202号室
「ごめん、ずっと一緒にいるって言ったのに・・・・・ごめん」
「俺だって行きたくない。でも、俺達が生きていくために、どうしても行かないといけないんだ」
「約束するよ。全てが終わったら帰ってくる・・・だから、ここで待っててほしい・・・・」
「2泊3日の出張でなに大げさなこと言ってるの。そんなことしてる暇があるなら荷物準備しないと」
妻は夫の戯言を一刀両断した。
ここは某県某市にあるペット同居可マンションの202号室。住人は田中寛行、妻の茜、ペットのカナタ(セキセイインコ♂)の2人+1羽である。
寛行の出張は明日からだが準備は何一つ出来ていない。食後に荷造りするつもりでいたのに、晩酌でいい気分になっているうちにうたた寝してしまったらしい。
明日の起床予定は朝5時。現在TVでは今日の最終ニュースが終わったところだ。
「そんなことなんかじゃない!実質まる2日以上カナタちゃんに会えないんだぞ、病気になったらどうするんだ!?」
「ちなみに誰が?」
「俺が」
「どうして?」
「寂しさのあまり」
「・・・」
茜は寛行を半眼で見つめた。酔っぱらいの言っていることだから聞き流すべきだろう。たとえ目が本気だろうと。
「ね~、カナタちゃんもお父さんいないと寂しいよね~、お母さんってば冷たいよね~」
寛行のテンションは高い。
「カナタちゃん、何て可愛い目で見つめてくるんだっっっ。もう~お父さんチューしちゃうぞ!」
「ガブッ」
「痛ッ!ダメ、カナタちゃん、鼻の内側は噛んじゃダメ~」
どうやって夫を〆ようか考えていたが、カナタが会心の一撃を決めてくれた。
苛立っていたのは茜だけではない。カナタの本来の就寝時間は21時。寝不足は美羽の敵なのだ。
翌日の早朝も寛行はおかしかった。まだ酒気が抜けないのだろう。
「カナタちゃん行ってくるね。絶対絶対帰ってくるからね。お父さんが居なくて寂しくても我慢してね。なんだったら電話してくれてもいいよ」
「大丈夫よ私が一緒に居るんだから」
「ピヨッ」(訳:そのとおり)
「ほら、カナタも問題ないって言ってるわ」
むしろせいせいするのではないだろうか。
「いやいやそんなこと無いって。これは『待ってるから早く帰ってきてね』って言ってるのさ。カナタちゃんはお 父さんのこと大好きだもんね~。お父さんもカナタちゃんのことが世界で一番好きだよ~」
「ピッ」(訳:うるさいです)
「じゃあそろそろ今日の健康チェックしようか。カナタちゃんちょっとごめんね~」
寛行はカナタを捕まえ、背中側から片手で包み込んだ。
「ギャギャギャギャッ」(訳:やめて~オカーサンたすけて~~)
「羽の艶よし。目よし。クチバシよし。鼻水なし。くんくん、インコ臭いいにおい」
カナタは諦めたのかぐったりと力を抜いた。
寛行はそのまま手のひらを上に向けるように捻った。するとカナタのお腹が丸見えの状態になる。
「脚の爪よし。お尻よし。カナタちゃん今日も健康だよ良かったねえ。う~ん可愛いなぁ。頬ずりしてもいい?いいよね?すりすり。あ~ふわっふわだ~」
「・・・」
さっきから茜は無言である。
「ふわふわふわ~ってあれ?茜、どうしたの黙っちゃって」
ようやく寛行は茜の沈黙に気付いた。これはまずい。怒られる前に可及的速やかに撤退すべきだ。
「ああっといけない、もうこんな時間だ。そろそろ行かなきゃ」
と、ぎこちなく腕時計を見る。
「・・・行ってらっしゃい。ユキさん安心して。(ユキさんに何があろうと)カナタに不憫な思いはさせないから」
「はははは頼もしいな。じゃ、行ってきます」
ガチャ、キィーバタン。コツコツコツ・・・。
危ない所を無事に切り抜けた、と寛行は額の汗をぬぐった。
実は問題を先送りしただけなのだが、楽観的な彼は、出張から戻る頃には妻の機嫌も直っているだろうと軽く考えていた。
寛行の靴音が聞こえなくなってから茜は玄関のカギを閉めた。
そのとき彼女の手の甲に、普段よりも筋がくっきり浮き上がっていたことを寛行は知らない。
◇◇◇カナタ語り◇◇◇
こんにちは。カナタチャン(※)1さいです。
オカーサンが、カナタチャンは『ソーショクケイだんし』だっていってました。
だんしって、おとこのこのことだから、カナタチャンのことだよね。
ソーショクケイってなんだろう。かっこいいってことかな。
こんどおしえてもらうです。
あのね、オトーサンもオカーサンも、カナタチャンのこと、とってもかわいがってくれます。
カナタチャンはおぼえてないけど、カナタチャンがあかちゃんのとき、からだがよわかったから、いっぱいしんぱいしたそうです。
もうおとなになったから、げんきなのに、オトーサンはいまでもしんぱいしょーです。
なんだか、ひどくなってるきがします。
オトーサンはおはなしがすきです。カナタチャンとまいにち、いっぱいおはなしします。
カナタチャンもおはなしすきだけど、ずっとしてるとつかれるから、おしまいにしたいときはガブッとします。
そうするとオカーサンは、カナタチャンのかわりにオトーサンとおはなししてくれます。
ねえねえオカーサン、きょうのオトーサンのおはなし、ながかったです。
カナタチャン、はやくおしまいにしたかったのに、ギュッとされてたからガブッてできなかったの。
すりすりもいやなの。
あれ?オカーサンいまなんていったの?オカーサンのこえ、いつもよりひくくて『あさって』と『たのしみ』しかきこえなかったです。
あ、オカーサンわらってるから、きっとたのしいことするんだね。
カナタチャンもたのしみです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※ カナタは『ちゃん』までが自分の名前だと思ってます。いつか間違いに気付くといいね!
この物語はフィクションです。
実在する個人、鳥、団体等とは一切関係ありません。
なお、寛行によるカナタちゃん健康チェック方法は間違いだらけですので、絶対に真似しないでください。動物病院・ペットショップ・鳥飼育指南本で適切な方法を確認していただきますよう切にお願いいたします。