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センチな君は戦地へ向かう 3

 彼女は優しかった。穏やかだった。伏目がちだったが暗いというわけではなく、いつも落ち着いた、どちらかといえばクラスの中では大人びた一人だった、そんな印象だ。


 今思い出せるのはただそれだけだ。


 惚れなかったかって? バカ言え。委員をやっていた当人同士はそんな噂が立つのにどれほど気を使っていたか。小学校から上がってすぐでも、制服を着たとたんに大人になったような気分で稚拙な情欲を振りかざし、それだけに心を動かされるような小さな世界では、恋をするよりも他人を冷やかしているほうがよっぽど気が楽なんだ。僕のような人間は特に。


 だから男子と女子であっても、いわば事務的な会話しかしなかった。委員だからといって必要以上に親しくすると周りから付き合っているだの、好きなんだろうの、いわれのない事をまことしやかに噂する連中が必ずいる。だから極力事務的に接した。


 でも、こんな事があった。僕が陸上部のクラブ活動で足を骨折し学校を休んだとき、ほんの一週間ほどだったが毎日病院に来てくれた。いや、それは文化祭の間際だったせいもある。連絡と報告、クラスでの出し物の大詰めの打ち合わせ。


 責任者でありながら不覚にも病床に伏す僕は一時担任の先生から文化委員解雇を申し渡されたのだが、彼女が通うことでそのリストラを回避された。


 その甲斐あって、僕は松葉杖をつきながらも委員として文化祭を無事見届けることが出来た。クラスの出し物は盛況にて幕を閉じ、クラスの中に感慨深い団結感が生まれた。たった十三年間の人生ながらこれまで僕が感じたことのない種類の感動だった。


 奥田と本当の意味で感情を分かち合えたのはこの時だけだったかもしれない。文化祭の片づけを終え、暗くなった下校途中に買った缶ジュースでささやかながら成功を祝ったことを覚えている。二人で乾杯しようと言ったのは奥田だ。


 ジュースを飲みながら河原に腰を下ろして薄暗い川の流れをジッと見つめていた。僕たちの間にはもう一人が入れるほどの隙間があり、互いに肩を並べていることを意識していたのだろうか、顔を向き合って話をすることはなかった。なんだかその時はただただ、耳たぶが妙に熱く感じられた。


 彼女は川面を見つめながら僕にこういった。


「文化祭よかったね。私もこれで思い残すことはないかなぁ」と。


 多分僕はそれが何のことかわからなくて「うん」か「ああ」かそんなサービス精神の欠片もないような返事をしたのだと思う。


 文化委員の任期は文化祭までだ。文化祭終了の翌週末に委員会で総括をし解散となる。だから彼女との委員という関係もその日を境に終わる。しかしそれとは逆に文化祭後に数組のカップルが出来上がっていたのはおかしなものだ、皆あれだけ僕らを筆頭にカップルであると噂されるのを避けていたのに、祭りの後は何か見えないタガでも外れるのだろうか。


 残念ながら僕らはそうはならなかった。なるつもりもなかったけど、その後彼女がすぐに引っ越してしまったから、ということもいえる。


 今思えば、思い出話も苦労話も出来なかったし、お見舞いのお返しも出来ないままだった。そういう可能性もあったのだろうか。


 もちろんそんな僕には今も恋人なんていやしない。受験を控えてそれどころじゃない、というのを一番の理由にしたいところだが、あれ以来女性とはなんの縁もなかったのだ。正確には自分が女性を意識して生活する事はなかった。


 ふと壁の時計に目を向ける。さっきの通話から十五分が経過していた。もう一度彼女の電話番号を呼び出してみた。彼女の苗字が送信履歴に浮かび上がる。とりあえず携帯電話のアドレス帳を編集操作して『奥田』以降の名前『美和』と住所、無駄かもしれないけど自宅の電話番号の情報を入力した。大きく深呼吸をして僕は頭の中の情報と感情を整理しようと試みた。


 僕は彼女に電話をかけたのだ。


 そして彼女は戦地にいる。


 平穏な町から戦地の町へ。


 一本の電波だけが確かな実感をつなげた。


 彼女はまだ生きている。


 多分。


 僕は再び社会科の地図帳を開いた。僕の町から彼女の町までは相当な距離がある、ちょっとした一泊旅行の距離だ。逆にいえばたったそれだけの距離の差が、人間の命運を変えることになってしまった。


 彼女と僕、かつて同じクラスメート、かつて同じ文化委員の二人だったのに、今はこんなにも違う環境におかれ、僕には攻撃される不安も死の恐怖も寝床の心配も空腹の虚脱感も明日の絶望も、何もない。少なくとも今は。


 北岸の人々はこっち側へ逃げて来れないのだろうか。それに、どうしてテレビでは何も報道されなかったんだろう。皆、知らないのか? 今北岸で何が起きているのか。


 イヤ、そんなはずはない、僕だけが知っているそんな重要な現実があってたまるものか。


 一階に駆け降りてすぐさまリビングの液晶テレビのリモコンを操作した。さっきまで父が見ていたチャンネルは海外のゴルフ中継が始まっていた。他のチャンネルはバラエティを交えた緊急討論会のような番組、他の情報番組は隣国の軍隊の規模や戦略について、残りの民放はさっきと同じ、中継ヘリが北岸上空を飛び「異常なし」と連呼していた。


 なぜだ、僕の電話が繋がった先はどこなんだ、僕が間違っているのか? 国営放送はどうだ、子供向けの化学実験番組なんかやってる。


 テレビ画面にはあわただしく動き回る国防軍の姿も、爆音と雑踏と埃にまみれてわめくジャーナリストも傾向と対策の会見を繰り返す政治家、官僚も、映らない。まるで対岸の火事のように、淡々と他人事のように、単なる事件だとしか捉えていないように見える。


 戦争だろ? 隣の国と僕たちの国が戦争を始めたんじゃないのか?


 テレビのリモコンを握り締めて立ち尽くす僕は、やがて妙な非現実感に覆われてゆく。ただ確かなのはリビングのカーテンを揺らす夏の午後の風が、右向きな遠吠えを僕の耳に運んできている事実だけだった。


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