めくるめく捲る―5
世界は真実で廻っている訳ではない。
世界は強力なアイテムで廻っているのだから。
だから、僕は怯えた。怯えて周りを見渡した。このままでは僕達が犯人扱いだ。どうしよう、どうしよう。と、慌てふためき怯える――演技をした。
「この……ひ、と……が……」
すると、案の定釣り針に獲物が掛かる。僕は賭けに出た。その賭けはローリスクハイリターンである。これに乗らない手はない。釣られたのは勿論、被害者の少女。
「この人が私に……っ!」
咳きをきったかのように女生徒がぽろぽろと涙を零した。これで僕達の勝利が確定した。なにせ、女の涙は強力である。会社員や僕のような演技の欠片が一粒もない。
僕が釣ったのは女生徒の罪悪感だ。自分のせいで自分を助けてくれた人が犯人にされてしまう。助けてくれた人の友達も犯人にされてしまう。自分が何も言えないから。自分がびくびく震えているばかりだから。
「チェックメイトだよ、あんた」
少しばかり格好つけてそう言うと、会社員が鞄を床に落としてがくんと項垂れた。
咲の方はと見やると、彼は女生徒にハンカチを渡していた。僕からはその口元が見えないが、彼の事だから女生徒にも届かない声で「ありがとう」と言っていることだろう。
電車を降りた僕と咲は並んで学校に向かっていた。その隣には先程の痴漢事件の被害者もいる。宮杜は駅で友達でも見つけたのかはぐれてしまっていた。
結局、女生徒は事を大きくしたくないと言って警察に突き出すような真似をしなかった。その事に会社員がほっと胸を撫で下ろしたのがあまりにも気に食わなかった為「二度と僕達の前に顔を見せるな。次に顔を見せたら問答無用で警察に突き出してやる」と脅しておいた。会社員の小さな悲鳴は滑稽で笑えなくもなかったけれど、悲しそうな咲の目を見て、それ以上会社員を虐めるのは止めた。
咲は優しい。優しすぎる。だから、会社員がもしも痴漢で捕まったら、その後の会社員の人生はどうなるだろうと危惧していたのだ。いくらなんでもお人好しに度が過ぎる。犯罪者の肩まで持つことはないのに。
「本当に本当にありがとうございました!」
何度も何度も耳にたこが出来るぐらいに女生徒は感謝の意を述べた。その度に困った顔になる咲。
「別に俺は何もしてないよ」と言いたげな表情だ。
「いいよ。咲も気にしてないって。それに、あのままだったら僕達がやばかった。咲は君を助けたかもしれないけれど、君は咲を助けただろう? だから、おあいこだよ」
まあ、女生徒が善人に見えたから僕がそうなるよう差し向けた部分もあるのだけど。
「でも、私が最初からもっと……もっとしっかりしていたら……」
どうやら彼女は完全自己嫌悪タイプのようで、何か問題があると最初に自分を責める子のようだ。
「それじゃあこうしよう。君は咲に何かお返しをする。それでどう?」
そう言うと、反論を示したのは当然咲で「僕はそんなつもりで助けたんじゃない!」とでも言いたげに掴みかかってきそうな雰囲気だ。
「私に出来ることなら!」
ところが彼女は明るく元気に待っていましたと言わんばかりに承諾した。予想通りの反応。彼女もまた、優しい人間なのだから。
「いい返事だ。それじゃあ咲と友達になろうか」
言って、瞬間で咲の顔が真っ赤になる。ああ、照れてるのか。恥ずかしがり屋だもんな、お前。と心の中で笑みを零す。
対して、彼女の方も顔を真っ赤にしていた。おっと、これはもしかすればもしかするかな?と、つい悪い顔で笑ってしまう。
女生徒は中々可愛らしい愛嬌のある顔立ちをしている。太陽に照らされ茶色がかる髪は後ろ手二つに結ばれていて、それが三つ編みになっている。外見も整えていて、学校指定の制服を崩して着ているような真似はしていない。真面目なお嬢さん、というのが第一印象だ。咲と並んでデートでもすれば、ある意味で目立つ組み合わせだ。その場合、女生徒に悪い噂が立ってしまいそうだけど。
「でも、そんなことでいいんですか?」
「それはとても大きいことなんだよ。ほら、咲ってさ、この通り無口なんだけど、実際はただの恥ずかしがり屋なんだよね」
言葉に反応して見事に湯気立つ咲。蛸が茹で上がってもここまで赤くならないだろうと笑ってしまう。
咲の様子で判断がついたのか彼女もくすりと楽しそうに微笑んだ。
「本当ですねっ」
「そう。だからさ、咲と友達になってやってよ。その方が僕も嬉しいし、ね?」
魚のように口をぱくぱく動かして僕を指差す咲。「勝手に話を進めるなよ!」と憤慨しているのだろうか?
「解った解った。ほら」
そう言って、くるりと咲の体の向きを反対側の女生徒へ向ける。照れて俯く咲と、頬を桜色に染めて照れる女生徒。けれど、彼女の眼差しはしっかりと咲を捉えていた。
「わ、私、天海米子っていいますっ! よ、宜しく咲さんっ」
「ぶっ、くく……」
つい吹き零してしまう。米子。彼女は米子という名前なのか。田吾咲が江戸時代なら米子は明治時代であり、全く五十歩百歩だ。田吾作と米子。成る程、これは運命か。ならば精一杯二人を応援しよう。
「お、俺、は……灯影……た、たご、たご、たたご……」
珍しく咲が話している。それも、後ろにいる僕にさえ聞こえる音量で。咲の声を久しぶりに聞いた。こんなにはっきり聞くのは初めてだ。彼女が名前を、米子という名前をはっきりと教えてくれたことに感動し、或いは尊敬でもして頑張っているのだろうか?
まあ、どちらにせよ僕にはもう関係のない話だ。二人はお似合いだし放って置いても天海さんが咲をある程度リードしてくれるだろう。手を貸すのは時折でいいはずだ。さて、まだ時間はあるが先に学校に行くとするかな。
僕は自然に学校へと歩き出した。駅から学校に向かうなだらかな上り坂。人通りと言えば今は学生ばかりで、その中で一際目立つ金髪が必死に誠意を込めて自己紹介している。まるでドラマのワンシーンのように。田吾咲と米子ではギャグ漫画になってしまいかねないけれど。
「た、田吾咲です!!」
学生達の歩みがぴたりと止まった。道すがらの植木で休んでいた小鳥達も逃げ出す始末。振り向かずに歩いている為天海さんの表情が見えないが手に取るように想像できる。
「そんな大声出さなくてもいいのに」
全く、不器用な奴だなと苦笑する。ドラマに向いていないのは二人の名前だけではないようだ。