俺の小説の書き方 主人公を作る 2
ここ、なろうで人気の主人公といえば様々な要素が挙げられるだろうが、何かとどこかで見たような人物像が描かれているのは否めないだろう。性格的にも遜色はない。行動原理も一定である。
こういう手法が一定上認められるのはドラマやアニメの中で多いが、実際はあれほどわかりやすく定型の台詞を吐く人物は皆無といっていいだろう。あくまで物語をスムーズに進めテーマを明確化するために使われている。
人間にはそれぞれに性質がある。大きく分けて血液型としてもいいが、血液型占いを信じているのは日本人だけだとしたり顔で言う輩も多いのは有名だ。だが、事実血液型による性格判断はかなりの高確率で合っているといえる。
少し考えてみてほしい。原初の時代、人類が文明を築き上げられない状況下で、生物相的にもぜい弱であった頃に思いをはせると、この血液型による行動原理の違いがあって然りと考えられないだろうか。
生きるか死ぬかの瀬戸際、前に進むかとどまるか、あるいは分散するか、迎え撃つかという選択肢があったとする。彼らを統率するリーダーがいても居なくても、どうするのがよいかの判断は各々に託されているとしよう。そうすればおそらく人類は四パターンの行動を示す。血液型がそうさせる。
行動が同じ人間が集まり、同じ道を進もうとする。
これらが選択した道は正しく無難であった場合もあるが、その先で全滅の憂き目に遭う場合もある。
どの選択が正しいのかは事が起きてみなければわからない。
それほどまでに統率がなされていないと仮定する時代の話である。
つまり今ほど情報が豊かではないからこそ、はっきりと顕現することなのだが。
人口100人の村に25人ずつ血液型の違う者達がいるとしよう。
仮に、グループが四つに分かれずに一つとなって、皆が正しい道だとして四つの道のうち一つの道を選んだらどうだっただろうか? ひとつの道は確実に滅びの道であるとして。
この場合 村人の生存確率は四分の一である。種としての生存確率はも四分の一。
だが四つのグループが四方向へと道を選んだとしたら村人の生存確率は四分の三まで引き上がる。なおかつ種としての生存確率は一、つまり全滅は確実に免れる。
簡単に言うと皆が同じ方向を向くと全滅する可能性が増える。
血液型というのは行動原理の違いにより生存率を上げるプログラムであり、別段性格判断のために設定されているものではないというのが私の考えである。
これにより人間は生存したものが次世代に全滅グループの逸話を語り、次回に同じような災難が降りかかった時に四つの道のうちの一つを確実に排除するようになる。
これを続けてゆくと、生存率はどんどん上がってゆく。
我々の性格というのはその時々の文化や文明に根ざした情報と、それを受け取る血液型という基本プログラムによって決定づけられているのではないかという話で、主人公や登場人物の人格破綻が起こりがちだという人はぜひとも、この血液型性格判断を活用されると良いかと思われる。
少なくとも私が今まで人間を見てきた結果、血液型で性格を判断しても、行動を予測しても合致している。ほとんどの小説が日本語で書かれて日本国内で消費されることを考えると、別に外人が血液型判断は間違っているだとか言おうがどうだっていい話なのである。
多くの人は登場人物の役割を設定し、雰囲気と言動から性格をなんとなく決めていると思う。だが、作者自身がいちいちキャラクターの精神状態にリンクするのは非効率なので、ここでも血液型判断に頼って、言動をキャラクターに任せてしまうと楽にこなせ、脚本も意外に楽に進む。
無論性格判断は多種多様なものがある。中にはかなり合っているものもある。だが私が勧めるのが、なぜ血液型なのかと言うと、単純で楽だからである。小説においてそこまで緻密に性格を設定する意味がないからでもある。
次回は少し偏見も含みつつ、各血液型の主な行動原理を書き出してみようかと思う。