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PANDORA MEMORIES  作者: ほたていか
第一話 機械の微笑み
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その1

 眼前に広がる光景を今なお信じることができなかった。あちこちから火の手があがり、轟々と唸りをあげる炎が肌をちりちりと熱する。


 鼻をつく刺激臭に思わず吐き気を覚えた。炎の中でどれくらいの人が焼かれているのだろうか。

 優しかった上司も今は炭のように変化してしまっている。じわりと湧いた涙は拭うまでもなく蒸発しているんじゃないだろうか。


 後方で激しい爆発音がし、その衝撃が体を襲うも私は踏ん張りをきかせ留まった。おそらくは私の乗ってきた車が爆発したのだろうが、背後を振り返り確認する気は起きなかった。


 今は目を離すわけにはいかない。渦巻く炎の中心、この現象の起点となっている彼女から。


「どうして、こんな――」


 絞りだすように彼女へと問いかける。口を開いた途端、熱風に喉が焼かれているような感覚に陥った。

 最後まで喋ることはできずに私は派手に咳き込んだ。咳き込む度に喉が焼かれ、更なる苦痛が私を襲う。


 ああ、息を吸うのも厳しいな。そう感じた時には地面に膝をついていた。


「ごめん。でも追わないで。あなたまで殺したくないから」


 彼女はどんな表情をしているのだろう。泣いているのか、笑っているのか。

 歪む視界の中ではそれさえ確認できない。いや、私が見たくないだけなのか。友達だと信じているから。


「お姉さま。そろそろ」

 彼女の隣に少女が立ち並ぶ。私を見つめ鼻で笑う気配を感じた。

「無様ですわね」

 少女は冷たく言い放つ。侮蔑の込められた言葉だったが、私には憤慨するだけの余裕が無い。


「それじゃあ。こんな状況で言うのもおかしいけど、どうか無事で」


 彼女は背を向けて立ち去る。届かないと分かっていても手を伸ばしてしまう。炎に遮断され力なく地面に落ちた私の手が何かに触れた。


 気がついた時にはひどく重厚で無機質なそれを両手で構えて彼女へと向けていた。


「……さようなら」


 震える指先に力を込める。少女の「お姉さま」という慌てた声と共に乾いた音が響いた。弱り果てた私は衝撃に耐え切ることができずに倒れ伏してしまう。


 薄れゆく意識の中で彼女の叫び声だけが、ただひたすらにこだましていた。




 一九九九年七の月に空から恐怖の大王が降ってくるだろう。ノストラダムスの大予言は世界中を震撼させた。当然ながら空から恐怖の大王がやってくることはなく、世界を次なる試練、二〇〇〇年問題が襲った。


 西暦二〇〇〇年になるとコンピューターが誤作動を起こし、発電施設の不良による停電だけでなく、航空機の墜落や金融機関の麻痺など様々な影響を社会に及ぼすとされていた。

 それら全てが杞憂と終わり、テロや紛争、災害を乗り越えた世界を再び不吉な予言が襲う。マヤ暦に記された人類滅亡である。


 二〇一二年、滅びるはずだった世界に一つの変革が起きた。後に『パンドラ』と名付けられた全く新しい資源の登場である。パンドラは大気中に存在しており、通常は視認することができない不可視の資源だ。

 場所によって濃度は違うものの、常に一定値を保つように増減を繰り返すことから半恒久的に使用可能だろうと専門家たちは予測した。


 パンドラとは何か。パンドラ出現の同時期に流星群の観測や隕石の落下などがあったことから宇宙より飛来したものだとする説、度重なる災害により地球環境そのものが変質し自然発生した説、謎の組織が秘密裏に開発した説などなど憶測は留まることを知らなかった。そして、どの憶測が正しいのかは未だに証明されてはいない。


 パンドラを利用しての発電でエネルギー問題は一挙に解決。クリーンエネルギーを謳い、車の動力としても活用されている。

 こうしてパンドラは人々の生活に無くてはならないものとなった。しかして、それは世界に災いを撒き散らした。謎の奇病、パンドラの濃度による貧富の差、領土争い、紛争、日増しに世界情勢は悪化を辿っている。


 パンドラの箱に残されたのは希望であると信じた人々によって名付けられた不可視のエネルギーが導く先には何が待っているのだろうか。




 パンドラが世界を覆って三十年が経過した東京の街で、牧野花憐まきのかれん はほとほと困り果てていた。理由は至極明解だった。職を失い生活費の確保が出来なくなっているのだ。


 田舎の両親に仕送りを頼むという手もあるのだが、喧嘩別れの末に東京へ飛び出してきた以上はそう安々と頭を下げられない。このちっぽけなプライドだけは失くすまいと牧野は強く決心している。


 必死の猛勉強の末に勝ち取った刑事の席をあっさりと降ろされた牧野にとって就職活動は地獄のそれに近かった。

 面接に行けば必ずと言っていい確率で辞職した理由を尋ねられる。ありのままを正直に話すのは憚られ、しかしベラベラと嘘をつけるほど器用でもない牧野は閉口せざるを得ない。それが原因かどうかは不明だが、結果として既に十社ほど不採用の通知をもらっていた。


 パンドラ好景気などと謳われている時代に何たる不甲斐なさだろうか。半年もの間、引きこもり同然の生活を送っていたハンディキャップは想像していたよりも大きいのかもしれない。


 スーツ姿で電車に揺られながら、牧野は窓ガラスに反射して映った自分の情けない顔に溜息を吐いた。目の下の濃い隈は化粧でも誤魔化しきれていない。医者に精神的な負担からくる不眠症だと診断されている。最後に思う存分寝たのはいつだっただろうか。


 眠れはしないが、電車の小気味いい揺れにウトウトとしていると面接の約束を取り付けている会社の最寄り駅に辿り着き、牧野は電車を降りた。


 牧野の左手首には淡い緑色の腕輪が嵌められており、それは生体認証式多機能小型端末、通称デバイスと呼ばれている。腕輪の他にも薄い手の平サイズ程の持ち運ぶタイプやメガネ一帯型なども存在している。

 これ一つで身分証明証から携帯電話、クレジットカード、簡略的だがパソコンの機能も備えている。メーカーやモデルによって機能も形状も様々だ。


 デバイスに共通しているのが生体認証システムで、登録された本人以外は使用することができない。つまり、悪用される心配が無いため現金や携帯電話などを持ち歩くよりも安心だと若い世代のみならず、年配層にも広まっている。


 改札もデバイスを翳すだけで自動的に精算がされる。そのはずだったのだが、牧野を悲劇が襲う。

 デバイスを翳した途端に警告音が鳴り響き、行く手を阻むようにゲートが前を塞いだ。

「な、なんで……」

何が起きたか理解するまでの間、牧野はその場で立ち尽くした。デバイスに補填していた残高が底をついたのだと判断する頃には、背後から舌打ちや罵声が上がり始めていた。



「それじゃあ、今回は貸しますけど、次からは気をつけてくださいね」

「ありがとうございます。お金は必ずお返ししますので」


 対応してくれた駅員が大層優しく、乗車賃を貸してくれ事なきを得た。駅員に感謝の言葉を述べ、頭を下げて駅を出た。


 駅からの移動はバスを予定していたが、財政難に陥った牧野にバスを利用などできるはずもなく、徒歩での移動ではとても面接時間に間に合いそうになかった。面接予定だった会社には断りの電話を入れ、駅周辺にあった公園のベンチへと座り込んだ。


 平日の真っ昼間から公園で屯するとは、まるでリストラされたサラリーマンだと考え、自分はまさにそれじゃないかと苦笑した。ベビーカーを押した主婦達がいなければ涙を流していたかもしれない。


 途方に暮れていた牧野のもとに一通のメールが届いた。デバイスの一部が点滅を繰り返し、微弱な振動でメールの受信を知らせてくれた。緩慢な動作で点滅部分に触れると、小さなディスプレイが現れた。


 空間上に仮想ディスプレイを作り出すデバイスのシステムの一つで、背面からは内容を視認できず、高性能な機種になれば生体認証に登録された本人以外は内容を読み取れないようになっている。


 牧野の持つデバイスは値段も機能も中堅どころで、ディスプレイに表示された内容は本人以外でも確認できる。携帯電話の画面とそう変わらないと考えれば、いちいち気に留めるほどでもないのかもしれない。


 メールの差出人はかつての同僚である結城沙苗ゆうきさなえだった。穏やかといえば聞こえはいいが、どこか抜けた女性で、その隙の多さからセクハラの対象として上司から狙われていたのを牧野は覚えている。


 セクハラに耐えかねたのか、上司を怒らせてしまったのか、理由は定かではないが彼女は牧野より一足先に辞職している。


 牧野、沙苗、そしてもう一人を加えた三人は同期であり、女どうしということも相まって随分と仲良くやっていた。とはいえ、沙苗が辞めた理由を知らないようでは本当に仲が良かったのか自信が持てなくなってきた。

 さらにはセクハラを見て見ぬふりをしていたのだ。なんとも薄情だと思うし、後悔もしている。けれど仕事が忙しくなり自分のことで手一杯になっていた牧野には彼女に構うだけの余裕がなかったのも事実だ。


 沙苗からのメールは『やっほーカレンちゃん』と始まり、絵文字と顔文字を駆使した可愛げのある文面だった。

 以前と変わらぬ態度に安堵しつつ読み進めるうちに、牧野の顔に生気が戻り始める。沙苗を女神だと崇拝したくなるほどだ。


 メールを要約すれば、自分の働いている会社の人員に空きがあるので来ないかというものだ。渡りに船とはこのことだ。


 舞い込んできた幸運に牧野は胸の前で小さくガッツポーズを作り立ち上がった。主婦たちから寄せられる奇異の目も今は心地良い。


 青空を背に、牧野の頭上を二羽の鳥がもつれ合いながら飛んでいる。果たしてそれは祝福の囀りだったのだろうか。


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