俺の小説の書き方 世界観を作る 2
ガンダム考をしたいわけではないので、さらっと行くが。
その対極にあるテクノロジーがモビルスーツという存在で、巨大ロボットを機械兵器として扱うことで、現実感に近づけている。
さらに、それらは延べて量産機であり複数あり替えもあれば修理もできるという普遍性を持たせながら、しかし乗っているのは立派な人生をしょい込んだ一個人という側面をありありと強調している。
現実問題、兵器があそこまで人型をしている理由はないうえ、ああいったものが地上を闊歩できるための物理法則は今のところ地球上に存在しない。
それをよしとするまでの苦労は相当なものだっただろうと考える訳で、モビルスーツそのものを否定できないから、その周辺事情を限りなく説得力あるものに仕立て上げたと言える。
戦闘に関しても、有視界下戦闘というのは、航空、海洋レーダーが発達するまでの太古の戦闘方法で、現在においてももはやこのような戦闘は突発的な敵機との遭遇を除いては皆無と言ってよい。
しかし、せっかく人型を模しているモビルスーツがミサイルを見えないところから打ち合いをするという構図は面白くもなんともなく、それで済むなら人型汎用兵器など必要はなく、航宙ミサイル艦船で充分なのである。
これに対してミサイル兵器を無効にして使わせない方便が、ミノフスキー粒子というレーダーをかく乱させる化学物質で、これもまた普遍的な搭載備品としてあちこちで撒かれているため、敵味方双方ともに有視界という意味を重んじるようになる。
富野由悠季がモビルスーツに殴り合いをさせるために、ここまで設定を練り込んだ執念は、現在の我々の想像力というものに多大な影響を与えたのだろうと思う。感謝である。
とまあ、ここまで話してよくわかると思うが、異質なものを現実に取り込むには説得力が必要という事なんである。
我々の世代が幼少期を過ごした昭和家庭に、「ファミコン」なる異形の機械装置を導入するために、少年少女らがどれほどの方便を用い、説得に明け暮れたか、どれほど勉学にいそしんだか、という事なのである。
次回は描写について。