俺の小説の書き方 モノを作る1
しばらくぶりである。
更新延滞表示が出る前にと思ったが、なかなかに面白いネタがまとまらず年が明けてしまい申し訳ない。
さて先日すこし興味のある話題で、ある作者の方とやりとりがあったのだが、それを皮切りに素材、物質における描写の考察をしてみたい。無論小説において。
現代、あるいは近未来あたりの設定のSF小説になると必ずといっていいほど先端技術、新素材という言葉にぶち当たる。現代からの延長線上に乗る技術や物質は「ぽっと出た」ものであってはいけないというのが俺の考え方で、系譜がなければいけない。別に系譜といっても材料工学の成り立ちから説明する必要はなく、「何をどう使ってこのような物質(製品)ができたから、これはこんなにすごいんだよ」という説明ができればいい。あるいは説明に類する記述があればいい。
たとえば現在の技術を凌駕する、現状存在しない素材や製品があると作品内で言っていることは嘘でしかないんだが、その嘘に読者を取り込むには少々避けて通ってはいけない部分があるというお話をしたい。
以下、少し蘊蓄が続くができる限り理解してみてほしい。
二次大戦期くらいから急激に材料工学というのは発達したんだが、この時代の樹脂製品というのは実に危ういレベルのもので、数も種類も少なく、製品というものは大体が木と鉄とガラスとゴムが主な材料だった。そんな時代、石油から作られる樹脂製品というのはいずれなり科学の粋の産物だったわけである。
現代の技術で、軽くて強い最強の部類を誇る樹脂素材としてカーボン樹脂というものがある。
正式に流通する名称としては『炭素繊維強化樹脂 CFRP』CFRPのCはカーボン、Fはファイバー、Rはレインフォースド(強化です)Pはプラスチックということ。
ここでピンとくるのが、頭のCを抜いたFRP。
これは主にはガラス繊維を芯材に使い樹脂で固めた物『繊維強化樹脂』となる。昔の風呂桶によく使われていたメジャーな素材で、先端技術でも何でもない。
FRP製品というと自動車関係の部品にもよく使われており、ヘルメットやボディ、カウルなどにも多用されている。遊園地の遊具なんかにも割と使われている。
言葉ではわかりにくい代物だが、見た目にはツルンとしたプラスチック素材にしか見えない。主に大型の成形物を作る際に使用される。基本的にはポリエステル樹脂だが、芯材としてガラス繊維というガラスを細い繊維状に加工したものを織りマット状にして樹脂を染みこませ硬化させたものということになる。だから、FRPは「繊維で強化された樹脂」という。
昔の樹脂は強度を得るのが難しく、大型になればなるほど剛性を欠くため補強を入れる必要があった。そのため開発されたのが繊維で強化するという手法である。さらに、製造工程が個人自宅レベルでも可能なほど生産が容易である、低コストであるなどの理由から広く普及している。
ところがカーボンとなると少し話は違ってきて、二種類の製造方法がある。
一つはFRPの製造工程とほぼ同じとするもので、ウェットカーボンという製法といい、大まかにはFRPの繊維をガラスマットからカーボンマットに変えたもの、と解釈して良い。世の廉価なカーボン製品というのはほとんどこの製造法で、実はFRPに比べてもそれほど軽くはないし強度も出せない。
ウェットがあるならドライもあるじゃろう、というのは道理で、本来カーボンの最大特性である強度と軽量化を実現する製法がドライカーボンと呼ばれる、母材にエポキシ樹脂を使用し専用のオーブンでチンする(おそらくバキュームフォームなんだろうな)製法である。俺もやったことはないのでそこまで詳しくは知らない。
特にドライカーボンは個人で製造するのは難しく、ウェットに比べて値段も数倍するという、未だに高級素材で、現在でも(通常のインジェクション成形できる樹脂素材のように)それほどボンボコ生産して消費できないのである。この辺が現代の一般的な技術水準。
しかし
先端になると、熱可塑性炭素繊維複合材なんてのもアリ、鉄の十倍の強度、四分の一の重さ、生産効率は従来のドライの十倍などという夢のような素材もできている。これが従来のカーボン成形材の常識を既に覆しているので、いずれは全てこれに置き換わることは想像できる。
近未来になるとカーボン樹脂素材と言っても、その様相は随分変わっていると現段階から予測されるわけである。
ウィキ的な話はここまでにして、さてこれでカーボンファイバー樹脂というものの正体が大体わかったかと思う。
小説の中でそれらを扱う場合、単に「カーボンファイバー樹脂で作られた~」と記述するのと「軽くて強いプラスチック素材で作られた~」と記述するのではエライ差が出るのだが、前者を記述する場合は前述の知識くらいは頭にとどめておかねばいけないし、後者で記述するならば近未来SF作品なめとんか、とダメ出しを食らう覚悟はしておかねばなるまい。無論作品の質にもよるが、記述の仕方で作品そのものを貶めてしまう可能性があるNGワードとなりかねないのである。
もう一つ
現代から近未来にかけて「カーボンファイバー樹脂」のような先端技術を扱う場合、それは「お金と手間をかける価値、もしくは先端技術が投入されている」といった暗喩表現、もしくは「カーボンファイバー樹脂のような」等といった明喩表現とすることが多いと思う。
したがってこのモノの「軽い強い」といった長所だけをあげつらい、その製造工程や素材、メリットデメリットについて、浅くにわかの知識でも(深すぎる知識はいらないし書いても無駄)持っていなければ、せっかくの比喩表現が台無しになることもある。
描写記述の際、想像は大いに活用されるべきだが、想像を裏付ける媒体が実在的系譜(技術、情報、知識)から導き出されたものか、既に加工された作品媒体群(映画、小説、アニメ、漫画など)から拝借したのかでは罠にはまる可能性が格段に違うということはおぼえておいたほうがいいだろう。
果たしてIMI社の50AEデザートイーグル(世界最強の拳銃)を片手持ちで撃てるのか、もしくは腕力のない婦女子に撃てるのか、といった考察はしてみて損はない。そこから様々なことが想起されるため、その時に応用できずとも確実に知識にはなる。
作家にとって『想像力』は何にも勝る宝である。しかしその宝が本物かどうかを見極めるには『知識』が要る。『情報』は宝の地図だとすれば、『知恵』は冒険心、探究心であろう。
そして『経験』は本物の宝を見つけた者だけが得られる名誉である。
まあ、いつか映画で見た「あの演出」がかっこよかったので自作で応用してみました、なんてのは誰でもやったことはあると思うが、ちょっと待て、と立ち止まり裏付けを取る努力は必要なのではないかなと。
この点に関しては今後もう少し書いていこうと思う。
もちろん今回のコラムを書くためにネット首っ引きなのは俺も同じである。
と、いうことだけ断って、それではまた!




