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夜の巨人

 鳥の群を散がせ、鼻の溶けゆく誰そ彼時。街灯のひとつふたつ、揺られたように瞬いて。

 赤子の泣き声と犬の遠吠えを車輪の腐ったのが挽き潰す。砂礫つぶてが飛べば笑い声。遅く起きた子供が散歩に行ったきり帰らぬと、胞衣を頼りに探した、シャッター街の唖共の眼の、炯々。

「気持の良い場所とは思えんね。」と浮腫んだ顔。暗がりにもわかるだろう黄色さは、胸ポケットの木星から端を始とした万物の色が伝染ったゆえであった。「こんな時間に来るものではない。」と唾を吐く。

「第一、こうも時化ていると醜女か病のふたつにひとつだ。ああいやだ、いやだ。」空気を掻いてから見てみれば、ちらほらと煤けた空が透けている。

 男は遊山のついでに寄った町の廃れ様に、言い知れぬ憤りを感じていた。あたかも自らの母が猫になったときのような、裏切りへの憤りを、知りもしない町の中で感じていた。傾いた肩をふらつかせながら歩く浮浪者を父と見て、八重歯を剥き出し財布をもぎ取ろうとする子供を弟と見ていたのである。そこにあって路傍より手を伸ばす女たちはすべて、母の顔も服もかたちも成していないのに母足り得ていた。

「お兄さん。お兄さん。」と扇が囁けば罵声。影法師は灯りの下色濃く飾り始める。未だ止まぬ雨露のかけらで、蚊帳も濡れんばかりの、気味の悪い夜が来ようとしていた。ほんのりと灯の赤いのや紫のが、生まれ死にゆく夜だ。

 歩く。指の隙間から覗く嬌声の罅を這うように、また嘗めるように。けばけばしい顔をした女たちの片隅、古びた洋服の裾を所在なさげに掴んでいる彼女の紫の髪を眺めながら。通り過ぎてゆく。

 ふいに、男は道が消えてゆくのを感じた。前に幾千とある足跡が、ひとつふたつと消えてゆくのである。

「艮にでも入ったか。」と白々しく。残ったそれを童さながらに、石を転がす童さながらに、追う。……やがてふたつだけになったとき、海に張り付いた、家々の明かりが浮かんだ。

 男はそれを見て、あれはきっと黒々とした夜の巨人が眠りに就いていて、あの光は服に付いた釦やら飾りやらが月に反射されているのだろう、と思った。なぜそう思ったかは、男自身にもわからなかった。

 彼の黒髪は、慣れぬ潮風に当たってしばしばと蠢いている。彼の眼は、初めて映るそれに充たされている。

 潮の靡きは近くにあるはずなのに遠く聞こえている。いつもはかき消される木々のぱきぱきという悲鳴も、少し耳を欹てさえすれば、容易く響くほどに。

 家々は互いを暖め合うかの如く犇めいている。肋の晒され障子張りの破れたその中には、灯が点っている。昼も、夜も、絶え間なく。いまにも消えそうなのが証だ。


 ただ、それは疎らにあった。


 男は夜の巨人を見つめていた。巨人と夜に憤りは溶けて、やがて木星になった。

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