勝利の条件
軍の人達が使う通路からデッキに出ればそこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
既に犠牲者も出ている。
所々血で汚れているも汚れた側から波が総てを流していく。
月明かりに浮かぶ夜の海に視線を投げれば荷物や売店のテーブルなどが放り出されていた。
「状況は!」
砲撃の合間にブレッドが叫ぶも
「完全に劣勢です!」
「何人かが海に落ちましたが、生死は不明!別の隊が救助活動中です!」
誰かが返した言葉と同時に船がまた大きく揺れる。
海水で滑るデッキの中、手摺につかまりながら襲い掛かって来たイカ、もといクラーケンの足が振り下ろされてきた。
『シェムブレイバー!』
クラーケンに向かって拳を伸ばし、力の限りあの高速で飛ぶ妖精の羽を思い浮かべて叫べば遥か頭上でその足が切り落ちて
「うわああ!!!」
落下してくる巨大なクラーケンの足に俺達も含めて慌てて逃げる始末。
本体から切り離してもびったんばったんと動く様は大迷惑。
「ディ! 切るならもっと安全な場所でやりなさい!」
「ごめん! まさか一発で切れるとは思わなかった!」
ゲソの落下により大きく揺れる間に離れた距離に大声で言えば側に居たジルが俺の首根っこを掴んで安全を確保してくれていた。
ちなみにあんたらが本来守るべきランは足を滑らして転んだ拍子に船が傾き、たまたま開いていた船内への扉の内側へと波しぶきと共に行ってしまった。
誰ともなく息を呑み見なかったふりをしたのを俺はタイミングよく目撃してしまったのだが、ジルは何でもなかったと言うようにキリッとした顔で叫ぶ。
「アルト! ティルルとヴィンはまだ出せませんか!」
「さっきの襲撃で船が歪んだ!扉が開かないっ!!!」
船内に流れ込んだのならもう安全だろと言うようにキリッとした声でアルトが答えた。おいおい……
そんな事にはお構いなく開くはずだった場所の床が下から何かがぶち当たる物音が響く。
だけど、女王の名前を頂くように頑丈につくられた船。
それぐらいで破られるわけもなく、ただいたずらに時間が過ぎていく中
「どきなさい!」
手摺を伝ってそこに向かったルーティアが手を横に振るう。
キラキラとした光が舞ったかと思えばその光が集まって一本の棒状になる。
先端には月明かりの下でも淡く光る黄色の石が付いているが、その光がどんどん強く輝きだし
『我求るは業火の炎
我を阻む物を焼き尽くせ
フレアランス!』
杖を床に向かって振るえばその輝きが尾を引き、一本の炎の槍となる。
着弾と共に煙と熱気を振りまけばその後扉が内側からの突撃の音と共に遂に破壊された。
「ヴィン! あいつをこの船から引きはがせ!」
「ティルル! クラーケンを食いちぎりなさい!」
やっと狭い倉庫から出る事が出来た2体はそのまま空へと駆け上がる。
「素晴らしい!空を飛べるのですね!」
2体の雄姿にルーティアは興奮するかのように叫べば
「さあ、お前達も行くぞ」
遠くから聞こえたブレッドの声と同時に光が走った。
通り過ぎる合間に見えたのは4体の妖精。
振りまく光の粉の軌跡が宙を舞う中、それはやがて閃光となる。
船内でも早いと思っていたものの、外では比べ物にならないくらい早く飛び交う彼らはクラーケンの足をかいくぐり体を傷つけて行く。
さらにヴィンとティルルの体当たりや鋼の様な体毛や翼が剣となってクラーケンにダメージを与えて行く。
その合間にもう一発シェムブレイバーを当てて足をもぐも、
「しぶといわね」
イカは船体からまだ離れない。
その体をすでに船の上に大半を絡ませて海の中に引きずり込もうとする。
「ルゥ姉! とにかく足を焼いて!」
「焼いてどうするのですか?! 食べるつもりですか?!
大体水属性の魔物と火属性の炎では勝ち目がありません!」
「動きぐらい封じれる!」
「だったらいいのですが、ね!」
言いながら、また魔法の火を当てるも、少しのけぞるぐらいですぐにまた船に絡みつく。
その様子に舌打ちしをし
「援護をお願いします!」
言いながら強く輝く宝石の付いた杖で宙を一閃する。
『我求めるは総てを切り裂くの一陣の疾風
我に仇名す者を切り裂き総てを吹き飛ばせ
おいでなさい我が下僕、疾風の化身・狂嵐のミュリエル』
一閃した軌道から緑の輝きがうまれ、そのまま夜空へと舞い上がり、すぐにルーティアの目の前にやって来たのは人型の
「精霊……こんな小っちゃいのにちゃんと精霊だ……」
波に流されても負けずに戻って来たランが驚いたようにミュリエルと呼ばれた精霊を凝視している。
ただし今度はいつの間にか破壊された船内に続くドアの手すりにつかまって。
意外に逞しいなという驚きの中ルーティアの差し出した手の指先にキスを落として宙を舞う。
「妖精達がすでに戦闘を始めています。
我々の味方なので傷をつけるような真似は許しません」
言えば一つ頷いて長い緑の髪とドレスを翻してクラーケンに向かって飛んだかと思えば空気の唸る音と共にクラーケンの耳が切り落とされた。
さらに足も切り落とし、段々と欠けて行く姿に周囲の士気が上がる。
「ルゥ姉、ベーチェも呼べる?
切った足を焼いてくれないと二次被害が!」
デッキで未だバッタンベッタンとのた打ち回る切り取られたクラーケンの足の生きの良さにふむと頷き
『我求めるは総てを焼き尽くす紅蓮の炎
我求る物を焼き尽くし総てを無に
おいでなさい我が下僕、炎の化身・炎獄のベーチェ』
いつか聞いた呪文と共に姿を現したベーチェも指先にキスをする。
「さあ、あなたはあの残骸を焼き尽くすのです。
船を焼いてはダメですよ」
言えばコクンと頷くベーチェ。
そして視線を一度宙へと移したと思った先にはランの鳥が空を飛んでいた。
シュネルに向かって胸はまっ平だけど淑女らしくドレスをチョンとつまんで挨拶をしていた。
どうやら知り合いらしい。
その後にクラーケンの切り取られた足を焼いて行く。
一瞬にして、次々と。
そして漂うイカ焼きの匂い。
「ご飯食べたばかりなのにお腹すいてきた」
「私はイカ墨のパスタを所望しますね!」
魔法と言う物はとにかく体力を消耗する。
精神力はもちろんだが、同時に疲れるのだから性質が悪い。
なので魔法をたくさん使った後はやたらと腹が減るのだが、それはまた半端な量ではない。
ルーティアだって軽く大人5人前ぐらいは食べるし、俺だってこのサイズで大人2人前ぐらいペロリとイケる。
燃費の悪さは半端ないけど、食べれば解消できるのだ。
食べりゃいいだけの話で、ベーチェが焼いたクラーケンの足の一部を怪我で蹲っていた軍人さんからナイフを借りてそぎ落とし、口へと入れる。
「んまっ! ルゥ姉も食べるべきだよ!」
「食べやすいようにして寄越しなさい!」
さきイカ状態にして渡せばむしゃむしゃと食べて
「ワインが欲しくなりますね!」
「さきイカにはビールでしょ!」
もう一口そぎ落として体力の回復を図りながらまた魔術を放つ。
「なんだこの緊張感の欠片のない戦場は……」
「紅蓮の魔女の1人舞台とは聞きましたが、まさかこんな意味があったとは……」
「どう見てもふざけてるようにしか見えないのに何で圧倒的に強いんだあいつらは……」
アルト、ジル、ブレッドがその光景に頭を悩ます中、また二人はかじりついていく。
目の前で自分の足が食べられていく様をどう思うかなんて知った事じゃないが、クラーケンは次第に減っていく足の本数の中ついにマストに絡めた足がそれを折る。
メキッ、ベキッ、そんな嫌な音と共に、船は大きく傾くも
「ミュリエル! 折れた所からマストを切り離しなさい!」
このままだと船にも穴が開くし、折れた向きによってはそのまま船が横転してしまう。
そんな事ならとの判断だったが運悪く船の先端に向かって傾いて行った。
「ヴィン! ティルル! マストを押して被害を最小限にしろ!」
「全員退避!」
倒壊方面にいる乗組員に退避を促しながらヴィンとティルルもせめて船の横側に向かってと頭で押すもすでに時間はなく
マストに向かって手を伸ばす。
砕け、塵尻になるようなイメージはマスト1本のみ。
伸ばした手で握りしめれば、砂のように脆く砕けるように!
船の上に倒れる前に崩れ落ちるように!
『砕け散れっ! グランドクラッシュ!』
腹の底から、イメージと共に魔力を解き放つ。
魔力の帯がマストを絡み取り、支配していくそんな感覚。
瞬く間もなく乗っ取れば次の瞬間には砕け散っていた。
それは潰された土の塊のように脆く、砂のようにさらさらと砕け散っていく。
「やった、ね」
その後の事は覚えてない。
ただ遠くでどこか困ったような声が聞えた。
「やれやれ、まだ力の使い方が下手ですね」
だけど苦笑するかのような声に俺は初めて使う魔法が成功した事を知る。
「さて、戦力が一人欠けましたが、船の沈没の危機は一時的にはしのげました。
それに弟子がこれだけ頑張ってるのに私が頑張らないわけにはいかないでしょう。
ブレッド! あなたの部下とお友達達が邪魔です。船内にひっこめなさい!」
「邪魔って……」
呆れたかのように呟くも
「全員船内に退避! 巻き添えを食らうぞ!」
アルトが指示をちゃっかり出していた。
「ベーチェ、ミュリエル、あの図体のでかいだけのイカの退治の時間です。
ここは海の上ですからね。船さえ守る事が出来れば思う存分力を振るう事が出来ます。
我々の勝利の条件は船を壊されずにイカを倒せばいいのです。
さあ行きましょう!」
どこか喜色さえ含むその指示に部下をさがらせて責任者としてデッキに残ったブレッド、アルト、ジルは勝利条件のあまりの内容にぎょっとし、ちょっと待てと言いたかった。
いくらなんでもおおざっぱすぎるだろ! と。
だけどすでに戦闘は開始された後。
少し距離があるとはいえベーチェの炎の温度に近づく事が出来ない。
船上で荒れ狂う台風を纏うミュリエルの風の余波に足を一歩出す事さえできない。
そんな中ルーティアはまるでダンスでも踊るかのように髪をなびかせ、ドレスの裾を翻しながらクラーケンの足の攻撃を人が出せるスピードとは思えない速さで躱し、風で巻き上がる炎を纏いながら魔法を繰り出す杖を振るい攻撃をする。
2体の精霊の力を借りたかのような圧倒的な力でルーティアが叫ぶ。
『風を超え音となり、唸り、屠れ
不可視の刃シェムブレイバー!』
ディータが小さな妖精の羽をみて編み出した魔法をルーティアが唱える。
炎さえ置いてきぼりにして金属音の様なキィン……と唸る風の音を残した後、静寂が訪れた。
何もなかったと言うようにクラーケンは残り少なくなった足で船体を絡め取ろうとするも、ぞぷりとその大きな体が傾き、海へと落ちて行く。
残ったのは足と、口を残したわずかな体のみ。
指示もなくうねるだけの足はやがて海へと帰って行った。
「ふふふ、勇者の剣はなかなかに危険な物ね」
言い残して体が傾き、その場に倒れようとした所にいつの間にか火の勢いも風の勢いも無くなっていたデッキの上をアルトが手を指し伸ばして受け止めて意識を失くした顔を見つめていた。
「ったく、とんだお嬢さんね。
アタシの出る幕なかったじゃないの」
「ヴェラートあのね……」
エメラルドグリーンの短く切りそろえ、大きなピアスをぶら下げながら目の前の戦いに紅を付けた唇が優雅な弧を描く。
「あの子もやんちゃだったけど、ランの乗った船を襲うなんて自業自得よねぇ」
「と言うか、お前は何もしてなかったな」
「だってぇ、アタシが手を出す暇なんてぇ、どぉーこにもなかったじゃないのよぉ」
身体をくねくねとくねらしながらその手がランの体を背後から抱きしめる。
二人の間に手摺を挟んでいるとはいえオカマ口調の男に抱きしめられる様は見る側に眉間を狭めてしまう効果が十分にあった。
「それを言ったらシュネルも何もしなかったじゃないか」
「私か? 私はあれの弱点を指示したぞ」
「戦闘に加わってないじゃん。
二人がちゃんと戦ってくれたらディもルゥ姉も倒れる事なかったのに」
「我々が居なくなった時の悲劇は何度も話をしただろ?」
「だけど今はいるじゃん。少しくらい、気づかないように手を出してくれたっていいでしょ?」
「あら? 私は気づかれないように手出ししたわよ。
と言っても出したのは手じゃないけど」
言いながらランは手摺の外の、船の外を眺める。
抱きしめるヴェラートの体が途中から鱗で覆われた蛇の様な、魚のようなそんな細長い体の先を覗き込みながら
「夜だから見えないでしょうけど、クラーケンちゃんが暴れても最小限の揺れで留めてあげていたのはアタシのお・か・げ」
パチンとウインクをすればシュネルがこれ以上とないくらい顔を歪めるのがおかしくって思わず声を上げて笑う。
「二人とも助けてくれてありがとう。帰って落ち着いたらまた一緒に遊ぼうね」
「んー! それは楽しみぃ!
街で気になるカフェを見つけたのよぉ!
ぜひ一緒に行きましょうねっ!」
頭のつむじにぶちゅーっとキスを落としてその身を海へと躍らせた。
そして遠くへと去っていく姿に数日前見せた海を揺蕩う美しいドラゴンの姿だとどれだけの人が気が付いただろうか。
その姿を見送ればキスを落としたつむじの上が暖かくなる。
ヴェラートが居なくなってようやくいつもの場所に落ち着く事が出来たようだ。
「そろそろブレッドと合流しよう。どこに行ったか騒ぎになるぞ」
「だね。これから後片付け大変だろうな」
「それも仕事だ」
「はいはい」
しだいに船員が増えて片づけだす隙間を縫うようにランとルーティアを抱えるブレッド達の近くに何もなかったかのようにそして戦闘の後らしく心配した顔で合流をした。
船旅編は次回で終わりの予定です。
その次は花の都編になります。
よろしくおねがいします。