表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/36

俺の小説の書き方 異世界ファンタジーを作る1

ふと起きがけにアイディアが浮かぶことがある。夢現のまま映像が流れるのである。これは神の啓示ではないかと、いう体験は度々ある。


しかし、たいてい書き出してみたらクソみたいなアイディアで使えずゴミ箱へゆく。

神は俺に落書きみたいなメモばかりを寄越してくる。


だが今回はちょっと違う。おおファンタジーじゃないか。


なになに? 伝説の勇者の剣があり、それを継ぐ少女が……ありきたりだな。

ところがその剣は勇者の剣ではなく……ん? でぇ?


これはいけるかもしれんと寝巻きのままマシンを立ち上げ草案を描く。とりあえず思いつくままに設定も世界観も全部書く。不必要な部分は後でどうにでも削ればいい。


敵勢力・・・魔王か? 魔王なのか? そんな恥ずかしいものを書けと?


まあファンタジーだしな、勇者がいるなら魔王はいるよな。


みたいな感じで物語の創作とは突然やってくる。面白そうだ、書けそうだ、と。

そうなると以前の「プロットの書き方2」でも書いたような手順を踏んでゆく。ただし今回はおそらく人生初のファンタジー作品を書く事になる。

ファンタジー世界というのは異世界である。

どの程度異世界なのかを設定しなければならない。


よくあるのは地球世界の中世のような世界観。

少しファンタジー世界の特徴を書いてみよう。


よく対比例としてあげられるのがSFサイエンスフィクションだが、こちらは現社会、現世界の自然法則や自然科学がベースとして(理として)底流に流れているのに対し、魔法や法力、イメージの世界観などが優先される理を持つのがファンタジーと解釈している。

ただ、ファンタジーを広義における「空想上の世界構築」と捉えると、結局SFもファンタジーという分類に落ち着いてしまう。


であるから、便宜上SFと一線を画するとして現代におけるファンタジーの定義はサイエンス要素を省いた空想世界と設定し、主に剣と魔法の世界、あるいは世界そのものを創作してしまうハイファンタジーというカテゴリーが主流となる。対して現代世界を舞台にし、剣と魔法を取り入れるなどといったハイブリッドなカテゴリーをローファンタジーなどと称したりもする。


従って、ファンタジーと称する作品の多くは科学技術が行き届いてはおらず、多くが電気もガスも水道などのインフラが整っていない社会背景が多く、仮にもう少し進んだとしても現代の水準を超えることはない、(スチームパンクなど)ある意味懐古的とも思える世界感を有している。


そういったことを踏まえて、まず世界観の構築を始めてみるのだが、剣と魔法は決定している。

世界はどのくらいの規模まで認識させるのか? 国単位なのか、大陸単位なのか、星単位なのか。


蛇足だが、惑星を認識できる世界ということは、ガリレオないしコペルニクスの生きた時代以降の世界観を採用することになる。つまり17世紀以降ごろになる。さらに地球が天体だと認識したのは18から19世紀くらいになる。

ガリレオが従来までの神学にとらわれずに対象を捉えようとしたことで「科学の父」と呼ばれていることから、このあたりが実はSF、すなわちサイエンスの要素を絡められる世界観となる、と思う。


では昔の人々の地球世界観とはどういうものだったかというと。


海路と陸路を駆使して中国まで旅をして帰ってきたのがマルコポーロ。東の果てにはジパングという黄金の国があるという伝聞を広めた。これが13世紀のできごと。


15世紀(1492年)コロンブスが大西洋を渡りアメリカ大陸を発見した。

16世紀のマゼランの艦隊が地で世界一周(1519~1522年)をした。


コロンブスは地球が丸いと唱え、西回りでインドに到達できると信じて西回り航路を選択した。ゆえ、コロンブスは常識を打ち破る先駆者の象徴として後世に語り継がれ「コロンブスの卵」などという言葉が生まれたのである、というのがわりと言われていること。


他方、ヨーロッパ人は地球は盆の上に乗っかっており、天球が空にかぶさっていると。だからそれに異を唱えるとガリレオのように捕らえられ裁判にかけられた、というのも割と信じられている。


だがガリレオや地動説を唱えたコペルニクスが生きた時代はコロンブスよりも100年も後になる。


ここで「?」となるだろう。


実は、地球が星であるという以前に球体であると認識したのはいつごろだったのだろうかというと、球体説は紀元前六世紀のギリシア哲学まで遡り、地球がお盆の上に乗っているという考え方は、既に紀元前三世紀頃にほぼ駆逐されているのである。AD世紀以降というのはほぼ地球は丸いと考えられていた。


知っている人はしっている。知らない人はへぇ? という話。


これには少しばかりややこしい話が有り、『地球平面説の神話』というキリスト教の内輪もめによる流言飛語が世界的な誤解として広まっただけなのだ。

「カソリックのヨーロッパ人は中世においても地球が平面だと信じていた」というネガティブキャンペーンをプロテスタントの連中が行ったとされている。まあ、そもそも有名な話ではコロンブスと当時のヨーロッパ人のやり取りを描いたワシントン・アーヴィングという作家のフィクションが招いたことなのだが、当然ながらコロンブスでなくとも15世紀のヨーロッパ人は地球が球体であることは承知している。


いわゆる日本人がかなり多く信じている、「コロンブスが蒙昧無知な輩の言説を尻目に、危険な航海を果敢に成し遂げ、地球が丸いことを身を持って証明しようとした先駆者」というのは荒唐無稽な英雄譚であり、当の欧州の人々からすればいい迷惑だっただろうなと。

ま、いつの時代も小説家は想像を駆使して話を面白くしていた、といういい実例である。


一応記しておくと、コロンブスはマルコポーロの東方見聞録に影響を受けて、西回りで黄金の国ジパングにたどり着けるものだと信じていた。なぜなら地球は丸いから。これがそもそもの誤解の根拠ではあった。であるから、アメリカにたどり着いた時アジアに来てしまったと錯覚し、現地民のことを「インディアン」と称してしまったのは有名な話。


そもそも西回りが近いという主張そのものが怪しかったので、船員は不安いっぱいだったのだが、案の定コロンブスは思い込みもあり完全に距離を見誤っており、既にインドまでの距離がわかっている上に、地球の円周距離も遥か昔に算出されていたのだから、これを「間違う」ことができたコロンブスは確かに普通の人ではない能力の持ち主だったといっても良いとは思う。

(ちなみに卵を割って立てる逸話も諸説紛紛というか、他人の話だったりする)


(*コロンブスが根拠としたのはトスカッネリ(1474年)の円周距離で、それよりも4千年も前(紀元前3世紀)現在の円周距離の16パーセントという驚異の誤差で算出していたエラトステネスよりもはるかに小さく見積もられていた。)


無論、そんな彼だったので、アメリカ大陸がなくとも太平洋を渡りきることはできなかっただろうと思われる。(実際マゼラン艦隊が死ぬ思いでマゼラン海峡を抜けたのは有名な話)


ちなみにコロンブスは死ぬまでアメリカをインドだと強く信じていたそうだ。


この逸話は、歴史や文化の連続性が担保されていない世界がどれほどに危うく、安易に英雄を生み出し神話を紡いでしまいかねない素地を持っているということの表れでもある。

当時の人間にとっていかに世界が広かったかとも言えるし、逆に科学がこれほどまでに発達しても、人の思い込みや誤解は連綿と引き継がれているというあたりも考えると、情報媒体のない大昔というのは曖昧模糊とした世界なのであると、まあ、ファンタジーを書く際には気を付けるべき点かとは思う。




蛇足が面白すぎて話が長くなった。次回に続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ