてルゥに事の顛末を報告する。
やはりと言うか、ルゥ姉が見抜いた通りあの男は結婚詐欺師で、ルゥ姉をガーランド国へと人身売買する事を企んでいたようだ。
ランやブレッド、アルト、ジルも厳しい顔をして突き出された詐欺師をアルトの部下が正式に捕縛する。
「本当なら芋蔓式に捕まえなくちゃいけないんだろうが、この時期ならガーランドへの道はまだ限られてるからな。
国境を超えるまでに捕まえるさ」
「戦争が終わってまだ一年しかたってないって言うのに、こんな事が起きるなんて……」
「ガーランドの奴隷制度は何とかならんのか」
「プリスティア同様北方の国々の奴隷を買ってでも畑を耕し、魔物を駆逐しないと成り立たない国。
せめてプリスティアのように魔法文化が強く残っていればもう少し楽に冬を過ごせるものの」
「同情するな。俺達は俺達が出来る範囲で支援をしている。
これ以上首を突っ込んでこの国をまた貧困に導くわけにはいかん!」
アルトの強い言い方にその場にいた全員が強く頷く。
俺同様ルゥ姉もフリュゲールの情勢に詳しくない為にその並々ならぬ物騒な会話の内容に着いていけなかったのだが……
「奴隷っているんだ」
「そのようですね。ハウオルティアでは貴族と市民にきっぱり別れてましたが、市民でも支配階級と労働階級にさらに別れてますが、こちらでは労働階級を指す言葉でしょうか?」
ふむと腕を組みどういった者を奴隷と呼ぶのか今一つ判りきってないルゥ姉と、雪兎の世界の人権的に問題しかない記憶の俺に、取り巻きの人がそっと教えてくれた。
「奴隷と言うのはハウオルティアやその周辺国にはない制度ですが、奴隷とは市民権もなければ、人としても認めてもらえない人を指すのですよ」
雪兎の知ってる一般知識が正解だった。
「ウィスタリアが早々に奴隷制度を撤廃してどれだけ貧困の差がうまれようと総てを人として平等に扱うようにと『労働階級』と呼ぶそうですが、それはしょせん裕福な国の考え方なのですよ」
苦笑紛れに言うルゥ姉の下僕はそれから一枚の紙を俺に手渡してきた。
「王都に私の屋敷があります。
よかったら遊びに来てください」
ぱちりとウインクした人のよさそうなダンディなおじさんのメモを見れば名前と住所が書いてあった。
「ブルクハルト・チェリウス?」
名前があっているか聞けば男はウインク一つして正解と言う。
ものすごい顔でアルトとブレッドがこっちを見た事にびびったが、男はルゥ姉の手を取りキスを一つ落とす。
「それでは私は船を乗り換えて迎えの来るリズルラントの港へ行かなくてはいけないので失礼いたします我が姫」
そう言ってかぶっていた帽子を片手に振りながらリズルラント行きの船に乗り込んでいってしまった。
勿論その他の男達も同じようにルゥ姉に自分の住所と名前の書いたメモを手渡し、その手にキスをして。
やがて間もなく出港した船を見送ってから、俺達は港に常駐している軍から馬車を借りて出発する事になった。
長閑な農耕地帯の続く一本道をヴェルナーとジルが交代しながら馬車を操る。
ティルルとヴィンもすでに船を降りていて、既にこの近くの森の中を人目に見つからないように隠れて並走していると言う。
森なんて見えないのにねと思えばブレッドがあっちの方にあるんだと教えてくれた。
真相どうあれ、二体にはそんな距離でも十分だと言う。
暫くもしない間にまだ青々しい若い麦畑が続くその中にぽつりと小さな林が出現した。
「あそこがマーダーの屋敷だ」
アルトがつまらなさそうに言えば緩やかな登り道だった背後には青い海が広がっていると言うぜいたくな景色を抱えていた。
そして三階建の重厚な煉瓦造りの家が見えてきて、色とりどりの花と趣味の悪い噴水、いかにも金持ちですと言う彫像が並ぶ屋敷の前に降り立った。
「目がチカチカしますね」
金ぴかの彫像と言い、原色の花と、出迎えに来たその当主の衣装。
舞台衣装なら問題ないのだろうが、さすが握手が出来る近距離では見たくはない。
背後に控えている執事さんの影が小さくなりすぎて存在感さえない。
「陛下、この度はとんだ災難でしたようですね。
無事のご帰還臣下の1人として嬉しく思います」
恭しく、でもどこかで死んでくれればいいのにと言うような芝居がかった仕種と言い回しに嫌でもランの協力者とは見る事が出来ない。
「ほんとそうだよ。
クラーケンと出会って無事に帰れてホッとしたよ」
「またまた、陛下には聖獣や精霊だっておられる。
相手にはならないでしょう」
はははと笑うマーダーにブレッドのこめかみに青筋が立ち上がる。
この人、そのうち血管でも切れて死んじゃうんじゃないかと心配するも
「いえいえ、クラーケン如き陛下がお相手するまでもないですよ」
そう言って間に入ったのはアルト。
「おお、これはノヴァエス卿。お久しぶりですな」
「マーダー卿もお変わりなく。
それよりもぶしつけで申し訳ありませんが、こちらのご婦人を寝所に案内できましょうか?
少々船旅に疲れた様子なので」
「おお、それは失礼を。連絡は届いておりますぞ。
それにしてもなんと美しい方でしょうか。よろしければお名前を」
「ルーティア・グレゴールと申します。
そしてこちらは弟のディータと言います。
皆様とは船旅の縁よりご一緒させていただいております」
そんな簡単な説明もろくに聞かず視線は胸元に、鼻は伸びきったみっともない顔でルーティアの手を取る。
「それはそれは、さぞ大変な船旅となったでしょう。
私とした者が、このような美しい方を立ちっ放しにしていたなどお恥ずかしい限り。
さ、さ、どうぞこちらに」
誰よりも尊重するべき国王を置いてルーティアの腰に手を回し案内する後ろ姿に誰ともなく溜息を零す。
「行っちゃったけどいいの?」
「よくないに決まってるだろ」
アルトが当主が置いて行った執事に目を向ければ、執事は身震いをして小さくなる。
「マーダー家執事のセバスチャンと申します。
ご滞在の間何なりとお申し付けください」
その背後には居た事さえ気づかなかった地味なメイド達が並んでいた。
「そう言えばバッシュと言う家令がいたと思ったが……」
「はい。バッシュはただいま別宅にてご療養中に御座います。
ご年齢から腰を痛めてしまいまして……」
その言い方に何とも言えない影を読んでしまえば苦々しい笑みと共に
「ごらんのとおり、当代当主は先代に質素倹約を押し付けられた反動からか、先代が先の戦いで亡くなった後それは好き放題で。
このようなお見せできない状況をお披露目する事になるとは……」
「ですが、まだ当主認定議会からは認められてないでしょう?」
ジルが難しそうな顔で言えば
「はい。当主である為のマーダーの印は先代が隠したとバッシュ様が申されてまして」
「で、腹いせに離れに閉じ込めたのですか」
「他に兄弟は?」
「居る事には居るのですが、既に嫁がれてしまったユリアーナお嬢様と引きこもりがちな弟君のカール様になります。
カール様はこの家に興味がなく…」
八家の務めなんて知ろうともしないと言う。
「それは大変だな」
アルトは全く大変と欠片も思ってない顔で二階の窓を睨みあげた。
釣られるように見ればまだ幼いと言うにはふさわしくない子供が怯えたようにカーテンの影に消えて行ってしまった。
年の頃はたぶんブレッドと同じくらい。
遠目にも痩せこけていて……
「先代がご存命の頃はそれはもうやんちゃな方でしたのに……」
ここでも現当主の暗い影の部分がちらつき、誰ともなく溜息を零す空気の中、それでも執事の鏡のような名前を持つ男が努めて明るい声と笑顔を振りまく。
「このような屋敷ですが、我ら一同全力を持って精神生命こめてご滞在の間、務めさせていただきます」
何の号令もないのにぴったりとお辞儀の角度そして頭を上げるタイミングをそろえて出迎えてくれた。
「なんだ。まだマーダー家の希望は残ってるじゃないか」
小さな声でアルトが呟いた言葉にメイドさん達一同がほんの少しだけ嬉しそうな空気が広がった。
船旅編はこれで終わりになります。
そして陸路編になります。
なかなか王都に辿り着きません(涙)