患用少女<啼鳥>
この世には患用少女がいる。
毒に培養されたが故に病的な美しさを持った人形が。
人形たちは病の具現――それ以上でも以下でもなかった。
元々は医学研究、移植用の無機質な病態標本に過ぎなかった。
それが用途を拡大され、手術の実験体、薬物の全身作用、と広がるうち、倫理規定に反しないよう植物の遺伝子が組み込まれ――
そして、少女は生まれた。
一切の感情も言葉も持たず、無知で無垢な、ただそこに在るだけの植物のような人形。
風にそよぐように、蕾がほころぶように、花の香気のような吐息を切なげに零しながら、儚げな笑みを浮かべる虚弱な少女は、人々を魅了した。
少女は一年で十五、六歳の見た目に成長し、短ければ三年、長くて十年ほどで、生まれ持った病巣が葉脈のように全身に広がり“散る”。
その散華さえも芸術品と謳われ、観賞用、愛玩用に少女を求める者は後を絶たなくなった。
あくまでも医学用である、という体裁のため、新たな培養は病変細胞もしくは死者の細胞からのみ行われた。
亡くなった美貌の持ち主の細胞から作られるためか、或いは神が人間の限界を思い知らせるためか、どんな手厚い飼育をしても、人形の寿命は十年、人間で言えば二十七、八を超えることは滅多になかった。
人々はこぞって患用人形を求め、人気の人形は複製を繰り返した。複製品よりも、雌雄の人形を交配させて生まれた次世代種の方が品質が良いと判明すると、人形のブリーディングが盛んに行われるようになった。美しい人形たちは病んだ血筋を繋ぎ、容姿だけでなく病までもが品種として固定化した。
心臓病を患う“柘榴”
血液疾患の品種“蒼月”
特に人気の品種は“啼鳥”と呼ばれる、呼吸器疾患の細胞から培養された人形たちだった。
胸に巣食う病からほとばしる人形たちの咳は、悩ましい香気となって人々を甘く陶酔させ、啼き声、囀りと評される咳は人々を狂おしく恋しい程の切なさで満たした。
愛好者により、病態や容姿の差異化による品種改良が行われ、様々な小品種が生まれた。
コンコンコンコン…っ、、
ゴホンゴホンゴホン…ゴホ、
ッゼィゼィゼィゼィっ、、ヒ―――ゴホ…!
コホンコホンっコンコンゴホンゴホンっ、ヒ―――…っコンコンコホンコホン…
ぅゥ…ゴホンゴホンゼホンゼホンっ、、ゴホンゴホンゴンゴンゴホンゴホンっ
ッハぁ、ハァ…ゴホ…!ゴホっ…ゴホゴホ…っ
啼鳥専門の人形屋「サナトリウム」は亜細亜街の花園と呼ばれる高級住宅街にあった。
調度品は全て前々世紀以前のアンティークで、枯山水を描いた屏風と、猫足の螺鈿の卓机が客を出迎えた。
「此処は夜しか開けていないのですよ、“啼鳥”の品質を知るには一番の時ですからね」
柔らかな物腰の亜細亜系の店主が、手元の燭代に火を灯し、初心そうな客の男を展示室へいざなう。扉を開けた途端、ふわりと甘い香りが漂った。大広間の天井から五十ばかりの、直径2.5mほどの大きな鳥籠が吊るされ、その中で人形たちが囀っていた。
コンコンコンコン…っぅゥ・・コンコンコホンコホンコホン…ヒィ―…っコホンコホンコンコンコンコンコン…
ゴホっ、ゴホゴホゴホゴホ…っゼェェゴッ・・フ・・ゴフッぅ――ッゴホ―…!ゴホンゴホンゴホンゴホン…
キヒぃィ――…っコぉンコぉンコぉンコぉンコンコンコンコン・・ハァ、ゴ・・ほッ、、ケフ…っ、、
ゴホっ、ゴホゴホゴホ・・ッゴぼゴホゴホ…ゼィゼィ…ゴほ―…ッゴほ…ッ、、
コンコンコンコン…ッコホン―・・!ッコぉンコぉンっコホンコホンコンコンコンコンコンコン・・ハァ、ハァ…ッコぉンコぉンコぉンコぉンコンコンコンコン・・・
ゼィゼィゼィ…っゴホンゴホンゴホンゴホンゴホン…ッゼェ、ヒ――・・ゴホン!
湖水が波立つような、夜の森がざわめくような、力無い咳が暗がりを満たす。
結核のコンコンとくぐもった咳が細波のように響きつづけ、肺炎のゴホンゴホンと溢れ返る咳が覆い被さる。喘息のゼィゼィと悲鳴めいた咳が突然それらを切り裂き、夜に綾をなす。
ゼホ、ゴホ、ゴホンゴホンゴホンゴホンゴホン、うゥッ…ゴホンゴホンゴホンゼホンゼホンゼホン、っゼホ、
こちらには檻に縋りついて烈しく咳き入る少女…、端整な愛らしい顔を歪め、必死に肩で息を吸うが、咳とも喘鳴ともつかない喘ぎがぜほぜほと胸を裂いて、びく、びく、白いベビードールの夜着の背中が折れそうに軋む。
ゼヒュ――…ゼぼ、ゼホンゴホンゴホンゴホンゴホン…ゼィゼィ、ゼヒュ―――っゼぉぉ゛ッ、、
ゼぇェ…ッほゼホゼホゼぉォォッ、、ゼゼヒュ―――…っゼほっ、ゼほンゼホンゼホンゼホンゼホン・・っ、
狭まった気道が、澱んだ吹き溜まりを抜ける笛の音で軋み、また塞がり、絶え間ない咳になる。
さら…、咳に軋むやつれた背を、緩く編んだ髪が滑り落ちた。胸を塞ぐ病を吐き出そうと咳いて咳いて、何とか息を吸うもののゼヒュゥと爛れた異音が絡み付き、吸い終えぬうちにまた咳になる。息を吸う間もないほどの咳に、琥珀色の瞳から生理的な涙を流しながら、鉄格子に縋り、ゼィゼィと苦しみ続ける栗色の髪の少女。
ぐッ、、ぐぅゥ―…!ッ―ふゼフッぜふゼフゼフゼホンゼホンゼホン…ゼほぉッッ!!
うゥ――…ッ!ゼホゴホゴホゴホ…ッゼひィィ――…ゼィっゼィっゼィっゼィっ…
う――、うぅ――、、
「しんしんと冷たい空気の夜に咳き込み続ける喘息の“小夜啼鳥”」
コン、コンコン、、コぉンコぉンコぉン…っ コほッ、、ゴほぉ…ッッ! ゴホ…ゴホっ、、コン、コンコンコンコン…ッゴふ・・っ!
ゴホっごボッ、、ハぁ、ハぁ…ッヒぅ・・ゼほ―…!コぉンコぉンコぉンコンコンコンコン…ッ
あちらには、白い着物に朱色の帯を締めた、日本人形を模した装いの少女。寝台の上で半身を起こしたまま、くぐもった咳を繰り返し、整った眉を顰める。咳き入り前にのめる度に、真っ直ぐに切りそろえられた艶やかな長い黒髪が、さらさらと青褪めた頬にかかった。
うぅ…コンコンコンコンコン…ッゼ、フ・・ッ、ゴフっゴッ…フ、ぅゥ―…ッ!ゼふッゼほッゴホっ、、ぐ・・!
コホンコホンコホンコンコン…コぉンコぉンコぉンコぉンっ、、コ…ふッ、、っコぉンッ、、コンコンコンコンコン…
口元を押さえた両の手の中で、蝶が羽ばたいているような咳、咳、咳。
ッハ、ぐゥぅ―・・ッゼふ…っゴふゴふゴふッッ、ヒぃ――ゴホ…!
ゴホンゴホンゴホン…ッは、コぉンコンコンコンコン…ッ
ばたっ、ばたばたっ、、
押し殺すようなくぐもった咳と共に懐紙から血がごふりと溢れ、鳥籠の床を染めた。
あ、と思わず駆け寄りそうになる客を、店主が制する。
ぅぐ…ッ、ごホゴホゴホゴホ・・ゴほ、ケフっケフケふッゴ、、ふ…うゥゥ―…ッ!
ハぁ、ハぁ、ハ・・・っゴ…ッふ―…
少女ははぁはぁと肩を喘がせながら、意思の無い筈の瞳をほの哀しくゆらめかせ、雪の上に散った椿のような喀血を見つめた。
喘ぐ唇が冴え冴えと赤く、薄明かりに艶めいた。
「咳いては血を喀く結核の“不如帰”」
窓辺には、白に近いプラチナブロンドに、ミルクにほんの数滴薔薇水を落としたようなビスクの肌をした、淡い雪色の少女。
ッ―…、ゼほ、ゼッほゴッ―・・ほ!っンぅゥ…ハぁ、ゼハぁ・・ッ、、ゴッほゴッほ・・!
痰のような透明な蜜をがぼごほと吐き、透き通る白い肌を真っ赤に染めながら咳き喘ぐ。
ッカはァ・・ゴッほゴッ―…ほ!ハァ、ンぅゥ、ハァ・・―っゼホ・・ゴほ、ゴほ、
っゼはァあァッッ…!ゼほェ゛ッ、ゥえッ、ハァっハァっ、ヒ――ゴほ・・ぉッ・・!
胸を押さえ、寝台に突っ伏しながら、痛々しく咳き込み、膿盆に甘い匂いのする蜜を吐き続ける。
「欧米系白人に多発する遺伝性肺病の研究のために開発された“白駒鳥”」
鳥籠を渡り歩きながら、店主は囀りの少ない籠の前で立ち止まり、ハンカチをふわりと広げた。
途端、
っゼほッゴボンっ、っゼほッゴボっ、、ゼぃィィィィ―――っゼッゼッゼッゼッッ、、ッぐ、ぅゥ…―、
鳥籠の中の少女が突然、胸と喉を押さえ、引きつるような咳を始めた。
ゼッほゼホっゼォゼホゼホ…ッくフ…ッぅゴヒっゴボッゴボッ・・ゼぉ゛ォッ、ゼぉンゼホンゼホンゼホンっ、、
肩まである亜麻色の髪を乱しながら、ずるりと寝台にくずおれ、骨ばった背中をぜぃぜぃと軋ませる。
ゼぉォッゼぉゴヒッ、ゼホっゼホっゲホゼホッ…ゴヒュぅッゴヒュぅッゴボゴボンゴホンゴホンゴボンゴホン…
碧色の瞳から涙が溢れ、少女は胸元を掻きむしるように押さえた。前合わせのガウンのような夜着が肌蹴て白い鎖骨が露になる。
「元々は有害物質の検知用に、呼吸器の過敏性を増悪した、アレルギー性喘息の“金糸雀”。
気の向いた時に囀りを聞ける上に安価なのでご好評いただいています。」
カナリアはオスしか鳴かないのですがね、と店主は呟いた。
「ではこれはオスなんですか、」
客は信じられないという思いで目を見張った。倒れ咳き入る“啼鳥”の青白い肌は真珠のようで、睫毛は影を落とすほどに長く、唇は熟れた果実のように艶かしいほどだった。よく見ると身体は少しばかり骨ばり、肌蹴た胸元からは肋骨が薄く浮いていた。
「オスメス取り揃えてございますよ、」
くすり、店主は客の狼狽を楽しむように微笑んだ。
「それでは繁殖も出来るんですか、」
客の男は目を見張る。店主はまたくすくすと微笑んだ。
「番いで飼っても自然に交配はしませんよ、一割は植物で出来ていますから」
なるほど、美貌の少年少女は隣り合った鳥籠に入れられてはいるが、互いにいたわりあうことも、視線を交わすことさえなく、ただ苦しげに息をつき、咳き入っているのみだった。
ゼィっゼィっゼィっゼィっ、ゴホっゼほっぅうッゼほっゼほっッ、、うぅゥ…――っゼぉォォォッ、、
ゴホンゴホンゴホンゴホンゴホンゴホン…っゼほっ!!ッ…ヒ――ゼほぉッ、、ゼィっゼィっゼィっゼィっ…
ぶわり、と強い香気が漂った。部屋の隅にあった鳥籠の少女が、倒れ込んで激しく咳き込み始めた。
周囲の少年や少女は微動だにせず、それぞれ独り、少女の発する香気にコンコン、ゴホゴホ、と咳き込むばかりで、人形なのだと改めて知る。
「あれは?」
「ああ、あれは雑種でしてね。“白雪”と呼んでいます。ほぼ小夜啼鳥なんですが、白駒鳥の血が4分の1入っているんですよ。
雑種は希少な容姿になるのですが、発作の容態がつかめずに鑑賞しにくい面もありましてね。合併症で寿命がより縮まることも多いですし」
うぅ――…!っゼホンゼホンゼホゼホゼホゼホゼホ…ッゼぉォッ、ゼェほッ、ゼヒ――…っゴンゴンゴンゼほっ、
うぅゥ…!ッぜほっ、ゼびゅぅうゥゥ…ッ! ゼホゼホ…っ!ゼはッ、ぁッ、ッゼほゼホゼごッ ぅゥっ――…!
腰まである黒髪が乱れて波打ち、白磁の肌が苦しみの汗を帯び、青みを帯びた真珠色に染まった。かなり酷い喘息の発作だ
酷く苦しげに歪んだ顔の美しさが、ぞくりと客の男の背筋を撫でた。
ゼぉ゛ゼホッゼホンゼホンゼホンゼホッゼホッ…っヒュ、ゼェっゼェっゼェっ…ゼェえほッ、、
ゼェェィゼほッゼほゼッ、ゼェェィゼほッゼほゼッ、っゼほッゼぉォォォ―…ッゼぼゼホンゼホンゼホンゼホンゼホン・・っ、、
店主は鳥籠の留め金を外すと、ひょいと少女を抱き起こした。黒髪が乱れて額や頬、唇に貼り付くのを、撫でるように払う。ゼイゼイ喘ぐ紅い唇に吸入器をあてがう。
じっと見入ったままの客の男に、店主はくすりと笑って
「試してみられますか、」
そう言うと少女と吸入器を手渡した。まるで花束を手渡されたかのような、人間ではあり得ない重さと強い香り。
ぐッ、ゼェほ、ゼホンゼホンゼホンゼホンゼェぇほ! ゼヒュ、ぐ,ゼぉォォっ、、
ぅゥ―…!ゼホンゼホンゼホンゼホンゼホンゼホンゼホンっ、、ッ―ふゼフッぜふゼフゼフゼホンゼホンゼホン…ゼほぉッッ!!
うゥ――…ッ!ゼゴぉォぉッ、、ゼぉンゼぉ゛ぉンっ、ゼホンゼホゴホゴホゴホ…ッゼひィィ――…
ゼィっゼィっゼィっゼィっ、う――、ゼホぉッ、、うぅ――、、
分厚い花弁と蜜が胸を塞ぎ、びぅびぅと震えるような咳、咳、咳。
胸を仰け反らせ、背を縮める必死の呼吸に苦しみの声が混ざり合う。ぎり、男の肩に青褪めた爪を食い込ませ、喘いでは咳いて、咳いては喘いで……
まるで肺病に陵辱されているかのように悶え苦しむ美少女が、腕の中にある。
男は恐る恐る、咳き入る紅の唇に吸入薬を差し入れる。
かしゅっ、
っゼィぉッ、ゼェェぉッ、、ゼホンゼホンゼホンゼホン…ゼほっ、
ゼィゼィゼィゼィ…ゴホ…っ、ゴぼゼホゴホッ…ゴボゴボゴホゴホごほッッ、、ゼほ…っ!
次第に喘ぐ時間が長くなり、少女は客の腕の中で、ゼィゼィと苦しげな息をつきながら、ゆっくりと濡れた瞳を開ける。
少女の右目が透き通る藍色、左目が深い碧色をしていることに、男は初めて気がついた。少女は未だ苦しげな息をつきながら
比類のない、至上の微笑みを見せた。
それは発作が治まった故の反射に過ぎなかったが、全ての慈しみ、愛しさを蜜にしたかのような、花がひと時にほころぶような微笑みだった。
どのくらい、そうしていたのか、
客の男は少女を抱きとめたまま、陶然としていた。
「そちらになさいますか?」
店主の一言で、男ははっと我に帰った。店主は見透かしたように笑う。
「給餌は朝夕二回、気管支拡張剤入りの人形用栄養剤か、ステロイド入りの点滴がお選びいただけます。
"お愉しみ"の後は、吸入ステロイドと酸素マスクでメンテナンスを。
来客等で静かにさせたい際は噴霧式の気管支拡張剤で咳き止みますので。
猿轡を噛ませる方もいらっしゃいますが、消費寿命が激しくなるのでご注意ください」
店主は矢継ぎ早に説明すると、男に抱かれたままの少女にそっとヴェールをかけた。
一目で高価だと知れる、アンティークのレースで出来た、まるで花嫁のような透き通る白いヴェール。
「可愛がってやって下さい、少しでも長く」
まるで花嫁――肺病の花嫁だと、男は思った。
弱く儚く、ただ無垢で只管に美しい、愛でられるためだけの患用少女。
“愛でられる”――その意味が一通りでないだけに、店主の心中は複雑だった。
――あの男なら“白雪”を最期まで慈しむだろう、介抱後の人形の笑顔に勝る笑顔は無い……
けれど、他の“啼鳥”はそうもいかないからな――
店主は燐寸を擦ると、煙管に火を点けた。
コンコンコンコン…っコぉンコぉンコぉン・・ッぐ、ぅゥ・・っゴンゴンコンコンコンコン…っゴふ、ぅゥ…ッ!
ゼェェィゼほッゼほゼッ、ゼェェィゼほッゼほゼッ、っゼほッゼぉォォォ―…ッゼぼゼホンゼホンゼホンゼホンゼホン・・っ、、
ゴホ・・ゴフゴふぐふ・・ッ、、ぐッ、ぅゥ…っ―!ッふグフゥぅゥ・・ッ!
ゴホンゴホンゴホン…ゴホ、ヒィ…ゼィゼィゼィ…ゴホンゴホンゴホン…ゼィゼィ、、
うゥ―…ゴホンゴホンゴホンゴボンっ・・ゼィゼィ・・っぅゥ――…!
コホンコホンコホンコンコン…コぉンコぉンコぉンコぉンっ、、コ…ふッ、、っコぉンッ、、コンコンコンコンコン…
ゴホンゴホンゴホンゴホン…ゼィゼィゼィっコン、コホンコホンコホン…ヒ――…っコンコンコンゴンゴンゴン…
店内の“啼鳥”人形たちの囀りが一際、病の色濃い烈しさを増し、夜の帳の上がるまでいつまでも亜細亜街に響いた。
この世には患用少女がいる。




