俺の小説の書き方 閑話休題 進撃の巨人
今回は作品批評です。素直に思ったことを書きますのであしからず。
最初に断っておくが、まだ全部は読んでいない。半分くらいである。
今話題の「進撃の巨人」
かなーり前に本屋で見かけた第一巻。
おお、タイトルすげーな。これはすげーのかなと。なんか異様に書店も推してるけどそんなに人気なのか?
と、試し読みパラパラ。
第一印象、絵下手だな。以上、終了だった。
まあね、漫画はね、絵が全てじゃないけどね。別にそこ大事でもないけどね。
その後続刊され、伸びているのを目にするが、再び手に取ることはない。おお、アニメ化してる。でも観てない。なんかバラエティでもパロディされてる。そんなにメジャーなのか? へっ? 実写映画化? なにこれ?
どうも、相当人気なようです。人気作を読まねばならない、仕方ない。興味なくても。
さて、わざわざストーリーの説明はする必要はないだろうから省くが、壁で隔絶された世界で巨人の脅威から身を守るため人類は細々と生を営んでいる。確かに巨人が越えられない壁さえ作ってしまえば絶対安全であることは確かだ。
いわゆる超大型巨人が現れない限りは。
実際問題ですなぁ、こういう状況下だと普通は壁って発想にならずに、地下トンネルになるんすよね。もしくは避難用の地下壕を作って、連絡路を張り巡らせるとかそういう発想になる。
だけどそこをあえてしないで、安易な壁で防御ってのはアナクロというか、三匹の子豚的。導入が童話チックなんだわ。だから入り込みはすごくよかった。
だけど反面最初に感じた違和感が頭をもたげ続ける。
つまり
作者は「意図して物語の中の謎を隠している」という事がありありと見て取れるだけに、稚拙だなとしか思えなくなってくる。
壁の中の人間は百年間もの間のうのうと危機を感じずに暮らしてきたのだが、その無知蒙昧ぶりはおよそ人間の知性を感じない。
状況は変化好転していないことを知りながら、絶対安全圏を信じてその小さな土地の中で生きながらえたのかと思うとこれは巨人に支配されていたことを思い出す以前に、やる気あるのか?と突っ込みたくなる。
たかだか100年前の共有記憶が曖昧すぎる。そして100年間壁の内側に住まうという異常ぶり。
要するに、人類は頑張っていない。
壁もどうやら自ら築いたものではない。
「進撃の巨人」の中で描かれる人類は、ネズミか家畜のような描かれ方であり、およそ共感できない。
全てが異世界で、異次元であるとするならそれも良かろうが、ならば人の形をして人のような振る舞いをしているのが変に感じる。
この歴史系譜が1000年単位ならわからなくもない。何度か文明圏が破壊され絶滅の危機にさらされたロストジェネレーションがあるならば、巨人の存在は神話になる。
が、そこの設定が中盤まで書かれない(と、思われる)
俺はこの作品をすべて読んだわけではないが、途中でげんなりしたため、このような記述になっているのだが、作中の謎は謎として認識されてはいけないのではないか、というのが大きな違和感であると言っておく。
登場人物の彼らはあまりにもものを考えなさ過ぎている。考える機会が与えられていない。
普通は、人間ならば生存圏を脅かす者達から防衛し、それを駆逐する方向へと向かう。あるいは壁の外へと生存権を広げる努力を惜しまないはずである。
そのためには脅威に打ち勝つ強力な兵器を生み出すのが常だが、この世界では生み出せない状況下にある、という設定が横たわっている。
この設定が主人公当人らにとっては謎でも何でも構わない。
だが読者目線から見た時に意図して事実を隠し、都合のいい部分だけを見せるというやり方は上手い方法とは言えない。
「そこを描けるなら、何故ここは描かない? なぜ今更描く?」
となるわけだ。
よく、進撃の巨人には多くの伏線が含まれており、隠された謎が次々と明らかになってゆくことを評価する者がいる。だが伏線とは悟られないことが前提にあるはずだ(と思う)
この作品は、過去の回想がありながら都合のいい部分にしかスポットを当てていない。
これをわかりやすく考察すると、この物語は物語に移入する作品ではなく、どちらかといえば叙事詩、神話に近いのではないだろうか。であるから我々のような物書きはあまり参考にならないところがある。
神話を叙情的に書き上げるとこのような構成になる、という体ではないだろうか。
批判的ではあるが、ここまで読んでの素直な感想だ。
ここから急転直下で物語が加速してゆくのかもしれないので、それはそれで注目すべき点ではある。
作者は迷走しているわけではなく、ケツも決まっているようなので、そこは期待してもいいだろう。
だがやはり、世界が絶賛するほど面白いとも思えないんだよなぁ……




