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第三話

 ライターが床にしたたかにぶつかる音で、男は我に帰った。

 男は机と机の間に落ちたライターを拾おうとすると、タッチの差で他人の手が掠め取った。

 「へえ。良いデザインじゃんこれ」

耳に二つぶら下がっているピアスと、目が覚めるような金髪の男は、しげしげとライターを眺める。

 「あんた、なかなかハイセンスなやっちゃな。これの良さが分かるとは見所満載やで」

 男はすまんと感謝の言葉を述べ、金髪からライターを返してもらった。無意識に、その触り心地を再度確かめる。

 「羨ましいわ。俺のはこれ」金髪は自分のポケットを弄ると、櫛を取り出した。

 「鋏か?」

 「そう。俺は美容師だったんだが・・・・・・一応カットに命賭けて仕事してたつもりがこの様だったのかもしれねえよ・・・・・・」

金髪は傍目からでも目立つ貧乏ゆすりを始めた。こいつもこいつで、いろいろとあった挙句の結果がこういうことなのだろうと男は思った。

不意にその時、廊下から誰かがこちらにやってくる足音が聞こえてきた。途端に二人は引き戸を見遣ると、

 「誰か来るのか・・・・・・?」

 「所謂担任、てやつちゃうか?」

 と先ほどよりは小声で言葉を交わした。

 どんな奴だろう、と男は想像を巡らす。何にせよ、面倒なことこの上ないので即時脱走したいのが本音ではあるが、現状ではまだこの国について不明な点が多すぎるので、ここでそのような行動を起こすのはかえって得策ではないことは重々承知していた。ただ一方でせめて一つ一つの要素―ここで言えば担任―が少しでもこちらにとって有益かつ楽なものであって欲しいとは逐一願っていた。

 引き戸の前に立ち止まり、取っ手に手をかける音が聞こえた瞬間、教室の中に居た全ての存在が、一点に注目した。

 ガラガラガラ。くたびれた素材が悲鳴をあげながら、引き戸は開いた。

 入ってきたのは、目を閉じたまま歩く老人だった。一段高い教壇に上がる時のみ、杖を一回突いたが、それ以外はほぼ健常者と遜色ない動きで、凛とした面持ちでこちらを向く。

 「えーみなさん、客員というか招聘と言うか、一応わしがこの『第百八霊学校』の校長であります・・・・・・」そこまで言うと、一呼吸置いて、

「塙保己一」老人はそう名乗った。

 教室内は大別して二種類の反応に分かれた。即ち、誰だか分からずきょとんとする者、誰だか分かり言葉を失う者である。もっともその割合は、前者のほうが目立って多かった。

 「なあ、あのじいさん誰よ?」金髪は前者であった。

 「あんた、知らんのか!?塙保己一言うたら江戸時代の国学者、『群書類従』『続群書類従』を編纂し、和学講談所を設立した著名な歴史上の人物やぞ!?」興奮を交えながら、男はつまらなさそうな顔で保己一を観察する金髪に、少しくどいぐらいの説明をした。

 「ああそうなんだ・・・・・・どうせ有名人なら、フレディ・マーキュリーとかマイケルジャクソンのほうが良かったのに・・・・・・」

 頬杖をつき、何とも場違いな発言をする金髪に男はため息をひとつくれてやることで、自分の気を静めた。

 金髪を諦め、周囲に自分と同じような反応を見せている仲間を探したが、特に見当たらない。日本の歴史教育にさながら老婆心のような憂いを抱いていると、

 「えー、まあわしのことを知ってる方もそうでない方も、そんなに深く付き合うことはないはずなのでどうぞ気にせず。この教室にはどうやら老人が滅法嫌いな方も混じっているようじゃし」そう言って保己一は一瞬、男の方に顔を向けた。男は見えてないはずだと分かっていながら軽い身震いを起こした。盲人の瞳のその威圧さに。

 確かに教室に保己一が入ってきた矮小ながら複雑な気分を抱いていたことは否定できない事実ではあった。自らが忌むべき対象として捉えていた老人と、今教壇に立っている老人との違いは、提示できるようでそれは屁理屈と戒められても仕方ないものばかりになるかもしれない。男は自分の中で、老人についての明確な線引きをしていたつもりだったが、先ほどの保己一の一言で僅かな揺らぎを観測せざるを得なくなってしまっていた。

 「嫌味はこれぐらいにして」咳払いをひとつ打って話を続ける「まずはみなさん、入学おめでとう。これからそれなりの期間、この霊学校で学んでもらいます」

 「それなりの期間ってどれぐらいだよ・・・・・・」金髪が面倒臭そうに文句を吐き捨てた。

 「質問は受け付けんぞ」保己一はその吐き捨てられたものを拾い上げたのか、金髪を一喝した。縮こまる金髪を見て、そこまで大きな声でもなかったははずなのに、と男は思った。

 「学校の授業内容やその他の詳細などは、この後来る担任から聞いてもらいたい。そうそう、君ら自分の名前が分からんらしいな。それも担任が教えてくれるらしいぞ。いやはや、空国流れはいろいろと厄介なことが多いんじゃのう。実はの、そもそもわしは天国行きで、死んでからずっと天国暮らしだったから、この国に来たのも初めてなんじゃよ…本当は全然気が進まんかったが、尊敬するあの方から直接文を貰ったんじゃあ、断るなんてのはとてもできん話よ…」

 保己一はその後も暫くしみじみと自分が何故ここに来たのかを語った。宴を伴った国学の講義中に、天国の役員が文を持ってきたこと、どうせ厄介ごとだろうと、その場で破り捨てようとしたが、役員から差出人の名を聞いて血の気が引いたこと(血はもう通ってないというギャグも絡めていたが)文を丁寧に開封し、依頼自体には気が進まないながらも謁見できる喜びを胸に空国へ入国してきたこと、そして実際に謁見し、それはそれは感動したことなどである。

 男はその話を退屈だとは思わなかった。むしろ、様々なヒントが多分に含有された話だと感じていた。特筆すべき事項としては「保己一が尊敬している人物が、この国の中枢と思われる立場にいる」ことである。はて誰だったかと頭を悩ませる。もしかしたら死後に見知った人物のことかもしれないが、存命中からの人物の可能性のほうが高そうな気が男にはしていた。そこまで保己一に詳しいわけでもなかったのが、まさかこんな場面で仇になるとは・・・・・・。

 しかし一方で、天国は存在すること、そしてこの国との何らかの連絡や渡航手段があることは分かった。ということは地獄も存在するのだろうか。ならば、この国に来た(保己一は「流れ」と言っていたが)故人は一体どのような判断基準の下に選定されたのだろう。少なくとも、現世で伝えられている地獄よりはマシな待遇ではあるようだが・・・。

 「それでわしの在任期間なんだが、君らが一人残らず卒業するまでということだそうじゃ。よって一刻も早い卒業を期待しておるぞ。こんな味気ない国に長居はしたくないからのう・・・」

 保己一にとってはどうにもこの国はつまらないらしい。男は天国とはそれほどの国なのかと想像した。酒池肉林、贅沢三昧・・・森羅万象の欲望の成就が天国では叶うのだろうか。それには、救いも含まれているのだろうか。

 「それでは、わしはこの辺でお暇するかの。せいぜい頑張ってくだされ。にしてもこの教室、やたら瘴気臭いのう。腹の底で醸成したかのような、どす黒い臭いじゃ」

 保己一は先ほどのように段差を多少気にしつつも、軽快な足取りで教室を後にした。残された空間は、一度真ん中の一番前に座っていた小学生が右隣の中年男性に「どういうことなの?」と尋ねたが、「俺も知らんわ」とぶっきらぼうに答える音声のみを震わせた以外は淀みを失い、廊下から僅かに聞こえる声のみが物音として機能していた。

 男は考えるのを止め、保己一が言っていた「担任」の襲来を待つことにした。漸く、これからの身の振る舞い方が分かる。そもそも、自分や周りの人々が「霊」と呼ばれる存在であるならば、恐らく現世に還ることができる可能性は高いように思える。それなら、もしかしたらあの続きに参画できるかも・・・と淡い期待を抱きながら。


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