はじめに
何の参考にもならないかもしれないけど、同じ事考えてる人、それは違うと思う人、なんしか感じた人は一言でもぶちまけていってくださいな。
正直なところ、オレは小説なんて全然好きじゃなかった。文字ばっかりで何がおもしろいのかと。
漫画は好きだった。絵を描くのも得意だった。手先も器用でよくクラスメイトや周りの大人たちには褒められた。そう、図画工作だけは常に満点をもらっていた。
人間何等か得意なものが一つくらいあると、少々不出来でも自尊心が保てるというものである。俺は背が高いわけでもなく、男前でもなく、スポーツが万能でもない。まして人当たりがいい訳でもなければ、必要以上に優しくも強くもない。ユーモアにあふれているわけでも、饒舌であるわけでも、人並み以上に勉強が出来るわけでもない。
そんな、いわゆる“普通の男の子”というカテゴリーにうずもれそうな俺が、かろうじて頭一つ抜きんでていたのが芸術的な感性というか、まあ、なんだ、そういう才能っぽい偏屈な一面を誇示していたことによる特異性という奴だった。
今現在大人になってみて思うのは、子供の頃に自他共に特異だった、と思っていたことは実は社会を広げて俯瞰してみればどうという事のない特異さで、俺くらいの能力の人間はごまんといることを知らされた。しかしながら、子供の頃にそういった部分だけでも“褒められて”育った経験は実に感謝すべきところであり、恵まれていたのだなと実感する昨今ではある。
さて、今回俺は小説を書こうという動機がどのように生まれてきたのかを、改めて考えるためにこれを書くことにしてみたのだが、本格的に書こうという気持ちになったのは五年前。それまでは小説の体など気にもしなかった。大体そんなもの書いてどうするんだ、まさか公募に出して賞でも狙うつもりか? 誰かが読んでくれるとか? いやいや、自己満足に過ぎないだろう。
絵を描くという事に夢中になった時期もあった。むしろ青春時代の多くの時間をそれに費やしていた。漠然と絵を描いて食える仕事が出来たらなどと考えた時期もあった。だが、世の中はそんなに甘くはない。
要は金が稼げなければ、金を稼げるだけの能力がなければその世界でやり抜くことはできない。俺は周囲に溢れる才能たちを横目に、その程度の努力が出来ないくらいの情熱しかないことを思い知らされる。それで二十二歳で絵筆を置いた。
その後はその手で工具を掴み自動車整備工として働き詰めて、いつしかすっかり自動車業界の人間になって創作や妄想といった類の世迷いごとからは遠ざかったまま十年の月日を過ごした。しかしそれは空しいというよりも、現実世界で生きてゆくことがこんなにも厳しいものなのかと思い知らされる出来事の連続で、とにかく金を集めて生活を安定させる、必要なものを得る、ただそればかりが目下の目標になっていった。
いい年になれば結婚もするものであり、こんな俺でもなんとか人並みなことが出来ました、と吹聴する道化を演じるのにも慣れて、創作活動は過去のいい思い出に収まったかに見えていた。
ろくに読書もしていないし、文章だってほとんどまともには書いたことがない。唯一長文らしきものを書く機会があるとするなら自身の店のブログぐらいのもので、たまにコラム調の投稿をしていることはあった。
自身で創作活動はしないとしながらも、漫画、アニメ、ドラマ、映画といった二次元媒体を観ることは好きだった。しかし小説はほとんど読まなかった。おそらく小説を書こうという人間においてこれほどまでに小説を読まないで育った者もいないだろうと思う。たぶん読んだ作品は数えられる程度だ。
だから「小説書いてるんだ」と公言して、話の流れで「今まで読んだ本で何がおもしろかった?」などと訊かれるのは恐怖なのである。ぜひとも訊かないでほしい。それに俺は本を読むのがものすごく遅い。文章を飛ばしたりして読み進むことが出来ない。きっちり頭の中で情景を思い浮かべてからでないと先に進めない。
およそ小説を書けるような体質ではないなと自分でも思っていた。それに書きたいとも思ってなかった。
そんな俺が、今では時間の許す限りキーボードに向かい続けている。
この心境の変化は何だろうか。