俺の小説の書き方 本を作る
もうすでに誰彼となくやっていることだから新鮮味はないが、自分の目で確かめて実感したかったので覚書として。
小説の厚みと文字数の関係。
小説とは言わずもがな、文章の連続であり、それらが積み重なって物語を綴るのである。では一般的に文庫本一冊が約十万文字とされているのだが、いったいどの程度の厚みなのかを探ってみた。
ちなみに、余白部分はいずれも勘案していないが、目安なので気にしないでいただきたい。
無論、段落ばかりでページの下段がスッカスカの文章ではなく、ほとんどのページが文字で埋められている小説しか対象にしていないのであしからず。
『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン著
A6版文庫本サイズ 約12ミリ 一ページあたり38文字×16行 608文字 ページ数296ページ 長編三部作のうちの上巻
スビード感のある移動アリ薀蓄アリの冒険物語をこの規模でやるとどのくらいかという参考に。
余白を勘案しない場合の全文字数179960文字 ざくっと三部合計で539904文字となる。
『そこに君がいた』 辻仁成著
A6版文庫本サイズ 約7.5ミリ 一ページあたり38文字×14行 532文字 ページ数187ページ エッセイ集
エッセイ集だけに、あまり参考にはならないかもしれない。これはいわゆる文庫本としては薄い部類に入るのでチョイスしてみた。こちらも余白は無視したうえで、99484文字となる。
いわゆる10万文字の小説というのは薄い文庫本、というふうに捉えるといいだろう。
『人質カノン』 宮部みゆき著
A6版文庫本サイズ 約13ミリ 一ページあたり39文字×17行 663文字 ページ数309ページ 短編集
事細かな描写が多い宮部氏だが、204867文字 文庫本サイズの厚みとしては一般的。
『重力ピエロ』 伊坂幸太郎著
A6版文庫本サイズ 約17ミリ 一ページあたり38文字×16行 608文字 ページ数473ページ 長編小説
一見無駄な言い回しの多い伊坂氏ではあるが、287584文字 と厚みの割には意外と少ないと思うだろう。
まあ行数が同じでも文字数が一文字少ないだけで、実は18000文字ほど変わるので、前出の「人質カノン」と比べれば一行の文字数とページあたりの行数が下回っているため、ページ数を大きく上回っていたとしても、30000文字の差が出る。ということ。
『機動戦士ガンダムUC』 福井晴敏著
B6版単行本サイズ(紙は厚め) 約17ミリ 一ページあたり46文字×16行 736文字 ページ数234ページ 大長編SF全10巻のうちの第一巻
版サイズがB6と、一回り大きくなるため、一ページあたりの文字数は多くなるが単行本サイズは紙が厚いため文庫サイズと単純比較はできない。ここでは10巻にも及ぶ連載小説であることと、SFという説明過多な文章に注目したい。こちらもざっと単純計算すると、172224文字 10巻合わせると単純に1722240文字だが、実際は第一巻が薄い方なので、おそらく全巻合計200万文字はくだらないだろう。
『インストール』 綿谷りさ著
A6版文庫本サイズ 約8ミリ 一ページあたり35文字×12行 420文字 ページ数134ページ 中編小説
中編小説である。56280文字 本にボリュームを持たせるためか、かなり一ページあたりの文字数は少ない(読みやすさを優先しているのかもしれないが)一ページ600文字で合わせるとページ数は93ページとなるため実際の本の厚みは5ミリほど、といったところ。
と言う訳で中編の『インストール』と、エッセイ集『君はそこにいた』を別にすれば、ほとんどの文庫本というのは10万文字以上で書かれている、と結論しても良いだろう。
とくに連続した物語である『ダ・ヴィンチ・コード』の場合は53万文字
通常の一巻読み切りサイズの『重力ピエロ』も28万文字となる。
だから、一つの物語を綴るのに10万文字は最低ラインとしていいだろう。
満足に書きこみたければ30万文字から50万文字で一作品が完成する。
ちなみに、『ガンダムUC』の場合連載という体裁上、文字数が増え巻数が膨らむのは仕方がないとも言えるので、特殊な例だが、登場人物や場面転換が多い群像劇になる場合はこのくらいの規模が必要という事。
なろうで書く場合、一ページで一万文字を書く者は多くはないので、3000から5000文字といったところだろうか。そのペースで12話分前後書けば中編といったところに落ち着くということ。
だが、ここで考えたいのは、全体の物語の長さと記述描写の緻密さは関係してくるという事かどうかである。
もちろん俺は関係していると思うから、長く続けたい物語ほど序盤は長くなるし、その中で設定説明が必要なことも多い。だから長編や大長編を想定している人は、序盤に十分時間をかけてもいいと思う。
これは当たり前のことだろう。
それを、たかだか5000文字ごときで盛り上がりを作り読者の心を掴まねばならない、というのは酷と言うか、作品に対しておざなりな対処ではないかと思える。(もちろん技的には使うが)
これは読者に要求しても仕方がないのかもしれないが、本を楽しんで読みたいなら、最低でも「何話」や「何文字」ではなく、作品全体の「一割分」くらいは読まねばならないのではないだろうか、と思うのである。
ただ。
なろうでは、Webという点も関係するだろうが、あまり長くなりすぎると敬遠方向に向かう。それが序盤からあまり面白いと思わなければなおさらである。
これはこれでもう、仕方のないことなのだが、ただで読めるということがこれほどまでに枷になるのかというのは読む側であっても書く側であっても感じる。
買った本ならもったいないから意地でも読む、という心が動くとしても、WEB小説はタダなんだからいつでもいいし、なんなら読まなけりゃいい、と括ってしまうこともできる。誰も損しないからだ。
だから、面白くなければすぐに捨てられる。
序盤で面白くなければ捨てる動機は十分と言える。
それに対し恨み言も言いたくはなるが、自分もノーリスクでやっているのだからこれはイーブンだといえる。執筆の努力は他人への奉仕ではないからね。
だから、作者側からしなければいけない努力は、執筆以外に、他人の作品を読むという行為に終始すると思う。「ヨメヨメ」ではなく「ヨムヨメ」を実践しなければならない。
互いの苦しみも分かり合える作家同士だからこそ、長い、難しい、冗長、下手くそ、を我慢してでも他人の作品を読むべきだろう。そしてきっちりと最後まで読み切り、感想を書いて足跡を残してゆく。
要は、名前を売って覚えてもらう、その結果読んでもらえるチャンスができる。
Web小説はマーケットに保護されていないアマチュアが大半なのだから、こういった互助会的な流れでないと執筆のモチベーション維持が苦しくなる。
プロ作家はそういう部分を出版社や編集者に依存しているわけ。
逆に、上記のプロ作家が匿名で本気の作品をこの「小説家になろう」に投稿しても悲惨な目に遭うか、そこそこの成績を収めてチン、となるだろうとは思う。
俺は思うのだが、「良い作品には読者がつく」のではなく、良い作品を書く作者に読者はつくのではないだろうか。最初は作品ありきかも知れないが、究極的にはやはり「人は人につく」と言えるのではないだろうか。それが作品を見る目の本質となる。
このことはいずれ詳しく書きたいと思うが、少し気になる作品があるのでそれを読んでからにしたい。




