01
クラシックな学生寮から徒歩で約十分。トコトコと歩いて行けば、本校“トーキョー・アルカディア学園高等部”の厳格な正門が見えてくる。寮とは違った趣の、凡人では入れない、モダンなマンモス校である。
植えられた桜の街路樹が、ざわめく通学路を彩っている。灰色という実に味気ない制服だけではさみしいので、色合いとしては控え目でも薄桃の明るさは個人的に目に嬉しい。
春だなあ、と一人感慨深く暖かな日差しに浸っていると、
「グモーニン、とーおるっ!」
「っう!」
突然前方に立ち塞がった人影に慌てて足を止めた。あ、危ない。見れば人影との距離は僅か一歩分しかなかった。
危うく衝突しかけるところだった壁を、何しやがんだとジロリと睨む。
「……歩夢さん。何度も言いますけど、正面にいきなり移動して来ないでもらえませんかね?」
「いやあ、障害物を避けながらの瞬間移動って大変でねー」
「君の中に普通にやって来るという選択肢は無いのか」
無いんだな、無いんだろうな。
改める気ゼロ、なほわほわと綿菓子のような柔らかい雰囲気で笑う少女に、私はつい嘆息した。
癖っ毛を二つに纏めた赤茶色の髪を揺らし、くりくりとした黒い瞳でこちらを覗き込んでくるのは私の親友の七瀬歩夢である。良くも悪くもマイペースで、まあだからこそ、互いに気を遣い過ぎない心地良い関係を築けている。人の安全面にも、もうちょっと考慮できれば尚良いのだが。
「むやみやたらと力使って、風紀部に目をつけられても知らないからね」
「大丈夫、そんなヘマはたぶんしないと思うよ」
そこははっきりと断言するところだと思うよ?
ニコニコと上機嫌な彼女は、歩みを再開した私の隣で歩き出す。ともすれば鼻歌すら聞こえてきそうな気配に、一体どうしたのと話しかけた。
「ええ? いや、特別に何かあったわけじゃないけど、今日から二年生だし? 新入生もやって来るし。新しいことって、無条件にわくわくしない?」
「そう? 私はそうでもないかな。学年は一個上がるだけだし、うちはほぼ持ち上がりなんだから新入生と言われてもというか」
「透は冷めてるなあ。……いや枯れてる?」
「だまらっしゃい」
学年が変わっても今朝のやりとりはいつものものと大差ない。他愛ないお喋りは途切れることのないまま、昇降口まで続いていた。
上履きに履き替える。靴先だけが赤いそれは、私が二年生であることを示している。因みに青色だと三年生で、今年入る一年生は確か黄色だった気がする。
靴をロッカーにし舞い込むと、不意に隣から声を掛けられた。低い声に男子だとわかる。
「なあ、お前。“タグ”はどうしたんだ?」
顔を見合わせた男子生徒は不思議そうにこちらを見下ろしていた。
黒い髪に目。すきっとした短い髪型とぱちっとした目元が爽やかな印象の青年だった。笑顔とスポーツをする姿が良く似合いそうだ。
見覚えのある顔に余計なことを思い出しかけたが、それよりも前に掛けられた単語に急いで上着のポケットに手を突っ込む。引っ付かんで取り出したのは、彼が言っていたタグ――ブレスレットだった。
シルバーの鈍い色の腕輪を左手首に通す。この学園ではこれを着けていないと校則違反になってしまうのだ。これは簡易は生徒手帳、あるいは名札のようなものと思ってくれていい。簡潔な個人情報が障りのない程度に登録されている。
「ごめん。教えてくれてありがとう」
左手に冷たさを感じながら、わざわざ教えてくれた男子に軽く頭を下げる。
「大したことじゃないから、礼なんていいって」そう言って彼は苦笑した。
「そういや、さっきまで気づいてなかったってことは、それ(・・)でクラス確認はしてないのか?」
「……あ」
しまった。それもすっかり頭から抜けていた。
思いきり忘れてました、という顔になった私を青年は可笑しそうにくすりと笑う。
僅かに感じた気恥ずかしさを誤魔化すように、私はスマートフォンの画面に釘付けだった歩夢の肩を叩いた。
「ちょっとサーセン、それでクラス読み込んでください」
「え、透、確かめてないの?」
「うん。自分のを取り出すのが面倒なので、お願いします」
「もー。しょうがないなあ」
少し待ってねと機械を弄ってから、歩夢は差し出したブレスレットの、一部平面になっている箇所(本来はこの部分だけをタグという)に端末をかざす。すると三秒もなく、画面にデジタルの文字が浮き出た。
「二年三組、だって。あーあ、クラス違うー。私二組だった……」
しょんぼりと肩を落とす親友に、会えないわけじゃないんだからと笑いかける。私だって寂しいぞ。
「お、三組なら俺と一緒だ。……里中、とおる……透っていうのか? 俺、竜崎拓人。これから一年よろしくな!」
画面を覗き見ていたらしい、ニカッと破顔しての彼の自己紹介に、こちらこそよろしくと返した。
「そっちは? なんて名前だ?」
「七瀬歩夢だよ。クラスは違うけどよろしくね、竜崎くん」
「おう、よろしく」
にこやかに挨拶している二人をぼんやり眺める。
……正直、こちらに紹介など必要なかった。私はこうして彼に会う以前に、竜崎拓人を知っている。――ゲームの中で(・・・・・・)、だが。
「……と、いつまでもここに突っ立ってると邪魔になるな」
「透、早く教室に行こー」
「ん、はいよー」
ふるりと緩く頭を振ってから、私は先を行こうとする二人を追いかけた。