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俺の小説の書き方 異世界ファンタジーを作る 2

さて続き、といいたいところだが、もうちょっと蛇足が続く。


 これは重要な事なので物書きの方は覚えておいてほしいのだが、インディアン(ネイティブアメリカン)虐殺の歴史を開いたのはコロンブスその人であり、彼自身本格的な植民が始まるまでに原住民を三分の一まで虐殺している。


こちらから見たものと、あちらから見たものの立場の可能性というのは考えればキリがないが、異文明との出会いは大抵において悲惨な末路を辿り、将来に禍根を残す。武力を行使せず緩やかな融和が行われたケースは稀である。


アメリカ大陸は彼らにとって自分たちの住む世界とは一線を画すファンタジー世界だった、とも捉えられる。同時に当時の人々には『人道的』という概念はまずない、ということがよくわかるだろう。


これ以降、暫くは対外的に組織的な略奪と虐殺の黒の時代が展開してゆくのだが、前項でも書いたように当時の人間は (自分たちが住む)文明圏以外の土地に住む人間はほとんど蛮族だと考えており、下手をすれば亜人位の認識だったかもしれない。


ちなみに、この流れはおよそ1950年代まで続いたので、当然ながら二次大戦期、太平洋戦争期もかなーり理不尽な世の中であり、現代感覚で物語ってはいけないし、考えてもいけない。


過去を現代で語るな、というのは歴史の授業で強く唱えるべき文言ですが、このように現代の感覚では到底看過できない世界観が展開していたことは事実。従って、異世界転生、転移などで中世期レベルの世界に放り込まれる現代人という設定があるが、俺だったら絶対嫌だし、現代世界で生きて行けないメンタル豆腐のニートちゃんがその世界に耐えられるとは到底思えない。確実に人格破綻する。リアルに考えれば、だが。


さて、話がそれてしまったが、仕切りなおして世界観を考えよう。



剣を振り回している時代とは上記人類が航海に出るより以前の話である。従って多くは地べたを這うような世界の中での出来事で、認識的には世界の果てに何があるのかなどと思いを馳せているレベルになる。


これは俺の考え方だが、作中でどうしても使いたいガジェット(この場合剣と魔法)がある場合、それの必要性がどうやって生まれたのかを設定する。根拠なく「とにかく剣と魔法がスタンダードな世界なんだよ」ということはできるだけしたくはない。


ファンタジー世界と現実の中世世界の対比考察が必要なのは何もリアリティを追求するためだけではなく、剣が普通に売られ流通している世界ならば普通に考えて平和ではないという事に尽きる。敵が現れてから武器を作り技術を磨くわけではないから、それ以前から身の回りの脅威は存在しているというのが当然だろう。

隣国あるいは隣の都市との戦争が恒常的にあるか、猛獣から身を守る必要があるか、常に殺される危険性のある無法地帯なのかというどれかだろう。

帯剣していて当たり前の世界を書くということはそういうことなのだ。


そういった中で魔法という現実世界にはない(だろう)ガジェットを加えると、世界の可能性がグンと広がる。物理的な力なき者にとっては抗う術なく従うのみといった悲惨な世界に光明も生まれる。

魔法により攻撃ができる、身を守ることができる、あるいは船を空に浮かべることもできるかも知れない。

ちなみに、だが。


ピラミッドなんてのは実際今の技術でも作れないシロモノなので、まあ、あれは魔法で作ったんだろうと思うことにしている。俺の持論では、あのあたりの時代は現在と理が違う世界なのだと思っている。


ま、そのように魔法があれば容易に石を切り出したりして建築することができるかも知れない。そうなると、少し理が違ってくる。

人が飲み食いして育んだ生命を担保にした肉体労働力というというものの重要性が下がってくる可能性がある。無論、魔法の浸透度がどの程度かにもよるのだが、大体の人が魔力に事欠かないのであれば、肉体的優位の条件を設定しておかなければ、誰も燃費の悪いマッチョにはならないし剣技もすたる。武器や兵器は発展しない。


そもそも魔法の発動がどのように行われるのか、理論の構築には迫られる。

魔法は発展してきたのか衰退してきたのか、それはなぜなのか。


いわゆる新技術を軸にしたSFという分野は、現実対比が容易なこともさる事ながら、世界の設定において歴史的に考えなくても良い可能性が高い。

だが、世界をまるごと作ってしまう異世界ファンタジーは、我々が住んでいる現世界と同等かそれに類する客観的な歴史を持っていると「仮定」くらいはしておかねば、何一つ描写出来んと考えてもいいだろう。


はっきり言うと、大真面目に異世界ファンタジーを書こうとすると、どんな作品よりも多大な想像力と創造力を要される。そしてその源泉となる膨大な知識は文化文明、風俗、服飾、食物、工業、において必要とされ、人類学、生物学、あるいは哲学、宗教に至るまで言及できるという素地を用意しておかなければならないだろう。


だから俺はファンタジーは嫌なんだ。 筆が必ず止まる。


もちろん、最初に地理から民族構成から風俗に至るまで、旅のガイドブックのようなことは作品内ではしなくていい。してはダメ。

明言していなくてもバックグラウンドを持っておくという程度で構わない。


端々にその風景や様子を入れてゆくことができて、何の意味があるのかをちゃんと説明できる、ゆえ画面に奥行きが出る。


これは絵画で言うと遠近法みたいのもの。 こういうのがない人は多い。仕方ないけどね。


このコラムは自分自身がファンタジーを書くための布石でもあるから、準備体操のつもりでもう少し考えたい。なので3に続く。


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