frighten fou
家族が旅立ってから二人きりになって、しばらく過ごしていたある日、ある誘いが届いた。大手のPMCからの、傭兵募集の頼りであった。割と表に立って働ける環境である。休暇もあるし、ボーナスも出る民間軍事会社。前からそう言う話があったらしいのだが、院長先生がそれを断っていたらしい。彼が居なくなった事で、再びスカウトが出来るようになった訳である。
今の自分たちは、平和な生活に慣れ過ぎている。殺気を感じたり、放ったりする事も無かった。そんなボケた夫婦が、傭兵としてやっていけるのだろうか。
初めは悩んだが、二人で仕事をしていた頃は、本当に楽しかったのである。汚い稼業には違いなかったが、ユーリが一人で仕事をしてヘマをするまでは、本当に楽しかった。
そのズレた感覚が、懐かしく思えて来た。
今居るべき場所は本当にここなのか。――考えるより先に、二人の身体が求めていたのはあの頃の感覚――。
それに気付いた時、返事をするのは早かった。
カレンが暗殺の仕事に長けていたのは元からで、そのように育て上げられていたからであるが、ユーリはそうではない。決して強い訳でもないが、しかし傭兵として過ごした期間でかなり鍛えられた。
このならず者の街で生きて行くには不自由しない実力である。会社を抜けてから、この土地を紹介された。段々と危険の坩堝に飛び込んでいくようだが、二人にはそれがお似合いなのかもしれない。
二人がネイキッドで乗り付けたのは、街をさらに離れた、郊外の一角。殆ど隣町と言っても良い、危険区域とのボーダーラインを越えた安全な町――高級住宅地である。
そこに、二人の職場があった。
旅行代理店『Worldly Nights Traveler』通称WNTである。本当に旅行に行きたい人間はこんなところまで来たりはしないので、見かけ倒しと言うほかない。実際には、確かに旅行先を求めている連中が所属しているので、一般客も旅行したければ利用はできるのだが。
しかし、その建物は趣きがだいぶ異なる。裏の従業員専用駐車場に車を停めて来たユーリが、カレンを連れて店の正面へ回ってきた。
「いつ来ても、良い店だよなァ、ここは。洒落てる」
一階は、オープンテラスのカフェになっている。店は『frighten fou』という名前で、割と如何わしい商売も行われているのだが、表向きは、ここまで来て暴れるような客も居ないから、静かでゆったり寛げる憩いの場である。
二階が、旅行代理店の事務所になっている。三階はちょっとした居住スペースだ。事務所も、客なんて来ないので充分プライベートルーム状態である事は相違ない。
「どうも、ただいまです」
「たっだーいまー」
「おかえり。収穫はあったか」煙草の煙を吐きながら二人を出迎えたのは、年齢の良く分からない、多分若いんだろうなと思っておいた方が良さそうな美人のお姉さんであった。こういう事務所を預かっているにしては、上下黒のYシャツにスキニーデニム、カーキ色のモッズコート、何だかもっさりとした印象の服装である。紫と黒のストライプの細めのネクタイが微妙に目立つが、それがいかにも胡散臭さを醸し出している。
「それがなあ、知ってそうな奴を見つけたんで、ふんじばって吐かせようと思ったんだが、こいつがちょっとやりすぎて」
「ぶーぅ、また結局あたしのせいですか。違うよー、ユーリが、そいつ以外ぶっ殺せって言ったから悪いんだよ。もっと軽く吐きそうなやつが他にいたかもしれないのに。らんらんるーだよ。ぷんぷん」
「……あぁ、そうか。なるほどな、大体わかった」
「解ったのか」
「――カレンが酔っているのがな。で、ユーリ。収穫が無かったという報告のためにわざわざ戻ってきたのかな、うん?」
「いや、あんたの顔が見たくなってな」
「うぇえぇええぇぇえええぇ、ユーリ、こんなババアが趣味か、あたしがいるのに! 浮気だっ」
「おいコラてめえ、誰がババアだ、ぶっ殺すぞ」
「冗談だ、俺が愛しているのはカレンだけだよ」
「ですよねー、ですよねー、そうだと思いまったよー。しゅきー、ユーリしゅきぃー」
「…………お前ら死ねばいいのに」
「まぁまぁ。とにかく、アイアトンの、他の目撃情報があったはずだろう、先ずはそいつを聞きに来たんだ。頼むよ」
「……頼りにされてるとこ悪いんだが、昼間から飲み屋を回ってるって事しか解らん。だってな、本当に良く分からないやつなんだもの。現れてまだ時間が経ってないし若い男ってだけでさ」
「地道に探すしかないってか。まあ良い手はあるんだが」
「ほう?」
「し――っかし、アイアトンにも困ったもんだぜ、あのバーで何とかなると思ったんだがなぁ。ぱったり本人と出くわしでもしたら楽なのにさ。そんなうまい事行きはしなかったなぁ」
「めんろくさい話らよねー。良く解んらいけろさ、トレーシーを殺したのが、そのアイアトンらったら話が早いのにさー。なーんらっけ、アイアトンを探さなきゃーいけない理由」
「快楽殺人サークル『kills as suitable』のリーダーがその、グリス・アイアトンだからだ。って、聞いても忘れるだろう、どうせ。酔ってるんだから」
そう言ってカレンのほっぺたを摘んで引っ張る。相当遅れて酒が回ってきたらしく、呂律があやしくなっている。
「むにゃー。酔ってないれふぅ」酒臭い息が漏れている。ユーリは顔をしかめた。
「――そう、トレーシー殺害現場に残されていた、血と腸で書かれた前衛的なマークが、サークルのシンボルだったからな。そういう所までは解っているが、サークルの全貌までは私の耳に届いていないのが現状だ。金にもならないし、こんな探偵じみた真似事、お前たちには不向きだと解ってるんだけどな……生憎ここには人手が足りないのでね」
旅行代理店、その実業務内容は傭兵の斡旋、殺し屋の紹介、などなど。
「それはもう、仕方ない。問題は、殺されたのがトレーシーの野郎なんだから、こりゃ是が非でも犯人を捜し出して、ぶっ殺してやらなきゃならんだろうよ。変な連中の多いあの街の中でも、特に変な連中だよ、そいつらは。どうかしちまったぼんくら集団か、それとも――」