Avengers Dinner Show
ユーリは一瞬間、青ざめた。
これから間違いなく目の前の娘はいたぶられるだろう。それがどんな手段かは解らないが。
アイアトンに足蹴にされている間も、溢れそうな涙を必死に堪えて、それが然も痛みをやり過ごす術でもあるかのようにただじっとしている。その姿は痛々しい。
カレンも同様に、坂田にじゃれつく手を止めてそれを眺めていた。
その間もアイアトンの弁説は続く。その本来の意図は明らかだった。
要するに、実の父の眼前で娘をいたぶる事で、享楽を得ようとしていたのだろう。その思惑は奇しくもユーリとカレンによって阻まれた訳であるが。
性根が許すならユーリは彼女を助けたかったが、躊躇わざるを得ない状況だった。彼は女性をいたぶる趣味は無いし、女性をいたぶる奴は許さない主義を貫く優男でもある。
これから目の前で繰り広げられる事になるであろう残酷な遊戯を、ただ黙って見過ごす事は我慢がならない。カレンもユーリが何を考えているのか冊子が着いたのか、不安そうな表情を向ける。
しかし助けた所でどうだろうか。
彼女の父を実際手にかけたのは紛れなくユーリとカレンに他ならない。それも窮めて残虐な手段によって。
アイアトンに娘をいたぶられるのを見せつけられなかっただけ、あの父親は不幸中の幸いだったと、受け流すか?
何にせよこの件についてはどちらに転んでも良い気分にはなれそうもなかったので、考えあぐねていても仕様が無い。
ユーリは心中で、せめてトレーシーを殺したのが誰かは突き止めなければならないと決めた。その後では目の前の娘は手遅れになるかもしれないが、その時はその時である。そう覚悟した。
しかし、復讐をしようと決めたっきり、今日はどうもおかしな一日になってしまった。
「さて、というわけでこの娘は、僕から君たちへのお土産だ。好きにしても良い。いや、それとも僕が好きにして見せようか?」
「それが良いと思いまーす」
「景気付けにやっちまえー」
「いつものアレ、見せてくれよー」
古参メンバーらしい連中が囃し立てる。ユーリ、カレンとともに、坂田も眉をひそめてその光景を眺めていた。
「それでは、君たちの期待に答えよう――」アイアトンはそう言って笑みを零すと、おもむろに少女の腕を引き、立たせる。少女は足がふらついている。立っているのもやっとのようで、酷く衰弱していた。
そのまま彼女の首輪の鎖を持って、二人はバーの奥にあるステージへと上った。そこには中心に、ドラムセットだけが置いてある。
「さあ、腕をあげてくれ」
アイアトンが少女に囁く。少女は虚ろで、返事は返さなかった。
「……腕を、あげるんだ」首輪の鎖を引き、感情のこもっていない声で再び命令を下す。
涙を零しながら、それに従う。両腕を高く掲げ、白い腋が露わになる。ユーリの脳裏には、あるイメージが湧き上がっていた。
「いい子だ」そう言って、アイアトンは少女の腋に舌を這わせた。
それを見て連中は喝采を送る。実に奇怪な光景だった。
しかしカレンも同様に、はしゃいで拍手を送る。
「おお、こわい、こわい。これは見ての通り変態だぁ。あのぺろぺろっぷりは、がっついてる時のユーリみたいだねぇ」
にやにやしながらユーリを肘で小突き、カレンは舌をちらつかせた。
「うるせえあいつと一緒にするな。あと俺はユークリッドだ」
と、二人が目を離した次の瞬間。繊維が引き千切れるかのような奇妙な音が響いた。視線を戻すと、アイアトンは少女の二の腕に喰らいついていた。
「…………ッ!」
ユーリは息を飲んだ。
カレンも彼女にしては珍しく、目の前の予想外の饗宴に驚いているようだった。
それは、とてもおぞましい光景だった。鮮血が迸り、少女は目を見開き声にならない叫びを上げる。サークルはたちまち喝采に包まれた。三人を除いて。
――どれほどの間喰らいついていたかは解らないが、時間をかけてゆっくりと、歯を肉に喰い込ませ、顎を軋ませていたアイアトンが、すっと顔を上げた。
真っ赤に染まった彼は悪魔のような笑みで、食い千切った少女の二の腕を咀嚼している。厚切りのステーキでも頬張っているかのように。
床に倒れた少女は、先ほどにも増した悲痛な叫びを上げ、自ら流した血の池をのたうつ。
そのたびに、一座にも血飛沫が振りかかる。
「痛い……痛いよぉ、パパぁ……、ママぁ……っ」
叫び声を嗄らせた彼女は、そう呟くだけだった。今の彼女にかけてやれる言葉など、誰も持ち合わせてはいない。
ただただ得体の知れない孤独、絶望の淵に叩き込まれてしまったのだ。見開かれたその眼には、もはや何も映っていないだろう。
こう見えて人の心を失っていないユーリは、目の前の彼女に何かしてやれる事はないかと考えた。
アイアトンの口振りでは、既に父親がこの世に居ない事は知らされているだろう。先ほどからハゲが死んだと言っているのだし、気づいていないはずは無い。
であれば、今の彼に、彼女に対して出来る事は一つしかなかった。
後味は悪いが、自分らも死ぬわけにはいかない。
――しかし、これでユーリは目的の半分を達成した事になる。トレーシーは生きたまま肉を食い千切られて殺されたのだから。
この男、アイアトンが似非どころではないくそったれ野郎である事を瞬時に理解した。
「やはり、お前だったのか――」
と、呟いたのはしかしユーリでは無かった。女の声だったのでユーリはカレンの方を見る。しかしカレンは頭を振って、隣の坂田を見た。
その瞬間、彼女はアイアトンに向かって躍りかかっていった。
まったく予想外の出来事に、ユーリとカレンは立ち上がることも出来ず呆としていた。
「やっぱりお前が! お前が姉さんを殺したんだ!」
坂田はあっという間に、アイアトンの目の前に立ち止り、銃口をその頭へと狙い定める。
――まずい。
ユーリは周囲に視線を巡らせる。
サークルのメンバーがアイアトンを守るために坂田を殺す準備をしていた。銃を出そうとしていたり、ナイフを投げようと構えたり。しかし、そこは素人なのか、動作は緩慢だ。
――このまま誰も手を出せずに、膠着状態になるのは明らかだった。面倒な事になった。しかし考えるより行動か。
「君のお姉さんを、僕が?」
銃口を頭に向けられていながら、なおも余裕の笑みを見せるアイアトン。そして、ポケットに手を突っ込む。
「動くな! 少しでも怪しい動きをしたら撃ち殺す!」
「ふふふ、そう力まないで。狙いが外れちゃうよ?」そう言ってポケットから取り出したハンカチで、顔の血を拭いながらアイアトンは続ける。
「――ううん、そうだな。……確かに一年ほど前、隣町に旅行に来ていた日本人の女の子を殺した覚えがある。……綺麗な娘さんだった。そうか、あれが君のお姉さんだったのか。これはこれは。そう言えばどことなく、面影が似ているかもね、ふふふ」
そう言うアイアトンの演技めいた口調に、坂田は顔を歪ませた。
「……まさか、それに気付いていて、私を仲間に?」
「ううん、それはどうかな? 僕でもそこまで考えはしないよ。君は元から人を殺すのには慣れていたようだから、それで仲間に加えたんだからね。血の匂いが染みついているし。――君は職業人、殺し屋なんだろう? その点、君のお姉さんはまっさらな女性だったなぁ」
「…………ッ!」坂田の手が震えている。
ユーリには、アイアトンは彼女の動揺を誘っているのが目に見えて解った。それにも増して、トレーシーや先ほどの少女と同様に坂田の姉が殺された事を思うと、アイアトンに対して怒りが湧いて来た。
確かに捜査の過程で少女の父親を殺したのは自分たちだし、微塵も偉そうな事は言えないが、このアイアトンは断じて生かしてはおけない。声を聞くのも不快なだけだった。
「――お前なんかにッ! お前なんかにィッ!」
「よせ!」ユーリの叫びの後、一発の銃声が響いた。