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第五話

 男は、くたびれた引き戸が開く音に神経を研ぎ澄ました。

 そして、入ってきた大柄で派手な服装の髭もじゃに「なんでやねん」と突っ込みを入れた。

「あれ?兄ちゃんあの人知ってるの?」櫛を弄びながら緑髪が聞いてきたが、頷きだけで返した。確かもう会うことはないとか言っていたはずと思うので頭が一杯だったからである。

 安藤は大股で教壇まで歩くと、おざなりに出席簿と名札の入った袋を置き、無言のまま黒板に名前を書いた。

「あー、俺がこの『一年0組』の担任となった安藤影踏だ。どれぐらいの付き合いになるかはいまんとこよくわからねえが、まあよろしく頼む」

 頭を掻きながら安藤は自己紹介をした。クラスは以前として沈黙がお好きなようだったが、間違いなくこれから何か始まっていくことをほぼ全員が予感していた。

「顔見知り・・・・・・もいないことはないかもしれんが、殆どが始めましてだな。この国には慣れたか?」

的を絞らず問いを放ったため、誰もそれには答えようとはしなかったが、一番前の小学生が、

「しつもんです。なれたどころか、何が何だかぜんぜんわかりません。おしえてくれませんか?」

それが沈黙を破るきっかけになったのか、口々に「そうだ!どういうことなんだよこれは!」「新手の詐欺か誘拐なんだろ!」「早く家に帰りたいんだけど」などと各々が捲くし立て始めた。 

安藤は大きなため息をひとつつくと、

「黙れ」

 その一言で、教室は蛇に睨まれた蛙だらけになった。立ち上がってまで抗議の声を上げていた数人も、すごすごと着席したのを見て、男は情けねえ奴らだなと思った。しかし一方で、今のはただの威圧ではない何か別種の力を具に感じ取り、只者ではない存在感に男も例えるなら断崖絶壁から突き落とされた一秒後のような感覚に落ちた。

 冷や汗が背中を伝う感触を味わいながら、男は改めて安藤を正面から見据え、次の言葉を待った。

「・・・・・・おっとすまん。驚かしちまったかな。いやいや、お前らの疑問は至極最もなものだ。今までここに流されて来た奴らも、皆一度は思うことだからな。俺もそうだった」安藤は名簿を開き、名札が入った袋を開け中身を教壇にぶちまけた。

「疑問には順を追って適宜説明していくつもりだ。その前にまずお前ら、自分の名前を知りたくねえか?」

 嫌味たらしい笑みを浮かべ、ぶちまけられた名札の一つを見せびらしながらそう言うと、教室は若干のざわめきに満たされた。先ほどの抗議から、生徒間のぎこちなさは少し改善されたようだ。

「しつもん、いいですか?」

「おう小僧、お前は強い子なんだな。何でも言ってみろ」

「なぜぼくは自分の名前が思い出せないんですか?それと、おとうさんおかあさんの名前と顔も思い出せないんですけど」

 男はそれを聞き、自分の両親の名前と顔を思い出そうとしたが、のれんに腕押しであった。記憶消去は自分の名前だけでなかったというわけである。男は唇を強く噛んだが、全く痛みを感じなかった。

「それはな・・・・・・ま、とりあえず名札配ってから説明しようか。名札は服に付けてくれ」

 安藤は名簿を見ながら名札と照合し、一番左の列から取りに来るように指示した。一番左は、あのヒステリー女である。男は何となく、受け取りに行く様を注視しながら、自分の番を待つ。

 受け取った人の反応は一様に「微妙」という表現がお誂え向きだった。どうやら、名札を見たからといって記憶が戻る感覚を得られるわけではないらしい。男は仮名の可能性を第一候補に引き上げ、僅かながらでも抱いていた期待を失った。

 そして一番右の列の番が来て、順番に取りに行く。男は最後だった。

「何でお前やねん・・・・・・」教壇まで来た時、男は囁き声で文句を垂れた。

「俺も不本意だったが、まあお前と出会ったが運の尽きってやつかもな。ほらよ」

 安藤は軽く放り投げるように男に名札を渡した。しっかりと捕獲した男はまじまじとその名札を見た。

 そこには、「シゲル」と書かれていた。

 男は、然したる感動もなくスーツの胸ポケットにその名札を挟むようにして付けた。やはり記憶が戻った感覚はしない。この「シゲル」という名で、今後は生活せざるを得ないだろう。

 名札を全て配布した安藤は、形式的に空席や配り漏れがないかを確認した後、名簿を閉じ話し始めた。

「名前については、一切の質問や抗議を受け付けない。この国では名前の扱いや規制はかなりシビアだからな。これについても後々教えてやるさ・・・今はまだ必要ない話ではあるがな」

 シゲルはそう言えば安藤は「姓名」があるのに対し、自分はカタカナで「シゲル」と名前だけということに違和感を持った。これは何を暗示しているのだろうか。この国では名前で何か地位的なものを標榜しているのかもしれない。となると、安藤は姓を持っているのだから、かなり地位が上の可能性が高い。ちょうどそれは、明治時代以前の日本において、名字が支配階級の象徴とされていたことと何かしらの関連性を匂わせるものだとシゲルには思えた。

「さて、まずさっきの質問だが・・・何故お前らは自分の名前や家族の名前などが思い出せないか?それは、『私的復讐』の防止のためだ」

 安藤が語気を強めて言った「私的復讐」という聞き慣れない用語に、一同は当惑しているようだった。

「その私的復讐というのはつまり・・・・・・」白々しいとも思えるタメを作り、「『化けて出る』ということなんだよ」

「えっ!じゃあ俺たちはやっぱり死んだのか?」真ん中らへんに座っていた30歳代と思しき男がそう言い、数人がざわつき始めた。何人か、まだ自分が死んだことを自覚或いは認識していなかったようだ。シゲルはまさに往生際の悪い奴らだなと鼻で笑った。

「おいおい、お前ら自分が死んだことも分かってなかったのか?全く最近の生徒はこれだから・・・・・・。まあそれは良い。とにかくお前らは死んで、今は現世で言えば『霊』・・・・・・いや『怨霊』となったんだよ」

 淀みのない透き通った沈黙が教室を包み込み、生徒は言葉を失う。確かに、自分が既に死んでいて、しかもただの霊ではなく怨霊と呼ばれる存在になったと唐突に言われたら、誰しもがこうなるのかもしれない。しかしシゲルは少し違った。怨霊ということは、何かしら力を持っているのではないか、そして何かしらの方法で、現世に還られるのではないかという方向に思考が傾き始めていたからである。またそれは、シゲルがつい先刻「頭おかしい女」と認定した女―名は「ノゾミ」-にも起きていた。

 ノゾミは、「私的復讐」という明らかになった禁止事項にひっかかりを覚えつつも、今覚えている(消されていない)ことを思い出していた。


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