Nest of squirrel
「あれ? ……あーあ、まーた喋ってくれなかったよ。これってどういう了見なのかな」と、少女が力なくうなだれた死体を前にして、つまらなそうに独りごちる。首の傷口から夥しく出血したその死体は、ジャケットの胸元まで真っ赤に染まっており、頭に被せたビニール袋が、その死様を間抜けなものにしている。
「だから、やり過ぎるなって最初に言っただろ。まったく、大の大人だってお前の拷問にはションベンちびるんだから、ここまで耐えただけ立派と思ってやれ。――しかし、話を聞けるようにと一人だけ生かしておいたのが……アダになったか」少女の隣に立つ男が、手袋を嵌めた手で血に染まった鋸を握って言う。この鋸で少女が、この死体が出来上がるまで何を行っていたのか、しかし鋸の血を拭う男はあくまで冷静に、この状況を分析していた。
この部屋は、飲み屋と言った所であるが、改めて見ると、生きているお客様はこの少女と男のみであった。辺りには酒のビンが滅多矢鱈に散乱しており、強烈なアルコールの匂いを放っているが、それにもまして、人間の臓器が放つ腐臭と共に、天井まで真っ赤に染まった店内。まさに血の海と称するに相応しい光景が広がっているのである。
それを作り上げたのは、この、生きているお客様二名であった。
「なんだよなんだよ。一人残して皆殺しにしろって言ったのは、ユーリじゃないかー。あたしのせいにしないでくださいよ。ぷーだ」
そう言って、栗色の長い髪を振り乱してぶーたれる少女は、テーブルの上に開封したまま置きっぱなしになっていながら無傷で原型を留めているウォッカのボトルを握ると、そのまま一気に呷った。
「生き残らせたのが外れだったって事だよ。――おい、わざわざこんな所で飲む事はないだろう、カレン。待ておい、やめろ、ストップだ、これウォッカじゃないか、いつもの発泡酒とはわけが違うんだぞ。やめろって」そう言って、男は慌てて少女の手からボトルを引きはがす。あっという間に、半分ほど飲んでしまっていた。
――全く、こんな強い酒を。カレンは成人してからと言うもの、どうもお酒が好きで仕方なくなってしまったらしく、暇が有れば飲んでいる。二十歳の誕生日にシャンペンを開けて乾杯した時からだ。あれは失敗だったかもしれない。
――栗毛色の長い髪に、小柄で華奢な肢体、見た目にはとても成人しているとは思えないのであるが、これでも歳は22になった。はずである。カレンは、養子に入った捨て子なので正確な誕生日は解らないが、その貰われた日を誕生日とするようにしていた。
確かに酔っぱらっている状態の方がまともかもしれないと思えるほど頭のねじが二、三本吹っ飛んでるような娘ではあるが、これが――何の因果か――隣に居る男の配偶者であった。
「らって、もっはいないらないの。うっぷ、あ、うまいー。うまいよーこれー。無傷のボトル、みんなもってっちゃおうよ、お駄賃てことで。ね、いいでしょ、いいでしょ」少女の笑みで、すっかり顔が蕩けているが、まだまだこんなものじゃない。甘え上戸と言うのか、酒が入るとたちまち子供っぽくなってしまう。
「ああもう。勝手にしろ。ただし、持てるだけにしておけよ」
「わーい、だからユーリ好きー」そう言って男にしがみついて、キスをねだる。男は、酒臭い少女の唇を手で抑え、脇に手を入れ抱きかかえると、椅子に座らせた。実に手慣れた動作だった。男は呆れ顔で、少女の眼前に小指を突き立てた。
「……カレン、もちろん俺もお前が好きだ。言うまでもないが、何年夫婦やってると思ってる。ところで、今はそれなりにまずい状況なんだ。俺たちがやらなければならない事は、なんだ。ちゃんと覚えてるか。酒のボトルをかっぱらいに来たんでもないからな」
ユーリが、真剣なまなざしで、イスに座る少女に問いかけた。
「えっと、トレイシーをぶっ殺した野郎が誰か、探りに来たんだよね。……でも、そのファック野郎が吐かずに昇天しちゃった。ああ、どうしようか。私が悪いんだもんねぇ、これ」少女は椅子から立ち上がると、壁際に横たえられている、頭に被せられたビニール袋に血反吐をぶちまけた哀れな男の死体の頭を、蹴り飛ばした。
首の傷がよほど酷かったのか、その衝撃で頭は床に転げ落ち、ビニール袋がひらひらと宙を舞った。転がった頭は、無残な傷口をこちらに向け、バーカウンターのチェアの足元で止まった。
「あれじゃあ、どっちみち喋れなかったね。あははは。くそったれだね」
「だから、首からはやめろと言ったんだ。……こうなったらあとの祭りだが、ちゃんと依頼はこなさないと、また誰かが俺の指を取りに来ないとも限らない。ここがダメなら、他を当たる。幸い情報源はまだあるからな」
そのまま男は少女から取りあげたボトルの残り半分を、転がった首に浴びせた。