11時~
「ねえ?
そこに居るのは分かっているわ
答えなくても構わないから、聞いて頂戴?」
蝶亡が岩の前で、そっと話し出した。
「私たちはただ、楽しみたいだけなの
私たちがそういう主義なのは貴女が一番、知っているでしょう?
快楽至上主義の化け物
我ながら、とてもたちが悪い存在だと思うわ
でも、それが故に私たちは・・・
それを救ってくれたのは貴女なの
快楽を得る事しか考えず
バラバラだった私たちをまとめ上げるきっかけを作ってくれた
私はかつて“あやかしの救世主”だった
でも、そのようにしてくれたのは貴女
貴女が、私に救世主のやり方を教えてくれたおかげで・・・
私たちはここまで来れた
私たちの再生の立役者である貴女が、
私たちの宴に姿を現さないなんて寂しいわ?
だから、そんな寒くて暗い場所から出てきて頂戴?
じゃなきゃ、貴女のいる宴を始められないわ?」
まずは説得という事だろう。
・・・やっぱり連中の正体は“あやかし”だったか。
頭では分かっていたが、それでも受け入れがたい事実。
そんな者らでも、忌み子様は救ってきたのだ。
忌み子様はありとあらゆる願いを叶える神。
忘れ去られ、永遠に失われかけた僅かな灯火をも
再び大きく強く燃え上がらせる。
たった一つの“滅びたくない”という願いのために。
「・・・反応、なしだな」
「残念
さすがに神様ともなればこの程度では、ほだされないか」
「ではいよいよ作戦、決行ですか?」
「ええ、やむを得ないわ」
そうして、作戦は開始された。
・・・・
からん。 からん。
分厚い高草履で歩を進める度に
乾いた木と硬い石を打つ、耳心地の良い音が規則的に響く。
入口を大岩で塞いでしまったために
洞窟の中は完全なる暗闇に支配されていた。
そんな暗闇も、私の目には意味を成さないが。
やがて、歩き疲れて
洞窟の奥にある石に腰掛ける。
・・・私は忌み子
村の習わしから、神に祭り上げられたとは言え
私はあくまでも忌み子に他ならない。
神であっても、忌み子。
ゆえに私は身の程をわきまえて慎ましくあれ
と言われて生きてきたのだ。
忌み子だから、何をされても仕方ない。
要らない子だから、誰も私の事など意に介さない。
だけど、私は神様だから皆の願いを叶え続けなくてはならない。
「ふふっ・・・おかしな話よねぇ・・・
虐げられし者が、己を虐げる者を庇護するどころか
救わねばならぬとは・・・どんな生き地獄なんだか」
がり、がり、ぎゃり。
だから、私は・・・。
・・・。
「確かに、ハロウィンに神様が参加しても良い
という決まりはないけれど
同時にハロウィンに神様が参加してはならない
という決まりもないでしょう?
・・・私は好き好んで神様をやっているわけじゃないのに」
がたん、だん、だん。
今思い返すだけでも不愉快だ。
おぼろげなパーバションの記憶に則り
私の巫女でありながら、あの娘に尽力するマミラ。
そして、そんなパーバションの意味もない戯言に付き合う蝶亡。
パーバションが今どうしてそのような事になってしまったのか
全てを知っていながらの、“協力”だ。
「蝶亡も意地の悪い・・・
そんな事をして、無駄に希望をもたせるなんぞ
かくも残酷な事を・・・」
・・・ぐるるる。
傍から見れば私は意味不明な
気の触れた子供だろう。
それは否定しない。
私は己が正気のつもりでいるが、
いつの間にか論理や常識が破綻を起こしていても不思議ではない。
そもそも正しい世界や、人の姿を私は見た事がないのだから。
だが、それでも私は・・・。
人のため、世のため、
あの日まで“忌み子様”として頑張り続けたのだ。
蝶亡やマミラよりも
人の気持ちや、世間的な考えなどに通じているつもりだ。
彼女らは、自分が正気であると疑いもしない人種だ。
善行だけ積み重ねていけば、罪は許されると信じ
ひいては、それらが世の中をより良くしていく事柄だと・・・。
世の中は良い事だけで済むほど単純ではないのに、だ。
よく言えば純粋で善人、悪く言えば盲目的で本質を理解していない。
パーバションのためになる、と信じて
今回の“ハロウィン騒ぎ”を起こしているが
そんな事が、パーバションの望みなはずがない。
喉の渇きを、必死に唾を飲んで誤魔化すのと同じ事だ。
一瞬だけ満たされたように感じるが
程なくして、渇きを覚える。
虚しい、意味のないことだ。
パーバションをより一層虚しくさせるだけだ。
・・・いや、そんな綺麗事を抜かしたくて
私はこんな行動に出たわけではない。
私はもう、忌み子様を辞めたのだ。
素直に認めよう。
私は、蝶亡やマミラによって甘やかされ庇護される
パーバションを妬んでいるのだ。
だから、除け者扱いに耐えられないし
それ以前に“パーバションのためのハロウィン”が不愉快だ。
「・・・悪い子ね
パーバションをあんな風に壊したのは
他ならぬ私だというのに。
神を名乗って、パーバションに“罰”を与えようとするなんて
私はなんて悪い子なのかしら
パーバションにはそんな義理はないし、
私にそんな権限もないのに」
がりがりがりがりがりがりがり。
深くため息をついて、頭上の暗黒を仰いだ。
無意味で、無意味で、無意味で、
諸刃の刃のような己の在り方にただただ嘆く。
生産性もなく、利益も生み出さない。
そのくせして他者を傷付け・・・己すら斬る。
なんて意味の無い事をしているのだろう。
「はぁ・・・悪かった
“貴方”に語り掛けるような真似をして悪かったわ
そう、そうよ
私は愚痴を言いにわざわざここまで来てしまった
でもそのせいで“貴方”の眠りを妨げたのなら謝るわ
しかも私の話で嫌な事を思い出させて申し訳ないわ
だから、そう気を立てないで頂戴
分かった分かった
静かにするから・・・
ほら、あげるから許して?」
・・・ぺちゃ、ずるるっ。
「うん・・・良い子ね、ごめんね?
さて、愚痴はこれくらいにして
そろそろ、具体的な解決策を講じないとね・・・?
あいつら、何だかんだで義理堅いから
主である私がこんな洞窟に引きこもったとなれば
大慌てでしょうね
早く帰って、あいつらが必要にしている
衣装に菓子を用意してやらなくちゃ」
荒んだ気持ちが、彼によってほだされたのか
不意に穏やかになった。
そもそも報いを求めようという考えが愚かなのだ。
恩は仇で返されるものと思って
恩を売らねばならない。
それこそが私という忌み物の在り方。
それだけが唯一、許された生き方だった。
目を瞑り、そっと呼吸をする。
落ち着いて、さあ帰ろう。
がたっ
「・・・なあに、ノストゥ?」
がたっがたがた。
「・・・ノストゥ」
がたがたがたがたがたがたがたがたがた。
「———ノストゥじゃない・・・!?」
最初は、ただの物が揺れるような音だけだった。
だが次第に、音だけでなく
明らかに地面が揺れているのを感じた。
・・・いや、地面ではない。
揺れているのは洞窟そのものであった。
「一体、何事っ・・・!?」
慌てて私は立ち上がって
洞窟を駆け出した。
入口に近づくにつれて、揺れが激しくなっていた。
何が起きているのか分からないが
人間業ではない事は火を見るより明らかだった。
ノストゥは私に己の存在を教えるように物音を立てるが
何も、洞窟全体を揺らすほど暴れたりはしない。
というより、何をどう暴れたって洞窟全体が揺れるはずがない。
人為的にこのような事が出来る者は
ノストゥ以外だと、社に住まわせた妖怪共にも出来ると思うが・・・。
いや“家を揺らす妖怪”なら確かにいるが、
“洞窟を揺らす妖怪”は聞いたことがない。
人為的な線は考えるのを止めよう。
超自然的な物の可能性の方が高いだろう。
地震だ。
ただの地震だとすれば、老朽化の進んだ社は無事では済まない。
今すぐにでも私が戻らねば、社は倒壊し
マミラは住処を追われる事になる。
私は自分の社に関してそこまで思い入れはない。
むしろ、あんな忌まわしい場所・・・
燃えるなり何なりどうとでもなれ、とも思うが
マミラにとっての家を壊すわけにはいかない。
私はほとんどマミラのために駆け出していたのだ。
「はぁっ・・・!」
やがて洞窟の、大岩で塞がれた入口にたどり着いた私は
大岩に手をかざし、力を込めた。
最初はびくともしない大岩だったが、念を込める度に感触が変わった。
ぽっかり開いた洞窟の入口を丸々塞ぐ大岩が、
ただの小娘の一押しに動かされる。
両手で押しながら、私は踏み込んだ。
大岩がずれて塞がれた入口から光が差し込むのが見えた。
人ひとりが抜け出すには十分な隙間だった。
急がねばマミラの唯一の雨露を凌げる寝床を失ってしまう。
隙間の先がきちんと外に通じているのか
私は確認するために、隙間を覗き込んだ。
「・・・え」
眩しい光に目を眩ませつつも
私は目を凝らした。
ここは湖の程近くにある洞窟。
この入口から数十歩、行けば湖にたどり着くほど近い。
だから、この入口からは湖の湖面がよく見える。
私が動揺していたのは
その湖の水際に居た人の姿のせいだ。
着物を腰のところまで脱ぎ
上半身を大きく露出させた美しい女性の後ろ姿が見える。
肩ほどの長さの黒髪をしきりに撫でているのが分かる。
・・・どういう事なんだろうか。
この近くの、かつて私を奉った村は滅んで
人ひとり住んでいない。
住人と呼べる者はマミラただ一人だが・・・
あの後ろ姿はどう見てもマミラではない。
と、すればあの女性はどこの誰なのだ?
あれだけの激しい揺れがあった後・・・
いや、今もなお揺れているのに。
何故あの女性は冷静に水浴びをしているのだろう。
・・・いや、待て。
明らかにおかしい。
私は洞窟から出る寸前になって
一歩後ずさった。
この揺れは・・・洞窟だけだ。
今もなお揺れているが、
ただの地震ならば外も一緒に揺れていなければならない。
なのに、あの女性は落ち着きはらい
木々も湖の湖面も揺れていなかった。
まさかとは思うが、
本当に‟あの妖怪”がこの揺れを起こしていると・・・?
いや、だがあの妖怪・・・
“家鳴り”は人が建てた建物しか揺らせないはず。
しかし、こんな現象を引き起こせる怪異は奴らくらいしかいない。
「と、すれば
お前・・・否哉だな!?
何の目的か知らんが、人をおちょくると言うのならば
私とて黙っておらぬぞ・・・!」
私は洞窟の中から怒鳴った。
恐らくは私を洞窟から出す蝶亡の策略だろう。
本気で心配して飛び出しかけたこちらからすればたまらん話だ。
洞窟のすぐ外に否哉を配置する意味がまるで理解できないが、
このまま外に出れば蝶亡の策に嵌ったという意味になる。
それはとてつもなく不愉快だ。
否哉は美しい後ろ姿で目を奪うが
その素顔は爺で、シワだらけの顔を見せて人を驚かす妖怪だ。
それだけで、それ以上の能力は有さない妖怪だ。
「誰がそちのような小娘を神と崇める?」
「・・・そなたを木っ端みじんにしてから
蝶亡を拷問してやっても良い
立場を弁える事だな」
「くくくっ・・・!!」
「何がおかしい・・・!?」
美しい後ろ姿のまま、否哉は受け答えする。
喉で笑う否哉はひとしきり笑うと
信じ難い事をのたまった。
「我らには新たに、尊き御神が付いた!
そちは用済みという事だ小娘!!
見るが良い! そちなどには敵いもせん社の主を!!」
「———っ!?」
そうして、信じ難い事は・・・信じ難い事態に成り代わった。
否哉が佇んでいた湖の先を見ると
そこに在るはずのない私の社がそびえ立ち
障子が開け放たれた社の中には神々しい男の姿。
頭髪のない長い頭をした老人だった。
くたびれた着物を着ているが
どうにも威厳と気迫を感じ取れる。
社の主には相応しい風格の持ち主と認めざるを得なかった。
・・・いや、私には分かる。
あの老人の正体は“ぬらりひょん”だ。
人の家に上がり込み我が物顔で茶を飲んだり
好きに振る舞うが、家の者は“この人は家の主だ”と思い込み
ぬらりひょんを追い出すなどの事は出来ない。
なるほど、これがその思い込みか。
私はあの老人の正体を頭では理解しているのに
あの家の主・・・つまりは社の主である神のように思えて
とても敵う気がしない。
蝶亡め・・・よく考えたものだ。
ああして、ぬらりひょんに私の社を乗っ取らせる事で
私の神性を貶め、結果的に忌み子様の能力を削いで
私を弱体化させるとは。
「・・・力を奪われ、
困り果てた私は観念して洞窟から出るしかない、か
考えたものね、蝶亡」
ぽつりと、思わず私は呟いた。
・・・・
蝶亡の考えた策は大胆なものだった。
“天岩戸に則るから斬新さに欠ける”
と言っていたが
私には斬新さの塊のように思えた。
家鳴りという妖怪によって
忌み子様が閉じこもった洞窟全体を揺らす。
異常を察した彼女は外の様子を伺う。
問題は家鳴りは家を揺らす妖怪であって
洞窟を揺らせるかどうかであったが
家鳴り自身に聞いてみたところ
“中に人間が居るなら洞窟でも何でも大丈夫”
とのこと。
次に様子を伺った忌み子様の注意を
否哉という妖怪が引き付ける。
何でも、否哉という妖怪の要は視線を集める事だ。
しわくちゃの顔を向けただけでは人は驚かない
まず、最初に美しい女性的な後ろ姿を見てもらうために
否哉は人の注意を引き付ける能力を持っているらしい。
そしてこの否哉こそが本作戦の要となる
“蜃気楼”の見せる幻影に視線を誘導させる。
湖の上に蜃気楼は忌み子様の社が現れたかのように
幻を作り上げ、そしてぬらりひょんにその社に居座ってもらう。
こうすることで驚いた忌み子様が慌てて飛び出してくる。
という算段だ。
だが、なおも洞窟から出てこない可能性もある。
その時は洞窟の脇に控えた
私とパーバションが大岩の隙間から
天岩戸のように忌み子様を無理やり引きずり出す話だ。
さて、忌み子様は間違いなく
湖の上の幻影を目撃しているはずだ。
なのに、すぐにでも飛び出してくる様子はない。
・・・さすが忌み子様、目の前の景色程度では誘導されないか。
しかし、そんな事は関係ない。
意地でも忌み子様を洞窟から引きずり出してやるのだ。
向こう側のパーバションとアイコンタクトを取り
私はそろりそろりと、中にいる忌み子様に感付かれないよう
慎重に大岩の隙間を伺う。
暗い隙間の奥に小さな整った白い顔が見えた。
忌み子様だ。
今作戦の不安点はまさにここだった。
果たして私たちに忌み子様を力尽くで
引きずり出せるか。
度々、彼女はその細い腕からは
想像も付かないような怪力を発揮した。
本来なら私たちのこの役は鬼などに担当してもらう予定だったが
蝶亡がそれを止めた。
“誰よりも気配に敏感なあの子だから、
鬼じゃその鬼気に勘付いてしまう”
パーバションは顎をくいっと動かし
突入のタイミングを知らせた。
私は意を決して、隙間の中に手を伸ばした。