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俺の小説の書き方 スピーチを作る

さて、番外編としてすこしスピーチというものを考えてみる。


先日、上司という立場で、俺は経営者の子息、すなわち「社長の息子、次期社長」の結婚式に出席した。その場に於いて不本意ながらスピーチをする羽目になる。

なぜ俺なのか? それは俺しかいないからである。上司が、だ。


結果的にはいずれ俺は彼の部下になるという何ともおかしな状態なのだが、それはまあいい。


社長は金持ちである。一般的に考えても金持ち“成功者”の類に入る人物である。それだけに人間関係は横にも縦にも広い。息子もそれに倣い広い。総勢150名という規模のでかい結婚式となった。


一般的にこの規模くらいになるともう後ろの席まで見渡せないほどの広さで、後部の座席からだと高砂の新郎新婦は人差指程の大きさに映る。

そんな会場でだ、俺はスピーチをせねばならん。


社長の息子、部下、とはいえ、プライベートの付き合いはない。喋らない訳ではないし仲が悪い訳でもない、だが仕事は部門違いで部下という扱いは組織上のものだけだ。


何を話すか迷う所である。会社関係者のスピーチというのは決まってこういう文言から始まる。



> ただいまご紹介にあずかりました、新郎○○くんの勤務先の上司にあたります相楽と申します。


 ○○くん、△△さん、ご結婚おめでとうございます。そしてご両家のご親族のみなさま、心より御祝いを申し上げます。このようなおめでたい席にお招きいただいたこと、たいへん嬉しく思っております。


 ご年長の方をさしおいてはなはだ僭越ではございますが、ご指名により、お祝いを述べさせていただきます。どうぞおふたり(皆様)はお座りください。<



気が気ではなかった。原稿カンペを用意したものの、内容が頭にこれっぽっちも入らなかった。ええいままよと景気づけのウェルカムドリンクを駆けつけ三杯で飲み干してはみたものの、酔えねぇ。


俺はスピーチ二番手だっただったのだが、社長業をなさっている、主賓の御方のスピーチが素晴らしすぎた。面白すぎた。

こういった主賓の挨拶は得てして長ったらしいだけで、欠伸が出る話が相場なのだが、がっちり会場の空気を掴んでいた。導入からオチまで完璧である。

しかも俺の用意していた話を先にやられた。直前改稿。

しかも、乾杯直後で完全に場が砕けてる。


この時初めてスピーチというのは「聴かれる」よりも「聴かれてない」と実感するほうが焦るものだと気付いた。


そして俺は頭の中が空気になりながらも原稿片手にお決まりの言説を述べる。まだテンプレートである。



> 私共××株式会社で新しく立ち上げた飲食部門の店長として日々奮闘の活躍をしておりますが、その甲斐有り徐々にではございますが、お客様の支えと、彼の努力により経営は上向き軌道に乗ることができています。


 私が、我が社の自動車部門で勤め出す18年前、その時彼は中学生で、今に至る成長の過程を影から見守ってきたといっては僭越ですが、真面目で頑張り屋だなぁ、というのがおおよその私の印象です。


 我が社は現在に至るまで、紆余曲折の変遷がありましたが、皆様のおかげではや創業30年という、企業としては長寿とも言えましょう、長きに渡り激変する社会環境のなかで生き残って来ることができました。その若手の筆頭として活躍してもらっているのが○○くんです。<




この手の話は事実をちょこっとばかり脚色して、新郎を立てることばを並べればよい。プライベートな接点も仕事上のかかわりもほとんどない中で、上司と部下という関係性をかろうじて演出する。


どうも半分以上嘘を言っているような気がしていたが、会社の栄光と、新郎の功績、これは言っておかねばならない事である。聴いている方としてはつまらん話だとは思うが。


これで終わったとてスピーチとして問題はないが、お約束のちょっとしたエピソードは要求される。無論俺が力を入れたのもこの部分である。しかし新郎のリアルドジ話はシャレにならないのが多く、披露できない。ならばなんとすると。


元原稿は以下のような物だった。




> 先程も申し上げましたように、彼は普段は真面目で誠実、人望が篤いといった印象で、まるで非の打ち所がないように思える好青年ではありますが、先輩として見たとき、時々ものすごく抜けている部分が有ることは否めません。


 しかしながら誰しもそのギャップが人としての、かえ難い魅力とも言えるのではないかと私には思えます。

 

 ここのところ、私は自動車を整備する技術屋ですので、車になぞらえてお話させていただきたく、少々お付き合いください。


 まず、車という道具はけして「自分が乗りやすいから」それを選択しているというわけではないというところが他の道具とは違います。それらが最も人気が高く世界最高のものとは一概に言えません。


 人それぞれ、どこかなにかをこだわって、自分の車を手に入れたその瞬間から、自分自身が運転技術を磨き、手を入れながら、自分と車のすり合わせを行って、はじめて愛車となってゆく過程が必ずあります。人は少なからず車に合わせて変化しなければいけません。


 これは実に人間関係に近いものがあります。そして、それでも残る癖や欠点はもう逆に魅力だと割り切るしかないという点も似ています。>



このあたりから原稿を逸脱し、勝手にしゃべりだしてきて軌道の修正がままならなくなっていた。原稿を読むのと喋るのは違う。いくら口語で書かれた文章でも口に出して生の人間を目の前にして喋るのは違うのだ。


まずい、まずいぞ。テンパった。


ああ、止まった。なんかざわついてる。やめて、そのちょっと「頑張れ」的な拍手。まだ終わってないのよ、全然言えてないから。

はい、もうかっこつけるのやめた。美辞麗句並べたって仕方ないから原稿棄てた。頭の中にある自分の普段の言葉で話すことに決めた。


「カッコつけても仕方ないから、普段通りいきます」


この言葉でどれほど自分が軽くなったか。そうか最初からそうしてればよかった。以下文章化しているので体裁は整えているが、大体ママ。


> よく私は、男性にとって車は、女性のようなものだという例えをします。(これを女性の前ですると怒られますが)つまり、男性が女性と付き合うならば、とことん愛でて楽しむべきでありまして、そのためにはある程度の金銭の余裕をもって手間をかけ、オイルを交換したり洗車したり修理をしたりと維持に努めなくてはいけません。


 もちろん維持しているだけで乗らない、なんてのは調子が悪くなったりしますから、たまには走らせてやらなければいけません。これを手がかかる、維持が大変などといってはいけません。


 女性の方々、お怒りごもっともでございます。


 では女性にとって男性とは何かと申しますと、これもズバリ車になぞらえてもいいでしょう。汚い、うるさい、面倒くさい、動かない、無駄にでかい、不細工、臭い、ややこしい、難しいって車を女性は大抵嫌います。それにきっちり動く時に動いてくれなければ不信感と不安感が募ります。


 つまり男性は、女性を快適に、安心して乗せられるよう心がけておかねばならないということです。


 ですから快適かつ安心感の高い車は高評価ですし満足されます。

値段ではありませんよ、けして、けして高級車がいいというわけではございません。


 低燃費というのも最近の満足度ランキング上位に上がりますし、広いというのもなかなか良い評価を得ていますので、男性は女性から、少ない小遣いで広い心を求められて然りと言えましょう。


 このことは、世の男性は、私も含めて心にとめ置くべきかなと。


 このケースにおきまして、新郎新婦のどちらが運転手なのか?、というお話はお二人に任せるとしまして、今後は二人で愛車を末永く愛でていっていただきたいなと思う次第です。


 まあ車屋風情が上手いこと言えたものではありませんでご勘弁を。


 長くなりましたが、これをもちまして私からのお祝いの言葉とさせていただきます。<



とまあ、こんな感じだったわけ。後半はちらほらだが、ちゃんと受けどころで笑いが取れたのは僥倖だった。


一つ大事な事。

話し慣れていない人ほど、マイクは手に持って喋った方が絶対にいい。意外とマイクというのは指向性の強いもので、ちゃんと受話部に向き合わねば音を拾ってくれない。自分は喋っている側なのでこれは気づきにくい。


あと、噺家ではない上に、話を聞こうという姿勢でない人を向かせるには、反復という方法が一番効果的で、ここ一番聞いてほしい部分は強調して二度、三度言葉を重ねるほうがいい。


文章にするとおかしなものだが、口語ではさほどに変には聞こえない。

「しかし、しかしです」とか「ですから、ですからですね」とか、こう言ったことも効果的に発揮する。いきなり文章のように聴者は文脈を読み取ってはくれないのである。


今回は実際に原稿を起こすのにはさほどに苦労はなかった。それは普段俺が文章を書いているせいだろう。だが、口で話すには頭に入れなければ話せない。朗読では誰の耳にも届かないという事を痛感する。


いや、少なくとも俺みたいな人間は、自分の言葉でないと本心が話せない。

俺は文章を創作ツールと捉えているから、やはり書かれることはフィクションとして落とし込むからだろう。


小説は自分の思っていないことも書く。書かなければいけない事もある。全体像を見渡した時に初めて作者の真意は見える。文脈ではなく感性として理解できる。人は一つのことを伝えるためにわざわざ物語という手法を編み出した。それは言葉一つではあまりに質量が足りないからだと思う。


それぐらい人間同士は――通じ合っていない人間同士はコンセンサスを得るのが大変な事なのだろうと思う。



というわけで、少々脱線してしまったが、物書きが喋りについて話すのは場違いだなと、また次回からは文章の話に戻りたいと思う。





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